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14 posts from August 2005

2005.08.29

茅ヶ崎パシフィックホテル TeachYourChildrenその1

chigasakipacifichotel
Aug.1983 茅ヶ崎パシフィックホテル Hasselblad500CM 80mmf2.8 Tri-X

chigasaki1983-01
1983年 茅ヶ崎パシフィックホテル前の海岸

写真を整理している。今はなき茅ヶ崎パシフィックホテルの写真がでてきた。1983年に撮影したものだ。このときも、八ッセルブラッドで湘南の写真を撮っている。1967年から2005年になる今までの自分の作品を見ていると、どうやら僕がとる場所はいつもたいがい決まっているようだ。同じ場所を繰りかえし撮っている。
大学を出て、1975年、フリーのカメラマンになるまで、写真家としては下積み時代といえるが、大学周辺、地元市川、銀座、新宿、原宿近辺、湘南、伊豆と、ほとんどの写真がそれらの場所で撮られている。フリーになってからは、行動範囲は広がったものの、仕事の写真だったりして、僕の個人的作品にはなっていない。
そんなとき、1985年に撮った湘南のシリーズが見つかったのだ。まったく仕事とは関係なく撮っている。1975年以前の写真の続きなのだろう。あまりよく覚えていない。
茅ヶ崎パシフィックホテルは、加山雄三の父親、往年大スター上原謙が建てたものだ。その後倒産して人手に渡った。小佐野だったか児玉だったか。そしていつのことだったのだろうか、忽然と姿を消した。僕は60年代後半から、ずっと湘南といえばパシフィックホテルの前の海岸(Episodeをクリックすると解説がある)のことだった。ボーリング場があり、大きな無料の駐車場があったからだ。かつては、防波堤?もなく自然なままで広い砂浜だったが、年々、ごたぶんにもれず、まあたぶん公共工事、護岸工事によって、潮の流れが変わり、日本のすべての砂浜や、砂丘は姿を消しつつある。ところが、知らない間に防波堤というか、人工の浜辺にパシフィックホテルの前は作りかえられていた。昔はこのあたりでサーフィンをする人はほとんどいなかったが、今はずいぶん増えたみたいだ。ホテルの一階にはレストランがあり、いわば僕の東京からのドライブのデートコースでもあった。
茅ヶ崎パシフィックホテル その2

現在の茅ヶ崎海岸


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2005.08.24

写真展、写真雑誌特集 岩根愛

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僕の、大好きな、写真家、岩根愛が、渋谷Bunkamuraギャラリーでグループ展に参加している。
「Bunkamura Art Show 2005 人工楽園」 Bunkamura Gallery2005年 8月24日(水)~8月31日(水) 会期中無休
10:00~19:30 入場無料

それと若いスター写真家、若木信吾が主催する雑誌、youngtreepressで一冊まるごと岩根愛特集というか、写真集になっている。
以下、彼女からのLetter!

夏生まれの岩根愛です。

写真家の若木信吾さんが発行している雑誌、youngtreepress vol.4で、私の写真の特集をしていただきましたお知らせと、8/24から渋谷のBunkamuraギャラリーで開催されるグループ展のお知らせです。
youngtreepressは、個人のドキュメンタリーを主体とする雑誌で、昨年行われた、アメリカの高校での同窓会の写真と、4つの文章を書きました。
カリフォルニア州の北の果ての海岸にある、ヒッピーたちが自分の子供たちのために始めた小さな高校で、2年間過ごしました。
全校生徒が22人の、自家発電と下水道のない暮らしで、はじめはとても戸惑いましたが、卒業してからずっとかけがえのない思い出でした。
12年ぶりに、もう廃校となってしまった建物に、150人ほどの人が集まり、4日間のパーティを過ごしました。
そこでずっと、昨日までそこにいたような、不思議な感覚に陥っていました。
帰ってきてから、何かにまとめたいとずっと思っていて、若木信吾さんに写真を見ていただいて、掲載が決まりました。

Bunkamuraのグループ展は、
Bunkamura Art Showという現代美術の若手作家の展覧会で、写真は私だけで、彫刻、ペインティング、オブジェなど、計6人の作家で行うものです。
この展示では、「似ている」とはどういうことか、をテーマに、DressCode#Seiko と題して、松田聖子さんのそっくりさんを4名撮っています。
27,28日は会場にいます。他の日もなるべくいるつもりです。
以下、それぞれのインフォメーションです。

ヤングツリープレスhttp://www.youngtreepress.net/ひとりと世界が出会う、かけがえのない関係、瞬間、この時間。
Petrolia Issue
写真・文 岩根愛
1991年入学、1993年卒業。アメリカ 北カリフォルニアの小さな町、ペトロリア。ここにはヒッピーの親たちが作った高校があり、岩根愛はこの一風変わった学校で高校生活を過ごした。
卒業してから12年後、I love you all が口癖の校長先生、ジェフから長いメールが届く。 40歳になったジェフは、パートナーを見つけて結婚することになった。そして人生の節目にたっている今、一番長い時間を過ごしたペトロリアのみんなともう一度会いたい。 同窓会を開こう、そして結婚パーティも、という案内だった。
さまざまな思い、記憶が交錯する、12年ぶりの母校。クラスメートたち。
規律と自由が同居する日々、長距離移動しながら楽しんだバスでの修学旅行。3年間の高校生活の記憶と、卒業から12年後に行われた同窓会でのストーリー。
この本は、会場で売っています。

Bunkamura Art Show
8/24~8/31
10:00~19:30 会期中無休 入場無料
http://blog.livedoor.jp/artshow/

昨日、僕はそのオープニングに行った。
二人の「なんちゃって聖子ちゃん」が来ていた。

nanchatteseikoiwane

岩根愛のことは、5,6年前に知った。Switchで、自分の妹のポートレイトと文章が数ページにわたって紹介されていた。僕はその写真をみて、こいつはなんかすごいと思い、興味を持った。
当時、女の子写真家がブームになりはじめていた。結局は3人同時に、木村伊兵衛賞をあげることによって落ち着いた。
岩根はそんいう女性写真家とは、何かが違っていた。写真はストレートだった。日本の女の子のしょっているものとは、どこかが違うなと思っていた。なにしろ、女性写真家ブームは、それこそ、男でいえば、「オタク」であり、女の子にとっては、「写真」というフィクションのなかで遊んでいるみたいな、不思議な精神世界の、ツールなのかと思っていたからだ。
それは、今の若い女性に限らず、男もそうなのだが、外を知るより、自分の内面に向かってしまう、すぐ簡単にバーチャルな世界を、自分の周りに作ることにで、遊んでいるように見えていたからだ。それは、平和であるけど、どこか病的なものを僕は感じていた。
もっともそれは、今の若い人たちに共通の雰囲気なので、それが写真のテーマとなることは、リアルで当然なことなのかもしれないが。
と感じていたとき、岩根愛に会い、写真を知った。岩根愛は東京で生まれ、複雑な家庭で育った。15歳からアメリカのフリースクーで自ら望んで学んだ。そのときの話が、今度のyoungtreepress vol.4の一冊だ。
淡々とした文章、淡々とした写真。でも彼女の目は、自分より、外の世界に向いている。いや自分の内面としっかり向かい合っているが、外の世界とのバランス、それが気持ちいい。

Bunkamura ギャラリーのDressCode#Seikoのモデルの一人、なんちゃって聖子のモデルの一人、浅野美希を岩根から紹介された。島根出身の「芸人」だ。オリジナル聖子より10数キロ太めだというが、岩根の写真のなかで、見事に松田聖子のフェイクになりきっている。
iwanesphotobyalao
AI IWANE’s photograph by alao yokogi

●同じグループ展では、三宅一樹の彫刻が素晴らしかった。自らの肉眼で見る価値あり。

8/24~8/31まで。
10:00~19:30 会期中無休 入場無料

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2005.08.23

国立国府台病院 Teach Your Children その5

●「●TeachYourChildrenその1」

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Jan.1970 国立国府台病院精神病棟跡  ブロニカS2 ニッコール50mm

その5

僕の実家は、千葉県市川市の国府台にあった。すぐ隣が国立病院だ。僕はそこで生まれた。子供時代、国立病院は、僕らの遊び場だった。空き地があり、用水池があり、丸いすり鉢状の池もあった。そして奥のほうに精神病棟があった。そのあたりはあまり近づくことはなかった。時々奇声が聞こえた。あるとき、そのふるい建物が取り壊されることになった。
国府台の町には、精神病の患者がよくあるいていた。小学校では、クラスに薄弱児もいた。朝鮮部落があり、里見公園、江戸川、矢切、三角山、東台。そして東京の新しいベッドタウンでもあった。クラスには、医者や看護婦の子供がいた。いまは誰とも音信不通だ。僕が中学から、東京へ、越境通学していたせいもある。
子供時代、モルタルの建物が多かった。今でもモルタル壁をみると、つい写真を撮ってしまう。

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2005.08.22

船橋送信所跡

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1970年 船橋 旧日本海軍船橋送信所 解体現場

●「TeachYourChildrenその1」
8月20日、「TeachYourChildren4」のブログで、練馬区氷川台で撮影と書いたが、思い違いだった。というより、記憶では千葉県市川市の近くだったような気がしたのだが、コンタクトプリントを見たら、その同じシートのなかに、東京都練馬区氷川台4-11-35とあった。それで、記憶とは違うがもう30年以上も前なので忘れたのだと思っていた。
すると、ブログのコメントに、○○工業と書いてあるがと、指摘され、拡大してみたところ、そこには、「権田工業株式会、船橋鉄塔解体工事現場事務所」とあった。やはり、そうか習志野か船橋かとうっすら記憶していたことは確かだったのだ。船橋鉄塔でGoogleで検索したが何もなかったが、船橋、鉄塔で検索すると、こんな記事があった。東京新聞のサイトだ。僕が撮ったときには、すでに鉄塔の殆どは撤去されていた。

船橋送信所資料

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2005.08.21

1967年 市川駅(千葉県)

1967年の市川駅の構内から、北口をみたところ。もう40年近く前の風景だ。
僕は市川で生まれ、23歳から一人で東京で暮らすまでずっと使っていた駅だ。
当時国鉄(JR)の駅は、それぞれどこもオリジナリティがあるというか、駅によってその駅舎は違って、個性的だった。だからぼんやりしていて、乗り越しても駅名を見なくてもすぐにわかった。それが高架になり、どの駅も同じようになってしまった。
まあ、40年近く前の話なんてなんかリアリティがないと思う世代も多いと思う。僕の世代のにしてみれば、僕が大学生のころだとして、昭和初期の、東京がどうだったなんて、あまりにリアリティがない。
戦後(太平洋戦争)からこのころまでの風景は明治、大正、昭和のにおいがぷんぷんだったが、70年代以降日本の町の、雰囲気は大きく変わった。いまや全国どこへ行っても同じような風景になってしまっているが。

1967ichikawastation
アサヒペンタックスSP 50mm ネオパンSS 写真をクリックすると拡大します。

下の写真は、ミノルタのスキャナーでネガを取り込んだもののオリジナル(リサイズはしている)。
上の写真はそれをレタッチしたもの。基本的には、モノクロの暗室作業と同じようなことをしているだけだ。
モノクロネガのスキャニングで困ることは、このスキャナーがあまりモノクロを重要視していないせいか、カラーより機能が落とされている。何よりモノクロモードだと、ゴミを軽減する機能がついていない。僕は主義として、なるべく簡単なソフトを使っているので(フォトショップエレメント)、ネガのゴミの処理はかなり面倒だ。カラーのスキャニングでは絶大だからだ。スキャニングは、モノクロのネガにも力を入れてほしいと思っている。

1967ichikawastation_original
暗室ではなく、明室といわれているが、基本的には銀塩のプリントと同じことをしている。
フォトショップで、コントラスト(印画紙の号数に相当する)のほか、焼きこみ、覆い焼きが基本だ。
トーンカーブだけでは、モノクロ写真らしさはでない。
焼きこみ、覆い焼きは、つぶれいたり、飛んでいる部分を出すだけではなく、もっと積極的に、主題の強調や、視線の誘導のためにする。具体的に言えば、プラットホームは、オリジナルは全体が明るいので当然だが、そのため目立ちすぎる。まるで主題がホームみたいだ。側面を焼きこむと、主題が少し中に移動する。ぬれたホームのシャドー部分をさらに暗くする。そのことによってそこが際立つ。まあ、いくつかの目の誘導のためのテクニックを使っているが、パソコン時代になり、コントラストのほかになんと、シャープネスまで使えるようになった。画期的だ。ただ、印刷上では、昔から使っているテクニックだ。オリジナルよりピントをよくなんて、印刷ではごく当たり前のことだった。


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2005.08.20

写真展「TeachYourChildren」その4

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1970年 船橋無線塔解体現場

写真展「TeachYourChildren1967-2005」その1

なんども書いているが、来年1月、アートフォトサイトギャラリーで写真展を開催する。テーマは、「世代」TeachYourChildrenだ。
僕が若かった1960年代後半から2005年までの、若者を中心とした写真で構成される。そんなわけで、僕は今、かつての写真を再セレクトしている。今まで何度か写真展などで紹介はしているが、世代といったテーマで選んでいたわけではない。昔のコンタクトプリントを見ると、スナップショットに関して言えば、今とさほど変わらない。いやある意味もっと何も考えていなかっただけ自由だ。変わったことは、写真を見る目であり、若いとき選んだ写真は、その時代の空気で選んでいるが、今の僕は違った写真を選ぶことも多い。
昔の写真に一番ひかれるのは、やはりスナップ写真で、それは、セッティングした写真とは違う力がある。
やっぱり写真は記録性だと、簡単には言えない。
作られた写真、ファッションや、広告写真は、かえってその時代の空気がはっきりと写っている。言い換えれば時代の願望が写る。
それにひきかえスナップ写真は、その時代の生の部分があるために、かえって普遍性を感じてしまう。いや、そうではないかもしれない。ぼくが撮るスナップ写真は、もしかしたら「時代の願望」を撮ろうとしているのかもしれない。それは、ファッション写真のアプローチだ。僕の写真には、目で見える真実を伝えたいという気持ちが希薄なのかもしれない。僕は、写真は記録だといわれると、そうだと答えるが、しかし写真は、現実の記録だとは簡単には考えていない。以前にも書いたが、写真は、現実の「影」の記録だと思っているからだ。
日中、道路にのびる自分の影を見て、自分が写っているなんて思う人はいないだろう。
自分の影は、あくまで影だ。しかしその影からいろいろ想像することはできる。男か、女か。とか。
写真もあたかも現実に近いようにみえても、実は現実の影であることを忘れてはいけない。
このへんは、ことばたらずでわかりにくいと思うが、本にでもするときにきちんと書く。
写真は現実が記録がされているのではなく、現実の影が記録されている。
などと、つれずれなるままに、適当なことを書いているが、話は変わって、昔の写真を見ていて、いったいそれはなんなのか、などと思うことも多い。すっかり忘れているのだ。写真のなかに写っている住所から、それがやっと判明する。
話は飛ぶが、実は、僕は今暗室がない。膨大なモノクロ写真は、スキャニングすることによって、そしてデジタルプリントすることによって、表現してみようと思っている。スキャナーは、コニカミノルタのDMAGE SCAN ELITE54002を使っている。なかなか優れているし、テストして、モノクロ35mmのスキャニングが可能だと判断した。すべてモノクロイージーモードでのスキャンだ。もちろんカラーは文句ない。ただモノクロのネガのスキャンはかなり難しい。適正現像ではないネガを作ってしまったときのように、いろいろ調整しなければならない。

もうひとつの問題は、モノクロのネガは通常、6こまずつスリーブ状になっているので、スキャンは1こまか、6こま全部の二通りしかこのスキャナにはチョイスがない。モノクロのスキャンに限らず、カラーだってスリーブが多い。
やはり6こまのうちの何こまかを、任意に選びたいものだ。その変の使いでが悪い。ずっとスキャナーにへばりつかなくてはならない。
やはり技術者とは、本当には使っていないだなと思う。でもお勧めなのでここに紹介しておく。

さて、実は、下の写真は1970年に、練馬区氷川台で撮影した、米軍施設だ。(実際は船橋)
8月22日Blog参照
旧日本軍の施設を摂取したものだろう。今は返還され、公園にでもなっているのだろう。
この施設の情報、これについて触れているホームページをご存知のかたは、教えてください。
このときは、ちょうど返還されて、解体しているときだと思う。モノクロームで、150カットほど撮影している。

nerimahikawadaiiriguchi

かつてはこういう施設よくあった。戦後まもなくは、アメリカのなかに日本が含まれいていたが、このころは日本のなかにアメリカが存在していた。そのこととが僕の大きなテーマのでもある。
いってみれば、石原慎太郎は、明治、大正といった、近代日本の申し子だが、僕らの世代、僕は、どう考えてみてもアメリカの文化的混血児だから。

こういう施設は、たいてい立ち入り禁止だが、気にせず堂々と入り、写真を撮ったものだ。工事関係者に注意されても、なんだかんだ言って撮っていた。まあ、おおらかな時代だった。
かつて写真を撮ることは特別なことだったが、いまや携帯でも撮れる。もはや特別扱いはされない。

nerimakuhikawadai

NikonF KowaSW28mm AsahipentaxSP  フィルムは、フジの映画用の100Feetを使っている。正式名称は忘れた。ネガを見ても、Fujifilmとしか書いてない。
追記
友人の写真家北畠健三氏が、フジのFS100だと教えてくれた。

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2005.08.19

Teach Your Children 1967-2005その3

1969年 浦安 
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まだディズニーランドはできていなかった。この少女は僕が持っていたカメラに興味を持った。でもシャッターは切ってくれなかった。KowaSW28mm。


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Teach Your Children 1967-2005その2

1970年 横田基地ゲート
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2005.08.18

ドキュメント あゆの恋

「走れ、あゆ!」

やっとのことで、フジテレビのドキュメンタリー「あゆの恋」~泣かない、めげない、くじけない~を見た。
Tomoをとおして、彼女、すがやあゆみと知り合い、まだ1月にもなっていない。会ったのあと、彼女のホームページを読んだりして少しは彼女のことをわかったつもりでいたが、このドキュメンタリーは彼女を1年間追いかけたものだ。障害者である彼女の日常と直面している恋について追いかけている。あれこれ番組の批評めいたことを書いてもしようがないだろう、チャンスがあったら見て欲しい。なにより、彼女の前向きな姿勢が素晴らしい。自分は自分でありたいと思う心が美しい。とくに、人間として、健常者と同じように働きたいと言う思い、何十社も就職面接を受け落ち、神奈川新聞の面接のときに、「私を雇用したら、神奈川新聞のイメージアップをさせてみせます」と殺し文句、啖呵を切った。すごい。なかなかいえないこと。でも、そのぐらい自分を売り込むのは、本当は、大切なこと。障害者だから、雇ってくれくれではない、障害者である私は、あなたの会社に大きな力を与えられるのよ!という、主張。
常々思うことに、よく、若いカメラマンだったら、売り込みというものがある。
作品を持っても、仕事をもらいに行くのだ。そんなとき、若いカメラマンはまだろくに作品もない。するとつい、何でもいいので、「いっしょう懸命やるから、仕事をください」みたいなことを言ってしまう。
実際、それは禁句だ。運良く何かもらえても、それは本当に意味ある仕事ではない。だいたい、なんでもいいと思っている人間に仕事を頼む気はしない。売り込むときに大切なのは、相手に「何かを与える」つもりで会う必要があるということだ。素晴らしい作品があれば、それを見せるだけで、会った人間は得した、何かを与えられたと思う。だいたいそういう人は、常に自分を吐き出しているので、本当は空っぽなことが多い。だからいつも何かを求めているのだ。求めているから、会うのに、売り込みに来た人間が、大きな口を空けて、何かをくれとせがんでいる。そんなやつに会いたいのではない。人と仕事をする、仕事をもらうということは、相手からもらうことではなく、まず相手に与えなければならない。その対価として、何かしらのものがもらえるのだ。
よく、女だから、かわいいから得だといわれる。それは事実、なぜならば、何もできなくても、かわいい子、チャーミングな子はそれだけで、相手に何かを与えているのだ。その上に、仕事できれば、仕事をするかもしれない。しかし一時、与えても、これから先まで、つきあえるかどうかは分からない。あくまでも仕事のための出会いだから。まあ、メールのアドレスでも聞きいて、おしまいかもしれない。
人と会うとき、何もなかったら、何かお土産をもっていく必要がある。物ではない。それは、最近見て感動した映画、感動した小説でも、なんでもいい。ネガティブなことではなく、ポジティブなことを言う。あの映画は最高におもしろかったから、是非見たほうがよいですよ、と言えるだけで、相手に何かを与えることになる。しかしそれに日常的に貪欲に生きなくては、人に伝えることはできない。
さて、脱線したが、あゆの日常、髪のとかしかた、靴下の履き方、そんな工夫。うん、やればやれるんだなあ、って思えたが、やはり恋はそうはゆかない。それは障害者だって、健常者だって、男だって、女だって、みんな簡単ではない。障害がある恋のほうが燃えることもある。
そんな、なかであゆがふと漏らした言葉、私みたいなB級品でも好きになってくれる人がいる……。なんて部分があったけど、あゆはB級品じゃない。特Aだと思う。魅力がいっぱいだ。
でも気になったことがあった。それはあゆの体はまだ、進行中だということだ。これから良くなるのでなく、年々悪くなるという。そんな。彼女は未来さえも受け入れている。時間はないって。今みたいに動ける時間は残されていない。それであゆは、120%なんだ。いや150%かもしれない。だからあえて言う、「走れ、あゆ!」走って、走って、走って、人生を食いつぶしていいんだよって。
1967年12月 横田基地 福生 東京
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2005.08.11

畑谷友幸写真展 NATURAL すがやあゆみ

Tomoこと、畑谷友幸氏が、2005年
畑谷友幸写真展「NATURAL」
を、2005年10月7日(金)~10月16日(日)
山口市久保小路 髪工房バーバークラマシにて開催します。
モデルは、「あゆ」こと、すがやあゆみさんです
TOMOも本気で、撮る被写体と出会ったようです。

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2005.08.10

TeachYourChildren1967-2005その1

来年、2006年1月10日から2月25日まで、目黒にある、アートフォトサイトギャラリーBlitzインターナショナルで、写真展を開催する。テーマは、世代から世代へ、タイトルは「TeachYourChildren」だ。
そのために、そのテーマに沿う写真を僕は今、コンタクトプリントひっくり返して、選んでいる。当時、30年以上前にセレクトしてプリントしたものもあるが、新たに、2005年の僕が選んだ写真も写真展では紹介するつもりだ。このblogでは、新たに見つけた写真を紹介してゆくつもりだ。
若かった時代に選んだものと、今選ぶもは違っているものもある。
かつては、暗室でプリントしたものだが、今回は、モノクロネガをスキャニングしている。それがうまくゆくかどうか今実験中だが、まあ、今はテストプリント中ということである。
下の写真は、1967年の12月、横田基地周辺、福生で撮影したものだ。まだベトナム戦争まっさかり、基地内ではなく基地の周りに多くのハウスがあった。それは下級兵士たちの住居だろう。子供たちが大勢いた。横田にはよくかよったが、1970年代になると、米兵の多くが引き上げ、ハウスは日本のアーティストが多く住み始めた。村上龍の「限りなく透明なブルー」は、70年代の福生での出来事ということになっている。

yokota1967
Dec.1967 Fussa Tokyo
Asahi PentaxSP SuperTakma28mm NeopanSSS

yokotagirlstate

●なお、1970-1975年の写真の一部が、
アサヒカメラ9月20日発売、10月号に一部紹介される。
そして、日本カメラの12月20日発売、1月号に、2000年代に撮った写真が紹介される。
アートフォトサイトギャラリーBlitzのあと、京都ギャラリーでも写真展をするつもりだ。


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2005.08.08

遠吼え!!通り過ぎの輩が書いた憂鬱な本

いまどき、こんなこと思い出したように書くなんて大人気ないと思うが、アマゾンのアソシエイトプログラムを貼り付けていて、僕がノンフィクションのライター田崎健太と作った、「キューバの本、ユーツな楽園」について、ずいぶん前の、あいかわらずのレビューに、暑さで久しぶりにむかつき、ここで「ご紹介」するしだいだ。

20 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

憂鬱な国の憂鬱な人が描いた憂鬱な本, 2002/01/29
レビュアー: カスタマー   Ciudad de Yokohama
通り過ぎの輩が書いたこんなお手軽本が
巷に並んでいると思うと吐き気がします、
とちょうどセントロ・アバナの馴染みのアパートを活動拠点に
キューバを一ヶ月ほどフィールドワークし、帰ってきたその日に、
本屋で並んでいるのを見つけて、燃やそうとした一冊です。

自分がどのような位置関係から括弧付きの「キューバ」を

捉えようとしているのか、そんなことが身体全体で
疑問も持たずに、出版された本です。

まぁいいけど、恥ずかしくないのだろうか?


僕はあんまり他人の悪口を書くことは好きではないし、ましてこんな匿名のレビューにいらいらする必要もないが、本や雑誌と違って、ネットのレビューは、もしかしたら半永久的に、こんなふうに残るのだと思うと、気色が悪い。一度、こんなのレビューじゃなくて、中傷じゃないのかと、アマゾンにメールを出したこともあるが、やんわりと、削除できないといわれた。本は公開された作品なので、何を言われてもあまんじるが、それならば、それなりのやりかたがあるはず。第一、通り過ぎの、通りすがりの輩って、俺のこと?はあ?通りすがりじゃなくて、通り過ぎ、どっちでもいいけど、通りすがりだったとして、当たり前田のクラッカーだ(ふるい。ほとんどアジャパーの世界)
写真は通りすがり以外どうやって撮るんだ。
いやまてよ、文章を書いた、田崎健太のことを言っているのかな。彼は南米フェチの、スペイン語、ポルトガル語使い。田崎はキューバは二回目、この5年前に1週間滞在しただけだ、この時は僕と2週間、その後ひとりで2週間キューバをさまよった。彼のフィールドは南米、しかし中南米にたいする造詣はかなりのもの。だから僕は、文章を書かなかったのだ。
僕は、この本のために、わずかキューバには3回、足掛け2年、合計たったの40日しか取材をしなかった。そして、ピナールデルレオ、ハバナ、サンチャゴデクーバとくるまで走り回った。もうしわけない。
たしかに、Ciudad de Yokohama 氏のように、セントロ・アバナの馴染みのアパートを活動拠点にキューバを一ヶ月ほどフィールドワークした方とは違い、安易だった。って?ざけんなよ。だめなやつは、キューバに100年いたって何にも見えないんだよ。まあ、この本に嫉妬するぐらいだから、まだ作品は壮大な夢のなか、製作中だろう。大作を期待する。あーこんなことを書くなんて、下品だね。削除。したいところだが、暑いのでやめる。

さて、少なくとも僕は通りすがりの輩だとしても、とても楽しいキューバを見た。観光旅行じゃあかんのか。僕はほとんどいつも旅行をしたことはない。いつも写真を撮っているからだ。それは旅行じゃなくて取材だ。しかし、カメラを持ちながら純粋な旅行なんて、カメラマンになったときからあきらめている。だから僕は通りすがりのカメラマン。立派に写真を撮った。僕はキューバと同化したいのではない。ナルシスティックな旅行者なんてまっぴらだ。ひたすらキューバを見て、写真を撮る。
それは社会主義の国なのに、また貸しの、相場より数倍高い部屋に住む売人、闇葉巻の売買に立会い、実はその現場の写真も撮っている、さりげなく本にも載っている。その苦労して買った葉巻は、見事、ハバナ出国で税関にて没収されたが、もちろん僕が密輸したわけじゃない、なにしろ葉巻500本、完全な犯罪だ。なのに放免された。ただ巻き添えで撮影済みのフィルムも止められ、まあなんとか返してもらったが、めでたしめでたし。この件は田崎君とは関係ないが。
事件はそればかりではない、娼婦でありながら、英語教師とスペイン語教師、そんな女性と食事をした。彼らの給料確か20ドル。娼婦をしなけれりゃ生活できない。彼らと食事だけで終わったなんて、それこそ不純だが、よるとしなみには勝てない。もう何でも試しみる年ではない。ただ彼女にはハバナのガイドをしてもらった。そして代金の代わりに食事をご馳走した。
クルマに乗れば、警察官に突然止められた。一度はハイウエーでスピード違反、30キロオーバー、観光客の特権で、田崎もことばはちんぷんかんぷんをよそおい、無罪放免。そして一度は警察官による、強権的なヒッチハイク。田崎君得意のスペイン語で、知り合った多くのキューバ人と、鶏の首を絞め、それを食い、息子の誕生日を祝い、やれやれ、とんでもない楽しい旅をしたつもりだった。
・・・・・・・それを嫉妬のような、レビューがアマゾンに、永遠にはりつけてあることが、僕は気分が悪く、この間六本木のボテギータに行ったことから、またこのレビューを思い出し、暑さのやつあたりとして、今これを書いている。憂さ晴らしといえ、ブログにこんなふうな、はけ口としての使い方があることを知った。まあ、さほど怒っているわけじゃないが、失礼だよ!っていいたいだけ。だったら、あなたの素晴らしい作品を見せて欲しいってことかな。
自分で言うのもなんだけど、写真はそんじょそこらのキューバの写真よりだんぜんよいと思う。それがなんとアマゾンでいまや¥218で売っている。信じられない値段。なのでここで紹介します。是非買ってみてください。なんて結局は宣伝になりました。

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2005.08.06

あゆの恋 と暑中お見舞いの挨拶

見逃した番組、「あゆの恋」をTomoが、ダビングして送ってくれることになりました。それに、Dakkoさんからコメントがありました。(Dakkoさんこと、朝霧裕さんのサイト
●あゆの恋 その1
●あゆの恋 その2


暑中お見舞い申し上げます。
nachinotaki
那智の滝 クリックすると拡大します。

今日も気温35度、お元気でしょうか。
来週、お盆は休みを取り、8月20日過ぎに仕事再開です。
7月の中旬、雑誌広告で南紀熊野にクルマで行きました。なんと8時間もかかってしまいました。
何しろ、東名高速、東名阪といった高速から下りて国道を120キロ。
その3時間が一番長かった。東京から一番遠い場所だと地元のひとは言ってました。
そこで、世界遺産になった、熊野古道のごく一部だけど、約20キロを歩きました。
山歩きなんて何十年ぶりでしょうか。
実は昨年から、日常の移動として自転車に乗っているので、このぐらいの山道は難なく歩くことができました。
今、仕事は、広告に力を入れてみようと思っています。いくつか仕事をしました。
このところデジタルで撮ることが多くなっています。


それから、1967年から2005年までの、プライベートな写真、あまり発表していない写真を、今まとめています。
被写体は、いわゆるその時代、時代の若者のポートレイト、タレントの写真ではなく普通の若者です。
有名人の写真は、彼らが時代のイコンのためか、その時代から逃れられないのにくらべ、
普通の若者の写真は、時代を超えた空気がそのまま残り、まるでファッション写真のようです。
9月発売のアサヒカメラ10月号に、「TeachYourChildren」のタイトルで、1970-75年に撮った写真を発表します。
日本カメラ2006年1月号には、2000年代に撮った作品を発表します。
2006年1月10日から2月25日、には、目黒にあるアート・フォト・サイト・ギャラリーBlitzインターナショナルにて「TeachYourChildren」の写真展を開催します。
できれば、写真集にしようと、いま格闘中です。
昨年、一昨年と文章を書くことに力点がありましたが、やはり足元を見つめなおす意味で今年は写真をがんばっています。
といっても、チャンスがあれば、もっともっと書こうと思っています。

横木安良夫

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2005.08.01

あゆの恋

残念ながら、あゆこと、すがやあゆみのドキュメンタリー見ることができなかった。すっかり見るつもりでいたら急用ができて、ビデオに撮ることもできなかった。残念。また再放送があることを願うけど、民放はなかなかないよね。見た人の反響が大きかったせいか、アクセスがずいぶんふえたけど。見た人はどんなことを思ったのだろう。

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