M7.3 子供たちの見たもの その16
日本カメラで、M7.3子供たちの見たものの取材を受けた。
なぜ、僕は彼等を撮ったのか。阪神大震災のような大事件で、まだ幼く、ことばがなかった、彼等の声を聞きたかったからだ。そして今の彼等のポートレイトを撮る。生きた側のことば。でも、運が悪ければ彼等は、永遠に言葉を発する側にはならなかった。彼等は、同じように震災を体験して、しかし、幼く、しかも普通だったために、今まで何も語っていない。
僕は、撮影中インタビューに同席しなかった。本ができて、インタビューと写真が構成され本として完成して、そのとき初めて、彼等のことばを読んだ。僕の写真と、彼等のことば。
僕はこの本で、僕がみた神戸を伝えたいのではない。
僕は、僕の写真と、そして文を読んだ、僕を含めた、読者に、自分と阪神大震災は何なのか、を考える場でありたいと思ったのだ。
ふと、僕は気がついた。Girls in Motionで会った、彼等も、多くはマスコミ的には発言する場を持っていない。今、インターネットの時代になって、自ら発言することは可能かもしれない。いやそれでも、ほとんどの人はすすんで発言することはないだろう。ネットでの発言も、あくまで発言したい人が発言しているからだ。
インタビューとは、特別発言したいと思わない人からも、聞き出すことである。
神戸新聞
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