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6 posts from July 2005

2005.07.31

隅田川 花火

毎年、友人宅の屋上で家族と両国の花火をみるのが恒例だ。昨年は事情があり見なかったが、今年は3時に家をでて銀座線で終点の浅草まで行った。土用のうなぎを食べそこねていたので、食する。浴衣姿がずいぶんとめだった。流行しているのだろうか。かつて両国の花火といえば、戦争中はとだえたものの、江戸時代から続く一大イベントだった。それが民家の密集などの理由で、昭和34年一度途絶えることになる。僕は子供のころ一度両国の花火を父親に連れられて一瞬だったがみた記憶があった。その後、隅田川は悪臭を放つどぶ川となり、中学時代総武線で東京に通っているころには、電車が隅田川にさしかかると、窓を閉めるほど臭かった。
それでも当時はまだ今のようなコンクリートの護岸工事はなされてなく、川べりには料亭がたちならび、木の縁台?を川に張り出して江戸情緒の面影も合った。
隅田川の花火が再開されて、もう何度もかよっているが、小さな花火を連射する様子は、風流というよりテレビゲームみたいだ。橋の上で立ち止まれないのはしかたがないとして、常に警備のアナウンスが煩く、行かなかった時期もあった。
僕はあんまり花火の写真を撮ることはない。三脚をカメラに据付、ISO100で、バルブF8ぐらいにして、シャッターを開けっ放しにして、黒紙でコントロールしながら普通は撮影するのだが、面度なのでいつも手持ちの撮影になる。いや撮影というより、カメラを持っているので、なんとなく撮っている。
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花火が終わり11時ごろ駒形橋から。たぶん花火打ち上げに使ったハシケだろう。引き上げるところ。
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2005.07.30

地震雲 7月28日

そういえば、7月28日の午後7時ごろ、西の空に鮮やかな地震雲が出ていた。この日の夕方地震があったが、地震雲は予知雲といわれているので、はたしでどうなのだろうか。
世田谷区下馬周辺 pm7時3分
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EosKissDN Tamron18-200mm


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2005.07.27

あゆの恋 その2

あゆの恋 その1

すがやあゆみドキュメンタリーTV
7月29日(日曜日)午後2時、フジテレビ
放送
一年間、すがやあゆみを追いかけたドキュメンタリー

あゆは、おしゃれだ。ファションは自立の近道と言う。
横浜にて
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目黒、Blitzギャラリーにて
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山口の写真家Tomoを通じてあゆを知り、彼女のサイトのメッセージを読み、とても感動した。特にあゆのココロのつぶやきは一読してほしい。
Tomoと初めてあったときもそうだったが、一人で向かい合っているときはすぐに慣れても、そこに知らない第三者がいると、なぜか緊張してしまう。路上の通行人の目が一番痛い。それは、ただの罪なき好奇の目だからだろうか。子供の目が一番容赦ない。そんな目に、本人よりも(彼らはとっくに克服しているから)僕のほうが傷つく。見るなって!と。いや、それこそ偽善的。そうじゃない。好奇の目は、それは珍しいからだ。だからもっと見ればいいんだ。町にみな繰り出し、世の中は健常者ばかりではないことを、皆がもっと知ればいいのだ。
五体不満足の乙武氏は、野球でいえば野茂のようなものだ。自分が自分であることを、どうどうと主張した。彼の姿だって、最初はぎょっとしたけど、いまや普通だ。
あゆはもっともっと有名になり、アイドルになり、自分の健常者とは違う体をを見せて、歩いて、話して、同じ土俵にあがりたいと思っている。それは、健常者と同じ扱いをされたいわけではない。そうではなくて、きっと融和なんだろうな。自分と違う他者に対しての、尊敬と愛を求めているのだろう。
自分とは違うこと、ものに対して、きちんと向かい合うこと。それは、親にだって、子供にだった、友達にだって、大切なことだ。

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2005.07.24

あゆの恋~すがやあゆみドキュメンタリーTV

7月31日(日曜日)午後2時、フジテレビ、「あゆの恋」~すがやあゆみドキュメンタリーTV
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Photograph by Tomo
昨日、山口県在住のPhotographer、Tomoが、「あゆ」ことすがやあゆみ、を撮った。彼が彼女のために横浜で撮影をすると聞いて、僕は彼の撮影の様子を撮るために横浜へ行った。
Tomoとは、まだ2年ぐらいのつきあいだ。彼はハンディキャップがある。僕のCapaの写真展のとき、彼を見た僕の6歳の娘は素直に、「ねえパパ、なんであのおにいさんには指が2本しかないの?」と聞いた。
僕は、世の中にはいろいろなひとがいるんだよと答えた。5本指の人もいれば指が二本しかない人だっているんだよと。目の見えないひと、音の聞こえない人だっているんだと。世界にはいろんな人がいると。
娘は納得した。
ハンディキャップ、日本では障害者、身体障害者と呼ばれる。
ネットアイドルと呼ばれる、あゆをTomoが昨年末撮った。同じ境遇の共感があるのだろうか。撮影はわきあいあいと進んだようだ。上のカードがそのときの写真だ。
昨日、僕はあゆと初めて会ううえで、彼女のことを何も調べなかった。ほとんど何も知らないまま会おうと思ったからだ。第一印象を大切にする。それが僕の基本的な写真の撮り方だからだ。
Tomoの宿泊する横浜のホテルで、僕ははじめて彼女にあった。挨拶はとてもカジュアルなものだ。僕は写真を撮るTomoを撮ることが目的だったからだ。Tomoのつくりあげる撮影空間をできるだけ、じゃましないように気をつかった。税関前や(そのとき地震があった)山下公園で撮影した。僕はあゆを観察し、そして二人を撮影した。そして夜、彼女のWebSiteを見た。
先天性多発性関節拘縮症
Tomoは、歩くことも、器用に手を使うこともできるが、あゆは、床に座ったら立つことができない。腕と足が曲がらないからだ。だから外出するには安全のためにも介護が必要だ。それでも彼女はパソコンを使い、そして自由に動き回る。なによりその異型の体を隠さない。不自由かもしれないが、そのすべてを今の彼女は受け入れている。そして楽しむ。そしてなにかを創造しようとしている。
障害は平凡に暮らすならば「ハンディキャップ」かもしれないが、創造的に生きるには、武器かもしれない。彼女は自ら、障害はブランドだといいきる。そしてアイドルになると言う。

tomoportrait
EosKissDN Tamron18-200mm
Eos20Dで撮影するTomo。はじめてあったとき、EosKissD(初期型)でも重過ぎるといっていた。器用に指に挟みほとんど片手(指)で固定して撮る。筋力不足を実感し、6キロのダンベルで腕を強化した。今ではEos20Dをあやつるほどになった。

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tomoAyu02

ayumiprofileface
あゆの得意なローアングル撮影ポジション。低いアングルはこうやって撮ることになる。とても安定した姿勢だ。そしてちょっと被写体をなごませる。彼女のHomePageは素晴らしい。ぜひご覧ください。そして、31日のドキュメンタリーも。1年かけて撮影したそうだ。
そのなかに「19歳の今、思うこと」という、彼女が19歳のときに書いた文章は素敵だ。
AyuTakeaPhoto

ギャラリーBlitzにて、僕の写真の前で
tomoAyuBritz


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2005.07.15

那智の火祭り

今、南紀、熊野にいる。昨日は、熊野那智大社の例大祭「那智の火祭り」を撮った。
火祭りのクライマックスが始まる2時まで、うっそうとした参道のそれぞれ決められた場所から撮影を待つこと5時間。早い人は3時4時には来て、場所取りをしている。
そして、無事撮影。クライマックスは正味20分ぐらいだろうか。この日の写真はネットで調べればたくさん紹介されているだろう。
夜は、新宮市丸山町(新宮駅そば)の「清水」(きよみず)075-23-2056という食事どころで地のものを楽しむ。その店の夫婦はそろって、アマチュアカメラマン。かなりの腕だと聞いた。
今回ガイドをつとめてくれたTさんは、もと英語教師、写真部の顧問でもあったそうだ。
この町は、写真好きが多いと聞いた。
今日は、熊野古道のひとつである、那智高原から小口に向かう、小雲取り越えを、やはりアマチュアカメラマンであるT2さんと歩く。7時半には出発する予定。

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2005.07.02

僕にとっての「稲村ジェーン」

Blitz グループ展 SummerSurf Tales 7月5日-8月6日

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blitzpostcard

前回も書いたが、目黒のフォト・ギャラリー・ブリッツでグループ展をする。出展は1973年に撮った写真の4点。稲村ガ崎のサーファーとそのガールフレンドたちだ。
稲村が崎といえば、「♪稲村ガ崎、名勝の、剣とおぜし古戦場」という、歌があるが、それよりサザン桑田佳祐の「稲村ジェーン」だろう。桑田の音楽はよかったが、映画は、なぜか気になり僕もみたが、しかしまあ、惨憺たるもの、いやあんなものだろうが、1965年というシチュエーション、時代の雰囲気があまりなかったのが残念だった。なにより海の場面が、どうみても湘南ではなく、伊豆だったのが残念だった。実際、伊豆の海で撮ったのでしかたがないが。今だったらCGでも屈指して、本当に稲村ガ崎で撮ってほしかったなと思う。

この写真は、1973年8月26日、日曜日に撮影した。僕は、大学に入った昭和42年ぐらいから湘南には良く行った。今だったらサーフィンをするためかもしれないが、僕のあたまのなかにまだサーフィンは存在していなかった。それより茅ヶ崎パシフィックホテルの前のビーチでうだうだと過ごしたような気がする。ガールフレンドが茅ヶ崎だったからだ。
彼女の家には良く泊まった。3LDKの公団だったので、僕は彼女の父親と同じ部屋で寝た。今じゃ考えられない。
大学までの定期は持っていたが、茅ヶ崎まではとうじとしても、運賃が高かった。だから、もう時効だから白状すると、それに国鉄はもうないし、何度もキセルをした。その方法はとても大胆で、若気のいたりだ。それは夜の茅ヶ崎駅は、バスに並ぶ人や、タクシーに乗る人が、いっせいに走って改札をでる。先頭グループは全力疾走だ。特に遅くなりバスがなくなったら、走る人はまるでレースのように怒涛の進軍だ。ただ、タクシーに並ぶためだ。のんびりしていたら、30分ぐらい待たされることになる。だから必死だ。とあるとき僕は、精算するつもりで、一緒にはしりながら、自分の定期を出し、右手に持ち、改札員に見せながら走り抜ける。絶対に見えない。機械じゃないから可能だった。もっとも今だったら、自動改札を乗り越えるくちかもしれないが。 反省。
大学を卒業すると、彼女にふられた。それでも僕の湘南通いは続いた。

昭和48年8月の夏の終わりの日曜日、僕は稲村ガ崎に行った。
そこで、かっこい姉妹に海岸道路で会った。声をかけ写真を撮らせてもらった。ついてゆくと、そこが稲村ガ崎、サーファーたちがあつまっていた。
僕は、仕事(アシスタント)で、そのころ数回ハワイに行ったことがあった。オアフ島は、サーフィンが盛んだった。ただ日本の波とは違い、しかもかなり皆上手だったので、自分がやることは考えなかった。だから日本でサーフィンをすることは、考えもしなかった。いやまだまり日本ではみかけなかった。
だから稲村ガ崎に集まっている彼らを意識したのが、はじめてかもしれない。
少女たちは、サーファーのガールフレンドだ。山口百恵の「ロックンロールウイドー」が流行っていた。まるで少女たちは、「サーフィン・ウイドー」のように、波に乗る自分のボーイフレンドをじっと眺めていた。まるでサーフィン未亡人のように。今でもこんなふうな少女たちはりると思うが、いや今の彼女たちは、自分からサーフィンをするだろう。
1973年8月26日のこの日、僕のこの写真を撮っているとき、一の瀬泰造は、カンボジア、プノンペンの戦場で写真を撮っていた。

inamuragirls

1973年8月26日 神奈川県稲村ガ崎袖ヶ浦 (C)ALAO YOKOGI
出展プリントは4点。ライソンという無酸性紙を使用したデジタルプリント。
価格はお求め安く、一点¥20,000と破格に設定した。額は別売り。

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