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15 posts from March 2005

2005.03.29

リステル猪苗代にスキーに行った スキーとスノボと山男

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ちょっとチャンスがあり、週末バスでリステル猪苗代にスキーをやりに一泊で行った。スキーバスに乗るのは初めてだし、スキーは10年ぶりだった。学生の頃は毎シーズン行っていたが、助手時代の4年間は、当然スキーをする暇はなかったのでやらなかった。フリーになってから、そのシーズンは白馬に行った。当然滑れるつもりで、友人たちとリフトで一番上まで行ったら、下に下りるまでに、何度も転び惨めな気持ちになった。なにしろ当時はまだ、スキーは今のように、器具もやさしくなかったと思う。僕が学生の頃は、メタルスキーでずしりと重く、長さは2mぐらいあった。重くて、長いスキーがやさしいはずはない。僕がスキーを始めた頃、靴はまだ皮だった。笑えるかもしれないが、スキー教室の靴は、紐だった。最新のものでようやくバックルが出始めだった。皮の靴は、濡れるとだんだん水がしみこんでくる。二重にはいた厚い靴下にもしみこんでくる。まだダウンジャケットはなく、当然フリースもない。「想い出の赤いヤッケ」なんていう歌があったが、綿の入ったキルティングだった。寒いときは着膨れてスキーをした。
それでも、スキー場は別世界だった。リフトで上ると、きっと雪山を登る、山男にしか見ることのできない冬の雪山のパノラマ世界が、目のまえに広がった。そんなもの見たことがなく、18歳の僕は、覚えたてのタバコを思いっきり吸った。タバコはよい空気のところで吸うとうまい。スキューバダイビングのあとのタバコもうまいけれど。今やタバコは害ということで、一応僕はさほどすわないが。‥‥。
20歳の僕は、1番に音楽が大切だった。ビートルズ、ストーンズ、ピンクフロイド等々、ロックのことを何でも知らなければ安心できなかったし、美味な食事、いや、切実な食事だった。2番目がスキーだった。3番目が女の子。4番目がなくて、8番目にぐらいに写真だった。そのぐらい、スキーは20歳の僕の生活のなかで重要だったし、夢中だった。ただスキーは今以上に金がかかる。アルバイトをして金をためて友達と行った。たいてい民宿に泊まった。一泊いくらいぐらいだったろうか、忘れたが、2万円ぐらい持って1週間ぐらいは滞在できたろうか。
フリーになり、4年ぶりに白馬に行ったとき、東急ホテルに泊まった。学生の頃、東急ホテルに泊まる客は、とても裕福に思えた。すげー、金持ち、って思っていた。それが実際泊まってみたら、部屋も狭く、たいしたことなかった。
その後また4年間ぐらい毎シーズン行って、ふたたび行かなくなった。その後ふたたび、数年続けて行って、ぴたりと行かなくなった。あきたのかもしれない。撮影で北海道に行ったりして、数回したが、それが最後で10年ぐらい前だ。
一度7年ぐらい前に、撮影でスキー場に行った時、当時流行っていたスノボーをやってみた。
僕は少しスケートボードができるので、すぐにすべることができた。しかし緩斜面で逆エッジになり転ぶと、腰からドスンと落ちて、脳震盪を起こしそうになった。ある程度急な斜面で転ぶには安全だが、緩い斜面で転ぶと危険だと思った。スキーは、ストックがあるし、平らなとこで転ぶことはめったにないが、スノボーはころぶ。それが危険で、若者以外向いていないと二度とすることはなかった。
そのとき、スキー派と、スノボー派は、ファッションからなにからなにまで違うことに気がついた。最近はそうでもないかもしれないが、少なくとも7年前は全く違っていた。それは、ホワイトカラー対ブルーカラー。優等生対オチコボレ。
なにしろ、スキー派は、シティファッションで来て、スキーウエアーに着替える。ところが、スノボー派は、すべるファッションと日常が同じだ。ヤンキーのように、ゲレンデのいたるところで座り込んでいる。貧乏くさく、音楽で言えばヒップホップ。ファッションがだらしがない。だいたい、スノボーをかかえている姿、滑っている姿はかっこいいけど、リフトに乗るとき、片足でスケーティングする姿が無様だ。それというのも最近のはよく見ていないからわからないが、歩くとき固定している足が、進行方向に向いていない。まるで、内股患者のような歩き方になる。
なんて、スノボーの悪口を書きたいわけではない。なぜなら、スノボー全盛のとき、なぜ今までゲレンデにこない人種が大挙押し寄せたのか、不思議だったからだ。ゲレンデの雰囲気がすっかり変わった。それはスノボーをやるやつは、絶対にスキーをしないからだ。いや、スキーをしない連中が、スノボーに魅せられた。なぜか。
僕は、ゲレンデを観察してあることに気がついた。それは、レッスンという問題だ。
スキー教室に入ったとこがある人、またはレッスンを見たことがある人は、知っていると思う。
生徒は斜面に一列に並び、先生の指導を聞いている。言われたとおり、ひとりひとり、順序だってやってみる。
待っている間も、自分のやることをイメージする。それは、まるで日本の学校教育そのものだ。優等生であるほど、上達する。スキーのうまいやつは、たいてい勉強もできる。
勉強のできない、そういうスキー教室のシステム、日本の学校教育のようなやりかたになじめない連中、人種は、だからスキーをやらない。むかつく学校以上の、組織だった、スキーの教育システム。あれになじめないやつは、スキーが嫌いだ。
ところがである。スノボーは、そんな優等生ではない、連中が歓喜して始めた。
スキーとスノボーが何が違うって、スノボーは、スキーのように、斜面に一列になって初心者が並ぶことができない。
ということは、スキーのような教え方ができないということだ。理屈より、まず慣れろだ。体で覚える。
スノボーの初心者を見ていると、スノボーを斜面に真横にして、両足加重でそのまま谷そこまで、横滑りしてゆく。そこがスキーと、スノボーの違いだ。スノボーはそうやって滑っているかぎり、さほど怖くない。階段の上に立っているようなものだからだ。もちろんそのままだったら永遠にターンはできない。ターンをするには勇気がいる。
しかし、スキーは斜面に横になっていたら、滑らない。斜滑降の状態、足の向きのせいで、エッジがきき、それでは静止状態だ。エッジをはずし、横滑りには少しテクニックがいる。初心者にはなかなかできない。
なによりもスキーはまず恐怖から始まる。なにしろ、長い板をはいて、斜面に対して、正面から向き合わなければならない。ひとたび動きだせば、教えてもらわなければ、とめ方もわからない。
唯一最初に教えられる、横に転ぶしかない。スノボーは腰を下ろせば、お尻のしたは雪だ。すぐに止まる。スキーはそのまま腰を下ろしたら最後、スキーに乗ったまま直滑降だ。
等々‥‥。スキーはだから、教えてもらわなければ、最初ができない。
スノボーは何も教えてもらわなくても、最初が怖くない。
もちろん、その後はどちらも、難しいけれど。だとしても、スキーは学校教育のように、システム化する。
やはりスノボーは、まず体で覚えろだ。レッスンも、スキーみたいに10人単位ではやらないだろう。
というわけで、スキーは、ホワイトカラー(頭脳労働者向き)、スノボーはブルーカラー(肉体労働者向き)という、僕の独断と偏見に満ち満ちた、結論である。
もちろん僕は、ほんとうは肉体労働者であるスノボー派だと思う。残念ながら若い時代にスノボーはなかったので、スキーをやっていたが、通ったわりには、劇的に上達はしなかったのは、器具のせいというより、本当はスノボー派だったからかもしれない。
PS リステル猪苗代は、家族向き、子供と来るには最高だと思う。今年は雪も多くとても楽しめた。初体験のスキーバスも快適で、自分の車でゆくよりずっと楽だと知った。きっと来年もやるだろう。
10年ぶりのスキーは、器具もよく、やさしかった。あと数日あったら、かなりちゃんと滑れたと思う。
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「想い出の赤いヤッケ」を思い出したら、「いつかある日」も思い出した。「アルプの歌」なんてのもあった。そして有名な「山男の歌」
昭和20年30年代、の青春っていう感じで好きだ。もう僕の時代昭和40年代でも遠い過去のように甘美な青春という感じだった。山男、なんていまじゃ死語かな。
昔、江古田の日芸の前に、シャトーという喫茶店があった。そこに美人ママがいた。
雰囲気は、フランスの女優、アヌーク・エーメ。決して大げさではなく、ほんとうに雰囲気のある30代の女性だった。
2階にあったその喫茶店には、ヨーロッパの城の1mx2mぐらいの大きな写真が飾られていた。その城には、いいつたえがあり、戦地に行った王を、妃は死ぬまでまっていたということだ。
シャトーのママにほれた男がいた。まだ若い学生だ。するとママは言った。私の恋人は山で遭難したの。
捜索し、ずっとまったけれど帰ってこなかった。どこで死んだかもわからない。
そして私は体を壊してしまった。あなたを恋人にすることはできないわ、と。

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2005.03.26

移動の多い一日

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10時にバスに乗り渋谷に向かう。渋谷から山手線、新宿で埼京線にのりかえ板橋に行く。打ち合わせをしていると、突然沼津の友人から携帯に電話が入る。会いたいと言う。銀座で待ち合わせることにする。打ち合わせが終わり、池袋にでて山手線の乗る。東京駅に止まった瞬間その友人から電話が入り、八重洲南口についたという。すぐに電車を下りておちあい、タクシーで銀座に行く。銀座松坂屋にゆき、その後新橋演舞場の近くに行く。それからタクシーで新橋駅まで行って、銀座線に乗って、渋谷に行く。渋谷から井の頭線で、駒場東大前。用事を終えて、松見坂の近くで、皮膚科にゆく。モモに以前虫にさされたところが、化膿して腫れてしまい、見てもらう。それから、バスに乗って三軒茶屋に行く。そこでN氏と会う。‥‥なんて書いても、今日一日何をやったのかわからないと思うが、とにかく移動の多い日だった。実はまだおわらず、その後、家に戻り、車で恵比寿に行って、中目黒で食事をして、帰ってきた。まあ、あちこち行った日だ。夜のサッカーを見た。いやー、負けてしまったかとがっかりする。
10チャンネルとBSで中継をしていたが、10チャンネルは、興奮しながら応援できて楽しいが、解説がだらだらしていて、誰にボールが回っているのかわからず、やはりBSで見ることにする。静かな中継だが、プレーはよくわかる。
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バス停でノーファインダーで撮影した老人。レンズはどれも、EF35mmF2.0。四角い写真はトリミングをしている。ブログには縦位置もしくは、正方形のおさまりがよい。

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明日は6時起き、7時出発。行動を理由を書かずに、移動だけ書くと、一体何をしているんだと思うが、実際はそれぞれに理由があるわけだ。上の写真は、渋谷に行くバスのなかで撮った。美人じゃないが、横顔に惹かれた。


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2005.03.24

レッド・ビー・シュリンプ 鑑賞エビ

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友人が、ブリーディングをしている、観賞用エビ、レッド・ビー・シュリンプを撮影した。
今一番人気のある、鑑賞用の甲殻類だそうだ。
もともとは、赤い部分が多く、そのほかは部分は透明だったそうだ。それを交配することによって、しだいに透明部分に白がのってきた。そして現在のように、かなりの部分が白くなっている。
このエビは、平成3年、愛知県のすし屋である、鈴木久康氏の水槽から突然変異で誕生した。今爆発的に人気がではじめている。改良を加えられ、白色部分が、まるで大理石のように分厚い種類も繁殖している。
体調約2センチ。水槽用の蛍光灯で、90mmのマクロレンズで撮ったが、もっとアップで撮るには、エクステンションチューブがいるだろう。
(訂正、実はリミターがきいていて、実際は等倍までよれることが判明)
これだけ小さな被写体だと、被写界深度も浅く、感度もISO800ぐらいにしないと撮れない。これはもう、ストロボで撮影しなければならないだろう。
レッド・ビー・シュリンプのこのように白色部分の多いものは、数十万円もするという。僕の知らない世界だった。友人も引っ越したばかりで、状態は完全ではないそうだ。数週間後にはかなり条件がよくなるとのことで、マクロにチューブをつけて、今度はストロボで撮ってみようと思っている。
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2005.03.20

横木安良夫Blogトピクス

今までのBLOGからトピックス
3月3日から12日まで、アメリカウエストコースとに行った。
超広角レンズのゆがみを取る方法?
横木安良夫 ベトナム撮影ツアー募集今年に6月に、ベトナム撮影ツアーを計画している。
ロバート・キャパIN SAIGONリチャードウイーランの伝記では、キャパは、1954年4月、日本滞在後、バンコクからハノイに行っていると書かれているが、実際はサイゴンから、ベトナムに入っている。
■「ロバート・キャパ最期の日」のBLOG
キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」ポールサイモン
ロバート・キャパ写真展「ロバート・キャパ・イン・カラー」 その1に行く
●「僕のコダクローム 真行寺君枝」

●「僕のコダクローム 沢田研二」
「M7.3子供たちがみたもの」TOP 阪神大震災から10年、当時まだ幼く何も語らなかった彼等は今十代になり、震災について何を重いっているのだろうか。その本についてのブログ。
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1

2mフォトグラファー、小堀正一
ポラロイド195ランドカメラとネガつきポラロイドモノクロフィルムType665
怪獣映画「ゴジラ誕生50年だったな」
流行通信
40年以上も前のクリスマス
ベトナムのモデル1
ベトナムの女優写真
ベトナムNo.1の歌手、ミイ
タム

ベトナムのモデル2
ピンクレディ キンスマ
ピンクレディ2
若いお巡りさん
横木安良夫のHomePage
横木安良夫のプロフィール 詳細をUPしています
デジタルカメラで作る、本格的な写真集の作り方「デジで本」

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2005.03.17

超広角レンズのゆがみ補正

前回のブログで、「何かへんだ、わかるかな」と書いたが、コメントにもあったように、これは「アオリ」補正をしている。といっても、大型カメラや、シフトレンズではなく、あくまでフォトショップによる後処理だ。ただ、結果的には、撮影時の補正と理屈は同じことになる。
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上の写真は、オリジナルで、焦点距離11mmのレンズで撮っている。APS-Cサイズで撮っているので、フルサイズだと18mmぐらいだろうか。こういう大きな建築物をしたから見上げるように撮ると、建物はこのように極端な先細りに写る。超広角レンズの基本的なテクニックは、なるべくカメラの受光面を垂直に保つことだ。そうすれば、周辺の、ゆがみは若干でても、基本的に垂直に立つ物は、垂直に写る。そのためには、このような大きな建物を撮るには、アングルを上げなければならない。しかしそれが無理な場合、大型カメラならば「あおり」を使って補正する。35mmレンズでもシフトレンズだならば可能だ。それが、デジタルカメラの場合、後処理でゆがみを直すことができる。
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大きな写真
修正したい写真をフォトショップ上で開き、長方形の選択ツールで全体を選ぶ。それから「イメージ」の変形から「ゆがみ」を選択する。あとはいろいろ試し見ればわかるだろう。ただ、やりすぎるとわざとらしくなる。実際はほんの少し修正するぐらいに抑えたほうが自然に見える。下の写真は、ちょっとやりすぎていると思う。
問題は、極端な修正は、部分的な画像の拡大になっているので、不自然になることだろう。ただ、少しの修正ならば気にならない。実際は、超ワイドで撮って、撮影時に「アオリ」補正しても、やりすぎれば、不自然になる。
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前前回のブログの松村氏の、モノクロ写真は、撮影時に補正している。まあ、デジタルだと特別シフトレンズを使わなくても、このようなことはできるということだ。
それと、蛇足だが、超広角で撮った写真は、どこか不自然な気がすると、思うが、ちょっとWEB上ではわかりづらいが、大きめの写真をで試してもらいたいことがある。それは、ワイドで撮影された写真を見るとき、その撮影ポイントからその写真を見ることだ。かなり近づいて見ることになるが、不思議なことに撮影した場所から見ると、パースペクティブは自然になる。撮影ポイントより、離れた場所で見るから大きくゆがんでいるように見えるわけだ。
意味がわかりずらいかな?ワイドで撮った写真を、通常見る距離の半分ぐらいに近づいて見るといいかもしれない。
すると、ワイドの遠近感が消えるという意味だ。ワイドで撮った写真は大きくすれば、大きくするほど自然に見える。


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2005.03.16

TTの特殊撮影inLasVegas

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もう、日本に戻っているけれど、ラスベガスのホテルの部屋で16歳の日本人少女を撮った。上は僕が撮影。
leonaselfroom
そして彼女自身がセルフタイマーで撮影した、TwilightTwistだ。当然彼女が自分でライトを持ち、自分にライティングしている。
これは、とても面白いセッションだった。作品になる。
ところで、前回のブログの写真、どこか変だというのは、わかったろうか。答えはまだ言わないが、松村氏のモノクロ写真と、その前の日の写真がヒントだ。

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何か変だ!わかるかな。

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大きな写真
さて、この写真何かがおかしいことがわかるだろうか。ヒントは、前のブログを見ること。
HearstCastle CALIFORNIA STATE PARKS USA 

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2005.03.15

新宿ニコンサロン写真展

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東京に戻っている。時差がなかなかとれない。昨日は、新宿ニコンサロンで開催されている、松村明氏の写真展「眺めの行方」をぼんやりとした頭で見にいった。最終日、4時までだったのでそのまえの打ち合わせをあわただしく終え向かった。ニコンサロンは、昔は京王プラザの1階にあった。どちらかというと、あの場所のほうが、好きだったが時代だ、しかたがない。
写真は東京の街を撮った、モノクロ45点。バラ板でプリントした小全紙のプリントと、大判のRCペーパーにプリントした写真が展示してあった。
バラ板のプリントは松村氏自らのプリントだ。さすが、年季の入ったベテラン写真家のプリントは美しい。シーガルの温黒調、もう販売されていないという。
松村氏は1946年生まれ、カメラ毎日の編集者を経て、イーストマンハウス国際美術館で写真美術学を学んでいる。撮影活動も精力的で、「路地を抜けると」という神田を撮った写真集もある。今回は昨年撮影した、今の東京を、中盤と4x5で撮影した美しいモノクロ作品だ。新しいもの、古いものという、対比というより、(ポストカードの写真はあまり人物が写っていないが)そこに今生きている人間がうごめくさまが、多くの写真に写りこみ、人物の動きにはちょっとしたドラマが感じられる。それが美しいモノクロプリントによって、現代と過去がすでに記憶になったものとして交錯している。もう終わった写真展、どこかでもう一度みたい。
松村さんは、ことし毎日新聞を退社して、春から福岡で大学の先生をするという。
今のこの撮影スタイルで、どんなふうに福岡を撮るのか興味がある。奥さんの出身地、長崎も撮っているそうだ。結婚もうすぐ30年、ご一緒して新宿で楽しくお酒を飲んだ。

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2005.03.11

USA-6 脅威のHeastCatle 


3月9日、ラスベガスを昼前にたち、15号線をロス方面に向かう、途中101号に乗り、目的地のサン・ルイズ・オビスポに行く。海辺の美しい町。朝6時に起きて、まだ日が昇らない周囲を撮影する。BestWesternとうモーテルに泊まった。かつてはモーテルといえば、50ドルぐらいで泊まれたが、いまや100ドルぐらいもする。それでもネットのディスカウントだ。ホテルはどこも、インターネットはランで使える。ここも無料だった。
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3月10日、今日の目的地は、19世紀中ごろから、20世紀中盤に活躍した、アメリカの新聞王(メディア王)ウイリアム・ランドルフ・ハースト(1863-1951)のお城の、HearstCastleを見ることだった。それはアメリカの夢だった。採掘技師だった父親は財をなし、教養のある母親に世界を教えられる。子供時代母親に、バッキンガム宮殿のなかになぜ入れないのかその理由を聞き、だったら買ってしまおうと言ったそうだ。母親は金では買えないものがあるとさとしたという。ハーストといえば、映画にもなった「市民ケーン」のモデル、イエロージャーナリズム、などと諸悪をつくしたメディア王という面が、歴史のなかで燦然と輝いている。そんな彼が56歳のとき、それまで親に止められていた、お城づくりを始める。世界中の美術品、工芸品を、かいあさり、こどものころからキャンプした、想い出の丘に壮大なお城、夢を作くりはじめたのだ。ハーストのこの土地は、東京都の半分ぐらいもあるという。ちょっとその広さは想像がつかない。女性建築家と2人3脚でつくったが、28年もかかったという。ハーストは美術品ばかりか、世界中から動物も集めたという。完成したときには、すでに84歳。88歳までいきたが、この宮殿で毎日のようにパーティをした。招待された客の部屋に衣装も用意され、サイズが合わないとお針子がすぐに来てなおしてくれたという。その服は当然持ち帰りだ。ハーストは多くの有名人を招待した。チャップリン、クラークゲーブル‥‥。映画会社も持ち、愛人であるマリオンデイビスのために50本近くの映画をつくったといわれている。ハースト・キャッスルに招待された客は、いろいろなルールがあったとう。酒は飲んでも酔ってはいけない。客は自分たちの部屋でパーティをしたそうだ。ただここには、10mx10mの四角の巨大スクリーンのある、映画劇場があり、普通の映画館の広さだ、義務としてそこで毎日映画を見なければならなかったらしい。上映される映画は、すべて愛人の主演する映画だとおう。長くここに泊まった客は、同じ映画ばかり見せられるので、せりふまで覚えてしまったという。しかし、劇場の座席はゆったりとしたビロード張りの大きな椅子で、みなしっかり昼寝ができたそうだ。そしてもう一つのルールは、夜のディナーには絶対に参加しなければならない。そのとき、酔っていてはいけない。少なくともシャンペングラスをきちんと持てなくてはならなかったようだ。当然皆部屋でパーティをやっていて、飲んでいるの口にコロンをふりかけ、臭いを消したという。ハーストのその毎夜のパーティも、高齢であるハーストにとっては、本当はどのくらい楽しかったのかはわからない。後に、この王宮を造っていたいときが、一番楽しかったと語っている。残された写真を見ても、顔ぶれは変わらず、きっと短い間のことだったのかもしれない。富と名声を得て、そして子供の頃からの夢だったお城づくり。でもそれを得た瞬間、そして招待した客のマナーの悪さに、いつもいらいらしていたようだ。ヨーロッパの歴史と伝統に憧れ、アメリカと言う土地に、本物と偽者を混ぜ合わせて作った、この建物は、どこか安手の臭いがする。同じお金をかけて、当時の現代アートを集め、そのときの現代建築をつくったならば、歴史上の素晴らしい遺産になったと思うが、まるでディズニーランドのような、フェイクそのままのたたずまいまいはどこかさびしげだった。
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ハースト家といえば、1974年、このお城作ったハーストの孫娘、パトリシア・ハースト誘拐事件だ。誘拐された娘がいつのまにか、誘拐側になり、強盗事件も起こしてしまう。結局逮捕され、裁判になって有罪になるのだが、マインドコントロールされたと主張した。
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この広大な土地と施設は、ランドルフ死後しばらくして、カリフォルニア州にその運営をまかせたという。使用権、運営、開発はカリフォルニア州だが、所有権はいまでもハースト家が持ち、今でもこの広大な土地のどこかに、ハースト家の別荘があるそうだ。

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2005.03.09

USA-5 サクラメントからラスベガス

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3月7日、サクラメントを、午前8時にでて、5号線を南下。そして99号線上の、ベーカーズフィールドに向かう。途中朝食を取る。アメリカの朝食レストランの食事はわりあい僕は好きだ。朝からコーラを飲む。光が綺麗だったのでノファインダーで接写。まあまあかな。ストローの長さが、いまいちだけど、それに黒い影、実はレモン。そこは少し光を当てるか、角度をかけるとかすればよいかな。
写真を撮るのが目的のきままな旅。この季節まだヨセミテは雪-4があるし、グランドキャニオンは遠い。別に特別有名な場所である必要もないのだが、3泊の旅で走れる範囲を地図で眺めると、そこにラスベガスがあった。う。以前一度行ったことがあるが、しかしそんなことをしていては、撮影はできない。ラスベガスの街は、はりぼてみたいで、写真としてはあまり魅力的ではない。ただ、ラスベガスは、アメリカのなかでも食べものは美味しいし、そこにたどりつくまでに写真になるものが多いという結論を導き出していた。
ベーカーズフィールドは、サクラメントから400キロぐらい。時々写真を撮りながら、それでも3時過ぎにはついてしまった。アメリカの田舎町。かつては石油で賑わったの、のだろうか。それにしても、その後の食事には辟易とした。昼は、タコスのチェーン店。しかたがない。それしないのだ。
街の中は、モールや、ショッピングセンターと、アメリカのどこにでもあるこぎれいな田舎町だ。しかしこのあたりは石油がかなり産出したらしい。古いたてものが、街の周辺に残っているので撮る事にした。町外れに、巨大な乳牛の牧場があった。地面は牧草ではない。広大なフェンスのなかに、乳を張らせた乳牛が大量に放されている。地面は耕したような黒い土だ。写真を撮っていると、興味深げに何十頭もよってきた。
夕食は、シズラー。シズラーは日本ではファミレスのなかでもよいほうだと思うが、そんなつもりで、はいったら、すぐにまるでファーストフードのように、メニューをチョイスしなくてはならない。何?と思ったが、昼はまずいタコスだったので、違う店に行く気はなく、レジにならんだ。その種類も、ステーキと、リブ、シュリンプのフライ。フライドポテト。まずい。アメリカにはナゼ、ハンバーガーがあるのに、ハンバーグステーキはないのだろうか。いつも不思議だ。かなりまずい肉だって、ハンバーグならば食えるし、実はシズラーならばあるかもと思いこんでいたが失敗。
夕食後早々とホテルに戻る。ハイヤット系のモーテルよりはすこしましなホテル。
何もすることがないので、写真の整理をしてすぐに寝る。9時ごろかな。風邪がなかなか治らず苦しい。
声がきちんとでない。人と話をするのが苦痛なのでだまっている。
翌3月8日(カリフォルニア時間)朝、7時、ホテルを出発。一路ラスベガスに向かう。
朝食は、ホテルのロビーにある、セルフのコーヒー、フルーツ、ヨーグル、パン、マフィン、などがあるのではらごしらえをした。さて、一路ラスベガス。途中に、ゴーストタウンという場所があった。そんな不気味な名前が地名なのかわからないが、地図にはそう載っている。
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ハイウエーを外れて数キロ、なんとまるでディズニーのアドベンチャーワールドのような、古い西部の町が、本物の背景の前に広がっている。きちんと入場料も取る。実はここは、1800年代後半は、銀などが採掘され、最大時には3000人ぐらいの住人がいたという。単純なテーマパークではなかった。ぐるりと写真を撮る。
その後、昼食を取るためこんどは、デニーズに入った。日本のデニーズはイトーヨーカ堂資本だったろうか、かつてアメリカのデニーズも日本と同じロゴを使っていたが、なにしろももともとはアメリカのものだ、セブンイレブンも同じ。しかしカリフォルニアにあるデニーズは、日本のデニーズとロゴマークがかわってしまった。もちろん内容は、日本とは関係ないし。限りなくまずい。きたない。しかし、長くいるとこのことに慣れてしまうのだろう。
3時には、ラスベガスに到着した。ネットのディスカウントで150ドルの部屋。ところが、男二人だというのに、ゲイだと間違えられたのだろうか部屋をアップグレードしてくれた。理由はわからない。君たちはラッキーだと言われた。部屋は巨大なリビングのあるスイート。実際は1000ドル以上もする部屋だそうだ。この部屋で、我々は何をすればよいのだろうか。
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リビングルームの半分、これに二つのキングサイズのベッドルーム、二つのジャグージー、二つのバスルームがつく。

ギャンブルの街にきたが、無粋にもギャンブルはやらない予定。
夕方まで街の周囲を撮影。どの町でもいえるけれど、町の中心街より、外れた場所が好きだし、フォトジェニックだと思っている。それは日本に限らず、海外でも言えることだ。
いや、いまやラスベガスは、ギャンブルタウンじゃない。非情にリーズナブルに家族で遊びに来る場所でもあるそうだ。
しかも、今、全米のなかでも、ここに住むことがトレント?だといもいう。なぜならば、安い税金、程度の高い公立学校、文化施設、安全、そして物価が安いかどうかはわからないが、さまざまな生活コストは高くないという。そして何よりもここは、都会だ。そのためラスベガスは爆発的に郊外に住宅ができはじめているそうだ。

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2005.03.07

サクラメント アメリカ USA-4

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3月5日は、日本ではすでに6日。天気快晴。朝から晴れ渡る。気温は前日の10℃ぐらいからぐんぐんあがり、昼間は20度を越す。サクラメントの女子高校生を二人撮影する。
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明日からは、5号線を南下して移動しながらの撮影をする。

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サンフランシスコ USA-3

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3月5日のサンフランシスコは晴れだ。この日も友人の住むサクラメントから車で2時間弱かけて、サンフランシスコに向かう。サクラメントは霧に包まれていた。途中から霧は晴れ、快晴。サンフランシスコにもほとんど雲がないが、少しガスがかかっている。 
映画ダーティハリーのなかで印象的なシーン、ロンバード・ストリートという、くねくねの道から、コイトタワーに向かって撮影する。コイトタワーは、消防の放水ノズルに似た形の塔だ。サンフランシスコに来るたび、驚くことは、なぜこんなに丘だらけ、急坂だらけの土地に、碁盤の目の都市計画がされたのだろうかということだ。現代のくるまだからやっと上れる坂もある。ロンバートストリートも、かつてそんな急坂を下りられるクルマがなかったかららしいが、それにしても、この道路の作り方は異常だ。しかし、だからこそサンフランシスコ風景があるのだし、ケーブルカーが発達したのだろう。土地のでこぼこを徹底的に無視した、碁盤の都市計画のよいところは、どこにいても、すぐにいろいろなルートで目的地につくことができる。そのせいで、サンフランシスコの街の中に、渋滞が少ない。
サンフランシスコには、ホテルに関して二つの想い出がある。それはある車の広告のロケハンのときだ。ロスから、車の撮影地を決めるため、宿泊予定の決まらない気ままな旅をしていた。そのため、あぶなく夕食をたべそこないそうになったり、誰も客のいないモーテルに泊まったりと珍道中を続けていた。
そしてついにサンフランシスコに到着して、やっとまともなホテルに泊まれると皆で安堵したが、そんな旅のしかたのむくいか、理由はわからなかったが、サンフランシスコのどのホテルも満室だった。コーディネーターの読みの甘さもあるが、まだ携帯電話がない時代のことだ。まさかサンフランシスコのような都会に部屋がないとは誰も考えもしなかった。このまま郊外に戻らないと寝る場所がないと途方にくれた。それでもようやく見つけたのが、パークハイヤットだっただろうか、スイートと、まるで女中部屋のような小さな部屋の二部屋だった。結局定員だけチェックインして、あとはソファに雑魚寝した。僕はスイートのベッドに寝たので何の問題もなかったのだが。
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もうひとつの想い出は、その数年後、今はないが、「STYLING」とう、高級雑誌でサンフランシスコとニューヨークの取材をした。サンフランシスコでは、ヒルトンホテルの高層階にあるスイートの屋外ガーデンで撮影をした。
宿泊は、丘の上にある、重厚なホテル、ハンティントンに泊まった。当然そこでも撮影した。エレベーターガールが、その道何十年の老婆だったろうか。僕はライターの女性と二人でディナーを食べるために、すこしめかしこんでエレベーターに乗った。すると老人が話しかけてきた。僕がホテルのなかで撮影していたことを見ていたのだ。
老人は「私は今から家内と食事に行くが、帰ってきたら是非自分の部屋の写真を撮って欲しい」という。
「実は今日は、結婚記念日で、このホテルの○○号室には、新婚以来、毎年かかさず二人で泊まりにくる、想い出の部屋だ」という。
なんとロマンチックな話だろうか。そんな老夫婦の想い出ふかい部屋の写真を撮るなんて、光栄だし、こういう古いホテルにはそういう想い出がいっぱいにつまっているんだなと、感心したりしていた。もちろん僕は快諾した。
ただ奇妙なことに、僕がご夫婦二人でも一緒に撮りたいというと、いや、部屋だけを撮って欲しいという。
そして夜、約束した部屋に僕は4x5カメラを持ち込んだ。僕の泊まっている部屋より狭いが、それでもゆったりとした素敵な部屋だった。新婚の夫婦が泊まるには、十分な豪華な部屋だった。鏡の横には大きな花が花瓶に飾られていた。
老人はひとりで僕を待っていた。そして好きなように撮ってくれという。僕は数枚撮影した。本心は老夫婦のポートレイトも撮りたかったが、固辞された。
そして異様なことにも気付いていた。それはクローゼットを見ても、女性のものがなにもないからだ。どうみてもその老人一人でこの部屋に泊まっているようだった。
老人は始終にニコニコしていた。僕は担がれたのだと思った。ぼくは彼の真意を聞きたかった。しかし聞くことはできなかった。十分想像できたからだ。ただの頭の狂った老人ではない。きっと新婚以来この部屋に宿泊することは本当のことなのだろう。ホテルの従業員が彼に対する態度の優しさから、毎年この日に泊まりにくることが本当だと思えた。
その妻がすでに死んで、その想い出を、二人の約束を果たすため、こうやって一人になってもこの部屋に泊まりにくるのだと。
きっと今だったら、僕は、従業員にたちに聞き、その僕の妄想を確かめたと思う。しかしその頃の僕は、この素敵なエピソードにであっただけで、それを誰かにさらに詳しく聞いて、事実を補強する気持ちなどさらさらなかった。いや、ただの頭のおかしい老人なんだよと、笑われるのが怖かったのかもしれない。
そのとき撮った写真はどこにあるだろうか。当然、「STYLING」という本にはその写真は載らなかった。ハンティングトンホテルの写真はもっと豪華な違う部屋が雑誌には掲載された。

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2005.03.05

サンフランシスコ USA-2

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朝、8時にサクラメントをでて、サンフランシスコに向かう。小雨、そして曇り。バークレイのあたりで、朝の自然渋滞。片側6車線もあるのに、渋滞する。彼等は毎日こんな生活をしている。まあ、日本だって、朝の湾岸線のぼりは似たようなものだ。しかし日本の高速は乗ったら最後、下りることはできないが、アメリカのフリーウエーは、いたるところで下りることができる。そして渋滞していながら一番左側の車線はなぜか空いている。まるで東京のバスレーンのように。時折クルマが疾走してゆく。それは、CAR POOLとい決まりで、ラッシュアワーの決められた時間、普通の車は3人以上でなかれば走れない。罰金はたしか271ドル。かなりのものだ。よくみていると、三人以上乗っていないくるまもある。当然それは違反だ。この仕組みは、30年以上前、はじめてロスアンジェルスを走ったときにしった。ロスの渋滞もすごい。そのとうじは、その法律を破るものはだれもいなかった。それがどうだろう、今やかなりのクルマが3人未満なのに走っている。初めてアメリカの高速を走ったときに、いや高速道路にかかわらず、一般道でもそうだったが、ハワイのような島でもそうだが、運転マナーが皆とてもよかった。その当時、日本ではかなりとばしていた僕は、アメリカ人の順法精神に感銘を受けた。デモクラシーとは法律を守るところから始まるとさえ思った。しかしいまや、マナーは日本なみだ。
雨のサンフランシスコを、ぐるっとロケハン。明日は天気がよいので、撮影ポイントを決めるだけにする。別に特別な場所をとるわけではない。ゴールデン・ゲイト・ブリッジのような観光ポイントにもゆく。いろいろロケハンして、3時ごろサンフランシスコをでる。今日は金曜日、夕方のラッシュは早い時間から始まるから、それをさけるためだ。
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サクラメントに戻るには、ベイブリッジを渡る必要がある。この橋は、古い映画だが、ダシティンホフマンのデビュー作「卒業」にでてくる。結婚式に望む彼女に会うため、そしてその結婚を阻止するため、彼は教会に向かう。彼の乗る、アルファロメオスパイダーは、バークレー方面に向かう。カメラはアルファロメオを空撮で追う。
そのとき、サンフランシスコに住むひとたちは違和感を覚えたという。当然僕はわからない。それは、サンフランシスコからベイブリッジをバークレー方向(サクラメントも同じ)に向かうには、二階構造の橋の下の道路を走ることになる。(写真がバークレー方向に向かうベイブリッジ)実際はバークレーに向かっていたのに、突然戻っている映像を見て、サンフランシスコのひとたちは違和感を感じたという。まあ、映画そのぐらいのうそをつくことは、普通のことだろう。あくまでそれはフィククションだからだ。
夜は、サクラメントで一番うまいと言われている、メキシコ料理で食事をした。

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2005.03.04

アメリカ入国 USA-1

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久しぶりのアメリカ入国。サンフランシスコのイミグレーションは、かつてはかなりの時間待たされた。システムがよくなったせいだろうか、さして並ぶこともなく審査になる。審査官は、ニコニコと態度がよい。
いくつかの質問、すると帽子とメガネを取ってくれと言う。素顔のチェックかなと思ったら、自在足がついた、小型カメラの前に立てという。それをパソコンに取り込んでいる。そして、両手の人差し指の指紋をスキャニングする。もうこのさい人権もなにもない。僕はアメリカ政府に顔と指紋を登録された。きっと犯罪を犯せばすぐに足がつくだろう。
成田の、手荷物検査は簡単だったけれど、サンフランシスコからサクラメントへの国内線利用の、手荷物検査はかなり徹底している。まず靴を脱いではだしになる。そしてジャケットを脱ぐ。ベルト、時計。パソコンは裸にしてトレイにのせる。そうやってX線検査を、はだしの僕は金属探知機のゲートを通る。無事通過。
サンフランシスコ天気はうす曇、気温は10度ちょっとだろうか。東京よりはずっとあたたかい。その後、サクラメントまで40分ほどのフライト。満席だった。隣に、かなりのデブが座わり、まったく動けない時間を過ごした。友人に出迎えてもらい、レンタカーを借りる。今日はその友人のところに泊めてもらうことにした。
サクラメントは、カリフォルニア州の、州都だ。ゴールドラッシュの頃栄えたまち。オールドサクラメントは、いまや観光スポットだが、ビクトリア風の建物がたくさんのこっていた。
時差ぼけのせいだろうか、それとも数日前にひいた風邪が悪化したのかもしれない、医者に処方された薬を飲んでいるが、だるくて眠い。今日は早く寝る。

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2005.03.03

撮影旅行 サンフランシスコ サクラメント

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3月3日から、約10日間、アメリカ西海岸、サンフランシスコ、サクラメントに撮影旅行にゆく。内容は秘密だけれど、10日間の撮影日記は、UPしてみるつもりだ。途中、くるまで、ロードムービーのように移動して撮影するかもしれない。撮影の準備をしながらも、昨年ベトナムに行って、少数民族を撮った写真を整理している。上の写真は、ベトナムの首都ハノイから列車で10時間、中国国境の町、ラオカイからクルマで4時間、バクハという、花モン族が多く住む土地だ。そこの学校の敷地、たしか日曜日だったと思う、その近く子供たちは校庭で遊んでいた。その中の少女に僕はひきつけられた。警戒する目。じっと見ているので、最初ノーファインダー撮影をしていたが、腰をかがめて、普通にポートレイト撮影。すると突然大声をあげて、カメラから逃げだした。

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