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22 posts from February 2005

2005.02.28

Blogトピックス キャパ、ポラ、コダクローム

anjuasacame
1981年アサヒカメラ「心だより」10p M ANJU ハッセル500CM 80mmF2.8 EPR

「今までのBLOGからトピックス」

ロバート・キャパIN SAIGONロバートキャパの伝記では、1954年、日本滞在後、バンコクからハノイに入国したことになっているが、実際はすぐにサイゴンに向かい、軍用機でハノイに入っている。
■「ロバート・キャパ最期の日」のBLOG
キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック 
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」ポールサイモン1935年に発売された、世界最初のカラーフィルム、コダクロームをキャパは使用している。今でも当時と変わることのない、美しい色彩を残している。
ロバート・キャパ写真展「ロバート・キャパ・イン・カラー」 その1に行く
●「僕のコダクローム 真行寺君枝」

●「僕のコダクローム 沢田研二」
「M7.3子供たちがみたもの」TOP 阪神大震災から10年、当時まだ幼く何も語らなかった彼等は今十代になり、震災について何を重いっているのだろうか。その本についてのブログ。
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1

2mフォトグラファー、小堀正一
ポラロイド195ランドカメラとネガつきポラロイドモノクロフィルムType665
怪獣映画「ゴジラ誕生50年だったな」
流行通信
40年以上も前のクリスマス
ベトナムのモデル1
ベトナムの女優写真
ベトナムNo.1の歌手、ミイ
タム

ベトナムのモデル2
ピンクレディ キンスマ
ピンクレディ2
若いお巡りさん
横木安良夫のHomePage
横木安良夫のプロフィール 詳細をUPしています
デジタルカメラで作る、本格的な写真集の作り方「デジで本」
節穴写真機ぼくは、こどものころから、カメラオブスキュラについて知っていた。
デジタルDaybyDayブログ以前の日記。ベトナムでの撮影日記などがある。大きな写真を使っている。そのほか、写真の話が雑談だがたくさんある。

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2005.02.27

千代田区立中学校統廃合 その2

僕の母校である、千代田区神田にある、練成中学が廃校になる。
それに関する その1

千代田区は2005年4月に、神田地区の一橋、今川、練成の3中学を統合して「神田一橋中」とすることを決めた。区は2002年11月策定の「区の中等教育将来像」で中高一貫の6年制中等教育学校1校の設置と合わせ、従来の中学は麹町、神田の両地区に1校ずつにする方針を示していた。再編校の校舎は現在の一橋中の校舎を利用する。2006年4月に中等教育学校が開設されると、区内の従来の区立中は2校になる。
[2004年2月21日付 毎日新聞より要約]
関連BBS(同じ千代田区の麹町中学のBBS)
千代田区のこと

時代の流れ、都心部の過疎化は、しかたがないのだろうか。
例えばニューヨークのマンハッタンのように、あるごく狭い一角が、物価や住宅が高いとしても、しかたがないが、東京のように、都心の銀座、新宿、青山、六本木、渋谷など、その一部が特別なのはわかるとして、その周辺までもが住民が減っているのはなぜだろう。いやかえって、中心街のほうが、マンションのような住宅ができているのに、秋葉原のような場所は、減り続けている。
やっぱり、ヨーロッパのように、都心部にも多くの人が住めるようになるとよいのだが。

学校制度

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秋葉原の隆盛と区立練成中学廃校 その1

akihabara050226

秋葉原に行った。かつての電気街は、今や町中がパソコン関係で埋め尽くされている。この隆盛は、すさまじく、そしてそこにあつまる人たちの一種異様な雰囲気は、オタクという言葉が特殊なものではなく、日常になりつつあるのだと思えてしまう。今や、8割は男性。年齢は10代後半から、20,30が圧倒的だ。どこも男、男、男。たまに女の子がいてもそれはたいていカップルか、アジア系の外国人。そして白人。この圧倒的な熱気はなんだろう。女性やカップルが渋谷に集まるのとは、対極?に、ここには無言の熱気がある。そしてこの街は、歩きタバコ禁止。でも、外国人が吸っていた。誰かが注意するのだろうか。何年前だろうか、秋葉原は閑散としていた。もう秋葉原じゃないのかなとくるたびに思っていた。日本中に量販店ができて、秋葉原の役目は終わったのかと思っていた。それが、今日のような土曜日は、渋谷に負けないぐらいにぎわっている。
rensei019182
40年以上まえ、僕は毎日秋葉原を歩いていた。千代田区立練成中学がこの地にあるからだ。
当時はまだ、都立日比谷高校が、日本の高校の中でダントツの東大進学No.1だった。千代田区には、一ツ橋、九段、麹町、今川、練成と5つの中学があった。千葉生まれのぼくがなぜ、秋葉原にある練成中学に通っていたかといえば、越境入学をしていたからだ。千葉や埼玉から、優秀な生徒が、日比谷めざし、受験資格のある千代田区の中学に、住民票を移して、通っていたのだ。3分の1が、地元で、残りの3分の2は、越境通学というある意味異常な時代だった。そのかわり学力レベルは高かった。なにしろ、近郊の国、公立を目指す秀才が、通っていたからだ。
そんななかに、市川の、国府台にある小学校から僕は、バスを乗り、総武線に乗り、秋葉原でのりかえ御徒町でおりて、その練成中学に通っていた。
ただ、多くの越境通学する彼等と僕が違うのは、僕は、全然勉強ができなかったことだった。というより、通っていた小学校は、市川のなかでも一番のんびりとした田舎の小学校で、天気がよければ授業を中止してハイキングに行くような理想的?な小学校生活送っていた。なにしろ、勉強をすることを知らなかった。
全校生徒、約1000人以上、一学年300ぐらい(もっといたかな)、なにしろ団塊の世代、ベビーブームの時代だ。僕は始めて、勉強をすることを知ったが、まあレベルは関係なく、私立の優秀な受験校に、学力を無視して一緒に授業を受けているようなものだから、ちんぷんかんぷん、授業を受けていた一日は異常にながかった。このことは、以前の日記に書いたが、僕は、この暗黒の中学時代は、心のなかから抹殺していた。何も考えていなかったし、考えたくもなかった。そんな中学の3年間で僕は、24センチ身長が伸びた。途中2年の始まりに、病気をして1月休んだ。なにが原因かわからないが、もともと運動神経は悪いほうではなかったし、短距離はまま早いほう、長距離は学年で2番と強かったが、練成中学では僕はいつも短距離走がビリになった。どうして東京の連中って、走るのが速いんだろう。僕は学力ばかりか、運動能力も落ち、大きなコンプレックスを感じていた。得意の長距離は、それを証明する場はなかった。小学時代は、かなり積極的、楽天的だった性格は、うちにこもっていた。その小学校からは、初めての生徒だったので僕の情報はなにもなかった。運動会で長距離走が得意な者と、問われたとき、僕は自分から言い出すことはできなかった。それほど内にこもっていた。唯一、国語と理科が好きだった。国語のたいしたことはなかったが、理科は勉強しなくても、もともと子供の頃から、科学には興味があり、そういう本ばかり読んでいた。そして僕は「安良夫」という名前にもコンプレックスを持った。なぜなら、皆先生が読めないからだ。「横木君なんと読むの」「あらおです」というと教室はわらいに包まれた。なぜ。そんなとき、国語の担任、松田稔先生(後に国学院教授)が、一発で読んだ。やはり国語の先生は読めるんだとうれしくなった。授業はよく聞いていたが、残念ながら成績には結びつかなかった。周りができすぎた。
僕は孤立して、ひとりでいることが多かった。登校は、御徒町からだったが、下校は秋葉原駅に向かった。当時の秋葉原は、後の賑わい、現在の賑わいとはかけはなれた、部品の街だった。中学生にとって、それは迷路であり、さまざまな電気部品をみるだけで楽しかった。僕はひとりで歩き回った。そして秋葉原デパートを徘徊した。
まわりが、勉強しているので、僕も少しは勉強をしたが、成績はよくならなかった。皆僕の何倍も勉強していた。
結局、高校進学は、レベルの高い、一学区をあきらめて、学区を変えてある都立高校を受験したが、見事に落ちた。結局僕は私立の高校になんとか入り、ようやく落ち着いた。
すぐにブラスバンドに入った。中学ではブラスバンドができたばかりで、募集があったが、勉強ができるやつばかりなので、気後れして、入れなかった。だから高校に行ったら絶対にブラスバンドをやりたいと思った。
高校時代、のびのびとした学園生活を満喫した。勉強はしなかったが、360日は、学校にゆき、ブラスバンドの練習をした。そして運動会で短距離走を走ってみると、早いほうになったし、長距離はクラスで3番だった。(全国レベルの水泳特待生がクラスに二人いた。彼等は早かった)水泳は、25mを15秒台で泳いだ。(水泳部は12秒台だった)
あの暗黒の中学時代はなんだったのだろう。僕は中学時代の出来事を思い出すことはなかった。
一度だけ、カメラマンになってから、校門の前をクルマで通った。校舎が新築されていた。すでに、日比谷はNO.1ではなくなり、越境通学する生徒もほとんどいない時代だった。敷地いっぱいに校舎は立ち、屋上が全体がグランドになっていた。それを見たとき、僕は、もうこの学校とは関係ないんだと思った。
ところが、2年前、写真展をしているときに、1年の担任だった、小原俊平先生が会場にかけつけてくれた。
僕は、その先生があまり好きではなかった。真面目でタイトだったからだ。
会場に来ると電話があったときには困惑した。それでも酒を飲み話をして、先生が僕のことをよく覚えていてくれたことを知り、救われた。先生もそのとき、新任、新米教師だったこと。超受験のこの学校に来て、カルチャーショクだったこと。そして、僕のあること。いってみれば、僕がバカではなかったことなど。
そんなこと、最悪だった中学生の時に言ってくれたら、と思ったが、でも、こうやって、わざわざ、自分の教え子を気にして、そして自分の人生のプライドとして、会いに来てくれたことが嬉しかった。教師とは、こういう仕事なんだと僕は思った。そして僕は、こころに押し込めていた、中学時代を解きほぐすことができた。そう思うと、中学時代のさまざまなことを思い出した。図書館が好きで、自然科学ものの本ばかり読んでいた。などと、それまでの外交的だった僕が、その3年間は、自分の心の内側に向かったときで、きっと僕の人格のある部分を、その時代が作ったのだと思えてきた。
その後数度、小原先生と酒を飲んだ。それが先日、電話があり、実は練成中学が、統合、廃校になるという。それも
3月でおしまいだそうだ。3月12日にそのお別れがあるという。そして、2月26日に、OB会?(教師関係)の紫光の会があるので、そのときにスナップ写真を撮ってくれないかという。昼間の2時間ぐらい、歓談中にチョコッとでよいという。僕は快諾した。
senseiIMG_9261
前列、左から2人目が松田先生、その右が生物の田中先生(カバと呼んでいた。後列一番左が小原先生。
renseiseitosu9265
練成中学は、昭和23年、東京大空襲で焼け爛れたこの地に開校した。僕が生まれる前の年だ。始めは先生も少なく、いくつかの科目を兼任したという話だ。父兄や多くの人々の尽力により、多くの生徒がここで学んだ。
それがいまや全校生徒がたったの98名だ。1年15名、2年45名、3年38名。僕の時代は越境入学が多く、当時か等地の生徒は少なかったが、それでも300名以上はいたことになる。まるで山村、過疎の地の学校のようだ。生徒が減れば、統合し、廃校になるのはしかたがないかもしれない。しかし、そこを卒業した生徒の歴史がここで絶えることは事実だ。街にでれば、若者であふれているではないか。しかし、この街に住む人は少ない。秋葉原は子供を育てる土地ではないのだろうか。店舗あかりが立ち並び、ここには生活がない。どうしてこの街で、生活ができないのだろう。それは、国家の政策、都の政策、区の政策の欠場だろう。廃校になってから、若い人を集めるための住宅にするという案もあったらしいが、家賃がたかくなるとかで、見送られた。まあ、きっと何かの施設になるのだろう。東京の街は、中心部に大開発のマンションが建ち始めている。しかし秋葉原地区のような、商業地区には立つことはない。どうしてだろう。ヨーロッパのように、都会の中心部にも多くの集合住宅、アパート(日本的に言えばマンション)がある。どうして東京ではそういうことができないのだろうか。
都心部の空洞化は、政策の無策の結果でしかない。
ともかく、千代田区立練成中学校は、3月限りでなくなる。せっかく僕の心のなかでは、練成を認めたのに、なくなるとは、少し寂しい。

2003年5月30日DayByDay日記より練成中のことが、重複しているが、書いてある。

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2005.02.25

オートマチック

350kobearuki
M7.3子供たちのみたものから

BBS投稿のホアさんの意見が面白かった。
宇多田ひかるのデビュー曲は「オートマチック」だった。世の中さまざまなものがオートマチックになり、便利になったように思える。僕が小4の時、2台目に買ってもらったカメラはフジペットだった。シャッター速度50分の1秒と、バルブ、そして、f11、f16、f22.の絞り、お天気マークがついてなかったかな?渡部さとる氏のいうように晴れてれば感度分の1f16、当時のiso100のネオパンSSのブロニーフィルムを使っていたから、晴れていれば50分の1、f22で撮ったことになる。(100分の1F16)。ネガカラーだったら現代でも十分このf11、16、22の3つの絞りでも実用可能だ。昔はモノクローム、露出はラチチュードでカバーしてたいていのものが撮れた。晴れていれば、色はともかく、ポジでも撮れる。
/post_1.html">先日のキャパの写真展、「キャパ・イン・カラー」では、コダクロームISO10(12?)で撮っている。キャパはカラー撮影が苦手だといいながら、露出はぴったりだ。しかもラティチュードの狭い、ポジフィルムだ。キャパは初期はほとんど快晴の日、しかもどれも順光、もしくは、サイド光で撮っている。露出は、100分の1F5.6だ。当然マニュアルしかない。そのどれもが素晴らしい適正露出だ。
オート露出で撮影が楽になったように思われるが、実は、現在のオートで撮った写真を見ると、どの順光で撮っても露出はバラバラだ。とてもキャパの撮影したようにはいかない。なぜならば、オートで撮ると、被写体の反射率で露出が変わってしまうからだ。暗い海を撮ると、露出は明るくなる。反対に白いものを撮ると暗くなる。実際は、暗い海は暗くていいのだ。白いものが白く写って何が悪いのだろう。でもオートマチックとはそういうものだ。映画の撮影がオート露出で撮られたらどうなるだろう。それは家庭用のデジタルビデオでわかるように、街を歩いて、街路樹の陰になるたびに明るくなったり、日向になってまたもとの露出に戻る。映画では歩く人が日陰になれば、暗くなるし、全体の露出はかわらない。
キャパが輸送船団のなかで撮った写真のなかに、高い位置からデッキにいる兵士の集団を撮ったカラー写真がある。背景は、濃紺の海面だ。光はほぼ高い位置からの逆光、兵士たちはシルエットになっている。この露出も、キャパは順光と同じに撮っている。そのため背景の海と空は、適正露出だ。現代のオート露出はそうはいかない。画面の中央部分に暗い部分があると、明るくしてしまう。背景の海も明るくなり、この写真の魅力はなくなるだろう。かつてマニュアル露光時代、逆光撮影は、影の部分をどのくらい明るくするかは、撮影者にゆだねられていた。今は、カメラがかってに判断する。それは、マーケティングと同じで、全体を俯瞰できても、個々のことには対応できていない。悪く言えば平均値、ここの場合で言えば最悪の結果ということもありえる。(真ん中を取るということは、どっちでもよいという意味で結論を放棄している)
さて、オートフォーカスは、どうだろう。かつてスポーツカメラマンは、超望遠レンズで決定的な写真をマニュアルで撮ってきた。それは職人技だ。ただ、現代のオートフォーカスのように、被写体を追いながらピントを合わせるなんて神技ができたわけではない。(映画のようにピントを合わせるアシスタントがいて、前もってさまざまな地点の距離を測りレンズにしるしをつけるやりかたもある)。ほとんどは置きピンと言って、あるポイントであらかじめピントを合わせ、待って撮っていたのだ。野球はそういうポイントが固定されているのでよいアップでも素晴らしい写真が撮れた。しかしサッカーはゴールぐらいしかアップでは撮れなかったろう。被写体の動きが違う。いやそれでも撮るには、サッカーを知り、試合の流れを今以上に読むことが要求された。それがプロフェッショナルというものだろう。スポーツ写真はオートフォーカスは革命だった。そういうスポーツの内容を知るより、レスポンスよく被写体をフレーミングできる俊敏さが要求されているのかもしれない。いや、それでも被写体をよく知ることは大切だろう。しかしオートの場合、大失敗もありえる。側距点がずれれば、完全なピンボケだってありえるから‥‥。
人物撮影、特にアップでは、オートフォーカスは敗北だ。なにしろ顔のまんなかには、鼻がある。ピントは目に合わせるのが普通だ。すると、現代のカメラマンはコックリさんのように首を振りながら、撮影することになる。ピントを合わせ、フレーミングといった。これは最初からマニュアルで合わせたほうが早いし正確だ。ところが、ファインダーが見ずらい。しかもオートからマニュアルに切り替えるのが面倒だ。だから僕はほとんど、首を振りながら、惨めな気持で撮影をしている。
ファッション写真でこちらに向かってくる歩きの撮影がある。動きがあり自然だ。しかし、これを本当にするとなかなか難しい。オート撮影でも、ただだらだらと普通に歩いたり走ったりすると、そうとうの枚数を切ることになるだろう。オートフォーカスのよいところは、レンズの開放撮影できることぐらいだろうか。そういう場合、絞りを絞って、パンフォーカスにするよりかたもある。
しかしもう一つのやりかたは、やはり一種の置きピンだ。ジャンプや、1ステップしてもらい、撮影地点に来た瞬間にシャッターを切る。これはかなり楽であり、確実だ。これをオートフォーカスでやると、側距点がちょっとでもずれると、シャッターさえ落ちない。
それから、これはファッション写真特有のやりかただが、例えば二人のモデルがこちらに歩いている瞬間を撮るとき、実際は歩いていない。ワンステップを、何度も、何度も、繰り返す。なんていうんだろう、一歩前に、そして一歩後ろにを繰り返す。その1mにも満たない動きを同じようにカメラマンもファインダーをのぞきながらする。そうするとピントもぴったり、フレーミングも自由な動きのある自然な写真になる。これは完全な写真のうそだ。本当を撮ればソウ見えるわけではなく、写真のために歩いているように見せるテクニックだ。これはオートフォーカスでなくても撮れる。
オートフォーカス万能のように思えるが、プロのとってオートマチックは、楽になったけれど、自分の思い通りのものを撮ろうとすると、50点でしかない。それが写真の面白いところだろう。

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2005.02.22

キャパとコダクローム他

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2005.02.20

キャパ写真展、最終日 キャパ・イン・カラーその5

キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」
日本橋三越でのキャパ・イン・カラーの写真展を、近くまで行く用件があり、再び見に行った。
日曜日、最終日とあり、会場は、超満員。写真を見るというより、人の背を見に行ったようなものだ。
デパートだからしかたがないとしても、6日間は短すぎる。まあ、ロバート・キャパの写真をこんなに多くの人が見たいと思っているのはなぜだろう。今日は、6時まで、5時半入場終了だそうだ。
キャパのカラー写真は新鮮だ。久しぶりに新鮮な写真展を見た。
50年前のカラー写真が、現代のものとして発表されたことが、新鮮なのだろうか。
今までのキャパとは違う面を見ることができる。キャパの写真をよく知らなかった人でも楽しめたと思う。
ある意味デジタル時代の恩恵だ。かつてだったら、ポジの雰囲気に忠実なプリントは難しかった。それが、デジタル時代になり、コダクロームの発色がかなり忠実に再現されている。
残念ながら、図版に、逆版写真があり、販売が2日目以降中止になり、手にいれられなかった人が多かったろう。
追って発売するようだ。マグナムサイドとしては、大変だったとおもうが、これだけの客が入る,ロバート・キャパは、やはり貴重な存在だ。
デパートではなく、きちんとした美術館で見せてもらいものだ。そのうちきっと東京以外でも見ることができるだろう。見る価値のある写真展だった。

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2005.02.17

ロバート・キャパ写真展その4 コダクロームの感度

キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」

ロバート・キャパが使用していた、初期コダクロームは、カタログによればISO10(当時ASA10)とあると、タカザワ氏のブログにあった。たしかに僕は、以前どこかに書いたときにISO10としていたが、英語のサイトを読んでいたら、そこにASA12とあり、そうなんだと思ったのだが、うーんやっぱりISO10なのかなと思えてくる。そのサイトはどこにあるのか不明だ。
まあ、10だろうが、12だろうが、3分の1絞り、大して変わらない。
僕が使っていた頃のコダクロームⅡは、ISO25だ。コダクロームXは、(IS064)だったろうか。
コダクローム64は、当然ISO64で、コダクローム25は、やはりISO25だ。
単純にISO25から一段あければ、ISO12になるので、こちらを採用したが、IS050ではなく、KRなどはISO64だ。単純に、一段刻みにはなっていない。ちなみに、8mm用コダクロームは、ISO40だった。
さて、感度は面白いもので、アナログメーター、単体露出計を見ればわかるが、3分の1刻みになっていて、
ISO 12 25 50 100 400という系列があるが、
かつてアメリカの感度表示ASAと、ドイツ式のDINというのがあった。ASA25は、DIN15だ。おなじように3分の1きざみなので、ASA50は、DIN18、ASA100は、DIN21になる。
ちなみに、ASA=ISOになっている。ASA,DINともきちんと調べてないでの何の略かわからない。(どこかに載っている)
ISO 16 32 64 125 
ISO 10 20 40 80 160
という系統もある。感度とは、デジタルと違って、なかなかそろえることが難しいのかもしれない。
ただ、25と32は、3分の1の差だ。50と64も3分の1。
かつて、同じエクタクロームでも、普通のEXは、64、しかしEPRエクタクロームプロフェッショナルは、50だった。
感度とは、なんとも微妙に思えるかもしれないが、実はもっと問題があって、フィルムには実効感度というものがあった。外式のコダクロームはかなり正確だったが、エクタクローム系のフィルムjは、どれも若干感度が低かった。とくにフジはかつては、かなり実効感度が低かったと思う。ベルビアが始めて発売されたころ、ISO50というふれこみだったが、明らかにコダックのフィルムと比べると暗く、明るめのポートレイトを撮るなら、ISO25と考えていたときもあった。最近は、(こんないいかたすると、スゲー昔はなしのようになるが)どこも現像が安定していてい、コダックもフジも関係なく現像できるが、かつては、現像所によって、感度はもちろん発色も違っていた。だから一度ひとつの現像所を使うと、なかなか違うラボをつかうことはなかった。
感度ついでに。さて、かつてモノクロフィルムはトライXを使っていた。感度400。100フィート長巻はASA320だったろうか。ブロニーのTXが320だったろうか。4x5のTXはISO320だ。忘れた。そして現像液はD76というのを使った。指定されたように原液で使うと、ASA400で、20度C、現像時間7分だったろうか。そんなふうに現像の仕様書には書いてあった。ところがそのとおりに現像すると、薄いネガになる。ものの本を読むと、ネガは薄いほうがよいとある。しかし実際薄いネガをプリントするのはとてもムヅカシイ。しかも硬調の印画紙をつかうことになる。ネガが薄いと、ごみや傷がめだつ。
そのうち試行錯誤して、やはりネガは少しのり気味にする。綺麗なプリントをあげる友人のネガを見るとずっと濃いからだ。それを、軟調な印画紙にプリントする。カタログデータと、実際はとても違うことだ。
アシスタントになったときに、プロたちがISO400のTRXを、ISO200で計っているのに驚いた。たっぷり露光、あっさり現像をしていることになる。そのほうがネガの調子がとてもよかった。実践的なプロと、データに振り回されていた自分の差を知った。
このことは、その後カメラ、フィルムに関するすべてに通じていた。数値化したカタログデータと実際は違う。数値はあるマージンを取っている。アマチュアだったらISO64も、プロ用には50になったりもする。
それより、自分でテストしてデータを取ること、それを信じることが大切だと学んだ。
デジタルの時代になっても同じだ。カタログデータは、カタログデータ。自分で実験してみないとなんにもならない。
さて、ロバート・キャパその4といいながら、写真の技術的なことばかり書いた。
ロバート・キャパの使った、コダクロームがISO10、(12でもいい、たいして変わらないからだ)。
ずいぶん低感度に思えるが、晴れた日の順光だったら、100分の1、f5.6で撮れる。なんの問題もない。しかも彼等の使っていたレンズは、ズームレンズではない。明るければF1.4、暗くてもF3.5ぐらいだ。
僕が使っていた、コダクロームⅡが、ISO25。特別低感度だとは思わなかった。きっと僕がレンズの開放撮影がすきなのは、かつては感度が低かったせいかもしれない。
それと、シャッター速度は、かつて、は
1秒 2分の1 5分の1 10分の1 20 50分の1 100分の1 200分の1だったのが、
いつのまにか、
1 2 4 8 15 30 60 125 250 500分の1秒と変わった。なんか適当で、フィルムの感度と同じだなと思えている。

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2005.02.16

キャパ・イン・カラー写真展開催中 その3

その1へ
キャパ・イン・カラーの写真展初日、神保町にある、マグナムのオフィスで、内輪のパーティが開かれた。ICPの館長ハーツ・ホーン氏、ディレクター、マーク・ルベル氏、写真家の細江さん、田沼さん、唯一の日本人マグナム会員の、久保田博氏がいた。三越の会場で、HARUKI、柊(この日のブログがある)、そして「ロバート・キャパ最期の日」の表4にある、キャパの書いた、カメラのイラスト、の持ち主である、編集者の小林秋生氏と、待ち合わせていた。小林氏には、ずっとキャパのサインと、50年前にキャパが訪れた、新宿ニコー(アルタ)裏にあった、みちくさという店を、日本の建築写真の巨匠、渡辺義雄先生が撮った写真を返却するのも目的だった。
capacamerarakugakihyou4
「ロバート・キャパ最期の日」
その後、我々4人で、マグナムでの内輪のパーティに乱入した。フロアーには、約30人ぐらい、ワインと、食べ物寿司が潤沢にならべてあった。
実は、昼食が軽くて、僕はすっかり腹が減っていた。いくらなんでも、僕一人ならいいが、3人も引き連れて、よそ様のパーティに行き、がつがつ食うのははばかれたので、僕等は、神保町で、牛丼をたべた。マグナムのパーティの食べ物がたくさんあったので、ハルキたちにいやみを言われた。でも、がつがつ食うのはよくないので、これでよいのだということになる。なんだかんだと、9時半ごろまでいて、新宿の、小林さんのおばあさんがやっていた、みちくさという文壇バーに行くことにした。今や客は60代、場所も西口に変わり、知らなければちょっと入りずらい雰囲気。
店は11:30まで、12時ぎりぎりまでいて、皆と別れ、ハルキと恵比寿に、山手線でゆく。居酒屋まで、なんやかやと3時までの飲んだ。
今日の朝、ブログを書いていていたらタカザワケンジ氏のトラックバックがあった。彼も昨日、キャパの展覧会にきていたという。
NEXT
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ロバート・キャパ写真展開催中 その2

初日の、ロバート・キャパ写真展「Capa in Color」を見てきた。
日本橋三越は、昔母が好きでよく行ったものだ。三越の思いでは、エレベーターだった。40年ぐらいまえのことだろう。品のいい、エレベーターガールがいて、クランクのようなものを制御していた。
それは、ものものしく、まるで牢屋のような、ケージになっていた。
僕は、エレベーターに乗るのが楽しみでもあり、スリルだった。
それは、エレベーターに乗ると、階に停止する瞬間、体が持ち上がるような、浮き上がるような、そして胸がむかむかする、不思議な体験をすることだった。
三越のエレベーターの特徴(古かったのかな)だった。きっと、停止するスピードの調整が、今のエレベーターよりスムーズではなかったのだと思う。
そして三越大食堂でお子様ランチを食べるのが最高のイベントだった。

そんな三越で、ロバート・キャパの写真展が開催されている。
昨日のブログにも書いたが、世界で最初のカラーフィルム、コダクロームで、キャパが撮ったものだ。
会場は平日だというのに、なかり混みあい、ロバート・キャパの人気を再確認させられた。
そして、会場に並べらカラー写真を見て、僕が想像していた以上に、50年以上、いや60年以上前のカラー写真は、素晴らしかった。ロバート・キャパ本人は、カラーが苦手だったといいながら、それはきっと露出などが難しかったからだとおもうが、どれもかなりしっかりとしたものだった。ロバート・キャパの名作は、すべてモノクロだが、キャパの撮影スタイルは決して、モノクロだけではないような気がした。
キャパの写真はカラーでも同じようにキャパの写真だった。いや、戦時の写真でも、モノクロとは違う世界が写っている。それはきっとキャパが、写真のなかに美的なもの構図的なものを持ち込む気がなかったからだと思う。
多くのキャパの写真(いわゆるキャパの傑作と呼ばれるものを除く)と同じように、その撮り方は、かなり直感的だ。目の前に存在する、ほんのちょっとの好奇心、ほんのちょっと違和感、ほんのちょっとの魅力を感じなら、キャパはシャッターを切っている。撮っているときの気持を想像すると、とてもリラックスしている。
だからこそ、さまざまなものが、ロバート・キャパの前に、飛び込んでくる。
僕はその撮影スタイルが、その間合いの撮り方が、好きだ。
キャパの時代、カラー写真は、まだニュースの速報性のシステムには入っていなかった。
キャパがカラーを撮ったのも、ライフのような速報性を求められる雑誌の依頼ではなく、今でいえば女性誌、一般誌のような、レディース・ホーム・ジャーナル誌のために撮っている。
キャパが撮った多くのカラー写真は、その後あまり評価されることなく、保管されていたが、モノクロの世界ではないカラーの世界で捕らえた、「世界」は、きっと本当は、キャパには世界がこういう風に見えていたんだ、と思えてしまうし、きっと、モノクロよりこちらのほうが、本当だったのだと思う。
この写真展は、単なる企画展というより、世界をジャーナリスティックな目で、初めてカラーで捉えた、写真家の目だいえる。そして、モノクロになった戦争の写真は、過去のできごとのように感じらるが、カラーは、今の時代、今行われてる戦争と、そして戦場で彼等が見る世界は、モノクロームではなく、カラーで眼前に広がっているのだと思えた。
写真に興味がある人は、是非見てもらい。戦争中の写真ばかりではなく、へミングウエー親子の写真、地雷を踏んで死ぬ直前に滞在した、日本での写真、インドシナ、とそれまでモノクロで紹介されていたものと違う、世界がひろがっていて、さまざまなことを考えさせられる。
コダクロームフィルムの発色のよさ。美しい空の色。カラーの美しさに、戦争という「悲惨さ」は、こんな美しい空のしたで行われているのだと思うと、感慨ぶかい。
それは、かつて僕が、初めてサイパンに行ったとき、その空の美しさ、海の美しさ、砂浜の美しさをまのあたりにして、その海に多くの死体が打ち上げられていたと想像したときに、モノクロ写真に写る、重重しい悲惨さではなく、現実はもっと美しい光景のなかに、悲劇は存在するのだと思った。
キャパのカラー写真を見ていると、そんなことを感じた。カラー写真は、美しい。きっとジャーナリストたちは、このカラー写真の美しさに抵抗感があるのだと思う。
カラーで撮ると、戦争さえもハッピーに見える。現実とは、時間と音と、臭いと、物理的な存在(自分の生命を脅かされる)を除いて、映像で表面をだけを見ると、多くの悲惨なものが、美しく見えてしまうという作用がある。
キューブリックの「博士の異常な愛情」のラストシーン、次々と爆発する、原爆、水爆の場面。あの光景は、恐ろしさと同時に、人間の感覚のどこかに、美しさを感じる部分があることを発見する。そしてジレンマにおちいる。
それは、9.11の、ツインタワーが崩れる瞬間の映像。純粋に映像だけで遠くからみると、あの破壊された瞬間は、絶対に美しくみえてしまう。(テレビは、アップすることを拒否することによって悲惨さを、見る側から奪ってしまった)
それは、人間のDNAに組み込まれた感覚だ。
物事は、表面だけをみても本質はわからない。なにより、そのなかから、本質を読み取ろうとするイマジネーションが一番大切だ。表面的に悲惨より、表面的には平和に見えること、そこからさまざまなことを、想像させる写真が、きっと真に写真の力だと思う。
そういう意味で、報道写真家、ロバート・キャパが撮った、そして見た、カラーの世界は、ジャーナリストの世界に対するアプローチも考えさせられる。
今回のすべてのカラープリントは、デジタルプリントだ。かつて、カラーポジ写真をプリントすることは、かなり難しかった。特にコダクロームのような、特別なフィルムからのプリントは、再現性がそこなわれた。しかしデジタルプリントは
コダクロームをそのまま、読み取り、かなり再現できていると思う。
日本で撮った写真のなかに数点、逆版(左右が逆になる)があり、それが問題になっているようだが、そんな枝葉末節なことは関係なく、素晴らしい写真展なので、見る価値があるし、考えさせられると思う。
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写真展 その1に行く

●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」

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2005.02.15

ロバート・キャパ写真展開催中 その1

今日から、東京日本橋三越本店で、ロバート・キャパの写真展が開催されている。期間は短く、15日から20日(日)まで。タイトル「ロバート・キャパ写真展 キャパ・イン・カラー」だ。10:00-7:30(最終日6:00)
1935年に世界で始めて、コダックより、カラーフィルム、コダクロームが発売された。
映画などはそれまでいろいろな方式でカラーがあったが、フィルムとして完成したのは、それが初めてだ。
キャパは1938年には、コダクロームを持って日中戦争の取材をしている。残念ながらそのフィルムは、消失しているが、その後、2次大戦や、へミングウエー、日本、インドシナ戦争を撮ったカラーフィルムが、近年、マグナムの倉庫から発見された。
コダクロームフィルムは、外式といって、現在多く使われている内式のフィルムと違い、カラー発色剤が乳剤のなかにはなく、あとで染色するやりかただ。
ほんの10数年前までは、35mmフィルムは、コダック独占のそのコダクロームフィルムが代表的なフィルムだった。当然僕も使っていた。
そのルーツにあたる、コダクローム(ASA12=ISO12)をキャパは使った。もう50年以上も前のフィルムだ。
1936年にはアグファ社から、現在と同じタイプの内式のフィルムが発売された。コダックも1940年代に、エクタクロームを発売している。しかし、当時の内式のフィルムは、耐久性が劣り、50年たったいまでは、画像が喪失したものや極度の変色で、みるかげもない。
ところが、世界最初のカラーフィルム、コダクロームはその特性から、きわめて耐久性が高く、50年以上もたった今でも代わりのない発色をしている。
コダクロームについて、「僕のコダクローム」というBlog連載がある。
キャパの今回の写真は、キャパのカラー写真がうまいかどうかではなく、その時代にすばやく新しいものに挑戦するキャパの心意気と、多くの傑作写真を撮ったキャパの、しかし実は、空気を吸うように、常に何かにシャッターを切る、名作を作ろうというのではなく、キャパはキャパの周りの日常に引かれる何かを、常に記録していたのだ。
だからこそ、さまざまなものに出会い、それを素晴らしいポジションで撮影でき傑作をものにしたのだと思う。
今回のカラー写真はだから決してキャパの傑作写真ではない。
しかし、構えることなく常にほんの少しでも興味を持てばシャッターを切る、
キャパの現代的な撮影方法が垣間見れると思う。
今日、僕は夕方会場に行ってみるつもりだ。
●「ロバート・キャパ最期の日」Homepage

●世界最初のカラーフィルム、コダクロームについてのbLOG「僕のコダクローム」

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2005.02.13

デジタルカメラで正確な露出は測れる?

なぜ、カメラのオート露出は、逆光撮影の測光が苦手か?
、「なんで問題外な写真が撮れるの!?」っていうことです。お昼の逆光で、超アンダーや超白飛び等。。
しかもけっこうな頻度で・・・。
BBSで露出のことについて書かれています。ちょっと長いし、専門的ですが、なるべくやさしく説明します。

デジタルカメラになって、皆さんは多くの撮影をしながら、なぜ適正な露出が計れないのか疑問のようです。
実は、カメラのオート露出は、なにもデジタル時代以前、銀塩時代から当てになるものではありません。
いや、それはいいすぎでしょう。かなりの撮影条件では、そこそこ、および完璧な露出を計ってきました。
でも、プロは、カメラの露出計を完全には信じていません。
なぜならば、カメラは、撮影者の「意図」は、わからないからです。
かつて、アマチュアは、撮影してすぐにその露出を確かめる手段を持っていませんでした。
しかも失敗した写真を確認するのが、何日も後、そうとう時間がたってから見るのでは、撮影状況も忘れています。それに、「逆光だからダメ!」という言い方があったように、逆光撮影は昔から失敗する確率が高かったのです。
今や、すぐにその失敗がわかるため、カメラの内蔵露出計の能力を疑いだしているのでしょう。
さて、逆光撮影は、なぜ失敗するかの理由はあとで、書きます。

プロは、積極的に逆光撮影をします。美しく撮る、基本のひとつだからです。逆光の露出を計るのは、やはり難しいものでした。それぞれ皆、工夫して露出を計ったものです。
さて直接の答えではありませんが、まず、かつての露出計を使った、僕の経験的な露出計測法を紹介します。
まずそのまえに、
1 露出計なしの計りかた。天気のよい場合の、逆光露出の決め方を、頭にいれておくとよいでしょう。

世界中どこでも、ISO100だったら、
順光撮影は250分の1、F11です。(100分の1、F16=125分の1、f16)
これは、写真家、、渡部さとる氏)の、「感度分の16」で言われているとおりです。
フィルムの箱の露光指数にもそのようにかいてあります。
快晴の広い風景、雪景色は、250分の1、f16
晴天 250分の1、f11
明るい曇りは、250分の1、f8、
曇り、日陰は、250分の1f5.6
その通りに撮ってみると、きちんと写ります。
これが光の強さです。
ただこれはあくまで、順光で撮るときの露出です。
実際は、光の向き、サイド光、逆光と、さらに補正が必要です。
そして、順光状態の光は、風景などは、たいてい順光、逆光、サイド光と簡単ですが、
人物の撮影の場合の順光状態の撮影は、少ないものです。
なぜなら、太陽が自分物の顔に真正面から当たる時間は、朝と夕方しかないからです。
夏の昼間は、太陽がほぼTopにあります。これは人物撮影の場合、順光ではありません。
顔がシャドーになるようだったら、逆光状態の露出とかわらぬようになってしまいます。
そして、また、曇りの日も、くもり空全体が光源になり、TOP光になります。
人物撮影の場合は、顔の部分にどういう方向から、光が当たっているか、注意する必要があります。

さて、僕は、かつてコダクロームⅡを使用しているとき(ISO25)、天気のよい日の人物の順光撮影はいつも、
125分の1、F8(25分の1、f16)で撮ってました。ちょっとこってり目の順光露出です。
サイド光は、そこから+1、もしくは、プラス1段半あけます。顔のハイライトとシャドーの分量で露出はかわります)

ISO25、逆光撮影は、「順光」から「約2段絞り」をあけますますので、125分の1、f4です。
常にこのぐらいの露出になることは、頭に入れていました。
ですから、露出計を使っていても、すでに露出はある程度めぼしがついているのです。

2 セコニック(入射光式露出計で測光するやりかた)

さて、実際は僕はセコニック、スタジオSという入射光式の露出計を使っていました。普通はスタジオデラックスですが、映画用のSが僕はとても使いやすく好きでした。
さて、セコニックで順光の露出を計るには、受光球を太陽(光源)にまっすぐむけることから始めます。
白い、受光球を眺め、そこに影ができないように太陽に向けます。すこしでも傾けると、影ができます。
または、光源が、受光球の中心に来るようにします。
その値が、光源の光の強さです。フート・キャンドル値は、Hightで250を指します。直読だと、F8指してます。
通常、ISO100で、250分の1、f11を示します。
不思議なところで、世界中どこではかっても、ヨーロッパ、アメリカ、日本、ハワイ、といった一見光の強さが違うところで、計っても、日中はほとんどかわりません。これは、モデルの顔が太陽にまっすぐ向いている時の露出です。

さて、逆光の露出の計りかたですが、
セコニックを、モデルの顔の前にかざし、受光球を、カメラ側に向けます。
そこで、再び、受光球をよく観察します。(もちろん実際は一瞬のこと)
そこに写っている風景を見るのです。
すると、空が大きく写りこんでいるでしょう。受光球は、半球体ですが、人間の顔は通常は凹凸があるものの、垂直です。顔の明るさは、顔に正面から当たる光によって照らされているのです。ですから、メーターの受光球の上部に手をかざして、空の部分をカットします。受光球にかざしている手が写っています。と同時に、露出が変わったことがわかるでしょう。たぶん+2分の1や、1段ぐらいの違いがあります。
その露出が、セコニックで計った逆光の露出です。たぶん、勘で決めた露出とさほど変わらないでしょう。
逆光の露出とは、太陽に照らされた、カメラの背後の光が、モデルに反射した光の強さです。
レフ版を使うと、+2分の1ぐらいあがります。
ちなみに、サイド光の露出も、やはり受光球をよく見ることです。
人間の顔のアップを撮る場合、ハイライトとシャドーのバランス、直接、太陽の直射が当たる部分と、影の部部の比率を、セコニックの受光球で再現します。
具体的には、顔の前にかざし、左右に微妙に回転させ、受光球に当たる、光の状態を、実際顔に当たる状態と同じにします。
入射光式のメーターを持っていない人は、ピンとこないかな。
セコニック・スタジオ・デラックス

3 スポットメーターを使う逆光の測光

一般的な、反射光式露出計は、被写体によって露出補正が必要です。
(カメラ内臓メーターも反射光式測光と同じような原理です、ですから露出補正がいります)
だから、正確な露出を測るのはなかなか難しいものです。
ただ、オート露出でも、望遠レンズの露出はけっこう正確に測れるものです。
おなじようにスポットメーターは、超望遠レンズで露出を計るようなものです。
僕はアサヒペンタックスのスポットメーターを使ってました。
画角1度。逆光撮影の測光に威力をはっきしました。
それは、逆光状態の被写体の一部、例えば顔のなかのほほの部分をいつも計るようにするのです。どこでもいいのですが、おでこは髪で隠れている人もいるし、ほほだったら平らで一番測りやすいからです。
なによりも、スポット測光は、逆光状態でも太陽の光が(光源)がめったに、入ることなく計れるからです。
結論としては、セコニックとスポットメーターの2台で、どんなものでも瞬時に露出を計っていました。

さて、なぜ逆光撮影時に、一眼レフタイプのデジタルカメラは露出がうまくゆかないのか。

1 
逆光とは、光源(太陽)に向かってレンズを向けるため、どうしても、レンズに光が入ってしまいます。
フードや、もしくはそのほかのもので、レンズに光源が直接入ることを阻止しなければなりません。
そうしなければ、正確な露出は測れません。
多くの場合、レンズに直接光が入っています。
レンズも、望遠レンズの場合は、まだ光源を切ることは簡単でも、標準から、ワイドは、光源をカットするのはとても難しい作業です。だからフードは絶対に必要です。実際はフードをつけても、レンズに光が入ってしまうことがあります。どうしたら切れるかは、黒紙などをテープでとめるかして、レンズの前部を影にすることです。

逆光撮影の問題点は、主題である被写体と、背景の露出の差が大きいことです。
背景の露出は、風景なので、ISO50で、250分の1の8の露出です。
しかし主題である、影になった部分は、250分の1、f2.8で撮らなければならないこともあります。
そうなると、人物と背景の露出さは、3段もしくは、顔の暗い部分は、4段ぐらいの差があります。
それでもアマチュアの使う、ネガフィルムだと、ラチチュードが大きいので、どっちにころんでも、たとえ調子が崩れたとしてもプリントできないことは、ありません。しかし、デジタルや、ポジフィルムは、こんなに輝度差のある被写体の場合、OKである幅がずっと少ないのです。
さて、カメラの露出計は考えます。しかも、4段も明るい背景と、主題である人物の露出。現代の露出計には、これまでの測光の歴史ノウハウがつめこまれています。しかし、中央重点測光(大体主題は中央にある)とか、そのほか各社いろいろな呼称で、いかにこの、輝度差のある被写体を計るのか工夫しています。
それが、背景と、主題の、画面にしめる割合が、明らかに主題によっているときは、無難なく計るでしょう。
しかし、同じぐらいのバランスだったらどうでしょうか。機械はそこが判断できません。だから迷ってとんでもない露出を表示、決定するのです。
ためしに、標準か、望遠レンズで、光源(太陽)が絶対に、レンズに入らないようにして、しかも、顔をアップに、背景がほとんど入らないようにして、測光すれば、どんなカメラでも満足行く露出を、それも常に一定な結果をだすでしょう。
ズームレンズならば、望遠で設定して、顔のアップを撮り、そして次第にワイドにして、背景の割合をふやし、露出の変る具合を見てください。
顔の露出だけを見れば、顔のアップも、風景のなかの顔も露出は同じはずです。
しかし、実際は違います。風景のなかで、人物を撮れば、顔は少し暗めでもOKです。
アップになれば、明るめのほうがよいでしょう。(特に女性の場合)そのように、レンズの画角によっても露出は違うのです。(狙いによって違いますが)
さて、
結論。
デジタルカメラは、すぐ結果が見られるのです。優秀な露出計だと考えてください。
がたがたいわずに、暗かったら、露出を+にして、明るければーにすればよいことです。
カメラの性能を馬鹿にするのではなく、カメラは、撮影者の気持ちはわからないということを肝に銘じて、撮影すればよいでしょう。本当は、光学的な、感覚的な理由があるのですが、そんなこと突き詰めていたら、写真は撮れません。
そんなこと、カメラメーカーにまかせて、バンバン撮り、撮影条件による、自分なりの方法をみいだすべきです。
銀塩時代、なぜプロはポラロイドを撮ったのか。それは、構図などをみるより、光の状態、何より露出を正確に見るためのものでした。のちにクライアントの確認の意味が大きくなりました。
当然ポラと、ポジフィルムは違います。いまでこそ、フォトラマとポジは、同じような発色ですが、かつてカラーポラロイドとポジは、まったく色が違っていて、多くのプロが、モノクロのポラロイドを使用していました。

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2005.02.10

マイクロドライブは、壊れるか。フィルムの消費量

BBSに、コンパクトフラッシュが壊れたことが書き込まれた。機械だから当然そういうことは、あるだろう。
ところで僕は、IBMの1GB(ギガバイト)のマイクロドライブを、2002年6月、CanonD60がでてからすぐに使い始めている。今年の6月でまる3年使い続けている。
当初、MDは、ショックに弱いとかいろいろいわれた。なにしろハードディスクだ、しかし、1GB、Jpeg-Large Fineで300枚以上撮れることにひかれた。300枚連続して撮れるのなら、銀塩以上の機動力があると思ったからだ。
Rawではなく、JPegで撮る理由も同じだ。しかも、35mm銀塩ポジなみを求めるならば(実際は銀塩以上だった)、Jpegで十分な品質があると判断したからだ。(どこかに書いたが、ブローニー、4x5なみを、現時点のAPSサイズ600万画素超のデジタルカメラに僕は求めていない)
当時IBMのMDは、40000円ぐらいしたが、3枚買った。撮影の時に、一日に僕が撮る枚数ぐらいだ。(日常的な枚数ではない。明確な撮影目的がある場合だ。‥‥仕事のときに使えるということは、そんな集中して撮るときに対処できている必要がある。
撮影旅行などの場合は、僕は、多くて1000カット、フィルム時代だったら、30本ぐらいとることになる。
タレントの写真集のような、ポートレイト撮影の場合は、一日で数千カット撮ることもある。グラビアカメラマンは、たくさん撮る人が多い。
かつて、三脚に300mmぐらいの望遠レンズをつけ、モータドライブで押しっぱなし、一日35mm200-300本も撮る、猛者某、有名カメラマンもいた。それが伝説でもあり、自慢していた。そのカメラマンの撮影を見て、卒倒しそうになったこともある。別に撮り方はよいとして、どうやって選ぶのか不思議だった。
まあ、僕は一日どんなに撮ったとしても100本、3600枚は限界だ。(それでも驚くひとはいるだろう)
逆を言えば、シャッターを切らないカメラマンもまた多い。35mmのワンカット、ワンカット丁寧に撮る写真家もいる。
特に、モータドライブでなければ、そんな狂った枚数はありえないだろう。グラビア写真の、特殊な写り方は、もしかしたら、撮る枚数による特別な世界なのかもしれない。スポーツ写真もそういうところがある。被写体に反応する撮り方とでもいうのだろうか。
ロバート・キャパは、ロシア取材で3000枚以上撮ったという。相当なカットだったようだ。ところが、日本では10000カットぐらい撮ることになるだろうと言った。
残念ながら、日本取材なかばでインドシナに行き、結局は2181カットしか撮らなかった。しかしそれでも、モータドライブのない時代、レンジファインダーのコンタックスⅡ、ニコンS,キャノンⅣSVで、撮っていたことを考えると、ロバート・キャパの撮影スタイルは、撮りまくっているという印象だ。
「ロバート・キャパ最期の日」でも触れたが、カメラ毎日の編集者、金沢秀憲は、キャパの撮影スタイルは乱写型だと書いている。いちいち構図を決めて撮るタイプではないようだ。しかし、現代のカメラマンから見ると、キャパが一生に撮ったカット数は、1ケ月で撮ってしまうかもしれない。数打ちゃ当たるわけでもなし、結局は何を撮るかだ。そういう意味ではたくさんとったからといって、キャパには永遠に勝てないだろう。

MD(マイクロドライブ)の話に戻るが、もちろんそれのみを使うことは不安だったので、ほかに、256MBのCFカードを2枚持っていたが、ほとんど使うことはなかった。
そのMDは、3枚とも、2004年の1月までは、快調に動いていた。
もちろん、カメラから出した場合は、細心の注意を払って使ったが、カメラに入っているときは、フィルム時代と同じようにカメラを扱った。
僕はカメラの扱いのよいほうではない。特に短焦点レンズしか使わなかった時代、KISSデジタル以前は、カメラは最低いつも2台、もしくは3台を、別々のレンズをつけて持っていた。一番はカメラ同士がぶつかるということだ。
だから僕がカメラを使うと傷だらけになる。
それでも、MDは、快調に動いていた。誰だ、すぐ壊れるといったのは。
実際使って見なければわからないし、メーカーの相性もあるだろう。MDと使っていたのは、そういうMDは、危険だという単純な神話を疑っていたからだ。いまや、iPodのなかに、4Gのマイクロドライブが入っている時代だ。
それでも時々、カメラが止まることはあった。そういうときは、電池を抜いて、再起動した。それでも、特別問題はなかった。
それが、2004年の春、クラシックカメラの大御所、某、田中長徳氏の六本木のオフィスに行ったとき、彼の持つ、ミノルタのコンパクトカメラ、?、なんだか忘れたが、たまたま田中氏が、メディアを持っていなく、じゃあ、そのとき僕が持っていたキャノンKISSデジタルから出して、運良く数枚しか撮っていなかったが、そのカメラに入れたが作動しない。相性かなと思ったが、僕のKISSに戻しても動かないではないか。うんともすんともいわない。フォーマットもなにもきかない。帰って、パソコンでフォーマットを試みたが、結局それは死んだ。いまでも、後ろにXマークをつけて置いてある。
なぜ壊れたかは不明だ。でもすでにそのときに2年近く酷使しているので、まあ、原価償却は十分だ。
ところが、残った二つのMDのことが心配になった。Canon以外に、気楽に使うことが怖くなった。もし、かなり撮ったもの、仕事の最中だったらどうなるだろう。
その頃から、もう一枚のMDが、不調になりはじめた。300数枚撮りのうち、残り280枚ぐらいでエラーがでるようになった。そのたび、電池を抜いて、再起動した。数回繰り返しているうちに、また正常に撮れるようになる。
パソコンで開くと、モザイク上になった絵が続く。その場所を過ぎると正常に戻る。ただ、前回のように全部がだめになることはない。
以後、それはだましだまし今でも使用していた。まあ、3年持ったのだから寿命だろうかと思っている。
それにしても、当たり外れはあるのだろう。一枚のMDはノン事故、今でも快調だ。
いまや、マイクロドライブ4GB時代。
僕がマイクロドライブを使って不安をさほど感じなかったのは、撮影すればその日のうちに絶対にパソコンにコピーしていたからかもしれない。時間があれば、CDRまで焼き付けていた。
MDにいれたまま、何日も放り出すようなやりかただと、ちょっと心配だったかもしれない。
さてさて、ストレジャーやマックのiPodPHOTOまである時代。メモリーカードはどうなるのだろうか。
まあ、どちらにしても、パソコンへの読み込み、CDR,DVDへの書き込みが、数倍早くできるようになると、よいのだが。これまでの3年間はこのやりかたで正解だったと思うが、これからは何がベストなのか、考える必要がある。

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2005.02.09

M7.3 子供たちの見たもの その16

日本カメラで、M7.3子供たちの見たものの取材を受けた。
なぜ、僕は彼等を撮ったのか。阪神大震災のような大事件で、まだ幼く、ことばがなかった、彼等の声を聞きたかったからだ。そして今の彼等のポートレイトを撮る。生きた側のことば。でも、運が悪ければ彼等は、永遠に言葉を発する側にはならなかった。彼等は、同じように震災を体験して、しかし、幼く、しかも普通だったために、今まで何も語っていない。
僕は、撮影中インタビューに同席しなかった。本ができて、インタビューと写真が構成され本として完成して、そのとき初めて、彼等のことばを読んだ。僕の写真と、彼等のことば。
僕はこの本で、僕がみた神戸を伝えたいのではない。
僕は、僕の写真と、そして文を読んだ、僕を含めた、読者に、自分と阪神大震災は何なのか、を考える場でありたいと思ったのだ。
ふと、僕は気がついた。Girls in Motionで会った、彼等も、多くはマスコミ的には発言する場を持っていない。今、インターネットの時代になって、自ら発言することは可能かもしれない。いやそれでも、ほとんどの人はすすんで発言することはないだろう。ネットでの発言も、あくまで発言したい人が発言しているからだ。
インタビューとは、特別発言したいと思わない人からも、聞き出すことである。
神戸新聞
M7.3子供たちが見たものTop

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デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その2

NAVI 2002年9月号 「Girls in Motion」
4x5オリジナル写真
リンホフテヒニカ4x5 プロビア +1増感 CC20G使用
ハンディストロボ使用 15分の1 f22
380girlsinmotionNo11rika-1
ブルセラブームの頃、高校生だったリカ。いろんなオッサンを見てきた彼女は、「おかしくって哀しいエロが好き」とくったくなく笑う」インタビュー瀧井朝世
rikaupleft
2000年10月から2003年5月まで、自動車雑誌NAVIで「Girls in Motion」というテーマで連載をしていた。自動車雑誌といっても、その連載は自動車とは全く関係ない。ただ、NAVIという雑誌は、自動車だけがテーマではない。自動車のある生活、時代を評論する雑誌である。ただ車の写真は、コマーシャリズムと結びつき、綺麗な写真ばかりがならぶことになる。僕はもっとその時代のリアルなものが、同時に存在することが面白いと思い、連載を始めた。
そこに登場した女性たち、14歳から28歳の女性(Girls)たちは、皆無名だ。数人、わずかに芸能界に携わっていた人も入っているが、どちらにしても無名であることには違いない。なぜ無名か。
僕はその頃まで多くの有名人を撮っていた。昔は有名人はとても遠い世界、ミステリアスな存在だった。しかし今の時代、タレントは少しもミステリアスではない。彼らの情報はあふれている。それに引きかえ、僕の年齢のせいもあるかもしれないが、いわゆる若い女性たちの生活や思考のほうがミステリアスに感じられた。(男もそうだけど)。
僕が年齢がいっているといっても、職業柄、若い人たちとの交流はある。しかし、彼等の話を聞くことは(真面目に)ほとんどない。一体彼等はどんな生活をして、どんなことを考えているのだろうか。(この連載の紹介の一部がある。いくつかしかUPしていないが)
無名の人間に4pもさくとは、ある意味事件でもあった。無名でも、特別な意味のある人間のことではない。ごく普通の女性ばかりだった。ところが、話を聞くと、知らないことばかりだ。いわゆるマスコミに登場する、人たちはそれはマスコミが望む人が登場する。特にテレビは、自分たちの主張、意見を、代弁してくれる、素人を探している。単純な引用ができないメディアだからだ。僕たちはそういう、情報に囲まれている。
この連載で決めたことは、きちんとしたキャスティングをしないということだった。それより、友人の紹介、登場したひとたちの紹介だけにした。その結果、ルックスはともかく、とてもみんなきちんとした人ばかりだった。いや、職業ややっていることは、さまざまだ。そして皆、真面目だった。きちんと自分自身のことを考えている。ここに紹介したリカもネットでは有名な子だ。そして彼女は確信犯だ。
残念ながら、編集長がかわり、このあまりにも車雑誌らしくない、連載は打ち切られた。せっかくこのシリーズによって、他の車や、ファッションの写真のページにリアリティを与えていたのに、また普通の商業誌になってしまった。なんてね。
さて、なぜ大型カメラか。見開きのページはいつも、風景のなかの少女だ。そしてもう1見開きは、右にインタビュー、左にその少女のアップ写真。背景に、説明はない。
この風景のなかの写真は、4x5特有、そして65mmというワイドレンズの世界だ。35mm、ブロニー、デジタルでは絶対に写らない世界だ。写真の世界観は、粒状性より、フォーマットで決まる。粒状性は二の次だ。そして大きなカメラになるほど、いわゆる写真ぽく写る。人間の表情、雰囲気を撮るのは、小さなカメラが適している。ディテールはないほうがいい。モノクロならばもっといいだろう。35mmは感覚的だ。
大型カメラは、存在感が写る。大型カメラを使った理由もそこにある。僕はこの無名な少女たちの表情を撮りたかったわけではない。そこに存在している感じが撮りたかったのだ。だから大型カメラを使用した。
背景のビルが、ゆがんでいるが、これは、65mmのような超ワイドの場合、背面のピントグラスでピントを合わせる。
特にリンホフテヒニカの場合ゆがみやすい。でも僕は気にしていない。若干微妙に、あおられているからである。それはそれで味のようなものである。

さて、デジタルで撮れない大型カメラの世界と書いたが、デジタルのフォーマットも、これから大きくなる傾向はあるだろう。しかし、銀塩と、デジタルの大きな差は、コストパフォーマンスの問題がある。フィルムの場合、35mmと4x5、8x10と、フィルム面積あたりのコストパフォーマンスは、ほぼ同じだ。カメラの値段は、35mmだろうが、大型カメラだろうが、さしてかわらない。安い大型カメラがあるからだ。なにしろカメラ本体だけいえば、手製でもOKだ。
しかも、デジタル最大の弱点は、特に大型カメラでは、耐久性の問題だろう。銀塩時代、大型カメラは一生ものだ。いや極端に言えば、100年、200年たってもつかえる。デジタルは常に減価償却を考える必要がある。
デジタルカメラの性能と価格が安定しても、10年、いや5年たてばもっとあたらしいものがほしくなるだろう。
デジタルになり、フィルムがいらなくなったとしても、大容量のパソコンなり、それなりの投資が必要になる。
そして何より、受光部(撮像素子)、CCD、C-MOSが大きくなれば、コストばかりか、操作性に問題が生じる。
将来、ガラスではなく、フィルムのような、軽るく、薄く、柔軟性のある受光体が発明されれば、そのときこそフィルムが終焉するときかもしれない。銀塩時代のカメラにそのまま、装着できる受光体。35mmサイズから8x10まで。形状はフィルムと同じ。そのときこそ、銀塩時代の終わりかもしれない。
左側のUPの写真は、Contax645 プロビア 
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1


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2005.02.06

2mPhotographer小堀正一写真集

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2mフォトグラファー、小堀正一さんが、写真集を送ってきた。それも僕が昨年上梓した、ハウツー本、「デジで本」で紹介した、ネット写真集、アスカネットのマイブックで、2冊つくっていた。

小堀正一は、2mぐらいしか視覚では認識できない。彼は生まれつき虹彩がなく、強度の弱視だ。
その彼が、医者の警告を無視して、写真を撮り続けている。昨年の今頃だろうか。僕はその頃、見ないで撮影するといったことをテーマで写真を撮っていた。もともと僕も、被写体をあまり凝視しない。
そこに、本当に凝視をせずに写真を撮っている人からコンタクトがあった。それが小堀さんだった。
ホームページをみて驚いた。並みのアマチュアのカメラマンではなかったからだ。かつては、コンテストの常連だったという。その後、視覚障害者用のパソコンのシステム開発に力を注ぎ、写真からとうざかっていたという。それがデジタル一眼レフカメラがでたことにより、そしてシステム開発が軌道にのり、むくむくと写真を撮りたくなったとう。
そんな彼を僕は、ベトナムに誘った。ちょうど、ロバート・キャパ没50年の取材だった。彼はこれまで、一人で海外にいったことはないという。僕はベトナムのでの受け入れはだいじょうぶだと説得した。家族は大反対だったそうだ。
僕は彼の写真を見て、とても見えないで撮っているとは思えなかった。あれだけ撮れるならば、一緒に旅ができる
と思ったのだ。そして何より、いったい彼がどうやって写真を撮るのか興味があった。
先乗りしていた、僕は、ハノイ空港に彼を迎えた。もちろんそのときが初対面だ。サングラスをかけ、ごく普通にやってきた。関空についてからは何の問題もなかったという。きちんとサポートしてもらえたらしい。しかし、なにより、名古屋から、関空までが大変だったそうだ。なにしろ標識、表示板が見えない。周りのひとに訪ねると、あっちとか、表示板をさしたりするという。まずいことに、カメラなんてもっていたら、まったく馬鹿にるのかといった、態度を示されるときがあるという。だから、カメラは首からさげずに、バッグにしまっておくという。
彼は、家族の見送りを断っている。自分一人で、ハノイまでたどりつきたかったという。しかたがなく海外ローミングの携帯は持たされた。
最初、小堀さんは、ハノイの町を歩いて、戸惑ったという。なにしろ、ベトナムのバイクの排気音と、クラクションの音の氾濫だ。通常彼は音を頼りに、歩いている。
普段歩いているとき、前に人がいると歩きやすいという。それは、前の人の靴音で、状態がわかるからだ。コンクリートの音、そして階段を下りる音。
そんな彼がハノイの騒音で、方向感覚が狂ったという。しかし、数時間で彼はマスターした。激流のようなバイクの流れを横断する。朝、日が昇るやいなや、街にでて、一人でスナップをしていた。とても、目が不自由とは思えなかった。僕は彼を2mフォトグラファーと呼んだ。
日本に戻り、そのとき撮った写真で写真展を開催した。そのとき僕は、メッセージを書いた。

【 五感のハンター 】
 2mフォトグラファー小堀正一は、何を見つめて写真を撮っているのだろう。
 僕は彼と一緒に、ハノイの街を、カメラを持ちながら歩いた。
 彼は濃いサングラス越しに、きょろきょろと周囲をながめ、常に何かに耳を澄ましている。いや、気持ちを澄ましているのだ。彼は心を透明にして街の生命を感じ取っている。
 彼は、目で漠然と認識できる微妙な色や形やその動きや、周囲の喧騒や話し声、悪臭も含めたさまざまな匂い、そして汗をいっぱいかいた自分の肌に感じる空気の流れ、そればかりか遠くにある食品の味覚まで、五感をフル動員して感じようとしている。
 写真は目で撮ると信じられているが、小堀を見ていると、写真は五感で撮るものだと教えられる。
 五感で感じたものだからこそ、見る側の心に深く響くのかもしれない。

写真家 横木安良夫

ここに書いたことは本当だ。それはある意味、僕と同じようなやりかたで撮っている。僕は、目は見えるけど、視覚よりもっと、その場の空気感、匂い、いや、なんだかこの辺が面白そうだぞ、と感じられる。
ヘルムート・ニュートンが、犬のようにかぎまわるという表現をしていたが、僕もそんな感じだ。
小堀さんは、かつて、コンテスト荒らしだった。しかし僕は、彼に、コンテストはもう卒業して、自分の写真を撮って欲しいと言った。その最初の一歩がこの写真集になるとうれしい。
モノクロ20ページ、いままでの作品集は、3900円、Vetnamの写真集28ページは4500で販売している。
是非、彼のサイトの作品をごらんになってほしい

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Polaroid その4 690 Paris

Polaroid Camera 690とPolaroid600フィルム
その3は特殊な、懐中電灯を使った写真だが、この2枚は何もしていない。まったくそのままとっている。手持ち撮影。
Polaroidで街のスナップをするのはとても楽しい。多くのカメラマンがやっていると思う。80年代から90年代、そしてデジタルが普及する最近まで、いやいまでも愛好しているカメラマンは多いと思う。なぜ皆ポラロイドが好きなのか。銀塩写真があまりに鮮明に写りすぎた反動かもしれない。ポロロイドに写った、どこか「遠い絵」。目で見たより、記憶のなかの風景のような写真。ポラロイドを見ていると、デジタルになって、また逆行しているような気がする。もう十分写っているのではないか。克明に写るより、写真の魅力はどっか違うところにあるのではないか。商業写真としては克明に写ることは通常大切なことだろう。でも、ほとんどの写真はそんなに克明につらなくてもいいのかもしれない。
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パリ、サンジェルマンデュプレにある、有名なCAFE 向かいの本屋の2Fから撮る。
600paris01
モンマルトルにある教会から撮る。パリのブドウ畑。

Polaroidその1へ

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2005.02.05

Polaroid その3 TwilightTwistPolaroid 600

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TwilightTwistPolaroid8x10と、撮影方法は一緒だが、カメラがおもちゃのような、というよりシンプルな構造のPolaroid690だ。フィルムはPolaroid600という、ISO600の高感度のフィルムを使用する。(SX70の改良版)このフィルムは、発色もよく、感度も高くとても使いやすい。
ただ、この撮影には感度が高すぎる。そのため小さなレンズの前に、NDフィルターと、色調調整のためもかねて、LBB8ぐらいのフィルターをつけた。
600tang021
この撮影方の欠点は、明るい場所では撮れないということだ。これは一坪ほどの倉庫で背中を壁に貼り付けて撮っている。Polaroid690のよいところは、音波によるオートフォーカスだ。暗闇でも正確にピントが合う。明るいところでは、13.9秒でも露出オーバーになってしまう。そこでライティングは5,6秒で済まして、レンズを手で塞ぐことになる。一番上の写真は、本当に明るいところで撮っている。露光時間は5秒もないかもしれない。右側からライトを上から下になめるように照射しただけだ。少し小さな二つの写真は、ドアの外が明るいだけで、中は暗く、ゆっくり撮れた。
600tang011
また、690カメラにはバルブ機構がない。なにしろオートマッチックカメラだ。懐中電灯の手法には、長時間露光が不可欠だ。そこで考えたのは、露出を計る、受光部を黒テープで隠すことだった。カメラはだまされていつまでもシャッターをあけっぱなしになる。しかしこのカメラは最大13.9秒しかシャッターは開かない。撮影は13.9秒の間に瞬時にすることになる。それはそれでとても楽しい撮影だった。その撮影のことが書いてあるので‥‥。
600フィルムは、周辺のフレームになっている、白枠をピンセットで剥離すると、こんな不思議なフレームが露出する。
折りたたみの690カメラは現在新製品としては売られていない。デザインのおもちゃじみた600シリーズしか売っていない。しかし、Polaroid690は、中古カメラ店でよく見かける。一台は持っていたいカメラだ。SX70とは、フィルムも違うので間違えないように。SX70は、フィルムの感度が低く、ストロボ発光しないと、ぶれやすい。色調もちょっと赤い。
NEXT Pola 4
Polaroidその1へ

TwilightTwist(懐中電灯を使った撮影方法は、このウエッブページを見て、写真のEPISODEをクリックすると、書いてあります。

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Polaroid その2 TwilightTwistPolaroid8x10

8x10polaroid002
Ms.Ayana Osada
8x10polaroid001

1993年だからもう10年以上前だが、TwilightTwistPolaroid8x10という写真展を、虎ノ門にあるポラロイドギャラリーでやった。8x10のポラロイドType809を使用して、当時はまっていた、懐中電灯での撮影だった。その頃の、僕の周りの友人や、10代の子、キューティという雑誌のモデルを撮ったりした。カメラはデアドルフ8x10に、レンズはシュナイダーの210mmをつけた。ポラロイドと懐中電気の組み合わせは、不思議なトーンになり、何でもそれで撮っていた時期があった。モノクロの8x10ポラもよくつかった。それでもやはりカラーが綺麗だった。露光時間はだいたい10秒から20秒ぐらい、人間がじっとしていられるのはそんものだからだ。初期は、創世記の写真撮影のように、見えないところで固定して撮った。ぶれたくなかったからだ。しかしそのうち、ぶれてもよいような気になり、けっこうラフに撮るようになった。モデルの名前は何だっけ。友達だったけど、ニューヨークに映画の勉強をしに行ってしまった。そうだ映画監督の長田綾奈だ。今何をしているのだろう。
懐中電灯の撮影TwilightTwistをポジでやると、色がビビットになりすぎて、写真がうそっぽく写った。それはそれで面白いが、どこか人工的な雰囲気が、ポートレイトには合わなかった。ポラロイドは、どこかぼんやりとしていて、そのくせ、不思議なトーンを持ち、あまりこのライティングの、わざとらしさが目立たなかった。
8x10polaroidayana
まるで千手観音のような写真。合成ではない。長時間露光中に動いてもらっている。この撮影もこの手法だと簡単にできる。特に手の付け根のなんともいえない、普通さは合成では苦労するところ。この写真は長いこと額に入れてかざっていたため、じゃっかんブルーが浮き、黒のしまりがなくなっている。
Pola3NEXT
Polaroid NextPolaroidその1へ


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2005.02.04

1999年のウラジオストク 今年も行こうと思う

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Eos5 EF24mm f2.8 RVP +1増感

1999年、20世紀最後の年に、極東ロシアの都市、ウラジオストクに行った。新潟から1時間半。日本から一番近いヨーロッパだ。今の季節は極寒でも、5月から9月いっぱいは、北海道のような素晴らしく気持のよい気候だ。ウラジオストクは、ソ連時代、軍港だったので、外国人は入ることができなかった。幻の土地だ。いったいどんなところか想像もできなかったので、その年行ってみる事にした。車で飛ばせば東京、新潟間は、4時間もかからなかった。
今、ウラジオストクニは多くの日本人も住んでいる。この6年間でどんなふうに変わったか興味がある。もっとも、6年前だって、ウラジオストクは都会だった。クラブがあったりして、おしゃれだった。そのときのウラジオストク・ナホトカ・レポートは、わりとちゃんとしているので見て欲しい。
ウラジオストクの情報は、「ウラジオストク通信」が充実しています。

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2005.02.02

Polaroid その1 665フィルム P195カメラ

Polaroidカメラについてシリーズで紹介する。その1
いまやデジタル時代になり、かつてPolaroidは、絶対に侵されることのない特別なフィルムだったが、今や多くの場面で、デジタルがポラロイドを侵食している。しかし、ポラロイドはその写り方に特別な世界があり、そしてデジタルと違うのは、オリジナル、一点もの、物質として存在している、というやはり特別なフィルムなのだ。
最初に紹介するのは、プロにはとても重宝しているフィルムの、ネガつきモノクロポラロイドだ。テストフィルムとしてだけではなく、そのネガの階調はすばらしく、とても美しいプリントが得られる。
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大きな写真とキャプション
蛇腹の、POLAROID 195カメラ で撮ったPolaroid665filmでの写真。このフィルムの使い方、現像方法は、詳しくこのポラのサイトに載っている。粒状性など素晴らしい。
POLAROID 195 LAND CAMERA LENS TOMINON 1:3.8 f=114mm 218077 TOMIOKA JAPAN
なかなか描写の素直な、素晴らしい名レンズだ。当時は、カラーポラロイドのテスト用として購入した。
このカメラは、20年ぐらい前に、中古を香港で買った。当時500ドルぐらいだったと思う。
1997年  この写真は、三脚にセットした、Polaroid195カメラのセルフタイマーで撮られている。
撮影者である僕が写りこんでいる。
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大きい写真
Polaroid665や、type55(4x5)filmを使うようになって、海外に行くにも、現像後、洗浄、硬膜するために、タッパウエアを持ってゆくようになった。(ポラロイドからクリアリングタンクが売られている)撮影はひとりでするには少し不便でもある。(たいしたことないけど)最初の頃は、細心の注意を払って、ネガを剥離させ、無水亜硫酸ソーダにつけて、硬膜処理をした。しかし今では傷がつくことを気にしなくなった。傷もそれはそれでよいかと思っている。(意外と傷はつかない)
実は、1995年の阪神大震災のとき、Tri-xにイジーロードを持っていった。取り扱いかたが悪く、何枚も光線もりがあった。その頃までなんとしたことか、僕はポラロイド55のネガを捨てていた。震災の写真のポラのプリントは残っているが、そのときのネガはない。
zegen
大きい写真 Model Saki
NEXT Polaroidその2
この写真は、ポラロイドのネガを、通常のモノクロペーパーにプリントして、それをスキャニングしている。ネガから直接スキャニングすることもできる。

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幻の Tri-x 4x5 パックフィルム

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Toyo Film Pack folder
フィルムを入れたフィルムパックフォルダーをカメラに装填す。撮影後、左側(通常右側にする)に出ている紙を引くと、次のフィルムになる。

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Kodak Tri-Xpan Professional Film 16expsures TXP 523 FILMPACK 4x5in.(10x12.7cm) CAT 140 3534
僕は最近、4x5をモノクロで撮らなくなった。
傷がついたり、現像ムラができても、ポラロイド55という、4x5のネガつきのフィルムを使う。ポラだから当然、テスト撮影に使うが、それにモノクロのネガがついている。撮影後すぐに、無水亜硫酸ソーダにつけて、硬膜処理する。戻ってから水洗してかわかす。モノクロの現像をするのが面倒ということもあるが、実はそれには大きなわけがある。
10年以上前、もっと前だろうか、4x5のモノクロフィルムには、とても使いやすいフィルムパックなるものがあった。TriXP、フジのSSもあった。16枚撮り。連続して16枚も撮れるのだ。そのスピードは、当時カラーは両面にフィルムを入れる、フィルムホルダーの時代にもかかわらず、次元の超えたスピードで撮れた。一度ピントを合わせれば、(4x5のようなビューカメラは、撮影とピント合わせは別だ)シャッターをチャージして、シャッターを切り、ホルダーのひき紙を引く、それでもう次の撮影のスタンバイだ。
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乳剤面 デジタルで言えば、CCDのあるところだ。この面に露光される。このトライXのフィルムはやわらかく、紙を引く次々と背面に収納されていた、新しいフィルムがでてくくる。

15年ぐらい前だろか、そのフィルムが製造中止になると、アナウンスされた。僕は100箱以上買った。そして最後の未開封のフィルムが手元にある。期限が1993年の9月だ。乳剤番号、6050-405だ。そしてフィルムパックには、9枚目から、8枚が未露光で残っている。そのフィルムの素晴らしいところは、暗室で撮ったフィルムを引き出せることだ。撮った分だけ現像することができる。僕はこのフィルムでたくさんのモノクロ写真を撮った。最後の1パックは何かのために残しておいたのだ。しかし結局使うことはなかった。

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2005.02.01

デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その1

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「嵐が丘」 リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8 ベルビア (大きな写真とText)
粒状性がわからない、WEBサイトでも、35mmやデジタルと、違って写っていることがわかるだろう。
2001年12月号のアサヒカメラのために撮った、一ノ瀬泰造の故郷の写真。これも4x5だ。

最近は、デジタルカメラで撮ることが多くなったが、それでも絶対にデジタルにかえられないカメラは大型カメラだ。僕は、今でも4x5サイズのカメラは多用している。デジタルの高画素化が進み、いまや6x6並だ、4x5に迫るといっているが、それはあくまで画質の一面の性能だ。
銀塩時代、35mmのコダクロームの画質は、ある意味通常の120フィルム(ブローニー)6x6サイズの画質を越えていた。だからコダクロームのブロニー版がでたら、4x5はいらいないと言われたものだ。しかし要望どおり、ブローニー版はでたが、4x5の代わりにはならなかった。
そこでわかったことは、35mmは6x6のかわりにはならないということだ。6x6は4x5の代わりにならない。
例えばある風景を、35mm、6x6、4x5カメラで、絞りをパンフォーカスにして撮って、同じ大きさにプリントする。横長2対3、正方形、4対5といった、フレーミングの印象の違いも大きいが、プリントしてみて比べると、雰囲気がそれぞれ違うことがわかる。絞りを開放撮影すれば、その写りの差はもっと大きい。
この雰囲気の違いが、カメラのフォーマットによる写り方違いだ。
決して大きいカメラで撮ると、粒状性がいいからとか、の問題ではなく、単純な解像度の問題でもない。並べて、よく観察すれば、その映り方の違い、雰囲気の違いに気付くはずだ。
そして、結構忘れられているが、レンズの差が大きい。大型カメラのレンズはかなり、おおらかに作られている。例えば、4x5の、フジのベルビアのポジの一部を35mmの大きさに切り抜くと、驚くほどぼんやりとしている。それに引き換え、同じベルビアを使い、35mmのカメラで撮ったものと比べると、同じ面積、同じコーリティのフィルムのはずなのに、まったく写りが違う。シャープなのだ。それだけ小さなカメラのレンズの性能は、小さな画像を結ぶために、先鋭化している。ここになにか大きな秘密が隠されていると思う。それは、光学的な専門家だったら簡単に答えを教えてくれるだろう。
僕は写真光学者ではないので、経験的にしか言えないが、違うことはわかっている。

デジタルの撮像素子が、将来4x5サイズまで大きくなれば、その写り方は同じになるかもしれない。しかし経済学がそれを許さないだろう。銀塩フィルムの経済学はほぼ大きさに比例している。8x10一枚と、35mm1本の総面積は、ほぼ同じだ。
カメラだって、大きくなったからって高くなるわけではない。レンズも同じだ。ある意味大型カメラはとても安い。
デジタルはそうはいかないだろう。4x5クラスの撮像素子は、今だって作ることは可能だろう。しかしそんな高価なものを買う人はいないだろうし、扱いが大変だ。

デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その2

以下意味不明なので、削除したと思ってください。便宜上の残しおきますが、きちんと書き直すつもりです。

これは僕の私見で、僕の写真に対するスタンスであるが、写真は頭のなかで作り上げるものではないと思っている。(言葉足らずですが、今はそうとしか思いつかない)。写真を利用した創作物は、僕はそれを写真と呼ばない。絵であり、イラストレーション,インスタレーション、アートだと思っている。僕は写真は、写真でしかないという立場だ。その写真の根源的な部分、そういう運動をアートと呼ぶことには、同意するけど。
写真を利用したアートを、写真のジャンルにいれるのは、苦しい。
それは、シューレアリズムに取り入れられたころの、フォトモンタージュと同じだ思う。それはもともとアート、美術の一分野だ。写真というシンプルなメディアの特異性は、写真が発明された当時から美術家に利用された。いや、写真は美術のなかから生まれた。
写真は、かつて物体としてのみ存在していた。
音楽、映画、テレビは、メッセージそのものは、情報だ。音楽は空気を動かす、物体だともいえるが。
それを再生する装置はあっても、そのものには、形がない。
デジタル時代になって、写真さえも、物体であることから開放された。時代は変わったかもしれない。
写真も、映画と同じように、情報だけとして存在している。
何が、言いたいのかというと、‥‥ここで書く文章は、僕の思索であり、進行形なので勘弁していただきたい‥‥
もっとも、僕のなかで、写真とアートの境界線はあやふやだ。どこまでが写真で、どこまでアートだとか、区分しているわけではない。

イメージしたものを、カメラの前に、形あるものとして、存在させなければ、写真は写らない。一休さんが、屏風のトラを出してくれれば、捕らえることができるといったことと同じだ。(でもないか)。写真は頭に想像したものを、目の前に物体として、この世界に存在さてくれれば、撮る事ができる。(CGは、僕は写真だと思っていない。写真をもとにした、スーパーリアリズムの絵画が写真ではないように)
写真は常に現実の世界を観察して、記録し、何かを発見するメディアだ。
現実を切り取り、写真に異化することによって、何かを表現する。
自分でセッティングしてもいい。作られたこと自体が、この世の存在しているのが事実だからだ。
映像も(ビデオ、映画)、現実世界を借りて、ある主題を作り上げることができる。時間と音楽(音)、現実をモンタージュするものだ。(もちろん写真も、そういうふうに作ることもできるが、映像ほど説得力はない)。
例えば、映画だったら、1954年5月25日、とうたえば、タイムマシーンのようにそこに行くことができる。しかし写真はそうはいかない。例えばそういうタイトルをつけても、映画のようにトランスポーテーションはしてくれない。その場面を2005年2月1日に撮れば、写真には、2005年2月1日に、1954年5月25日を演じた、としか写らない。
その映画の一こまを取り出して、プリントすると、不思議なことに写真になってしまう。それは、同じ用意、2005年2月1日撮影した1954年5月25日を演じて、映画のスチール写真ということだ。写真は時間から逃れることはできない。
もちろん、うそをつくことは可能だし、簡単だ。そのうそを利用して、多くの写真はできあがっているのだが。
写真はもっと、世界のなかを見ることに、特化している。本当は構成などはは、二の次だ。
構成は、見方を、主張を、わかりやすく、明快にするためにモンタージュしているだけだ。アートのように見せているにすぎないともいえる。当然アートとしておおく利用されている。しかし写真は写真でしかないと思う。
映画は、写っているフィルムを見ても、映画ではない。一こま一こまは写真だ。それを連続して動かすことによってはjめて映画になる。
だからアートとしての写真、写真をつかったさまざまなn、表現はある意味映画と同じことだと思う。
‥‥そのうちこの件は、もっとまとまった文章にして書きます。論旨不明な文章につきあっていただき、すみません。
誤字脱字勘弁!

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