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2004.12.11

ベトナムパック旅行と週刊誌

昨晩は、某週刊誌の忘年会。夜二次会から参加。若い編集者のエネルギー、残念ながら仕事へのエネルギーとは少々ベクトルが違っているが、このエネルギーが誌面に反映すれば、いいと思うが。彼らの責任というより、彼らを使う側の責任だろう。日本の週刊誌は世界のなかでもかなり異質だ。日本の出版社自体もなんでもやる総合出版社でハイブローなものから、限りなく風俗誌に近いものまでもを扱っている。一つの貫かれた精神がある大手出版社は少ない。今の時代、俗にいうおじさん雑誌、ポスト、現代、はかなり苦戦している。特に、脱ヌードをうたったポストは苦しいらしい。やはりヌードだのみなのだろうか。いや、今Nudeを載せたからといって復活することはないだろう。別に載っても不思議はないし、(読者のNUDE復活の署名でもあつめて、ごめんなさいとあやまればいい、それこそが日本の週刊誌なのだから)たぶんそのうち復活するだろう。日本の週刊誌の、グラビアと活版という、それも課粗悪な紙をつかったコーリティペーパー?は、世界のなかでもかなり特殊だ。
10年前、ベトナムで某週刊文春の、原色美女図鑑を撮ったときだ。そのとき、週刊文春をベトナム人に見せると、その本が日本の、割と知的な週刊誌であるとは、誰も信じてくれなかった。それもグラビアもせいぜい巻頭8ページぐらいのカラー頁、巻末同じく8ページ、表紙は和田誠のシンプルな画‥‥。外国人が見ると、その表紙以外はどうみても、安手の雑誌と同じだと思ってしまう。だから、ベトナム人にこの雑誌が、ちゃんとした雑誌だと説明するのに難儀した。
日本はかつていやごく最近まで、活字文化の国だった。そういう週刊誌も、もともと活字の本であり、それにグラビアがおまけとしてついていた歴史がある。活字を読むのにピカピカ光った紙では読みにくい。ビジュアル雑誌と、週刊誌は違うのだ。
某文春は、ともかく、ポスト、現代は、外国人が見ると、ポルノ雑誌もしくは、そうとう低レベルの大衆紙だと思うだろう。しかし、多くの日本の男性諸氏は、特別そういう週刊誌を、ポルノ雑誌とは思っていない。なにしろそれこそが、日本の文化だからだ。日本の週刊誌の面白いところは、ハイブローなことも低俗なことも同列に扱っている。「味噌もくそも一緒」等価にしてしまう。そこにどうしようもなく憤りを感じる人もいるようだが、僕はそれこそ日本の雑誌文化の面白さだと組する側にいる。
女性誌や、ファッション誌のようにカタログ化した、商業主義、販売促進に直結した雑誌を作るより、ポス、現、週刊誌の制作現場のほうがずっとビビットで、面白い。あの「くだらない内容」を作っている、編集者たちは、皆とても魅力的だ。本音で物が言える。しかもかつては取材費も潤沢だった。
ところが、その週刊誌が売れなくなってきた。理由は簡単だ、その手の雑誌は、暇つぶしのための雑誌だったからだ。政治や社会、スキャンダルの情報誌の面もあるが、とく別深いわけでもない。
かつては、読者であるサラリーマンが、しかも年功序列、終身雇用制のなかで、皆がなかよくやっていくための、ポ、現、は、情報ツールだったのだ。
日本の企業のなかの仕組みは、数人の優秀な頭脳と、あとはそれをサポートする従順な実行部隊で編成されていた。実行部隊は、本質を考えてはいけない。もちろん実行するためには、最大の切磋琢磨、そして思考はする。しかし、なぜそれをすべきかは、考えては優秀だとはみなされない。
何しろかつての日本、いまでもそうだが、その中心には、「利潤」が神のように存在していたからだ。会社の利益のためならば、それがたとえ社会的悪だとしても、やりとげるのが美学だった。そこには、コミュニケーションを円滑にする、共通言語、共通認識、を持つ必要があった。その気分を共有するツールが、ポ、であり、現だった。両誌ともかつては十分な役割をはたしてきた。
しかし、バブルが崩壊し、日本の企業のスタイルが変わった。大会社でさえつぶれる時代、銀行でさえなくなる時代だ。そこには、自分の将来を、いくら大会社に所属していたとしても、安泰であることは無保証になった。どこにいようが、自分の将来は、自分で考えなくてはならなくなったのだ。かつてだったら、良い上司にめぐりあることで、展望が開け、保証された。しかし今は、会社そのものの存亡がさえ予測がつかない。そんな時代の、誰が、暇つぶしの週刊誌を読むのだろうか。しかも悪いことに、携帯電話、パソコンの普及だ。暇つぶし、情報の収集に関して、週刊誌よりずっと強力なライバルが出現した。僕は経験あるが、新幹線で関西に行くとき、皆何冊も週刊誌を買った。
さてこれから、週刊誌はどうするのだろうか。このまま衰退するのだろうか。他の雑誌のように、お上品になって、広告をめざすのだろうか。
まずそれはありえないだろう。新聞がテレビニュースがジャーナリズムを標榜するように、週刊誌もやはりジャーナリズムだと、今でもわずかに自負しているからだ。男性週刊誌は娯楽雑誌の顔をしていていも、低通するのは、ジャーナリズムだ。ただ新聞ジャーナリズムと違うのはそこには、かなりファジーな要素も黙認することがあるメディアだ。
新聞の間違いと、週刊誌の誤謬は次元が違う。週刊誌はもともと、進行形、半加工品を提供する場であることが許されている。間違いだったらあやまればいいといったスタンスもある。その一線を明確には引けないという、いいかげんさもある。だからこそさまざまなことが網にかかってくる。
僕は日本の週刊誌が、ポ、現、文、新、etc、‥‥が、大衆的ジャーナリズムを標榜しつづけるべだと思っている。インタネットと何が確実に違うかといえば、たとえばここに僕が書いていることは、客観性がかなり希薄だということだ。あくまで僕の意見である。しかも文章も論理的ではないし、完成していない。だからこそ面白いのだが、(書いていて)ここには、あくまでの個人的な場でしかない。たしかにブログはかなり開かれていると思う。それでもこうやって書きなぐった文章を載せることもできる。しかし出版は違う。個人の遠吼えではない。(もちろん例外もある)この文章の責任は僕個人にあるが、出版物は多くの責任者がいる。多くのフィルターを通すことで、大衆ジャーナリズムを下支えしている。雑誌に限らず、書籍もだ。それは歴史のなかで出版という文化が保証したものだ。(もちろんかなりいつだつした出版物もあるが)。
今、出版界はまがりかどだ。かなりの部分が淘汰されるだろう。しかしネットと出版は別物ではなく、リンクし、補完しあうものだろう。出版は、出版のやくわりが明確になれば、よくなるかもしれない。‥‥。ちょっと尻切れトンボだが、こんなふうに終われるところが、ネットのよいところだ、このつづきはまた、そのうち書くと思う。

さて、明日から、2泊4日でベトナムに行く。実質ホーチミン市、1日と4分の3の旅だ。しかもパック旅行。
そんなことやったことがないけど、スケジュールが合い、やってみることにした。もっとも写真を撮るだけなので、僕は短いだけで、仕事としてはたいしてかわらない。半日のホーチミン市市内観光もあるという。それも未経験だ。あたまをからっぽにして、初めてベトナムを訪れた気分で味わってみたいと思っている。
それと、ちょっとゴルフもやってもようと思っている。殺人的スケジュール。
そんな旅が安いか高いか、高いに決まっているのだけれど、未体験なので興味がある。

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