東京に戻り、台風14号について思うこと。
熊本市にいて、14号台風の風も雨もさほどじゃなかったことを書いたが、その夜、外で食べ、ホテルの近くのバーで「なんか大げさじゃないか?」と、話したら、昨年の被害がひどく皆過剰に反応しているということになった。
しかもアメリカのハリケーンの被害のリンクで、テレビがいつも以上に大騒ぎしていたせいだろう、デパートも休み、町は閑散としていた。
それにしても、熊本市内にいた感想と、テレビの騒ぎよう、いや宮崎ではそれほどにひどかったのだが、しかし、なにより山間の、老人ばかりが死んでいることが気になった。郵政民営化とくっつけている陣営もあるほどだ。
いや、それより、どうしてそんな危険なところに老人たちが住んでいるのだろうという、素朴な疑問がわく。
何しろ、名前も垂水。日本の危険地帯は、たいてい危険だという、地名になっている。
さて、危険地帯に住む理由は、二つあるだろ。
ひとつは、かつてはそんなに危険ではなかった。
もうひとつは、便利になり危険なところでも住めるようになった。
公共事業による、ダム、立派な橋、立派な道路ができることによって、それまで安全だった場所が危険になったのではないか。
橋ができ、道路ができれば、今まで住めないところにも住める。
いや、木の橋は洪水で流れるが、コンクリートの橋は、そこがせき止められ、新たなダムになり、水位をあげてしまう。
かつては、水かさが増しても、橋をなぎ倒し、そのまま下流に流れていたものが、どこかでせき止められてしまうことだってありえる。護岸を丈夫にすればするほど、違う災害を呼ぶ。現代の都会の鉄砲水の多くは、コンクリートの護岸のせいだともいわれている。
ずいぶん昔に、テレビドラマ「岸辺のアルバム」というのがあった。
東京狛江にある堰によって、一帯を大洪水にしてしまったことがある。
堰がなければおきなかったらしい。
もっとも、堤防ができることによって、川のそばの低い土地にも人は住むようになる。
・・・・・と、昨日、熊本の山間の旅館でサッカーを見た後だったろうか、それとも今日の朝だったのかな、ディスカバリーチャンネルで、洪水についてやっていた。
堤防に囲まれた国、オランダの話だ。その番組で、タイミングよく、同じように堤防に囲まれた町、ニューオリンズ紹介していた。
リアルな話として、もし堤防が決壊したら水深7mぐらいの水位になり町は水没すると、二階ぐらいまでが水につかるだろうと予測している。
死者の予測は2,3万人にのぼるとまでいう。それは20年ぐらい前の巨大ハリケーンで、南部が大打撃を受けたとき、運よくニューオリンズは直撃にならなかった。もし直撃だったらという仮定、予想の番組でもあった。
それが今回はまったくシミュレーションどうりの結果になってしまった。
いったい、そのときの警告や教訓はなぜ生かされなかったのだろうか。20年間何をしていたのだろう。
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