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2005.01.26

「僕のコダクロームーその3」

1970年代前半、ポールサイモンの歌に「僕のコダクローム」という曲があった。来月2月15日から20日まで、日本橋三越で、「キャパ・イン・カラー」という写真展が開催される。50年以上前、キャパが撮影した、コダクロームというカラーフィルムで撮影した写真展だ。まったく退色していない、世界最初のカラーフィルム。コダクロームは、僕の世代のカメラマンにとって、格別なフィルムだ。そんな話題の3回目。1回目はここをクリック。
友人である、写真家の赤城耕一氏が、トラックバックが文字化けするとのことで、コダクロームについてメールをくれた。以下赤城さんのメールより。

コダクロームII(ISO/ASA25,1961)→KⅡ
コダクロームプロフェッショナルタイプA(タングステンISO/ASA40,1961)→KPA
コダクロームX(ISO/ASA64,1962)
発売となってました。当時の東洋現像所の現像受付開始が63年みたいですね。それまでは海外に郵送現像してたとか。
改良版が出たのが74年でコダクローム25と64が登場してます。76年にコダクローム40(タングステンタイプ)が出ました。
で後にプロフェッショナルタイプとして、コダクローム64プロ(1984)とコダクローム25プロ(1985)が出てます。
ブローニーが出たのは1987年で、当方も発表当時の記憶ではみなさんもう4×5はイラナイとか言ってましたね。でも使ってみたところ、発表会のサンプルみたいな色が出なくて、失望した記憶あります。ポジを探してみたんですが、捨
てちゃってました。
同じ年にコダクローム200プロも出ましたが。当方は『アサヒグラフ』なぞの撮影取材でけっこう使いましたが、高感度ながらもメリハリのあるシャープネスがあって、重宝しました。
それで最後に1988年にコダクローム200プロが出て、その後新製品はないです。
現在東京では堀内のみ現像可能で、増感(+1/2,+1,+2の3種類のみ)も可能みたいです。これはステップがおおまかなんで、ちょっと辛いですね。
横木さんもおっしゃってましたけど、当方はじめてコマーシャル用のコダクロームの原判を見たとき、(たしか小西海彦さんの)向こうが見えないような真っ黒(という印象でした)だったのでびっくりした記憶あります。印刷で無理やり上げるということですが、けっこう勇気あるなーと感じました。
キャパと横木さんの話を読んでいたらもものすごく久しぶりにコダクロームが
使いたくなりました。買いに行ってきます。
(赤城耕一)

以下横木
東洋現像所でコダクロームの現像ができるまえは、香港、もしくはハワイでの現像だったとおもう。当然僕の時代は、すでに東洋現像だ。最初のコダクローム(ASA10)が、1935年、少しずつ改良されたのでしょうが、1961年というと、東京オリンピック前。このときにコダクロームⅡ(ASA25)が発売されたわけです。
僕より上のカメラマンたちは、きっと僕なんかよりずっと、KⅡにたいしておも入れがあったと思うし、使い倒していたのでしょう。コダクロームXは、僕は使ったことがありませんし、あったのかなあ。(そういえば、KXというのがあったような記憶がわずかにあるけど‥‥)
タングステンタイプのKPAは、何度か使ったけれど、僕はあまり好きになれませんでした。
KPAが好きなのは、昔僕のアシスタントをしていた、小野麻早というカメラマンがいましたが、彼は今でもこのフィルムを使っていると言ってたような気がします。
1974年に、コダクローム25、KMと64のKRが発売ですか。やはり、変わり目のときだったのでしょう。
ということは、僕はアシスタント時代がKⅡで、独立してからは、KRとKMを使っていたことになります。
84年PKRが発売され、きっとそのフィルムを使っていたとのでしょうが、遠い昔のことで、忘れました。この頃僕は、メインがブロニーサイズで、35mmはKRを使ってました。
その後は、前のブログに書きましたが、ベルビア、プロビアに以降して、コダクロームは忘れてしまいました。今ではなんおフィルムがあるのか、しらないような状態です。
赤城さんが、書いてましたが、コダクロームの超アンダーな、原稿というのは、ほんとうに伝説的ですが、本当に僕も驚きました。というのも、たしかにコダクロームは、アンダー気味の綺麗なフィルムですが、広告の原稿に使われた一部のカメラマンの原稿は、本当にライトテーブルでは、ただ真っ暗としかいえないような写真でした。しかしスライドプロジェクターにかけると、そして暗闇でみると、その光の階調の美しさ、ドラマチックさは、見たことのないものです。
僕はそんな極端なアンダーはありませんでした。それというのも、当時、広告の全盛時代、雑誌や写真集の印刷と違い、一点一点、分解し製版して印刷するので、とても自由度があったということでしょう。きっと、失敗から始まったと僕は睨んでますが。そうだとしても、そのアンダーのなかに、潜在している絵は、やはりコダクロームのものだったのでしょう。
ブロニーのコダクロームも僕はテストしたし、仕事でも少し使って、すぐにやめた記憶があります。

コダクロームについて、思い出があれば、個人的なことでもトラックバック、もしくはメールください。
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