写真展を見て、酒を飲む。
神田にあるオリンパスギャラリーで、明日、26日、3時まで開催されている、写真展、第三回「銀の粒」同人展を見にゆく。大学時代の先輩、青山達雄が出展しているからだ。と、前に書いた。
「銀の粒」とは、銀塩写真のグレインのことだ。
その三人の写真家、平カズオ、青山達雄、三浦和人は、僕よりひとつ、ふたつ年上の、団塊の世代の写真家だ。
1960年代中ごろ、ニューヨーク近代美術館、MOMAで開催されたコンテンポラリー・フォトグラフィという写真展に影響され、さらに高梨豊、森山大道、そしてカメラ毎日編集者、山岸章二に影響され、日本式にアレンジされた、「コンポラ写真」という運動があった。さまざなスタイルがあったが、揶揄するようにブレボケみたなことも言われた。しかしブレボケは少数派、単純に森山さんに影響された一部だけだろう。
そのまっさかりにいた写真家三人の写真展だ。
当時の若手旗手として、ちょっとまえまでクラシックカメラおじさんという座にいた田中長徳、(最近は再び作家に戻りつつある)そして、牛腸茂雄がいる。
当時、若いカメラマンに圧倒的な支持されていた、「カメラ毎日」という写真雑誌があった。そこに「アルバム」という、プロもアマも関係ない、ページが口絵のあとに20ページぐらいもあり多くのカメラマンが発表した。たしか70年ごろから始まったのだろうか。山岸章二がそのページの意味と意義の檄文?を書いた。
だから、この世代の多くが、ここで発表した。先日赤城耕一写真展にも来ていた、鬼海弘雄もアルバム、デビュー作家だ。明日から写真を撮りに、トルコに行くと言っていた。さてさて、そういう僕も「アルバム72」で、デビューしている。
時代背景から言えば、世界的なステューデント・パワーの時代、日本ではアングラの時代だったが、そこに全共闘運動みたいなものが重なり、いやそこに、ビートルズを中心に、ロックミュージックが通奏低音になり、世界は若者文化に制覇された時代でもあった。
しかし実は今の時代と同じように、そんな運動は、ほとんどが、「大人」の世界に取り込まれ、一人になったときは、無力な若者でしかなく、重く、閉塞した気分だったような気がする。
唯一、敢然と戦いを挑んだのは、フォークミュージックの連中、吉田拓郎、井上陽水、ハッピーエンド、等々たくさんいるけど、ビジネス面でも成功して、日本の音楽の新しい流れを作った。
しかし、写真は、音楽のように一般の人が支持するわけではない。一部の編集者、評論家に認められなれば、でてくることもできないだろう。今のように、多くの写真賞があるわけでもない。APA賞(日本広告写真家協会)とJPS賞(日本写真家協会)ぐらいだった。若い写真家は、写真界の閉塞した気分をうっとうしく思っていた。
それが、70年代頭ぐらいから、ファッションや広告写真という、商業写真が強烈に台頭し、カメラ雑誌なんて読まなくてもよい時代になっていった。・・・・・・なんてこんな思い付きのように書いたが、このあたりはきちんと書くとかなり面白い。まあ、そのうちどこかで書かなければならないだろう。オリジナルプリントでの発表など、胡散臭く感じ、商業主義と結びついた表現が、ポップで新しいものだった。
ところで、今回の「銀の粒」同人展で、平カズオは会っているが、三浦和人とは初めてだった。前回同人展のときにも完成度の高い美しいプリントのスナップ写真を撮っていたが、ありふれた景色を撮りながら、モノクロ写真のなかに、特に光と影を印象的に、頭に刻みつけてくる写真家だ。彼は牛腸茂雄と、桑沢時代の同級生で、牛腸の再評価に尽力した人でもある。
閉館後、どじょう屋で飲んだ。写真家の本多信男さんも一緒だった。本田さんは僕より10歳以上も年上だが、元気で活躍している。彼のホームページは、最高に面白いしためになる。
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