嵐が丘
4月23日、朝日新聞の別刷りで、イギリスの女流作家、エミリーブロンテの「嵐が丘」を訪ねた記事と写真があった。雪が残る荒涼とした、小説の舞台となった場所の写真だ。その土地でエミリーは「嵐が丘」を書いた。僕はそこにかつて訪れたことがある。季節は秋だったと思う。
それでも、荒涼ということばは、こんな風な場所にいうのだと納得させられた。「嵐が丘」は、高校3年の時に読んだ。文学にさほど興味があったわけではなかったが、それでもこのタイトルには惹かれた。感想はなんかおどろおどろしく難解な愛憎の読んでて苦しいものがたりだった。話の筋は覚えていない。それより、エミリーブロンテの姉、シャーロッテ・ブロンテの「ジェーン・エアー」のほうが、読みやすく、一気に読んだ。そして感動した。ただ、嵐が丘とい題名にはそれだけで想像させるなにかがあった。嵐が丘の土地に立ち、こういう場所で育つとはどうことだろうかと、想像してみた。いや想像できなかった。あまりに孤独すぎるからだ。こんな孤独な場所で、拒食症とも言われたエミリーは、恋愛をすることもなく、ほとんどすべてを想像力でこの物語を書き上げたと言う。1848年、30歳の若さで死んだ。
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Comments
はじめまして、「嵐が丘」で検索してまいりました。
北イングランドの哀愁のある風景は素敵ですよね。
やはり「嵐が丘」を思い出してしまいます。
私も今回ブログでワイラー監督の映画「嵐が丘」について記事にしました。
よかったら一度いらして下さいませ~ではまた!
Posted by: ルーシー | 2006.10.14 04:06 AM