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2005.09.30

肖像権 未承諾写真 その4

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1974年参院選挙
こういう写真は、かなり昔の写真だとしても、作品や記録としてはつかえても、広告に使うことはできない。
広告(商業目的)と、ジャーナリズム、アートとは、一線がある。
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アサヒカメラ10月号に載っている、35年まえの写真。ふたりとも僕の友人である。もちろん撮ったときには、合意のもとだ。しかし、これを発表する承諾はとっていない。歳月は、かつての友人だとしても、今は他人かもしれない。

よく、タレントがまだ素人時代の写真を、たとえば昔のボーイフレンドがマスコミに出すことがある。マスコミはそれをいくらで買おうが、社会に影響のある、有名人だから、報道の自由として、無断で載せることがある。いや、いまは一応、事務所にOKがもらえようが、もらえまいが連絡はするようだ。しかし理由をつけ、掲載する。特別プライバシーを暴くようなものでなければ、たいして問題にはならないだろう。まあ、それでも裁判で負けることもある。
写真は、決して正義なんかじゃない。危ういメディアを、使っているという認識は必要だろう。決して、写真に真実が写っているわけではないのだから。
28日のSatobo氏のトラックバックに写真のうそについて書かれている。くだんの、SEX、Tシャツの女性が、あらわに両肩をだしているのは、一瞬の出来事だったのではないか、ということだ。その瞬間を、何百分の1秒かで写真は捉える。人間の目では見えなかった世界かもしれない。写真は真実なんて写してはいない。それに彼は、その女性をタイプだという。その一言が、大切だと思った。
2チャンネルでは、彼女のことをぼろくそに言っている。匿名のざれごとは、便所の落書きと一緒だ。
ただ、ツルる意味でも、「おれはタイプだ」というやつが、誰もいないが不思議だ。
服のコーディネイトのセンスは、?かもしれない。しかし持っているジージャンを羽織れば、スニーカーはスポーティで悪くはないかもしれない。・・・・・僕がいいたいのは、写真は真実は語ってないということと、ことばに左右されるということだ。例えば彼女が、有名な女優だとしよう。その記号のようなものだけで、絶対に擁護する人間はでてくるはずだ。「おれはこの女性タイプだな」という、ことばが発せられた瞬間、スタイルも悪くないな、とか写真ではなく実際は魅力的なのかもしれないと思う。
かつて、雑誌や新聞社のカメラマンは、インタビューのときに、表情に動きがあれば、それでよいとしていることがあった。いや、いまでもそうかもしれない。だから笑った瞬間や、口を曲げたり、変な顔を使う。もちろん何コマも取れば目が半開きもあるだろう。そして、そんな仕事の場合、撮影者に選択権がない。個人の著作物ではない。写真をよく知らない人間が選ぶこともある。カメラマンは基本的に被写体と向かいあう。それなのに、撮られた人間が、いやだと思うものをわざわざ選ぶこともある。よほどじゃなければ、カメラマンは被写体に悪意はもたない。特に向かい合って撮る、ポートレイト撮影は、悪意はもたない。相手がふてくされていても、受け止めなければならない。
さてさて、話は横道にそれてしまったが、一瞬の表情で真実が写るなんて嘘だ。
前にも書いたが、
「写真は世界の99.9999%を切り捨てる作業」
だからだ。
針の穴から見る、カメラという機械が2次元に記録した静止した世界だ。前後の時間も存在していない。
人間の目には静止した現実を見ることはできない。
言い換えれば、人間には見えないことをカメラは撮る。
そして、写真は現実に存在している、ものの光の陰影を記録している。
現実とは、時間も、光も、音も、匂いも、そしてなにより、存在していることだ。
決して現実そのものを記録しているのではない。
写真とは現実の「影」を記録しているのだ。

肖像権侵害 その1

その5

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