ピーピング、盗撮、盗み撮り、キャンデットフォト、スナップ写真
もう一度、盗み撮りについて、僕の意見を書きます。町を歩いている人を、断り無く撮ることは、犯罪でしょうか。犯罪ともいえるし、犯罪ではないともいえる。いわゆる、覗き写真のように、故意に下着を覗いたり、プライバシーの確保された場所での覗き写真、トイレとか密室など、または、超望遠レンズを使って、プライバシーを覗き見ること、それらは当然犯罪でしょう。
それにしても、パパラッチが狙う、プライベートビーチで裸になっている有名人の写真は犯罪かといえば微妙なところでしょう。なにしろいくらプライベートでも、望遠レンズがあると知っている時代遠くから覗かれることは、海岸ならば予知可能だからです。露天温泉を遠くから望遠で狙うこととは少し違うような気がします。
僕は単純に、公の場所で、日常的なアングルから撮ることは、盗撮だとは思ってません。スナップ写真という、写真のジャンルです。
いちいちひとに断って写真を撮っていたら、それはポートレイト写真になってしまいます。それでは撮る側と撮られる側の関係が写ってしまうからです。
公衆の面前で、わからないように黙って撮る写真が、決して自然だといっているわけではありません。
ポートレイトのように、撮影者との了解のもとでは、被写体は、撮影者にたいしてある種の演技をします。
公衆の面前では、たとえ写真を撮られなくとも、他人の視線を感じているはずで、ある意味バリアーを張っている表情をしています。
原宿を歩く人と、渋谷のセンター街や、歌舞伎町を歩く人の表情は違うものです。お祭りのようなイベントのときや、夏の海水浴場でも、それぞれ皆仮面をつけて、ある意味演技をしています。
公衆だとしても、銭湯を覗けば、犯罪です。でも、海岸の水着の写真は犯罪とはいえないでしょう。でも、望遠で股間ばかり狙うやからもいることは、事実です。
話はもどりますが、スナップ写真は、自然さを写しているわけではなく、その人が公衆の面前でどのようなバリアー、仮面をつけているかが写ります。
彼らの言い分は、写真を撮られる心の用意ができていない、写真用のバリアーは張ってないから、勝手に撮るなという論理です。だから黙って撮って、相手に文句を言われるのはしょうがないでしょう。それは撮られたくないとい側の当然の反応です。
だからそういう写真は、当然コマーシャリズムのなかでは、使用できません。
撮ることを正当性を(主張できるの)が、芸術とジャーナリズムです。黙って撮られた人が、告発することも可能です。
しかし撮る側も、表現の自由をたてに戦う権利があります。ただ、そこには、名誉毀損という、悪意を持った写真については、撮影者に分が悪いかもしれません。人物をスナップするひとは、ある意味法律のすれすれの行為をしていることを自覚する必要があります。なんでもかんでも撮っていいわけじゃないのです。
話は飛びますが、法律は時代とともに、生きています。その境界線上にあるのが、日本では変な法律であやふやになっているけれど、なんでもできるのが、ポルノと芸術とジャーナリズムでしょう。
現在のような、インターネットのポルノサイト(AVではなく、完全にポルノ(無修正で性行為をしていること)が、蔓延している現状は、今までのルールが大きく変わってきているようです。
欧米では、いくつかの国が、完全にポルノを認めてきた歴史があります。ポルノは、日本のように猥褻物陳列罪、とかのファジーではなく、TPOというか、ある場所で認められていたのです。
それは、ポルノがみたければ、ポルノショップに行けば、合法だからです。
ところが日本はそんな場所はありません。黙認はされていても、ポルノは絶対に非合法です。何しろ、美術館のなかにさえ、官憲は踏み込みこんだことがあるくらいです。
昭和33年以前に日本は、売春は公然としていました。場所を決めて合法だったのです。非合法の売春も当時からありましたが。ところが現在ではあらゆる売春は非合法です。
それと同じように、ポルノはどんな場面でも非合法です。しかし、不思議なことに、日本では、テレビでも雑誌でも、ポルノまがいのものは、おおめに見られています。たとえ性行為の場面だとしても、ボカシが入ればOKという不思議な国です。アニメやコミックでは、世界中ポルノショップでしかみられないような、ものが公然と売られています。日本ではポルノもぼかしをいれればOKらしいのです。
さて、ポルノの話をしているのじゃありませんね。表現の自由、というか、報道の自由は、個人の尊厳、プライバシーは相反するものです。民主主義社会では、そんなふうに、矛盾した二つの命題が常に存在しています。それを調整するのが裁判所なのかもしれません。それは絶対的なものではなく、時代や場面、個々の事例といったことが加味される、相対的なものでしょう。
だらだらと論旨のめちゃくちゃな文章ですが、まあいいことにしてください。さて、さて。
町で黙って写真を撮っちゃいけない。認めない。そういう意見があることを、自覚して、スナップをするしかありません。その結果、被写体に告発されたり、殴られても、いやいや、殴られたら傷害罪で、違う展開になりますね、訴えられても、受けてたつ、その正当性を主張できなければ、平和主義者になり、被写体が望む仮面をとることに徹することです。間違っても、アングルを、下げすぎたり、エスカレーターを下から覗いたりせず、勇気を持って、節度を持って、社会をクリティックしているのだと思いながら、シャッターを切ることです。これは表現の自由を主張することだからです。
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Comments
最近、特に子供達の周りで事件が多く、学校の中には勿論勝手に入れませんし、近くで写真撮ってるだけでも不審者呼ばわりされます。
学校に断って撮らせて貰うのも、それなりの目的がないと難しいようですし、そんなにはっきりした目的なんてありませんからねぇ…(~_~;)
Posted by: ほわいと | 2005.06.12 11:32 AM
初めまして。いつも拝見させていただいてます。
私も街角でスナップをしていますが、仰ることに同意します。
私の場合は、写真として必然性がない場合には人を入れてシャッターは切りませんし、その人個人に興味をもって写真を撮ることもありません。
幸いなことにこれまで撮った人から苦情を言われたことはないのですが、もし言われても、撮った構図をその場で絵に描いてでも説明し、なぜあなたがフレームに入ることが必要であったかを説明できるだけの説得力のある写真だけを撮るように努力しています。自分の写真は芸術だとは思いませんが、表現として写真を撮っているので、それに協力していただいているという謙虚な気持ちは持って接しています。
また、その写真を見ても撮られた人が嫌な気持ちになるような写真は撮らないことを心がけています。
人に見てもらって楽しめる写真を撮りたいので、気持ちよく撮影もおこないたいと思っています。
Posted by: satobo | 2005.06.06 11:54 PM