ロバート・キャパ写真展2 週刊100人そしてミステリー
「ロバート・キャパ最期の日」のHomePage
2004年5月25日 ロバート・キャパ没50年 この土地でロバート・キャパは地雷を踏んだ。下の写真のキャパが最後に撮った場所と同じ場所。
年末に、ワンテーマ、マガジン、週刊100人No.082、「ロバート・キャパ」が発売されていた。僕の「ロバート・キャパ最期の日」からの引用もあった。
ところで、気になったところがあり、それはキャパのラストショットについての記述で、ロバート・キャパが地雷を踏む直前の">最後の写真、カラー写真が紹介されているが括弧のなかの注釈に(コンタックスで撮影されたモノクロ写真(がラストショット)だとする説もあると書いてある。
しかしそれはもう、1984年の展覧会で、カラーの写真を発表した時点で解決済だ。なぜなら、荒地を散会するように進む兵士の動きを、モノクロ(ダブルX)とカラー(コダクローム)とを比べると明らかに、兵士の動きから、カラーが後に撮られていることは明白だからだ。
それより僕は、キャパの最後のカラー写真が、いったいどのカメラで撮ったのかというほうがミステリーに思える。いちおう「ロバート・キャパ最期の日」では、リチャードウイーランの伝記を尊重して、モノクロはコンタックス2、カラーにニコンSとしていたが、実のところ、もしかしたらそれは間違いではないかと思っているからだ。
最後の瞬間を記事にした、キャパと同行取材したライフの記者、ジョンメクリンの記述には、キャパは地雷に吹き飛ばされたとき、左手にコンタックス2を握りしめ、ニコンSは投げ出されていたとある。死して、カメラを放さなかったというくだりは、ちょっと眉唾ぽいけれど、そんなことより、そこには、それぞれどのカメラに、何のフィルムを入れていたかは書いてない。それがリチャードウイーランの伝記には明確に、コンタックス2にモノクロ、カラーにニコンSとある。その根拠は何なのだろう。いろいろ取材すると、リチャードウイーランは写真に対してあまり造詣は深くない。そういったことに関して、検証できる立場(コーネルからも、さまざまな資料からも調査できる)でありながら、追及はしていない。
なによりもミステリーだと思うのは、現在、東京富士美術館に収蔵されている、ニコンSにはニッコール50mmF1.4がついていることだ。コンタックス2は紛失している。
キャパの最後に撮った写真、カラー写真は明らかにワイドレンズを使用している。当時のニコンとコンタックスは、レンズを共用することも可能だ。しかし、現在残っている、レンズに泥をかぶったニコンSについている50mmF1.4という事実。最後のモノクロの写真は標準レンズで撮っていることは、写真を見ればわかる。
僕は、キャパのインドシナで撮ったすべてのコンタクトプリントを見た。
すると、途中、二台のカメラで、ワイドと標準で、撮っているモノクロのコンタクトがある。一つの状況を違う画角のレンズで撮っている。ニコンとコンタックス両方にモノクロをいれいたわけだ。ごく普通にすることだ。
そしてキャパの最後の日の前日、どちらかのカメラにカラーフィルムを装填したのだろう。
死の当日は、一台にモノクロ(スーパー・ダブルX)、一台にカラー(コダクローム)を入れている。
素直に考えれば、ニコンSにモノクロ、コンタックス2にカラーを装填していたのではないだろうか。
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