盗撮 盗み撮り キャンデットフォト スナップ写真 その1
1999 Eos5 EF24mmf1.4 RDP2 ISO400に増感
1999年、僕は渋谷のセンター街で、盗み撮りをしていた。Eos5にEF24mmF1.4をつけて、カメラは首から下げ、レリーズをつけて、ポケットでシャッターを切った。ノーファインダー撮影だ。
まあ、周りから見れば変な親父が一眼レフカメラを首からかけて、カメラ小僧ならぬ、カメラオヤジと認識されていたのかもしれない。このころのセンター街は、ヤマンバが少し落ち着き、ちょっとおしゃれな瞬間だった。僕がなんども往復するので、外人に目をつけられ、あごであっちに行けみたいなあつかいをされた。若いときはこんなこと、少しも怖くなかったが、こういう場所で撮影するのは、少し正直怖い。なぜ、センター街で盗み撮りをしたかというと、当時、今でもそうだが、キャッチというより、ストリート雑誌が声をかけて、写真を撮る全盛だったからだ。僕が勇気を出して、声をかけると、ねえねえ、何の雑誌といわれるしまつだ。いや雑誌じゃないだ、なんていうと、何のために撮るのと鼻であしらわれる。もし撮れたとしても、妙にカメラ慣れしていて、かつてのような緊張感がない。
知らない人に声をかけて撮るやり方は、写真の一ジャンルだ。
1973年 稲村ガ崎 Hassell 500CM 80mm Tri-x
ある写真学校では課題で、知らない人、100人の顔のアップを撮れというのがある。それも標準レンズでだ。100人に撮るためには、何人の人に声をかけなくてはならないだろうか。それは、人間のタイプによるが、たとえばカメラを持った女の子に撮らせてと言われて、断る男は少ない。しかしみるからにむさくるしい男に写真を撮らせてといわれて、素直に撮らせてくれる子も少ないだろう。それはナンパと同じように、熱意とテクニックがいる。……なんてことはどうでもいいけど、そういう声をかけて写真を撮るといった写真の一ジャンルが、今では商業化され、キャッチするやつ、写真を撮るやつ、話をきくやつ、と分業化されている。そこには撮影者と、被写体の関係が凡庸になってしまう。ぜんぜんスリリングではない。そんなのだったら、仕事で有名人を撮る方が十倍意味がある。せっかく、無名の人間を撮るのなら、自分の写真のために、撮ったほうが断然楽しいし意味がある。
デジタルカメラになってからは、地下鉄でも盗み撮りをした。今でも時々する。
断っておきたいのは、「盗み撮り」と「覗き撮り」=ピーピングは、違うと僕は思っていることだ。盗み撮り、僕の理解ではキャンデットフォトだが、昔から多くの写真家がやってきた。被写体に空気のように近寄り、いつ撮ったかわからない、優雅な撮り方もひとつだ。それならばロバート・キャパだってやっている。ファインダーの覗いたとしても、被写体に気づかれなければ、ある意味、盗み撮りだ。もちろん、ノーファインダーで撮っているのかわからないのも盗み撮りだ。ライカはそういう意味では、盗み撮りに最適なカメラだった。なにしろ初期のライカは、ピントも目測、ファインダーなんて覗かなくても撮れた。
ピーピングとの違いは、厳密にいったら、線はない。言ってみれば、写真を撮っているという意識の問題でしかないからだ。一般的にいえば、公衆の面前で、普通に見えるアングルで、カメラの存在をかくさず、撮るのがギリギリ、ピーピングではないと、いいはれるだろう。いや、あくまで本当は線がない。もしそうやって誰かに詰問されたら、写真芸術、ジャーナリズムのためと、理論武装しなければならないと思う。あくまで自分は写真家だと、いい決して、心が折れてはいけない。おれたら、それは「覗き」になる可能性がある。
ただ、世界的にキャンディットフォトは、やりずらい時代になっていると思う。いや人間が写っている、スナップ写真は、広告ではつかえない。広告で使かうのだったら、ハリウッド映画のように、全員エキストラで撮る必要がある。
なにしろ肖像権の時代だ。ただ、ジャーナリズムや、アートとしてならば、表現の自由という名の下で、写真を撮り、発表は可能だ。しかし、その被写体の尊厳を傷つけるような場合は、訴えられる可能性もある。
人間の写真の撮り方には、ポートレイトのように、被写体と、了解のもとで撮るやりかたがある。もちろんそれも写真の重要なジャンルだが、被写体に気づかれずに撮るのも、重要なジャンルだ。
かつて、さほどカメラを持っている人が少なかった。学生時代、僕は平気で電車のなかで写真を撮った。撮ったあと目があっても、ありがとう、と会釈するだけで、けっこう撮らせてくらたものだ。しかし、現在のように、カメラがあふれた時代、黙ってカメラを向けて撮れば、みないやな顔をするようになってしまった。僕だってそんなふうにカメラを向けられれば顔を背ける。それは、僕たち現代人が何か、脅迫意識があるからだろう。写真を撮ると言った意味では、幸福な時代ではない。1954年ロバート・キャパが、日本を訪れ、スナップしまくり、「日本は写真の天国だ」と言ったが、きっとそれは当時の日本人がカメラを向けられても、鷹揚に写真におさまり、その被写体との交歓が気分がよく、「ピクトリアルパラダイス」と言ったのだろう。
2005 Metoro Shibuya Station
EosKissN EFS18-55mm ISO 1600
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Comments
彼女らは痴漢されたくて露出してるのではないので、盗撮も同じで自分も顔を背けるなら相手の心情は分かるだろう。それを芸術やジャーナリズムだとか、世間に向けて弁解できてない様な気もする。海で一般人を撮り、そんな自己主張をしていたがアッサリ怒られ即逮捕されたおっさんがいた。道行く人の写真とりたいなら、ヤマンバだろうが構わないと思うが、ミニスカートをとったりするのは、完全に若い女性を隠し撮りするスリルと、生足やそういう写真を集める喜びとしかとらえられない。知ってる写真家でもない奴に撮られ、外人や周りが盗撮と感じたらそうなんだよ。
Posted by: ふー | 2012.02.14 07:42 PM
こんにちは。写真拝見させて頂きました。いきなりで申し訳ございませんが、私には、ひとつ疑問、疑惑があります。主人が、カメラを持ち、普通に手を振り歩きながら撮影するところを、私はここ1年見て、あまり良い手法ではないなと思い続けて、今日、思い切って気持ちをぶつけてみました。尊敬している主人に対し、「それは、盗撮というのではないか?」と問いただす事は大変に辛かったのですが、それ以上に私は、数か月前から妹に「お兄さんは盗撮しているのではないか…」と言われたことから思っていた事は私だけではないんだと思ってから、気持ちがどんどん大きくなっていきました。主人に聞くとそれは「キャンディットフォトっていうんだ」との答えでした。カメラを上半身より下に構えて気付かれないように撮影する方法に名前があったのはしりませんでしたが、検索エンジンにかけると、こちらのHPにたどり着いたので、コメントさせて頂いた次第です。写真は難しいと思います。私は、スナップショットに写真の味を感じておりますので、決して全否定をするつもりはないのです。主人はカメラを下から向けているけど、真横に撮ってるだけで覗きこむようにはとってないといいます。私は、たとえフェンダーから覗かないやり方があるとしても、上半身より上に構えるべきなんではないかと思うのです。是も非も付けがたいものかもしれません。慰め程度でも結構です。コメントにご返答頂ければ幸いです。乱文申し訳ございません。
Posted by: そとざきりえ | 2009.08.02 03:21 PM