肖像権侵害 その5
その5
この問題を、知ったとき、ある意味写真家のエゴとして、街でスナップ写真を撮ることが否定されたような気がして、「日本ファッション写真協会」は、写真家の権利を守るためにも、単純に控訴するべきだと思った。しかし深く考えるようになって気持ちは変わった。
だいたい日本ファッション協会は、さんざん写真の恩恵にあずかりながら、それを撮っている、カメラマンにたいして尊敬の気持ちのない団体だとよくわかったからだ。写真はただの記録ではないんだよ。
Satoboの写真日記を読んでもらいたい。彼の写真家としての、心の優しさに僕は、ドキッとした。そして彼が、写真に写っていることは、真実じゃないんだよと、僕がいつもいいっていることと同じことを、この問題の女性に、この写真を見た人に言っているからだ。こんかいの最大の被害者は、この女性だ。
そしてニュースになり、彼女の姿は、日本中にばらまかれたに違いない。
いまや、ネット時代になり、それを阻止することはできない。
本当に、SEXという文字の書いたTシャツを着て、肩をはだけて歩いたらいけないのだろうか。
彼女は、意識的なおしゃれをしている。しかし、リスクはあった。
鏡の前とは違う自分。
●写真に撮られた、その姿は、本当にそうだったのだろうか。
前のブログにも書いたが、写真の瞬間は目に見えない。カメラは人間には見えない瞬間を捕られることができる。
あれは一瞬の目には見えない世界、少なくともあの写真としてのバランスは、あの日、あの時に存在したことなのだろうか。
ファション写真に限らず、プロはひとつのシチュエーション、一枚の写真を得るためにたくさんの写真を撮る。どんな美しい人でも、目を半開き、くちはだらしなく、醜いポーズはたくさんある。そういう写真を使うことはない。全部僕は捨ててしまう。
インタビュー写真を使うとき、わざと醜い表情を使う編集者がいる。
そこにはある種の、マスコミ的権威やスタンドプレーとしての悪意がある。
被写体と面と向かった、カメラマンは絶対に選ばない写真を、そういう人は選んだりする。その醜い表情がその人間の本質だからだと。
カメラマンはそんなことをしない。(報道のもとに最初から悪意を狙うこともある)
もし、醜い表情を選ぶとしたら、本当に、向かい合った人間に、この表情があなただと、面と向かっていえるなら、使えばいい。黙って悪意の垂れ流しは、2チャンネル(の一部)と変わらない。どうしても其の写真がつかいたければ、説得するだろう。それだけ相手を傷つける価値があるのだろうかの自問。たとえNoと言われても、価値があれば使う。ここは、写真家個人の品性で、やはり受けて立つ責任がある。
街でスナップしたとしてもそうだ。きわどい写真を撮るならば、胸倉をつかまれても、誠意をもって対応するしかない。逃げ出してもいい。そしてもし使うとしたら、やはりこの写真がどういう意味があるのか、自問しなくてはならないだろう。それでもその写真を発表したければ、すればよいのだ。何も考えずにオートマチックですることが一番よくないだろう。
この問題について、日本ファッション協会は」声明をだすこともない。
日本写真家協会はどう思っているのだろうか。
ただ大げさになり、この程度のことで、彼女がますます晒されることもよくない。
いやさらされたことはもう認めなければならない。
ファッション協会のサイトはリニューアルしたが、あいかわらず、写真は誰が撮ったのかわからない。
コピーライトは協会にあるとされている。しかしどうころんでも、撮ったのカメラマンがいる。彼が著作権について全面的に放棄しているとサインしているのだろうか。
この問題の本質に、写真を撮るとうことは何なのかというが、あいまいにされていると思う。
多くの偉大な写真家がスナップ写真を撮ってきた。
ポートレイトとは違う、被写体にきずかれない、撮り方、
そこから人を感動させる写真が、スナップ写真という、ジャンルを作り上げたのだ。
それが写真も、写真家をも、なんとも思っていないサイトが、こういう事件を起こす。
そしてさっさと自分のサイトを防御して、写真にとってきわめて大きな問題を、気がついていない。
たった35万と、自分のサイトを、強固にするだけで、満足している。
ファッションという、写真と密接に関係した団体がこの程度の意識であることが悲しい。
日本のファッション写真が情報以上にならないのは、このあたりに理由があるのだろう。
訴えた女性は当然の権利だ。自分がその立場だったら訴えるだろう。2チャンネルは便所の落書きだ。そこに異はとなえられない。まだネットの世界は未完成だからだ。これは管理するべきか、自由であるべきかは、答えがでていない。いや実際はかなり管理されているはずだが。
問題はこのことを、うやむやに、おとなしく忘れ去って欲しいと思う人がいることだ。
忘れて欲しいと思っているのは、当事者の女性だけがいえることだ。
そしてなにより、Satoboのことば、
これが写真家にとって一番大切なことだろう。彼女の復権は、こういう気持ちを持つことだ。
どちらにしても被害者はこの女性である。
この服装で出かける事はもうないだろうなあ。
笑顔できめている写真を撮ってあげたいなあ。 satobo
PS.
一般的に、いまや現在はこういう考えになっていることを知るべきだ。
これはでは、スナップ写真は死んだと同然だ。
当然広告には、論外、唯一、
ジャーナリズム、アートと、表現の自由として戦う気があれば、その限りではない。
訴えた相手と、どうどうと戦うべきである。
そして、一方、言論、表現の自由というものがある。
●弁護士 落合洋司の「日々是好日」より
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Comments
ルールって何ですか?
Posted by: い | 2012.12.12 11:49 PM
ルールは守れよ
Posted by: あ | 2007.03.15 12:16 AM