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2005.03.29

リステル猪苗代にスキーに行った スキーとスノボと山男

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ちょっとチャンスがあり、週末バスでリステル猪苗代にスキーをやりに一泊で行った。スキーバスに乗るのは初めてだし、スキーは10年ぶりだった。学生の頃は毎シーズン行っていたが、助手時代の4年間は、当然スキーをする暇はなかったのでやらなかった。フリーになってから、そのシーズンは白馬に行った。当然滑れるつもりで、友人たちとリフトで一番上まで行ったら、下に下りるまでに、何度も転び惨めな気持ちになった。なにしろ当時はまだ、スキーは今のように、器具もやさしくなかったと思う。僕が学生の頃は、メタルスキーでずしりと重く、長さは2mぐらいあった。重くて、長いスキーがやさしいはずはない。僕がスキーを始めた頃、靴はまだ皮だった。笑えるかもしれないが、スキー教室の靴は、紐だった。最新のものでようやくバックルが出始めだった。皮の靴は、濡れるとだんだん水がしみこんでくる。二重にはいた厚い靴下にもしみこんでくる。まだダウンジャケットはなく、当然フリースもない。「想い出の赤いヤッケ」なんていう歌があったが、綿の入ったキルティングだった。寒いときは着膨れてスキーをした。
それでも、スキー場は別世界だった。リフトで上ると、きっと雪山を登る、山男にしか見ることのできない冬の雪山のパノラマ世界が、目のまえに広がった。そんなもの見たことがなく、18歳の僕は、覚えたてのタバコを思いっきり吸った。タバコはよい空気のところで吸うとうまい。スキューバダイビングのあとのタバコもうまいけれど。今やタバコは害ということで、一応僕はさほどすわないが。‥‥。
20歳の僕は、1番に音楽が大切だった。ビートルズ、ストーンズ、ピンクフロイド等々、ロックのことを何でも知らなければ安心できなかったし、美味な食事、いや、切実な食事だった。2番目がスキーだった。3番目が女の子。4番目がなくて、8番目にぐらいに写真だった。そのぐらい、スキーは20歳の僕の生活のなかで重要だったし、夢中だった。ただスキーは今以上に金がかかる。アルバイトをして金をためて友達と行った。たいてい民宿に泊まった。一泊いくらいぐらいだったろうか、忘れたが、2万円ぐらい持って1週間ぐらいは滞在できたろうか。
フリーになり、4年ぶりに白馬に行ったとき、東急ホテルに泊まった。学生の頃、東急ホテルに泊まる客は、とても裕福に思えた。すげー、金持ち、って思っていた。それが実際泊まってみたら、部屋も狭く、たいしたことなかった。
その後また4年間ぐらい毎シーズン行って、ふたたび行かなくなった。その後ふたたび、数年続けて行って、ぴたりと行かなくなった。あきたのかもしれない。撮影で北海道に行ったりして、数回したが、それが最後で10年ぐらい前だ。
一度7年ぐらい前に、撮影でスキー場に行った時、当時流行っていたスノボーをやってみた。
僕は少しスケートボードができるので、すぐにすべることができた。しかし緩斜面で逆エッジになり転ぶと、腰からドスンと落ちて、脳震盪を起こしそうになった。ある程度急な斜面で転ぶには安全だが、緩い斜面で転ぶと危険だと思った。スキーは、ストックがあるし、平らなとこで転ぶことはめったにないが、スノボーはころぶ。それが危険で、若者以外向いていないと二度とすることはなかった。
そのとき、スキー派と、スノボー派は、ファッションからなにからなにまで違うことに気がついた。最近はそうでもないかもしれないが、少なくとも7年前は全く違っていた。それは、ホワイトカラー対ブルーカラー。優等生対オチコボレ。
なにしろ、スキー派は、シティファッションで来て、スキーウエアーに着替える。ところが、スノボー派は、すべるファッションと日常が同じだ。ヤンキーのように、ゲレンデのいたるところで座り込んでいる。貧乏くさく、音楽で言えばヒップホップ。ファッションがだらしがない。だいたい、スノボーをかかえている姿、滑っている姿はかっこいいけど、リフトに乗るとき、片足でスケーティングする姿が無様だ。それというのも最近のはよく見ていないからわからないが、歩くとき固定している足が、進行方向に向いていない。まるで、内股患者のような歩き方になる。
なんて、スノボーの悪口を書きたいわけではない。なぜなら、スノボー全盛のとき、なぜ今までゲレンデにこない人種が大挙押し寄せたのか、不思議だったからだ。ゲレンデの雰囲気がすっかり変わった。それはスノボーをやるやつは、絶対にスキーをしないからだ。いや、スキーをしない連中が、スノボーに魅せられた。なぜか。
僕は、ゲレンデを観察してあることに気がついた。それは、レッスンという問題だ。
スキー教室に入ったとこがある人、またはレッスンを見たことがある人は、知っていると思う。
生徒は斜面に一列に並び、先生の指導を聞いている。言われたとおり、ひとりひとり、順序だってやってみる。
待っている間も、自分のやることをイメージする。それは、まるで日本の学校教育そのものだ。優等生であるほど、上達する。スキーのうまいやつは、たいてい勉強もできる。
勉強のできない、そういうスキー教室のシステム、日本の学校教育のようなやりかたになじめない連中、人種は、だからスキーをやらない。むかつく学校以上の、組織だった、スキーの教育システム。あれになじめないやつは、スキーが嫌いだ。
ところがである。スノボーは、そんな優等生ではない、連中が歓喜して始めた。
スキーとスノボーが何が違うって、スノボーは、スキーのように、斜面に一列になって初心者が並ぶことができない。
ということは、スキーのような教え方ができないということだ。理屈より、まず慣れろだ。体で覚える。
スノボーの初心者を見ていると、スノボーを斜面に真横にして、両足加重でそのまま谷そこまで、横滑りしてゆく。そこがスキーと、スノボーの違いだ。スノボーはそうやって滑っているかぎり、さほど怖くない。階段の上に立っているようなものだからだ。もちろんそのままだったら永遠にターンはできない。ターンをするには勇気がいる。
しかし、スキーは斜面に横になっていたら、滑らない。斜滑降の状態、足の向きのせいで、エッジがきき、それでは静止状態だ。エッジをはずし、横滑りには少しテクニックがいる。初心者にはなかなかできない。
なによりもスキーはまず恐怖から始まる。なにしろ、長い板をはいて、斜面に対して、正面から向き合わなければならない。ひとたび動きだせば、教えてもらわなければ、とめ方もわからない。
唯一最初に教えられる、横に転ぶしかない。スノボーは腰を下ろせば、お尻のしたは雪だ。すぐに止まる。スキーはそのまま腰を下ろしたら最後、スキーに乗ったまま直滑降だ。
等々‥‥。スキーはだから、教えてもらわなければ、最初ができない。
スノボーは何も教えてもらわなくても、最初が怖くない。
もちろん、その後はどちらも、難しいけれど。だとしても、スキーは学校教育のように、システム化する。
やはりスノボーは、まず体で覚えろだ。レッスンも、スキーみたいに10人単位ではやらないだろう。
というわけで、スキーは、ホワイトカラー(頭脳労働者向き)、スノボーはブルーカラー(肉体労働者向き)という、僕の独断と偏見に満ち満ちた、結論である。
もちろん僕は、ほんとうは肉体労働者であるスノボー派だと思う。残念ながら若い時代にスノボーはなかったので、スキーをやっていたが、通ったわりには、劇的に上達はしなかったのは、器具のせいというより、本当はスノボー派だったからかもしれない。
PS リステル猪苗代は、家族向き、子供と来るには最高だと思う。今年は雪も多くとても楽しめた。初体験のスキーバスも快適で、自分の車でゆくよりずっと楽だと知った。きっと来年もやるだろう。
10年ぶりのスキーは、器具もよく、やさしかった。あと数日あったら、かなりちゃんと滑れたと思う。
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「想い出の赤いヤッケ」を思い出したら、「いつかある日」も思い出した。「アルプの歌」なんてのもあった。そして有名な「山男の歌」
昭和20年30年代、の青春っていう感じで好きだ。もう僕の時代昭和40年代でも遠い過去のように甘美な青春という感じだった。山男、なんていまじゃ死語かな。
昔、江古田の日芸の前に、シャトーという喫茶店があった。そこに美人ママがいた。
雰囲気は、フランスの女優、アヌーク・エーメ。決して大げさではなく、ほんとうに雰囲気のある30代の女性だった。
2階にあったその喫茶店には、ヨーロッパの城の1mx2mぐらいの大きな写真が飾られていた。その城には、いいつたえがあり、戦地に行った王を、妃は死ぬまでまっていたということだ。
シャトーのママにほれた男がいた。まだ若い学生だ。するとママは言った。私の恋人は山で遭難したの。
捜索し、ずっとまったけれど帰ってこなかった。どこで死んだかもわからない。
そして私は体を壊してしまった。あなたを恋人にすることはできないわ、と。

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