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2005.05.01

なぜオーバランするのか?尼崎転覆事故

hanoilaokai

JR福知山線尼崎、転覆事故では、死者107名(まだこれから数ヶ月間で増えるだろうか)のかたがたが亡くなった。ご冥福をお祈りします。
飛行機のように、もしかしたらという覚悟の上ので利用する乗り物と違い、日々日常、まさか通勤電車があのような事故を起こすとは、電車移動という日常のなかに突然訪れた、修羅の世界。
かつて、車のシートベルトとエアバッグというものが、なかなか普及しない時代があった。
安全にお金をかけるという考え方に変わったのは、ごく最近のような気がする。義務化されれば普及するが、経済学だけではなかなか、安全にコストをかけることはできないのだろう。
なにしろ何もおきない安全な時間が、99、99…%で、スピードとスケジュールのなか、乗客も、惰眠、携帯、無防備状態だ。安全が侵されるのが、0.00…1%の非日常のために、コストをかけることは、よほど意識がない限り、難しいのだろう。しかしそれが、公共鉄道というものだろう。だからこそ、JR西の経営者の責任は重い。
 民営化されJRになり、利益優先となったことが今回の原因のように言われるが、私鉄だって利益を優先している。本来は利用者の利益とは安全とスピード正確性の調和だが、ある意味矛盾している点もある。とまっているのが一番安全なのは当然だが、それでは動くことを目的として交通機関の意味がなくなる。
JR西日本は、経営者側の利益を優先させた。それは事実だろう。
それを守るために、現場を引き締めた。経験者の採用を見合わせ、従順な若い運転手を促成した。国鉄時代のように、労働組合が強すぎるのも問題だが、管理者と現場の関係がまるで軍国主義のような、性根を正すだけの、ロボットをつくろうとしているかのような姿は異常だと思う。
この国にそういうやりかたを信じている、連中がいまだ存在していることに、しかもメジャーな企業のなかでおこなわれている恐ろしさを感じた。まるで宗教の洗脳か、某狂信的会社と同じではないか。
さて、転覆、激突事故から一週間がたった。今回の事故のポイントの一つに、前の駅のでのオーバーランが問題になっている。しかも過去にオーバーランしたことがあり、日勤教育という罰とみせしめも受けている。そのくせ、そんな未熟な運転手に600人もの人命をあずけるている現実。論調はJR西日本の管理、教育システムに目が向けられている。
なんだかんだいっても責任の一番は、運転手にあると思う。しかし彼も、やはり被害者なのだ。なぜ彼は冷静さを失い、追い詰められたのか。そしてハイスピードでコーナーに突っ込んだのか。
今日の新聞に、オーバーランは、恒常的に発生していると発表されていた。事故の影響で、運転手にプレッシャーがかかっていて、駅で止まれないのだと。それは違うだろう。統計なんて、いくらでもかいざんできる。よほどのオーバーランじゃなければ、報告されないだけだ。
しかし、これだけ多いと、単純に運転手の不注意なのか疑問になる。構造的な何かがあるのではないか。
電車を完全自動制御にすればよいのだろうか。しかし自動にしたら、現在のような、過密なダイヤは無理だろう。コンピューターは臨機応変には対応できないからだ。小さな事故、出発の遅れ、さまざまなことに、瞬時に対応するのが人間だからだ。
僕は、電車のオーバーランを今まで難度も経験している。子供のころ、国鉄時代にもあったような気がする。それは今に始まったことじゃない。停車したと思ったら、車内放送もなく、突然バックしたこともあった。今はホームで乗車ラインにぴたりととまるが、昔はよくずれていた。そんなの日常だったような気がする。
 電車はクルマと違い、総重量が違う。大型船の操縦ほどではないとしても、車重の軽いしかもコンクリートとゴムといった摩擦係数が高いクルマと違って、鉄と鉄という微妙な摩擦係数で成り立っている。鉄道は、クルマのように単純にとまることはできない。たぶん雪上のドライブよりももっと難しいのではないかと思える。しかもブレーキを作動して、効くまで1秒強の空白があるという。もっともゆっくり走っていれば、寝ながらでも可能なほどやさしいのものだろう。
電車はクルマと違い、運転は単調だ。Ontheレールといえば、やさしいという意味だ。高速道路で眠くなるように、慣れてくると、電車の運転は退屈すぎるのかもしれない。
その退屈な日常に唯一難度の高いのが止まることだ。たとえば乗客数によってもかわり、天気でかわり、温度る。
だからこそ、電車の運転手は、指作運転(たぶんそういう言いかただったと思うが)が必要なのだと、昔きいたことがあった。信号機などいちいち声を指をさす動作しているのを子供の時にみて、しかも独り言をいいうのがこっけいだった。きっと何もしないと眠くなってしまうのだろう。よりハイテクになると、やることがなくなり、さらに集中力がなくなる。そんな状態のなか、ミスをする。実際は小さなミスなんだろう。それでも電車は100m駅を過ぎてしまう。 そして遅れた時間を回復するため、フル加速、最大スピードを出し、コーナーの手前で減速する。それじゃまるでカーレースみたいだ。遅そんなふうにレースのような運転が日常繰り返されてるのだろうか。直線では120キロまで許されているという。それを減速して70キロまで落とす。かなりの急激な減速だ。退屈な運転が突然緊張の連続になる。そしてまた、小さなミスを犯す。タイミングがちょっと遅れ、ブレーキがきかない。ロックしてしまったのだろうか。雪上の急ブレーキと同じだろうか。ホームを100mオーバーすることとは違い、決定的なミス。それが今回の事故なのだろうか。
 この路線で、私鉄と競争するため、JR西日本が選んだのは、スピードだった。乗り継ぎのためにも、正確な運行が大切だった。短い乗り継ぎだと30秒というのもあるそうだ。それが、客のニーズだと、JR西日本の経営者は判断した。車両を軽量化して、スピードアップした。
 軽量化については、最近の漁船が転覆しやすいという話を聞いたことがある。今のプラスチックの漁船は昔の重い船からくらべると波に弱いらしい。そのかわりスピードが劇的にアップした。漁場に速くつける。まるで今回の事故に共通しているではないか。
 客のニーズ、本当に客は秒単位の正確な時間を望んでいるのだろうか。僕にしても、田園都市線から半蔵門線に入り、表参道駅で到着した瞬間、乗り換えホームの反対側に止まっている銀座線のドアが閉まると、なんて営業努力のない組織だと悪態をついたりする。すぐに2分後に次の電車がくるのにだ。
便利になった世の中。たとえば携帯電話のような利器。どのくらい仕事や待ち合わせ、が便利になった。
戦後、60年、日本は効率と生真面目さを武器に、世界で戦ってきた。それは日本の利点だったかもしれないが、海外にゆくと、時間がもっとゆったりと流れていて、驚くことがある。
僕の子供時代にはすでに、せかせかする日本だった。ベトナムに行き、ハノイから中国国境のラオカイに行くとき、直線では200キロぐらいしかないのに、10時間ぐらいかかる。なにしろ日本の狭軌より狭い、レール幅ジャスト1m。まるでサイクリングするぐらいの速度の蒸気機関車。速くても時速40キロ。のろのろのろのろのろ走る。結局、僕が乗った昼間の列車は何か特別なことがあったわけではないのに、予定より1時間遅れだった。だからってだれかが文句言う人はだれもいない。
 最近のベトナムはずいぶん早い時間が流れるようになっているが、それでものんびりと、すぎる時間は人間には大切なのかもしれない。
「スローライフ」といわれてかなりたった。「スローフード」も話題になったことがある。
今、そういうことを、もういちどよく考えてみる必要があるかもしれない。
そういう社会だったら今回のような事故は起きなかったろうか。スローライフとハイテクの両立。本当は人間的な生き方をするためにも、ハイテクが使われれば一番のいいのだけれど、そう信じていたかもしれないが…。
 どういう社会にするか、皆の意識の問題だとしても、本当に後戻りはできないのだろうか。いや後戻りではなく、発想の転換。なんでもかんでも便利な社会ばかりを目指すのではない生き方。それこそ、一枚の絵や、写真をじっくりながめることが、あなたはできますか?と聞かれ、もちろん素敵な写真を見るのが好きですよと答えられる、余裕。生活。…現代の日本人に突きつけられた、根源的な生き方。僕は、今回の事故で、そんなこを考えさせられた。

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Comments

戦後の高度成長というしんどい時を乗り越え、経済では一流の名を得、そのオーバーランはバブルの崩壊を経て現在の不景気を招きましたが、これを契機に経済的余裕も然ることながら精神的余裕を求めるべきではないかという意味では横木先生のおっしゃる『根源的生き方』を見直すべき時期なのかも知れませんね。

Posted by: ほわいと | 2005.05.04 12:43 AM

西と東の間違いは私もすぐに気が付きましたが、これはJR西日本に限った問題でもなければ、今回の事故に固有の問題ではないと思いました。
また、日本の通勤電車にはそれなりの要求があり社会における発想の転換というのも今回の事故と直接結びつけるのにはちょっと無理があると思います。
ただ、鉄道にしても或いはその他の仕事にしても私企業であるからその利益を第一に考えることは当然としても、その為に犠牲にしていいこととそうでないことがある、それを忘れてはいけないということだと思います。
そして個人としては仕事をそれなりに大事に考え優先するのは必要なのかもしれないが、最終的に自分の人生は自分自身でしか責任を負えないのであるから、心身共にそれなりの余裕を持って、絵や写真を眺めたり音楽を楽しむことは大いに有効だと思います。

Posted by: ほわいと | 2005.05.04 12:34 AM

訂正しました。JR東日本→JR西日本
失礼しました。

Posted by: 横木安良夫 | 2005.05.02 03:27 PM

JR「西」日本の話です。せっかくの貴重なご意見も、西も東も確認しないのでは、「なにをエラソウニ」ととられても、しかたないのでは。

Posted by: てつ | 2005.05.02 02:00 PM

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