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2005.05.06

Grain 写真の粒子について その1

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さて、このBlogを見続けているひとは、気づいていると思うが、僕は今、写真の粒子、粒状性にこだわっていることを。銀塩写真とデジタル写真の違いというより、写真にとってGrainとは、なんなのだろうかとうことだ。
最新のデジタルカメラは簡単にドットがでることもないし、デジタルではノイズというのだろうか、偽色もふくめて、あってはならないものだという雰囲気がある。
しかし銀塩写真は4x5や8x10のような大型のフィルムを使わない限り、引き伸ばすと当然粒子がでてくる。粒子といえば、印刷物だって網点が見える。さて、粒子はないほうがよいのだろうか。本当に粒子は邪魔なもので、技術的に解決できれば、抹殺したいものなのだろうか。
トライXというフィルムがある。それを増感現像したときの粒子の荒れ具合。それがなんとも美しく、なんでもない写真が、何かメッセージをこめられているようにさえ思える。
写っているものより、その粒子が、想像力を膨らませる。
上の写真は、EosD60をISO1600で撮ったものだ。A3ノビぐらいにすると、ノイズが目立った。でも、高感度カラーフィルムを増感現像したときの効果のようで、僕は好きだった。ノイズがなぜだめなのと。
ただここにUPしてある写真はナチュラルではない。こんな小さくて、粒子をきわだせるには、それなりの工夫が必要だ。難しいことではないので、種はあかさない。
なにより、粒子がある写真と、ない写真は、やはり印象が、メッセージが違うような気がしている。
粒子を眺めながら皆さんに考えてもらいたいと、思っている。写真にとって、Grainとは何か。

さて、粒子を眺めていて、ふと思ったことある。それは、写真の粒子とは、テクスチャーなのかもしれないということだ。素材感、触覚感。それは、印画紙の質感とは違う、写真のなかにある、写真としての素材感なのかもしれない。
銀塩時代、35mmから8x10フィルムをチョイスするとき、もちろん拡大率や、被写界深度による写りの違いも重要だったが、やはり粒状感も大きな選択の理由になっていたと思う。
大型カメラを使わないで、35mmカメラは使う理由は、粒状感のためだったのではないだろうか。
印刷やプリントの質感ではなく、写真画像そのものにもテクスチャーがあるような気がする。

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