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2004.12.26

40年以上も前のクリスマス。

本当はクリスマスイブにでも書けばよかったが、僕が小学校に上がる前のクリスマスについて、以前書いた。それはこのサイトを読んでもらうとして、なぜこんなことを書こうかと思ったかは、僕にとっての、音楽や、芸能がどういう意味があったか書いてみたいと思ったからだ。今は写真をやっているがやはり音楽に僕は大きな影響を受けたと思う。ただ、あんまりまとめようと思わず書くのでとりとめもないかもしれないが、そのうちにきちんとまとめるとして、書きなぐってみる。
音楽について1
小学校以前から僕は、音楽にたいしてはかなり敏感だったかもしれない。時代が時代なので、兵舎を改造した幼稚園では、それでも設備はなかなかのもので、当時はまだ珍しい、大型の蓄音機(当然電気で動く)を聞きながら、昼寝をした。僕は昼寝が嫌いでいつもしかたがなくおとなしく聞いていたが、最初の記憶は、♪みかんの花がさいている、思い出の道丘のみち♪だった。女の子の歌うそれが今でも耳に残っている。僕はその歌を聞きながら、その映像を浮かべていた。大きくなるまで僕の映像は、瀬戸内海の風景だった。(もちろん子供の時に瀬戸内海は知らない)しかし、後にその歌は伊豆のみかん畑でのことだと後で知ったが、しっくりこなかった。それより、大学時代、小柳ルミコの「瀬戸の花嫁」とみかんの花咲く丘のイメージが重なった。
幼稚園時代は、キリスト教系だったので、降誕劇などをやらされたが、その季節になると讃美歌の練習が行われた。子供は聞いているだけだったか、歌ったかは覚えていないが、♪もろびとぞこりて~主はきませり、主はきませり、の意味が全然わからなかったが、その歯磨きのような歌が、頭にこびりついている。
小学校低学年の頃、まだテレビは特別な存在で、日常はラジオだった。「一丁目一番地」「やんぼうにんぼうとんぼ」
「ひゃらーる、ヒャラリーコ」「少年探偵団」等々、どれもラジオドラマの主題歌だ。
そんな頃、落ち着きのなかった僕は、母親にピアノを習わされた。どのくらい続いたのかわからないが、陰気な部屋で、ピアノの鍵穴から数えていくつめかの、「ド」の位置を探し、右手左手も同じ動きの、「きらきら星」をやった。僕が唯一引けるピアノの曲だ。(その後猫踏んじゃったのなどのレパートリーはいくつかある)
ところが、ピアノの先生が根をあげた。僕のやる気がなかったからだろう。いや家にピアノやオルガンがあるわけでもなし、たぶん1ヶ月ぐらいで首になった。その後僕は、絵の教室にゆく。そこは性にあったのだろう、4年生ぐらいまで
かようことになる。
小学校時代、5年生のときに、コーラス部に担任の藤原先生の命令で入れられる。学年で男3人、森と、近藤と、僕だった。反強制で、入れられたものの、1組の担任近藤先生のクラスからは、男は誰もいない。3組からも男はいない。わが藤原先生のスタンドプレイだった。コーラス部の練習はたいくつだった。発声練習、♪あえいおう、あえいおう、などとやり、なによりもいやだったのは、僕ら男3人はアルトであり、決してメロディーを歌えなかったことだ。あってもオンチなハモリのメロディだ。その時間は、クラブ活動をする時間で、僕ら3人はよく、さぼって裏山で遊んでいた。
でも、そこでハモリの練習ばかりさせられたので、後にすぐになんでもはもれるようになった。
その前だろう、夏休みにはいつも福島の中の沢温泉にゆくことになっていて、そこに映画館があり、当時としてはもうふるくなっていたのだろうか、美空ひばりの映画ばかりやっていた。僕は美空ひばりが大好きになった。最初の大好きな歌手だ。音楽が好きだったので、アメリカのホームドラマや、日本のドラマ、例えば、月光仮面、幻探偵、とうとうの歌はすべて歌えたしくちづさめた。珍犬ハックルというアニメがあり、その犬はいつも、「お前誰、お前誰」と歌っていたが、後に「オーマイ、ダーリン」と歌っていることを知った。
31日の、大晦日、テレビもチャンネル件は父親にあり、父親は喜劇が好きで、紅白歌合戦と重なっていた、エノケンを見た。僕は、紅白歌合戦が見たかった。テレビは今と違い、一家に一台しかない。しかたがなく僕は布団にもぐってラジオで聞いていた。もちろん、エノケンは面白かったが、僕は美空ひばりが好きだった。
コーラス部にいたけれど、音符が読めたわけではない。それでも、たて笛や、ハーモニカは上手だった。歌が好きでいつも歌っていた。もしかしたら、音楽方面に進むかなと思ったりした。その頃ようやく、わがやにもレコードプレーやが、それもモノラルで、レコードはソノシートだった。本のなかにぺらぺらのビニールのようなレコードが入っていて、それをプレーヤーにかける。クラシックなんか聞かないが、合唱団の歌集でもなりそうな曲ばかりだった。
まだ洋楽は知らず、ラジオからの、それこそ宇宙の果てから流れてくる、特別な音楽としてしか洋楽は意識していなかった。
この続きは、「音楽について2」として中学時代以降としてそのうち。すぐに書くかも知れないが。

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