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2004.11.30

コジラ誕生50年だったな。

テレビで今年がゴジラ誕生50年、ハリウッド殿堂入りのニュースをやっていた。ロバート・キャパが地雷に倒れた、1954年、昭和29年の年末ゴジラは銀幕デビューした。「ロバート・キャパ最期の日」にもそのことにわずかに触れている。なにしろキャパが訪れた、静岡県焼津は、3月水爆実験に巻き込まれた、第五福龍丸の母港だからだ。被曝した乗組員を撮りにキャパは、4月20日に訪れている。結局、そこで被曝者を撮ることはなかった。
その水爆実験によって目覚めたのが、ゴジラだった。僕はゴジラの第一作を見た。記憶のなかでは小学校にあがる前後、たぶん6歳、封切り直後かどうかはわからない。見た場所は、市川市の隣まち、本八幡駅前だったと思う。5歳ということはないだろう、記憶が鮮明だからだ。
当時市川にも映画館があったが、本八幡のほうが映画館がいくつかあったし、よく行った。もしかしたら、錦糸町、江東楽天地、後の東京楽天地、今はなんていうのかしらないが、一大映画館街だった。よく新聞記者だった父親に連れられて行ってもらった。あるとき映画の前座として、こまどり姉妹(時代だなあ、知っているのだろうか)の実演ショーをやっていたのを覚えている。そのとき見た映画は覚えていない。ゴジラを見たのは、錦糸町か、本八幡かははっきり覚えていないが、怖かったことを良く覚えている。何しろ映画を見てからうなされたように、ゴジラの記憶、そしてあのなんともいえない咆哮が夜になるよみがえった。
僕は大人になってもういちどゴジラを、ビデオでみたが、多くの場面を記憶していることに驚いた。なにしろ、当時は映画は一回だけみるものだ。大人だったら気に入った映画を何度かみることはあっても、6歳の子供は、一回だけで映画のすみずみまでを記憶してしまう。それは、ゴジラばかりか、ピーターパンや、子供のときみた映画を、僕は大人になり再び見たとき、思い出す、数々のシーンを、しっかり記憶していた、子供の頃の記憶力におどろかされる。最近は、特にビデオは一度見た映画を再びみても、最後の最後に、あれ、この映画見たことがあるな、なんて思うこともたびたびある。
さて、ゴジラの大一作、すっかりゴジラにおびえた僕は、ゴジラが数寄屋橋のガードを破壊して国会に向かうことが、唯一、安心材料だった。というのも、我が家はとうじ、千葉県の市川市にあったので、本当に東京に住んでいなくてよかったと思った。ゴジラは絶対に市川に向かっては来ないと確信していたからだ。
ゴジラは、後にアンギラスという怪獣と戦う。
当時の映画で記憶しているのは「紅孔雀」「モスラ」、「地球防衛軍」、「スーパージャイアント」「宇宙人東京に現る」だ。そのぐらいまでが、僕が日本映画に夢中になっていたころだ。
その後は、映画よりテレビに夢中になった。初めてテレビをみたのが、小学校1年生、近くの床屋で「スーパーマン対キングコング」をやっていた。その後はアメリカのホームドラマにどっぷりつかる。「パパは何でも知っている」「パパ大好き」「ラッシー」「名犬リンチンチン」「ララミー牧場」「スーパーマン」「デズニーランド(決してディズニーランドではない)」「ルート66」他に何があったろう、数限りないアメリカのホームドラマ。僕はすっかりアメリカ文化に洗脳されていた。
ゴジラは回を追って、漫画チックになった。さまざまな怪獣と戦い、ゴジラの息子がでてきたり、僕はかなりしらけ、子供向けの怪獣映画を見ることもなくなっていた。途中からどうみてもウルトラマンの世界だ。ただ悲しむべきかな、ウルトラマンは異星人だから許されることも多々あるが、何しろゴジラはもともと、リアルな存在だった。リアルだからこそ、リアルな街を壊して恐ろしかったのだ。ウルトラマンがものを破壊しても、すこしも怖くない。星でもなんでもこわしてくれと‥‥。まあ日本はなんでもアイドル化させてしまう。そこがビジネス上一番おいしい場所なのかもしれない。子供に受けることがとても大切になるからだ。かのピンクレディだって、最初はお色気路線だったが、人気がでると、子供向けになった。
僕が大人になったときだ。すでにフリーのカメラマンになっていた。東宝はやはりゴジラはアイドルではなく、怪獣、それも恐怖の象徴だと反省したのか大々的に宣伝をして1984年「ゴジラ」を作った。副題は忘れたが、ゴジラが久しぶりに復活したと思われた。子供向けの良いゴジラではなく、悪役として復活。大人の鑑賞にたえられるとの触れ込みの作品。ヒロインが沢口靖子だった。僕はその映画を、初期のゴジラと重ね合わせ、を少し期待してしまった。
しかしそれはさんたんたるものだった。復活したゴジラは、この情報時代に突然、東京湾に現れ、昔と同じように、晴海どおりをのしのしと歩き、こんな大事件が起きているのに、新幹線はのうのうと走り、見事ゴジラに襲撃されてしまう。ただのパロディ映画だった。しかも、それから新宿西口に現れ、なぜかゴジラを待つ群集が逃げまとい(とっくに避難しておけ)、最後には、UFOみたいな、ハイテク武器がゴジラを襲う。そしてなぜかゴジラは大島三原に山に行き、火口に落ちてしまう。
僕はこのゴジラ映画を、「ゴジラの自殺」というタイトルをつけた。
なぜなら、すっかりアイドル化したゴジラは、その映画で、かつての悪役に戻るはずだった。なにしろゴジラは「シェー」(古い)までやらされていたのだ。それが、最新の特撮のなかでよみがえり、本当のゴジラであるはずだった。ところがである。
久々に、真面目な演技ができる思ったゴジラは、唖然とした。
シナリオめちゃくちゃ、あまりに漫画チックな、きっと漫画の原作ばかりを映画化していたので、映画的なリアリティを忘れちゃったのだろう、スゲーハイテク兵器(首都防衛移動要塞である新兵器"スーパーX)の登場よりもなにも、完璧にホバリングできる、ヘリコプターではない、航空機。映画は途中からスタワーズ級のSF映画になっちまった。最低。それまで、演じていた東京の街の破壊はなんだったのか。そんなハイテク技術があるなら、一発でゴジラをしとめられるだろう‥‥。
かわいそうなゴジラ。ゴジラは張り切って、銀幕に登場したのに、あまりのなさけなさに、気落ちしてしまった。
そうして日本映画に幻滅して、三原山の火口に身を投げたのだ。
僕はそのシーンを見ていて涙がでた。本当に涙がでた。あまりにもゴジラがみじめだったからだ。
映画監督は、本当はもっとリアルな映画を作りたかったのか。それがかなわずゴジラを自殺させた。僕は本気でゴジラが大島に向かうときの、その悲しげな表情に胸を打たれた。ゴジラは死んだ。もう作らなくていいよ。日本映画にはむりなんだよと。
その後、アメリカでゴジラがリメイクされた。あの映画の予告編は怖かった。登場シーンは秀逸だ。しかしあのゴジラにはがっかりした。スピードあるゴジラは、でもゴジラではなかった。どうみてもジェラシックパークでしかない。ストーリーもつまらなかった。特に後半はつまらない。それは結局、生物は兵器に勝てないということだ。ずっと昔にみた
今はなきツインタワービルから飛び降り自殺した、キングコングと重ねあった。アメリカ映画は、その無力さは表現している。ゴジラよ、もう映画のなかでのリアリティはないのだ。
ゴジラは第一作が一番だ。あとは正直どれも屑かもしれない。それでも、アメリカの子供たちも夢中だったとは‥‥。
50年目、最後のゴジラ、予告編を見る限り、あまり興味はそそられない。
そのうちゴジラとは、松井秀樹のことでしかなくなるだろう。

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