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2005.10.04

銀塩式デジタルレタッチのやり方 その2

銀塩式デジタルレタッチやり方 その1

日本カメラ11月号で、課題「銀塩式デジタルプリント法」を紹介すると前回書いた。
今は、そのゲラの最中だ。そのなかで、きわめて簡素な僕のデジタル作業場が写っている。
僕が現在使っているのは、DellのDimenshionと、DellのノートLatitudeだ。
わけがありLatitudeは2000の英語版と2000の日本語版の2台ある。
なぜ、僕がWindowsを使っているいるか説明する。
僕がパソコンを始めたのは、もう10年以上まえだろうか。92,3年、MacFXという180万ぐらいするおもちゃだった。その後、実用的なPowerMac、そしてPowerBookだった。その後i Macが発売されたと同時に買った。
本格的にパソコンで写真を使い始めたのは、PowerMacからだ。銀塩写真をスキャニングして、プリントする。1997,8年のことだったろう。僕は完全なMac派だった。
ところが、2000年の秋、CanonからD30がでた。その完成度と値段にひかれた。つかいこなすためには、どうしてもノートパソコンが必要だった。しかし、その時代、やっとi-Macがでたばかりで、Macはこのあとの大進撃は夢のような時だった。なにしろ僕のPowerBookは、ハードディスクがたった1Gなのだ。買った値段は40万ちかくしたと思う。1997,8年だ。
しかたがなく僕は、ビッグカメラで、それまで映像をやるにはと、偏見のあったWindowsを物色した。
B5サイズ、IBMシンクパックは、なんと20G,メモリー256Mだった。僕は卒倒した。買ったばかりのi-Macがたしか4Gだったのだ。僕は迷わずIBMを買い、D30を持ってベトナムに行った。小松千春写真集だった。しかし、撮影はコンタックス645と、Eos5、1、3で撮った。D30は、あくまでメモスナップだった。しかしそれをパソコンにいれ、デジタル写真の始まりだった。
僕はコンパクトデジカメを使ったことがない。IXYデジタルをもらったが、レスポンスが悪かったのであげてしまった。編集者がよく持っていたが、デジタルに全く興味がなかった。しかし、D30を触って、可能性を感じた。
それでも仕事に使うことはなかった。
それが2002年だったろうか。D60が発売され驚愕した。使える。仕事で使えると思った。
そのときにIBMのBackUpとして、DellのB5を買った。そのとき僕はあるソフトに出会い、完全にウインドーズ派になっていった。
それはACDSeeという世界最速の閲覧ソフトに出会ったからだ。それもベトナムでだ。
僕はデジタルの進歩は素晴らしいけど、写真のセレクトや管理がまだまだだと思っていた。ポジフィルムをスリーブや、マウントで何千枚もチェックして選ぶスピードは、デジタルにはまだできないと思っていた。
ところが、僕のベトナムの友人、コーディネーターのチュンさんが、僕がセレクトに四苦八苦していると、ACDSeeを教えてくれた。当然コピー版だ。
僕はそのとき、自分の無知を知った。
世界最速歌ったACDSeeは、スリーブで選ぶより何倍も早く選ぶことができた。日本に帰り、ビッグカメラに行ったら、ちゃんと売っていた。

そのソフト出会って僕は、35mmの代わりにデジタル一眼が使えると確信した。Jpegでしか使えなかったが、僕はもともt、Rawではなく、デジタルはJpeg以外意味がないと思っていたので、何の問題もなかった。(新しいACDSee7.0.は、Rawもサポートしている)。
ところが問題があった。僕はざっと選んで、デザイナーに渡すと、彼らは青くなった。Mac使いの彼らにとって、当時はPhotoshopですべてを開くことになるので、選ぶのに膨大な時間がかかるからだ。横木さんデジタルは困るよと言われた。
Mac用のACDSeeもあるが、W用のようには早くないので、薦められなかった。写真をセレクトし、フォルダーに分け、モノクロのプリントのイーゼルのように、余白でプリントできるACDSeeは、僕のデジタルに対するコンセプト、アマチュアスタイルに合致した。
僕は、ずっとD60を使い続け、10Dは使わなかった。そしてKISSーDの発売の販促にかかわり、KISSDを使い、そのごニコンD70を使い、そして20Dにたどり着いた。
実は、D60がでたとき、Canonの人に次に600万画素のフルサイズが絶対に必要だと力説した。
D30のC-Mosを二つくっつければ、できるじゃないか。35mmのかわりだったらフルサイズ600万画素で十分だと。なぜ35mmフルサイズが必要なのかと。
それは35mmサイズという歴史のなかに入るか、その外側になるかということだと。
そのうちEos1Dsがフルサイズで発売されたが、値段と1100万画素という、中途半端なものに、がっかりした。
KISSDに、18-55mmのセットレンズをつけたものと、1Dsに50mmf1.4をつけ、アナクロにも天気のよい富士山を画角をそろえ撮影して、A3ノビにCanon9100iでプリントした。
結果、ほんんどの人が、ぱっと見ではわからず、周辺の微妙なにじみや、こっちはシャープすぎるから、KISSだとまことにプロっぽい目でしか違いがわからなかった。そのときまで、僕は高画素化より、APS-Cではなく、完璧である必要はないから、フルサイズが欲しかった。
それから2年たってようやく、Eos5Dが発売された。遅い。1200万画素などといわなければ、もっと早く発売できたのに。まあ、しかたがないか。
僕は、プロになり、メインカメラはずっと120、220のブロニーサイズだった。初期は八ッセル、後にマミヤRZ67、その後コンタックス645、そして今またマミヤRZだ。
その上が4x5で、下が35mmだ。35mmにブロニーぽさを求めたことは一度もなかった。35mmカメラには、35mmにしか表現できない世界があり、それが必要だったからだ。それは何かというと、動きだと思う。そして偶然性を一番呼び込むカメラだからだ。どんと撮りたければ、6x7や4x5そして8x10を使えばよい。
一時グラビアが多かったので、必然的に皮膚感の描写のよいことも理由だったが、何よりも依頼された仕事は、コントロールしやすい機材が必要だったからだ。6x7はゴールが見えている仕事に最適だった。
そいう僕が、初期にはフルサイズを望んだが、そのうちAPS-Cサイズを使うようになって慣れてしまった。いや、もしかしたら、35mm以上に、軽快に撮れることを知ってしまったのだ。
僕はあまりファインダーをよく見ない。35mmで四隅までよく見ることを拒否している。当然、、オートフォーカスしか使わない。だから多くのプロのように、ファインダーにはさほど不満はなかった。マニュアルフォーカス時代からレンズ開放撮影の多い僕にとって、全こまピントがあうことは、期待していなかった。オートフォーカスになって、やはりピントの合う確率は同じぐらいだった。僕は35mmのピンとは、たくさん撮ることで解決していた。何割かは開放でもどんぴしゃのピントがくる。
さて、銀塩デジタルレタッチのやり方と書いていながら、いつのまにか、デジタルカメラの話になっていったが、実は今日、Eos5Dをテストした。そのレポートは、次のブログで。


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Comments

面白いですね。つい引き込まれて、読んでしまいます。

Posted by: ゆみひこ | 2005.10.04 09:36 PM

フォーマットによる描写の違いとか、このブログでいつも勉強させていただいています。
今後の35ミリデジ一眼とブローニーの住み分けなど聞けたら幸いです。
やはり645クラスも35ミリフルサイズデジ一眼に置き換わってしまうのでしょうか?
グラビアが依然として645主体なだけに、今後の動向が気になっています。

Posted by: たけだ | 2005.10.04 08:29 PM

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