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2005.03.07

サンフランシスコ USA-3

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3月5日のサンフランシスコは晴れだ。この日も友人の住むサクラメントから車で2時間弱かけて、サンフランシスコに向かう。サクラメントは霧に包まれていた。途中から霧は晴れ、快晴。サンフランシスコにもほとんど雲がないが、少しガスがかかっている。 
映画ダーティハリーのなかで印象的なシーン、ロンバード・ストリートという、くねくねの道から、コイトタワーに向かって撮影する。コイトタワーは、消防の放水ノズルに似た形の塔だ。サンフランシスコに来るたび、驚くことは、なぜこんなに丘だらけ、急坂だらけの土地に、碁盤の目の都市計画がされたのだろうかということだ。現代のくるまだからやっと上れる坂もある。ロンバートストリートも、かつてそんな急坂を下りられるクルマがなかったかららしいが、それにしても、この道路の作り方は異常だ。しかし、だからこそサンフランシスコ風景があるのだし、ケーブルカーが発達したのだろう。土地のでこぼこを徹底的に無視した、碁盤の都市計画のよいところは、どこにいても、すぐにいろいろなルートで目的地につくことができる。そのせいで、サンフランシスコの街の中に、渋滞が少ない。
サンフランシスコには、ホテルに関して二つの想い出がある。それはある車の広告のロケハンのときだ。ロスから、車の撮影地を決めるため、宿泊予定の決まらない気ままな旅をしていた。そのため、あぶなく夕食をたべそこないそうになったり、誰も客のいないモーテルに泊まったりと珍道中を続けていた。
そしてついにサンフランシスコに到着して、やっとまともなホテルに泊まれると皆で安堵したが、そんな旅のしかたのむくいか、理由はわからなかったが、サンフランシスコのどのホテルも満室だった。コーディネーターの読みの甘さもあるが、まだ携帯電話がない時代のことだ。まさかサンフランシスコのような都会に部屋がないとは誰も考えもしなかった。このまま郊外に戻らないと寝る場所がないと途方にくれた。それでもようやく見つけたのが、パークハイヤットだっただろうか、スイートと、まるで女中部屋のような小さな部屋の二部屋だった。結局定員だけチェックインして、あとはソファに雑魚寝した。僕はスイートのベッドに寝たので何の問題もなかったのだが。
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もうひとつの想い出は、その数年後、今はないが、「STYLING」とう、高級雑誌でサンフランシスコとニューヨークの取材をした。サンフランシスコでは、ヒルトンホテルの高層階にあるスイートの屋外ガーデンで撮影をした。
宿泊は、丘の上にある、重厚なホテル、ハンティントンに泊まった。当然そこでも撮影した。エレベーターガールが、その道何十年の老婆だったろうか。僕はライターの女性と二人でディナーを食べるために、すこしめかしこんでエレベーターに乗った。すると老人が話しかけてきた。僕がホテルのなかで撮影していたことを見ていたのだ。
老人は「私は今から家内と食事に行くが、帰ってきたら是非自分の部屋の写真を撮って欲しい」という。
「実は今日は、結婚記念日で、このホテルの○○号室には、新婚以来、毎年かかさず二人で泊まりにくる、想い出の部屋だ」という。
なんとロマンチックな話だろうか。そんな老夫婦の想い出ふかい部屋の写真を撮るなんて、光栄だし、こういう古いホテルにはそういう想い出がいっぱいにつまっているんだなと、感心したりしていた。もちろん僕は快諾した。
ただ奇妙なことに、僕がご夫婦二人でも一緒に撮りたいというと、いや、部屋だけを撮って欲しいという。
そして夜、約束した部屋に僕は4x5カメラを持ち込んだ。僕の泊まっている部屋より狭いが、それでもゆったりとした素敵な部屋だった。新婚の夫婦が泊まるには、十分な豪華な部屋だった。鏡の横には大きな花が花瓶に飾られていた。
老人はひとりで僕を待っていた。そして好きなように撮ってくれという。僕は数枚撮影した。本心は老夫婦のポートレイトも撮りたかったが、固辞された。
そして異様なことにも気付いていた。それはクローゼットを見ても、女性のものがなにもないからだ。どうみてもその老人一人でこの部屋に泊まっているようだった。
老人は始終にニコニコしていた。僕は担がれたのだと思った。ぼくは彼の真意を聞きたかった。しかし聞くことはできなかった。十分想像できたからだ。ただの頭の狂った老人ではない。きっと新婚以来この部屋に宿泊することは本当のことなのだろう。ホテルの従業員が彼に対する態度の優しさから、毎年この日に泊まりにくることが本当だと思えた。
その妻がすでに死んで、その想い出を、二人の約束を果たすため、こうやって一人になってもこの部屋に泊まりにくるのだと。
きっと今だったら、僕は、従業員にたちに聞き、その僕の妄想を確かめたと思う。しかしその頃の僕は、この素敵なエピソードにであっただけで、それを誰かにさらに詳しく聞いて、事実を補強する気持ちなどさらさらなかった。いや、ただの頭のおかしい老人なんだよと、笑われるのが怖かったのかもしれない。
そのとき撮った写真はどこにあるだろうか。当然、「STYLING」という本にはその写真は載らなかった。ハンティングトンホテルの写真はもっと豪華な違う部屋が雑誌には掲載された。

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