USA-6 脅威のHeastCatle
3月9日、ラスベガスを昼前にたち、15号線をロス方面に向かう、途中101号に乗り、目的地のサン・ルイズ・オビスポに行く。海辺の美しい町。朝6時に起きて、まだ日が昇らない周囲を撮影する。BestWesternとうモーテルに泊まった。かつてはモーテルといえば、50ドルぐらいで泊まれたが、いまや100ドルぐらいもする。それでもネットのディスカウントだ。ホテルはどこも、インターネットはランで使える。ここも無料だった。
3月10日、今日の目的地は、19世紀中ごろから、20世紀中盤に活躍した、アメリカの新聞王(メディア王)ウイリアム・ランドルフ・ハースト(1863-1951)のお城の、HearstCastleを見ることだった。それはアメリカの夢だった。採掘技師だった父親は財をなし、教養のある母親に世界を教えられる。子供時代母親に、バッキンガム宮殿のなかになぜ入れないのかその理由を聞き、だったら買ってしまおうと言ったそうだ。母親は金では買えないものがあるとさとしたという。ハーストといえば、映画にもなった「市民ケーン」のモデル、イエロージャーナリズム、などと諸悪をつくしたメディア王という面が、歴史のなかで燦然と輝いている。そんな彼が56歳のとき、それまで親に止められていた、お城づくりを始める。世界中の美術品、工芸品を、かいあさり、こどものころからキャンプした、想い出の丘に壮大なお城、夢を作くりはじめたのだ。ハーストのこの土地は、東京都の半分ぐらいもあるという。ちょっとその広さは想像がつかない。女性建築家と2人3脚でつくったが、28年もかかったという。ハーストは美術品ばかりか、世界中から動物も集めたという。完成したときには、すでに84歳。88歳までいきたが、この宮殿で毎日のようにパーティをした。招待された客の部屋に衣装も用意され、サイズが合わないとお針子がすぐに来てなおしてくれたという。その服は当然持ち帰りだ。ハーストは多くの有名人を招待した。チャップリン、クラークゲーブル‥‥。映画会社も持ち、愛人であるマリオンデイビスのために50本近くの映画をつくったといわれている。ハースト・キャッスルに招待された客は、いろいろなルールがあったとう。酒は飲んでも酔ってはいけない。客は自分たちの部屋でパーティをしたそうだ。ただここには、10mx10mの四角の巨大スクリーンのある、映画劇場があり、普通の映画館の広さだ、義務としてそこで毎日映画を見なければならなかったらしい。上映される映画は、すべて愛人の主演する映画だとおう。長くここに泊まった客は、同じ映画ばかり見せられるので、せりふまで覚えてしまったという。しかし、劇場の座席はゆったりとしたビロード張りの大きな椅子で、みなしっかり昼寝ができたそうだ。そしてもう一つのルールは、夜のディナーには絶対に参加しなければならない。そのとき、酔っていてはいけない。少なくともシャンペングラスをきちんと持てなくてはならなかったようだ。当然皆部屋でパーティをやっていて、飲んでいるの口にコロンをふりかけ、臭いを消したという。ハーストのその毎夜のパーティも、高齢であるハーストにとっては、本当はどのくらい楽しかったのかはわからない。後に、この王宮を造っていたいときが、一番楽しかったと語っている。残された写真を見ても、顔ぶれは変わらず、きっと短い間のことだったのかもしれない。富と名声を得て、そして子供の頃からの夢だったお城づくり。でもそれを得た瞬間、そして招待した客のマナーの悪さに、いつもいらいらしていたようだ。ヨーロッパの歴史と伝統に憧れ、アメリカと言う土地に、本物と偽者を混ぜ合わせて作った、この建物は、どこか安手の臭いがする。同じお金をかけて、当時の現代アートを集め、そのときの現代建築をつくったならば、歴史上の素晴らしい遺産になったと思うが、まるでディズニーランドのような、フェイクそのままのたたずまいまいはどこかさびしげだった。
ハースト家といえば、1974年、このお城作ったハーストの孫娘、パトリシア・ハースト誘拐事件だ。誘拐された娘がいつのまにか、誘拐側になり、強盗事件も起こしてしまう。結局逮捕され、裁判になって有罪になるのだが、マインドコントロールされたと主張した。
この広大な土地と施設は、ランドルフ死後しばらくして、カリフォルニア州にその運営をまかせたという。使用権、運営、開発はカリフォルニア州だが、所有権はいまでもハースト家が持ち、今でもこの広大な土地のどこかに、ハースト家の別荘があるそうだ。
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