Eos5Dインプレッションと肖像権侵害
まず、肖像権侵害訴訟について、評論家、ジャーナリスト、作家、学者である武田徹氏にちょっとメールで意見を聞いた。彼の備忘録に触れられている。
・・・・確かにこれは個人の権利を巡る些細な争いのようにみえて実は大きな公共的なものに関わっているもんだいだ。自分の顔とは誰のものなのだろうか。それは自分ではなく誰にも開かれた景色に所属すると言ってしまうのは間違いなのだろうか。
もしも表情が本人に帰属するもので、本人の同意なしには複製?できないものだとすれば都市の風景の写真は(『Nobody Tokyo』はその意味でとても逆説的なものだったがーー)被写体の同意が伴う、自意識の延長上に位置づけられる。それは果たして(バルトに言わせれば自意識から隔てられた細部の集積としての世界を記録することにこそその存在価値がある)写真というメディアの存在自体の否定に繋がるものではないか。ここで思考実験。もしも鏡や、他にもあらゆる反射像を生み出すものの存在を厳しく禁じ、また水面に自分を映し出すような行為もまたタブーとする宗教があって、自分の顔を見られずに育つ文化があったら私たちの自意識や権利意識はどう変わっていたのだろうか。「私」とは「私」の器の内側なのか、外側も「私」なのか。内側の「私」と外側の「私」はどう関係するのだろうか。・・・・・・
24-105mm F8
クリックすると、72pixel/inch で横幅を1000ピクセルにリサイズした何もしていない画像が開きます。
下の写真も同じ。
さて、Eos5をテストした。というより、僕はテストが嫌いなので、ただただ撮影した。
なにより一番興味があったのは、EF50mmf1.4でどのように写るかだった。上の写真が新しく発売された、24mm-105mmf4だ。F8で撮影している。ブレ防止の入った、ちょっと重たいがそつのないレンズだ。
そして、EF50mmf1.4。銀塩時代から僕の大好きなレンズだ。APS-Cでも、ポートレイトレンズとして気に入っている。
10月末にアスペクトから発売される、「5D」の本に紹介するテスト撮影だ。(テストではない、本気だ)
僕が細かいメカニカルなことを書くことはない。興味がないからだ。
それよりどう写るかと、使い勝手が興味だ。
下の写真が、F1.4開放撮影だ。周辺が落ちている。これをネガティブに思う人は、写真を知らない。それがいやだったら、開放で撮らなければいい。どこかに書いてあるように、F8ぐらいい絞れば完璧になるだろう。でもそれがなんだ。そんなことをしたら、24-105で撮った写真と同じになる。
開放で撮ることによって、雰囲気のある、このレンズの魅力がでる。本来これがこのレンズの個性だ。つまらないことを指摘して、技術者に無駄なプレッシャーを与えないように。ニコンがいつまでも、液晶にカバーをつけているのは、そんな瑣末なことに文句を言う人がいるからだ。
Eos5の感想。素晴らしいバランスデジタルカメラだ。
20Dと交互に使うと、なんだか645を使っているような気がする。
ファインダーは見やすい。四隅までがくっきりとしてる。
見えすぎて、ちょっと構図が丁寧になりすぎるかもしれない。振り回して撮るカメラではないのかもしれない。
合焦も20Dより、すばやい。
唯一の欠点は、大きく見やすくなった液晶が、屋外では最大に明るくしても暗く、ヒストグラムを表示させないと不安なことぐらいだ。
フルサイズ35mm、本当にこれは、35mm銀塩カメラの後継者なのか。
いつの間にか嫡子は、APS-Cのようになってしまった。フルサイズデジタルは、中盤サイズのカメラにリエゾンした、新しいカメラに思える。
東京はどんよりと曇っていたが、撮影地、九十九里は、時折薄日が差した。
撮影は、スターダストの中島怜美(さとみ)さん22歳のポートレイトだ。
今年理工学部を卒業した才媛。微分積分が大好きといい、今気象予報士の勉強をしていると言った。
きっとそのうち注目されるだろう。
ここでその写真を紹介することは、できない。彼女の魅力は、本を買ってください。
9ページにわたって紹介する予定です。
CanonEF50mmF1.4 絞り優先オート F1.4で撮影
協力 アスペクト 「Eos5D」10月末発売
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