「僕のコダクロームその2」
コダクロームの思い出がまだあった。僕のコダクローム1の続き。
コダクロームⅡ、ケイツウは、ASA25(ISO)しかなかった。今思うと使いづらいように思えるが、実際は35mmで使っていたので何の不便さも感じなかった。その頃僕は、CanonF1,FD50mmf1.4、100mmf2.0、200mmf2.8、24mmf2.8のレンズで何でも撮っていた。
コダクロームは、現像の増減感もできない。助手時代、35mmの撮影ではポラロイドを撮ることはなかった。35mm用のポラホルダーがまだなかったからだ。心配だったらハッセルのポラを持っていった。しかし通常、海外でのコダクロームの撮影には、ポラは持ってゆかなかった。なにしろ先生が、ポラを切らない。それは自然光ばかりか、携帯ストロボ(そんないいかたがあったかなぁ)を使ってでもだ。当時はまだオートストロボの性能が未完成で、ナショナルP型というマニュアルのストロボを使っていた。ガイドナンバーは、32ぐらいだったろうか。距離によって露出をかえた。
だからコダクロームでの撮影はどきどきものだった。なにしろ、現像が上がってくるまでできあがりがわからない。しかも、E6現像のフィルムだったら、テストをだし、それを見て本番を流すが、コダクロームは、現像の調整ができないので、一発で流す。紙の箱に入った、紙マウント、それをあけるときの緊張感はなかった。
しかし、不思議と露出は、ほとんど間違いなかった。
そのわけは、当時のアシスタントとは、露出計がなくとも、光を見て、すぐに露出がわかったからだろう。
写真家の渡部さとる氏が、その著書で、感度分の16ということを言っている。
世界中どこで露出を計っても、順光の風景の露出は、感度分の16、ISO100だったら、100分の1のF16ということだという。
それと全く同じようなことを、僕は思っていた。それは露出計を計る前から、コダクロームⅡ(ASA25)で撮るとき、順光の露出は125分の1F8(=25分の1,f16)だと決めていた。
コダクロームで撮ると、人物など撮っても、コダクローム特有のこってりとした、写真が撮れた。(コダクロームⅡはアンダーぎみの露出が美しかった。)
そして日陰だったら、3段開けの、125分の1のf4もしくは2.8(明るさによって)。
サイド光の場合、顔のハイライトとシャドーのバランスを見て、一段から2段絞りをあける。逆光は、2.5から3段あけ。レフをつかったら2段開け、と一見大雑把だがすぐに決められた。
実際、露出計を使わなくても、それで十分計測できた。だからメーターを見るより、そのときの光の状態を見極めるのが、適正露出をはじきだす、わざだった。日中の屋外での撮影だったら、メーターは確認の道具ともいえた。
だから、昔の助手とカメラマンの関係は、助手が完璧なオート露出計状態だった。なにしろ撮影者が何を撮ろうとしているかは、現在の進化した側光機器でも、わかりはしないことを制御した。先生がいったいどういうフレームで撮っているのかを意識していたのだ。だからこそ昔は助手をやる意味があったのだと思う。写真家の仕事を、アシスタントも実際に参加していたのだ。今みたいに、メーターとにらめっこしてみても、なにもならない。実際の光を見ることが重要だ。顔のアップと、全身と、風景では露出が違うことが、わかることだと思う。
雲がかかったりしても瞬時に変える。雲がかかると、何段落ちだと瞬時に補正する。背景の明るさでも、露出を変える。人物の肌色でも露出は違う。暗めに撮りたいのか、明るめに撮りたいのか。さまざまな組み合わせを考える。
その助けをしたのが、セコニックのスタジオSのような入射光式の露出計だった。その辺においといて、針の動きだけで、すぐに光の違いがわかる。なによりも、実際にそこにどのくらいの強さの光が当たっているかを測るのだ。そこでわかることは、世界中どこでも日中の明るさはさほど差がないことがわかる。ヨーロッパでも、ハワイでも、太陽の光の違いはほんのわずかだ。
デジタルのように、数字の末尾まで表示されると、それにふりまわされる。正確な露出が絶対的なものに思える。しかし実際の適正露出は、撮ったカメラマンのイメージのなかにあるものだ。それは、オートの露出計で測ることはできない。
そんなわけで、昔のアシスタントは、露出を計るのが、今の人より数倍早かった。
コダクロームの話が、露出の話になってしまったが。
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