デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その2
NAVI 2002年9月号 「Girls in Motion」
4x5オリジナル写真
リンホフテヒニカ4x5 プロビア +1増感 CC20G使用
ハンディストロボ使用 15分の1 f22
ブルセラブームの頃、高校生だったリカ。いろんなオッサンを見てきた彼女は、「おかしくって哀しいエロが好き」とくったくなく笑う」インタビュー瀧井朝世
2000年10月から2003年5月まで、自動車雑誌NAVIで「Girls in Motion」というテーマで連載をしていた。自動車雑誌といっても、その連載は自動車とは全く関係ない。ただ、NAVIという雑誌は、自動車だけがテーマではない。自動車のある生活、時代を評論する雑誌である。ただ車の写真は、コマーシャリズムと結びつき、綺麗な写真ばかりがならぶことになる。僕はもっとその時代のリアルなものが、同時に存在することが面白いと思い、連載を始めた。
そこに登場した女性たち、14歳から28歳の女性(Girls)たちは、皆無名だ。数人、わずかに芸能界に携わっていた人も入っているが、どちらにしても無名であることには違いない。なぜ無名か。
僕はその頃まで多くの有名人を撮っていた。昔は有名人はとても遠い世界、ミステリアスな存在だった。しかし今の時代、タレントは少しもミステリアスではない。彼らの情報はあふれている。それに引きかえ、僕の年齢のせいもあるかもしれないが、いわゆる若い女性たちの生活や思考のほうがミステリアスに感じられた。(男もそうだけど)。
僕が年齢がいっているといっても、職業柄、若い人たちとの交流はある。しかし、彼等の話を聞くことは(真面目に)ほとんどない。一体彼等はどんな生活をして、どんなことを考えているのだろうか。(この連載の紹介の一部がある。いくつかしかUPしていないが)
無名の人間に4pもさくとは、ある意味事件でもあった。無名でも、特別な意味のある人間のことではない。ごく普通の女性ばかりだった。ところが、話を聞くと、知らないことばかりだ。いわゆるマスコミに登場する、人たちはそれはマスコミが望む人が登場する。特にテレビは、自分たちの主張、意見を、代弁してくれる、素人を探している。単純な引用ができないメディアだからだ。僕たちはそういう、情報に囲まれている。
この連載で決めたことは、きちんとしたキャスティングをしないということだった。それより、友人の紹介、登場したひとたちの紹介だけにした。その結果、ルックスはともかく、とてもみんなきちんとした人ばかりだった。いや、職業ややっていることは、さまざまだ。そして皆、真面目だった。きちんと自分自身のことを考えている。ここに紹介したリカもネットでは有名な子だ。そして彼女は確信犯だ。
残念ながら、編集長がかわり、このあまりにも車雑誌らしくない、連載は打ち切られた。せっかくこのシリーズによって、他の車や、ファッションの写真のページにリアリティを与えていたのに、また普通の商業誌になってしまった。なんてね。
さて、なぜ大型カメラか。見開きのページはいつも、風景のなかの少女だ。そしてもう1見開きは、右にインタビュー、左にその少女のアップ写真。背景に、説明はない。
この風景のなかの写真は、4x5特有、そして65mmというワイドレンズの世界だ。35mm、ブロニー、デジタルでは絶対に写らない世界だ。写真の世界観は、粒状性より、フォーマットで決まる。粒状性は二の次だ。そして大きなカメラになるほど、いわゆる写真ぽく写る。人間の表情、雰囲気を撮るのは、小さなカメラが適している。ディテールはないほうがいい。モノクロならばもっといいだろう。35mmは感覚的だ。
大型カメラは、存在感が写る。大型カメラを使った理由もそこにある。僕はこの無名な少女たちの表情を撮りたかったわけではない。そこに存在している感じが撮りたかったのだ。だから大型カメラを使用した。
背景のビルが、ゆがんでいるが、これは、65mmのような超ワイドの場合、背面のピントグラスでピントを合わせる。
特にリンホフテヒニカの場合ゆがみやすい。でも僕は気にしていない。若干微妙に、あおられているからである。それはそれで味のようなものである。
さて、デジタルで撮れない大型カメラの世界と書いたが、デジタルのフォーマットも、これから大きくなる傾向はあるだろう。しかし、銀塩と、デジタルの大きな差は、コストパフォーマンスの問題がある。フィルムの場合、35mmと4x5、8x10と、フィルム面積あたりのコストパフォーマンスは、ほぼ同じだ。カメラの値段は、35mmだろうが、大型カメラだろうが、さしてかわらない。安い大型カメラがあるからだ。なにしろカメラ本体だけいえば、手製でもOKだ。
しかも、デジタル最大の弱点は、特に大型カメラでは、耐久性の問題だろう。銀塩時代、大型カメラは一生ものだ。いや極端に言えば、100年、200年たってもつかえる。デジタルは常に減価償却を考える必要がある。
デジタルカメラの性能と価格が安定しても、10年、いや5年たてばもっとあたらしいものがほしくなるだろう。
デジタルになり、フィルムがいらなくなったとしても、大容量のパソコンなり、それなりの投資が必要になる。
そして何より、受光部(撮像素子)、CCD、C-MOSが大きくなれば、コストばかりか、操作性に問題が生じる。
将来、ガラスではなく、フィルムのような、軽るく、薄く、柔軟性のある受光体が発明されれば、そのときこそフィルムが終焉するときかもしれない。銀塩時代のカメラにそのまま、装着できる受光体。35mmサイズから8x10まで。形状はフィルムと同じ。そのときこそ、銀塩時代の終わりかもしれない。
左側のUPの写真は、Contax645 プロビア
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1
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