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2005.05.04

デジタル写真で何ができるの?その2

●デジタル写真は何ができるのか? その1
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昨年、写真評論家 飯沢耕太郎氏が、「デジグラフィ…デジタルは写真を殺すのか?」といったセンセーショナルな本を書いた。そのなかで書かれた、デジタル写真の分析について、僕はさほど驚くことはなかった。まだ言葉で明確にはできないが、デジタルと銀塩の違いは、いわれるほど写真家としては大きな差異を感じていないからだ。
唯一、芸術表現として、ART PHOTOGRAPHYとして考えてみると、はたしてデジタルは、それまでの写真に一撃をあたえているかどうか、いまのところ疑問だ。特にCGを使ったものに関しては、別にデジタル写真、デジタルカメラになったからではなく、それはあくまでパソコンの進歩であり、カメラが銀塩であろうが、デジタルであろうが、大して変わりはないと思う。そういう意味では、デジタルカメラよりPCの実用化、日常化のほうが世界を変えた。
デジタルについて、銀塩かデジタルかについての議論はあまり意味がないような気がする。
音楽はとっくにデジタル化されているわけだし、映画だって編集はおろか、デジタルで撮ることさえ日常になっている。CGがすごくなったから、どうだというのだろうか。だからといって、音楽の本質や、映画の本質が変わっただろうか。記録メディアが違っていても、音楽は音楽であり、映画は映画だし、写真は写真だからだ。
デジタルカメラ初期の議論で、フィルムの物質性、デジタルの非物質、電気信号でしかないといった議論があったが、フィルムだって本当に物質だろうかという問題もある。それは、レンズを通して、フィルムに光が当たり、感光性の銀に反応があったとしても、それはあくまで潜像であり、物質の存在として変化しているわけではない。
ある意味デジタルの受光体の電気的な反応と同じとも言える。フィルムは現像という科学反応をとおして、その光の反応を可視状態にするわけで、それがフィルムという物質に表出されるから、あたかもその写真が物質のように見えるわけだ。それはデジタルで撮ったものをプリントアウトすれば、その写真が物質化するのと何が違うのだろうか。銀塩で取ったものも、たとえばポジで撮ったものをみるとき、ライトテーブルでみるのと、スライド映写機にかけて投影したものの関係はどうなのだろう。映写した像は写真ではないのだろうか。
もともとポジフィルムは、印刷原稿のために始まったのではなく、もともとは映写するためのものだ。映画、幻灯機のながれだろう。
唯一違うといえば、フィルム写真は、カメラオブスキュラの投影された画像を、そのまま直接記録したものだし、デジタルはその画像を一度0と1に解体して、再構成しているということだろうか。いやそれにしても、受光素子のひとつひとつは、場所が決められ、銀塩と同じように、律儀にその光の粒を記録しているわけで、かわりはないような気がする。
銀塩とデジタルは、何が違うかといわれると、やはり明確に線を引くことができない。
今のところ、デジタル(カメラだけではなくパソコンを含める)になり、CG派アーティストにはかなり明確に、新しい試みをしている。しかしそれはデジタルカメラだからということではない。
今問題になっている、デジタルか銀塩かは、フィルムと使うか、デジタルカメラを使うかの議論が本質だと思う。
デジタルの、インターネット上の拡張性の便利さは、もちろん銀塩にはかなわない。しかしながら、現像とスキャニングが簡単だったら、デジタルとさしてスピードはかわらないだろう。
この世界は、すでに昔からテレビが日常的に行っていることで、特別写真だからと声だかにすることではない。
唯一、報道やスポーツの分野、伝達するということでは、テレビに負けない状態になっている。それは、テレビ放送は設備と機動性において、デジタルカメラ+パソコンの機動性にはかなわないからだ。そういう意味ではもちろんデジタルは銀塩をはるかに凌駕しているに違いない。だからこそ、スポーツ写真と報道の分野ではデジタルカメラの普及がかなり早かったといえる。
さて、芸術としての写真において、デジタルと銀塩はどうなのだろう。
本当に写真は、デジタルに殺されるのだろうか。
僕は、写真がではなく、「銀塩写真メーカーがデジタルに殺される」ということはできると思う。
何より、ネガカラーフィルムは、かつてアマチュアのものだったが、今やプロのほうが多く使っているのではないだろうか。アマチュアにとって、ネガカラーフィルムの存在意義は、風前の灯だろう。
実際、フィルムメーカーは最後の延命のために力が入っている。しかしその周辺の、モノクロ印画紙などは、いつ大手メーカーが市場から撤退するかわからない状態だ。かつてあれだけさかんだった、8mmフィルムはいまや世界の絶滅種になろうとしている。ほとんどの銀塩商品はある日劇的なスピードで消えてゆくだろう。
銀塩写真をつかった芸術家のためだけに銀塩フィルムが永遠に生産されることなどありえないだろう。
そこが一番心配でもある。まあ、35mm、ブロニーのTri-xさえ残れば、僕はさして失望はしないかもしれない。あと、印画紙だけでも細々とでもどこかが生産するだろうか。しかしそうだとしても、コストがかなり高いものになるだろう。
さて、飯沢氏のデジタルフォトグラフィ(デジグラフィ)の分析にひとつひとつの感想と独り言を書きたい。
デジグラフィの特徴に、まず、
1 
改変性があるという。パソコンで簡単に画像を可変できるという。
デジグラフィーを、飯沢氏は、銀塩からスキャニングしたものも含めているが、すでにそれでは、銀塩フィルムかデジタルカメラかの議論から離れている。
→画像の可変性は、別にデジタルカメラの問題ではなく、パソコン環境、PhotoShopのことで、銀塩フィルムで撮ろうが、デジタルで撮ろうがさして違いはない。これは写真とは関係ないことだ。スキャニングの手間がはぶけるって、そんなことで、写真の本質はかわらない。ある意味、タイムイズマネーとしての経済学の問題だろう。
2 
現認性、撮ってすぐに見ることができる。
→これも、ポラロイドというすぐに見える、フィルムがあったわけで、プロは当然のように湯水のようにポラを現認するために使っていた。ああこれでポラがいらなくなったと、やはり経済学として楽になった。百歩ゆずったとしても、たくさん撮ると、いちいち撮ったものの現認性なんてどうでもよくなる。ポラと同じように、テスト代わりに、最初のこまをチェックするだけだ。
3 
蓄積性 もデジタルに限らない。優秀なアシスタントがいれば問題ない。これもパソコンの問題で、銀塩写真もデジタル化すれば同じことだ。
4 
相互通信性 これが一番すごいのは、やはり携帯電話だろうか。今のようなカメラつき携帯ではなく、「携帯つきカメラ」がでればそうかもしれない。そうだとしても、デジタルカメラの本質ではない テレビではすでに放送がある。テレビや映画のストップモーションと、写真がどう違うのか。
5 消去性
物質として、簡単に消去することも、特別なこととは思えない。なぜなら一枚撮ってすぐに消去するならともかく、何百枚も撮ったあと、パソコンで選ぶ作業は、ポジフィルムをライトテーブルに並べて、選び不要なものを箱につめるか、裁断して捨てることとどう違うのだろうか。不要なものを捨てるは本質ではない。簡単に捨てられることは、便利という以外なんなのだろうか。

●そんなことより、デジタル写真はなんなのだろうか。銀塩時代の、神秘性、暗室作業の、まるで宗教儀式をしているような、怪しい行為。その部分がない、デジタルは、あからさまで、神秘性がない。現代アートでは、ART PHOTOGRAPYの分野で、まだデジタルカメラによる、メッセージは混沌としている。「なぜデジタルカメラか?」は「なぜ未だ銀塩写真か」と問われ、何の芸術的成果もない、デジタルに部が悪い。
僕は、現在デジタルが多いのは、デジタルが現代だからで、本来それだけで、コンテンポラリー芸術の資格があると思っている。しかし、それは決して、CGではない。デジタル写真でしか構築できない世界がぜったいにあると僕は踏んでいる。


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Comments

トラックバックを2回送ってしまいましたが、最初のものはリンクがおかしくなってます。済みません。

Posted by: saitou | 2005.05.05 at 06:38 AM

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