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2005.05.05

デジタル写真で何ができる?その3

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その2の続き(その3)
さて、現時点、銀塩にはできて、デジタルではできないことを考えてみよう。
●まず当たり前のことだが、写真の歴史170年でつちかわれた、ほとんどのカメラが使用できない。エプソンのような、レンズを使えるモデルはわずかにあるが、カメラは使用できない。使うためには、銀塩のフィルムが必要なので、この件は、あたりまえのこととして、銀塩にしかできない。
●しかし、撮像体が、薄くフレキシブルなものができれば、フィルムを装てんするように、今までのカメラにデジタルフィルムとして使用可能になるかもしれない。
●現在フィルムには多くの種類がある。デジタルカメラはその特性を、活用できない。これも、フィルムを使うわけだから、当然のことだがデジタルでは、今のところ、Jpeg派のようにお仕着せの、少ないチョイスで満足するか、自己満足的に、自分の狭い美意識だけで、映像世界をつくることしかできない。単純にいえば、一番プリミティブなフィルム、TRI-Xの粒状性とか、フィルムを使用した満足感は、デジタルでは撮れない。
これもパソコンで、TRI-xの性能曲線を持った、アレンジソフトがでてくると、できあがった作品はTRI-Xで撮ったものと見分けがつかなくなるだろう。しかし、あくまでTRI-Xフィルムで撮ることとは、物語性としては、決定的に違う。
●なにより、フィルムを装てんして、撮影、現像、プリントするといった、これまでの写真の制作過程の、楽しみを味わうことができない。
こんなふうに、当たり前のことを書いたが、実はこのフィルムカメラの歴史を、これまでのさまざまな写真と、同じ土俵で、撮ることが、できないことが、一番の不満な点だ。
クルマで言えば、ガソリン自動車が、電気自動車になるようなものだろう。電気自動車には、フェラーリも、ポルシェも当然まだいない。長い、銀塩時代の、「天才や巨人」といった、尊敬したりあこがれたりする、いってみれば「写真の神様」みたいなものが、デジタルにはまだない。それは、デジタルカメラをつかった、天才や成功者(ビジネスだけではない)がいない。アートとして、時代観を、多くのデジタル写真家にインスパイヤーすることは、きっとまださきのことだろうし、はたして、銀塩時代を超える、作品ができるかは疑問だ。もっとも、時間が解決するかもしれないが。
●さて、デジタルにできないこと。それは、フォーマットの大きなものが難しいということだ。今のところ、APS-Cサイズから、35mmフルサイズ、4x4cmそしてそれより若干大きなものぐらいだ。技術的な進歩により、より大きなセンサーが可能だろう。しかしそこにある決定的な問題は、やはり経済学だ。
なにしろ、35mmフィルムと8x10のフィルムが実はほとんど同じ価格だということは知られていない。35mmフィルムを現像して、6コマずつ切、ライトテーブルに並べてみよう。するとちょうど、8x10フィルムと同じぐらいの大きさになる。端的にいえば、35mmフィルム1本分の値段と、8x10一枚分の値段は同じぐらいだ。現像代もほぼ等しい。それはなにを意味しているかといえば、35mmと8x10は、フィルムカメラとしては、その情報量に見合った価格は等価だということだ。フィルムばかりではない。35mmカメラと、木箱で作った8x10の値段に、レンズをつけたとしても、探せば、ほとんど同じ価格だ。それが「銀塩カメラ世界」の平等性だ。
現在デジタルが急速に、高性能、低価格が進んでも、それは一部の受光体サイズ、APS-Cサイズのことだが、それ以上大きくなると、格段に値段がかわってしまう。桁がかわる。しかも8x10サイズの受光体など、経済学を考えれば夢物語だろう。
現在、画像数競争が激しいが、それはあくまで解像度のことで、銀塩カメラの現代創世記には、議論されたことがあるが、解像度がよいからといって、そのカメラを使うのは、記録写真や、科学写真、商品写真といった、表現より写真の記録性を重視するカメラマンにしか有効ではない。それより、多くのカメラマンは、カメラやレンズの、微妙な描写の違いといった、高度な描写のことではなく、もっと比べれば素人でもわかる、カメラのフォーマットによる、写真世界の違いのほうが大きいと思う。同じものを撮っても、35mmと8x10ではまったく違う。それはできあがった作品を見ればわかる。解像度の問題ではない。このことが一番デジタルに克服がむずかしいかもしれない。

そして、なにより、デジタルにできないことは、心情的かもしれないが、写真の「ありがたみ」だ。銀塩写真の歴史と、その制作過程における、神秘性は、銀塩では「ありがたみ」としてしみこんでいる。
●そして、ART PHOTOGRAPHY市場」では、デジタルに市場価値は今のところ低い。デジタルプリントはかなり評価されてきているが、デジタルで撮ったものは、まだ評価されていない。そこには、まだデジタルカメラで撮った、いやデジタルでしか撮れない、作品、天才が住んでいないからだ。いってみれば、まだ「デジタルカメラ」の神様が存在していない状態。それは、これからのことで、そのうちあっていう作品が生まれてくるのかもしれない。きっとデジタルカメラでしか撮れないという、コンセプチャルな写真が、その突破口だろう。
●だからある意味、デジタルカメラで考えることはとても大切だ。新しい分野、モダンアート、コンテンポラリーアートの世界に、新たな地平線ができるかもしれない。今のところ、99%、表現という分野では銀塩が独占している。
●こうやって書いてみると、実はほとんどデジタルでできないことはない。超えられないのは、歴史のなさぐらいではないだろうか。新しい技術、例えば、またクルマの例だが、F1のマーケット、その世界は、電気自動車がいかに早くなっても、今のF1世界を超えることは不可能だろう。それは歴史の問題だ。
●といいながらも、フィルムは確実になくなってゆくだろう。それは経済学という、競争原理のなかで生産されるものだからだ。Tri-xと、現像、印画紙がほそぼそと、アーティストのために生産が続くかもしれない。そのほかの
銀塩フィルムは消滅する運命だろう。
デジタルと銀塩と書いているが、今の時代、銀塩で何ができるかではなく、やはりデジタルで何が表現できるかを考えることが、ARTのテーマになるかもしれない。

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Comments

大判にフィルム状の薄いスキャナーをフィルムの代わりにして風景とか撮っているというニュースが前にありました。

Posted by: tsuyuki | 2005.05.05 11:36 PM

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