北朝鮮合成写真2
北朝鮮の合成写真について、今日も朝からワイドショー報道されている。写真と合成について再び書きたい。まだ一部報道機関は、写真は真実をうつすものだとの前提で議論しているような気がするからだ。写真の合成。修正(レタッチ)を、ほどこされていない写真は、昔から世の中にほとんど流通していない。例えば、葬式写真は切抜きが当然だ。新聞に載っている顔写真などは、同じように周りの余分な部分は、昔から修正している。いや、昔は新聞の印刷が悪かったから、原稿にレタッチを加えるのは、当然だった。今年5月に都美術館で開催された、ロバート・キャパ展では、実際ロバート・キャパが撮って、毎日新聞に掲載されたオリジナルが展示してあったが、モノクロ写真の輪郭には、どうみても絵としかおもえないほど書き込まれている写真が展示してある。そういう修正は、かつての新聞では当然だった。それより、戦時中は、軍の言われるまま、多くの写真を捏造した。数機しか空に飛んでいない飛行機をその何十倍も飛んでいるようにみせたり、船を大艦隊に見せたり、と今では客観的報道というマスコミは、かつてそうやって大衆を欺くさきぼうをかついでいたのだ。そういう反省があるとは思えないのに、まるで写真に手を加えるという、現在では日常的な行為だけをとやかく言うことはナンセンスだ。だいたい自分たちが報道している、番組自体構成された、事実の合成であることを忘れているのだろうか。
現代では、修正などしなくても、コンパクトデジカメは、肌色などは美しくあがるように調整されている。インクジェットプリンターも、肌をできるだけ綺麗にしようとしている。前回も書いたが、商業写真で修正されていない写真は一枚もない。化粧品に限らず、雑誌の表紙、人間の肌があんなに美しいわけはないでしょう。タレントのプロポーションがあんなにいいわけないでしょう。スタイルの調整なんてごく初歩のレタッチだ。
通常のレタッチと、意識的な合成に境界線はない。まあ唯一かろうじて信じられるのは、きちんと署名の入った、撮影者の特定された、写真ぐらいだろう。撮った本人が保証するということしかできない。もちろんそれでも捏造はあるのだが、だからかろうじて信じらる。撮った人間は、個人としてさらされる責任があるからだ。
めぐみさんの写真に関して、こことここが合成だと指摘することは、謎ときとして面白いけど、マスコミによる、写真は真実が写っているみたいな、言い方はしらけてしまう。
写真は、ストレートな写真でも、世界中の99.99‥‥%を排除する作業なのだ。真実はもともと0.1%も写っていればラッキーなのだ。写真家はそのわずかな真実を信じて撮っているだけなのだ。
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Comments
非常に共感しました。
テレビで報道を見るたびに、北朝鮮の悪意を証明するためのこじつけのために、写真の合成=悪という問題の捉え方をしているようで違和感を感じていました。
最近の一眼デジカメでも、レタッチや画像処理している写真は真実を写していないからよくないという人がいたりすると、写真は事象をコピーするためだけの道具ではなくて、表現方法のひとつであるだけなのになと思ったりします。
Posted by: こいけひろし | 2004.11.26 12:26 AM