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2005.02.16

ロバート・キャパ写真展開催中 その2

初日の、ロバート・キャパ写真展「Capa in Color」を見てきた。
日本橋三越は、昔母が好きでよく行ったものだ。三越の思いでは、エレベーターだった。40年ぐらいまえのことだろう。品のいい、エレベーターガールがいて、クランクのようなものを制御していた。
それは、ものものしく、まるで牢屋のような、ケージになっていた。
僕は、エレベーターに乗るのが楽しみでもあり、スリルだった。
それは、エレベーターに乗ると、階に停止する瞬間、体が持ち上がるような、浮き上がるような、そして胸がむかむかする、不思議な体験をすることだった。
三越のエレベーターの特徴(古かったのかな)だった。きっと、停止するスピードの調整が、今のエレベーターよりスムーズではなかったのだと思う。
そして三越大食堂でお子様ランチを食べるのが最高のイベントだった。

そんな三越で、ロバート・キャパの写真展が開催されている。
昨日のブログにも書いたが、世界で最初のカラーフィルム、コダクロームで、キャパが撮ったものだ。
会場は平日だというのに、なかり混みあい、ロバート・キャパの人気を再確認させられた。
そして、会場に並べらカラー写真を見て、僕が想像していた以上に、50年以上、いや60年以上前のカラー写真は、素晴らしかった。ロバート・キャパ本人は、カラーが苦手だったといいながら、それはきっと露出などが難しかったからだとおもうが、どれもかなりしっかりとしたものだった。ロバート・キャパの名作は、すべてモノクロだが、キャパの撮影スタイルは決して、モノクロだけではないような気がした。
キャパの写真はカラーでも同じようにキャパの写真だった。いや、戦時の写真でも、モノクロとは違う世界が写っている。それはきっとキャパが、写真のなかに美的なもの構図的なものを持ち込む気がなかったからだと思う。
多くのキャパの写真(いわゆるキャパの傑作と呼ばれるものを除く)と同じように、その撮り方は、かなり直感的だ。目の前に存在する、ほんのちょっとの好奇心、ほんのちょっと違和感、ほんのちょっとの魅力を感じなら、キャパはシャッターを切っている。撮っているときの気持を想像すると、とてもリラックスしている。
だからこそ、さまざまなものが、ロバート・キャパの前に、飛び込んでくる。
僕はその撮影スタイルが、その間合いの撮り方が、好きだ。
キャパの時代、カラー写真は、まだニュースの速報性のシステムには入っていなかった。
キャパがカラーを撮ったのも、ライフのような速報性を求められる雑誌の依頼ではなく、今でいえば女性誌、一般誌のような、レディース・ホーム・ジャーナル誌のために撮っている。
キャパが撮った多くのカラー写真は、その後あまり評価されることなく、保管されていたが、モノクロの世界ではないカラーの世界で捕らえた、「世界」は、きっと本当は、キャパには世界がこういう風に見えていたんだ、と思えてしまうし、きっと、モノクロよりこちらのほうが、本当だったのだと思う。
この写真展は、単なる企画展というより、世界をジャーナリスティックな目で、初めてカラーで捉えた、写真家の目だいえる。そして、モノクロになった戦争の写真は、過去のできごとのように感じらるが、カラーは、今の時代、今行われてる戦争と、そして戦場で彼等が見る世界は、モノクロームではなく、カラーで眼前に広がっているのだと思えた。
写真に興味がある人は、是非見てもらい。戦争中の写真ばかりではなく、へミングウエー親子の写真、地雷を踏んで死ぬ直前に滞在した、日本での写真、インドシナ、とそれまでモノクロで紹介されていたものと違う、世界がひろがっていて、さまざまなことを考えさせられる。
コダクロームフィルムの発色のよさ。美しい空の色。カラーの美しさに、戦争という「悲惨さ」は、こんな美しい空のしたで行われているのだと思うと、感慨ぶかい。
それは、かつて僕が、初めてサイパンに行ったとき、その空の美しさ、海の美しさ、砂浜の美しさをまのあたりにして、その海に多くの死体が打ち上げられていたと想像したときに、モノクロ写真に写る、重重しい悲惨さではなく、現実はもっと美しい光景のなかに、悲劇は存在するのだと思った。
キャパのカラー写真を見ていると、そんなことを感じた。カラー写真は、美しい。きっとジャーナリストたちは、このカラー写真の美しさに抵抗感があるのだと思う。
カラーで撮ると、戦争さえもハッピーに見える。現実とは、時間と音と、臭いと、物理的な存在(自分の生命を脅かされる)を除いて、映像で表面をだけを見ると、多くの悲惨なものが、美しく見えてしまうという作用がある。
キューブリックの「博士の異常な愛情」のラストシーン、次々と爆発する、原爆、水爆の場面。あの光景は、恐ろしさと同時に、人間の感覚のどこかに、美しさを感じる部分があることを発見する。そしてジレンマにおちいる。
それは、9.11の、ツインタワーが崩れる瞬間の映像。純粋に映像だけで遠くからみると、あの破壊された瞬間は、絶対に美しくみえてしまう。(テレビは、アップすることを拒否することによって悲惨さを、見る側から奪ってしまった)
それは、人間のDNAに組み込まれた感覚だ。
物事は、表面だけをみても本質はわからない。なにより、そのなかから、本質を読み取ろうとするイマジネーションが一番大切だ。表面的に悲惨より、表面的には平和に見えること、そこからさまざまなことを、想像させる写真が、きっと真に写真の力だと思う。
そういう意味で、報道写真家、ロバート・キャパが撮った、そして見た、カラーの世界は、ジャーナリストの世界に対するアプローチも考えさせられる。
今回のすべてのカラープリントは、デジタルプリントだ。かつて、カラーポジ写真をプリントすることは、かなり難しかった。特にコダクロームのような、特別なフィルムからのプリントは、再現性がそこなわれた。しかしデジタルプリントは
コダクロームをそのまま、読み取り、かなり再現できていると思う。
日本で撮った写真のなかに数点、逆版(左右が逆になる)があり、それが問題になっているようだが、そんな枝葉末節なことは関係なく、素晴らしい写真展なので、見る価値があるし、考えさせられると思う。
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●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」

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Comments

初めまして、coolys creekといいます。

「かの大戦」をカラーで見た感慨は忘れられません。

写真展を見てまさに私もそう感じました。

映画シンレッドラインでみた不思議な感覚
を思い出しました。ハイビスカスの花や南太平洋の美しい風景、丘の上の重機関銃がら放たれる曳光弾等々、あれは実際に双方の兵士達が見たであろう光景でしょう。

三越以来、なんかちょっと変わりました。

Posted by: coolys creek | 2005.02.21 01:39 PM

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