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2004.11.17

うまい写真家、へたな写真家

昨日の夜、恵比寿で、写真関係者4人で飲んだ。僕Yと、40代写真家H氏、40代写真家A氏、30代写真評論家T氏。それぞれ活躍中の面々。僕は8時ごろから参加。すでに皆出来上がっている。H氏は、飲むとますます明るく辛らつ。A氏は、多くの著作のある独身。長年つきあいのある美しいガールフレンドがいる。きちんと合うのは2度目。ちゃんと話すのは初めて。そして、子供ができてからすっかり子供好きになった写真評論家。酔って、写真のうまい下手論争。主に私YとHで議論。最近の若いカメラマンは全員、へたくそだという結論。でもうまいからいって、うまくゆくわけじゃない。へたなほうがよかったりする。でもHは下手なカメラマンは嫌いだという。キャパがうまいかへたか。ブレッソンがうまいのか。土門拳はうまくて、木村伊兵衛は、へたか。Yは、キャパはけっして写真が下手だとおもわないという。ブレッソンよりもうまいと信じている。うまいとは美術的であるのか。いや違う。A氏はキャパよりブレッソンがうまい派。でもエルスケンはうまいと思う。皆好きだという。かんかんがくがく。
さて、ここからは僕の意見。今のカメラマンは、写真を一枚で見せることにさほど興味があるように思えない。一枚の写真で勝負するには、写真はうまい必要がある。しかし、何枚かの写真、多くの写真で見せて、表現するには、うまい写真なんてないほうが伝わる。キャパとブレッソン、ブレッソンはやはりうまいのかもしれない。でも美的で何かが伝わらない。おどろき、感嘆。でもキャパの写真は伝わる。うんそうだろうか。キャパは、撮っている期間が短いのでコンタクトプリントほどではないけれど、かなり多くの写真が発表されている。たしかにへたくそな写真もある。でもそのすべてがキャパだ。ブレッソンはコンタクトプリントを見せない。遺言でもいっていたらしい。傑作の前後の写真。それは教えない。自分が選んだ写真だけが、ブレッソンの写真だ。それにひきかえ、キャパは、だいたい、最近キャパの撮ったカラー写真が発掘され発表されたが、どれもつまらない。でもそれは、かたっぱしから見せるからそうみえるだけで、選んだ写真を見せれば、へたではない写真もあるだろう。いや、キャパは撮りまくる写真家なのかもしれない。
構図を待っていない。傑作をまっていない。主義主張もない。ただ、目の前の出来事に反応しているだけだ。シャッターを押す、一こま一こまは、指の体操かもしれない。ごく軽い刺激でシャッターを切る。だからこそそこに突発的に飛び込んできたもへ、反応できる。その写真を撮るための準備なのだ。‥‥。そうおもいながら、そんなのどのカメラマンもそうではないか。いや、大型カメラを使えば、そんなことはないなどと‥‥。どこで撮るかセットしなければならない。そこにはなかなか偶然性は飛び込んでこない。
さて最近の写真の傾向は、皆荒木さんの影響下にある。写真をみると、ついことばを重ねたくなる。そこがかつての写真家と違うところだ。たくさんの写真をみせるやりかたは、映像のようでもある。写真で映像をやっているみたいだ。
そこには、一枚一枚の写真は解体される。全体で言葉にならないなにかを表現している。
さて、僕のような一枚の写真に興味のある写真家は、多くの写真をならべても、ボリュームとしては何かことばにならないことをいっているようで、実は何も語っていない。いや語ることを拒否したくなる。みたまま、なんだかわからなくていいじゃないか、とさえ思えてくる。主題はない。主題は、僕が撮っているというだけのことである。いいすぎだろうか。

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