November 17, 2004
「ロバート・キャパ最期の日」二刷り
「ロバート・キャパ最期の日」が二刷りになりました。書店でみかけるかもしれません。初版のときの誤字などなおしました
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November 15, 2004
最後の写真、カラーとモノクロ
キャパは、1954年5月25日、地雷を踏んで死ぬ直前、カラーとモノクロの写真を撮っている。
カラーは35mmワイドレンズ、モノクロは標準の50mmだ。しかも同じポジション、同じアングルから撮っている。
この場所はかつては、水田だった。ベトナムのタイビンは激戦地で、この数年前から荒地になっていたという。
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キャパ最期の土地 1954年
キャパが最期に撮ったカラー写真。モノクロの写真も撮っているが、兵士の動きを検証すると、カラーが最後に撮られている。「ロバート・キャパ最期の日」から掲載。
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November 12, 2004
熱海のケーキ屋モンブラン
1954年(昭和29年)4月13日に日本を訪れた、ロバート・キャパは、さっそく4月16日には、キャンティのオーナーだった川添氏らと、熱海を訪れている。その日は、熱海に着くと雨模様で、合間に撮影をしている。その写真は、カメラ毎日創刊2号、7月号に紹介されている。そこで店のカウンターに座って化粧を直している女性と、奥になにやら料理をしているコックが写っている。タイトルは「コックと奥さん」とあり、夕方レストランでのスナップショットだとキャプションがついている。
そのとき行ったレストランは、スコットといういまでもある洋食屋だ。
キャパは夕食後、雨上がりの熱海の町をあるいた。遊郭があった糸川べりや、射的場、パチンコ屋で写真を撮る。
夜は、熱海伊豆山にあった、洋風の本格的なホテル、熱海ホテルに宿泊している。
翌朝10時、17日、土曜日、熱海ホテルから、モンブランに、外国人が朝食をたべたいとのことの連絡があった。新田道雄は、本格的なフランス料理屋をいとなんでいた。谷崎潤一郎のお気に入りの店だった。妻の君枝は、キャパのことをよく覚えていた。カメラを持った外国人と女性、それに新聞記者が店にやっていたのだ。ビールを飲み、キャパはベーコンエッグとコーヒーが何杯も飲んだ。そんなふうにコーヒーを何杯も日本人は飲まなかった。連れの女性は美しく、君枝はモデルだと思ったという。それにしても朝からビールだ。
その後、カメラ雑誌にその写真がの掲載され、熱海支局の記者に頼んで写真をもらったという。キャパのサインもそえてあった。しばらくその写真は飾ってあったが、フランス料理屋をやめ、ケーキ屋になってから、その写真はどこかに
いってしまった。それが昨年店を拡張したときに、また見つけ店に飾っている。
ご主人は、健在だが今はリタイアしている。奥さんの君枝は元気に店にたっている。
洋菓子屋 MontBlanc モンブラン 熱海市銀座4-8 0557-81-4070
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コックと奥さん
1954年4月17日の朝、キャパは女性と編集者と3人で、モンブランに朝食を食べにやってきた。奥でももくもくとコーヒーを入れている新田道雄。この写真は、モンブランの店内に飾られている。店内は喫茶店にもなっている。
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November 11, 2004
ロバート・キャパ最期の日
今年9月東京書籍より、「ロバート・キャパ最期の日」が出版された。1998年に初めて、ロバート・キャパ最期の土地を探して、キャパ没50年にあたる、今年ようやくキャパ最期の土地を探し当てた。本はできあがったが、ロバート・キャパの旅は終わったわけではない。ロバート・キャパについてはまだいろいろ書きたいこともある。また、本で詳しくかけなかったことなどのエピソードも紹介したい。
今までのロバート・キャパについては、僕のHomePageのRobertCapaのサイトに紹介してある。そこに紹介したテキストと重複する部分があるかもしれないが、ロバート・キャパについて、エピソードや意見を書いてゆく。
さて、ひとつロバート・キャパ最期の日についてのミステリーを書きたいと思う。
それは、本でも書いたが、キャパは最期の日、二台のカメラを使用していた。
レンジファインダーのカメラニコンSとコンタックス2だ。伝記によると、ニコンにはカラー、コンタックスにモノクロが入っていたことになっている。
キャパの最後に撮った写真は、モノクロとカラーがある。それは、残された写真、右側の堤防がしだいに左に曲がる荒地、そのはるか先には、戦車、そして10名以上の兵士が前進している写真だ。
兵士の動きを克明に検証すると、モノクロよりあとにカラーが撮られていることがわかる。
その写真を見ればカラーはワイドレンズで撮られていることもわかる。
モノクロは標準レンズだ。カラーはニコンに装填されているとすると、ニコンにはワイドレンズがついていたことになる。
ところが、不思議なことに、現在、東京富士美術館に納められている、ニコンSには、標準レンズ50mmf1.4が泥のついたまま存在している。
最後に撮ったカラーがニコンだとすると、キャパはニコンについていた、35mmf2.5を、歩きながら50mmレンズにつけかえたことになる。
それは特別不思議なことではない。現にキャパの最後の日のコンタクトプリントを見ると、レンズ交換をして撮っているカットがある。
ただ、伝記作家リチャードウイーランが、ニコンはカラー、モノクロはコンタックスといっている、根拠はなんだろう。
僕は、「ロバート・キャパ最期の日」では、ウイーランのいう、その説を尊重して、キャパは最後にレンズ交換したと書いた。しかし、伝記作家ウイーランは、あまり写真に詳しいとはいえない。
キャパは、インドシナで多くの写真を、そしてコンタクトプリントを残している。
僕はそれを見る機会があったが、そこには写真家キャパのさまざまなことが写っているのに、ウイーランの伝記にはそのことが反映されていない。
不思議だった。もしかしたら、実は、単純にキャパは、50mmのついたニコンをメインモノクロを装填し、コンタックスにカラーをいれ、35mmのワイドレンズだったという可能性は十分考えられる。
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