不許可写真 その1
だらだらと、思いつくまま、未整理状態の文章です。街を歩く人の顔を無断で写してはいけないのだろうか。撮るときにはOKでも、それを無断で発表してはいけないのだろうか。プライバシーの侵害?でも、服を着て、周りの目を気にして、まるで仮面をつけたように、防備しているはずの人間に、プライバシーはあるのだろうか。なぜ街を歩く。何かの目的のために歩いているの。いや、あなたは誰に見られたいために歩いているのではないだろうか。他人の視線を意識して、自分がここに存在していることを、知ってほしいんじゃない?あなたはなぜ、ファッションに敏感なのだろう。誰のために服を着ているのかしら。自分の存在を知って欲しいんじゃないの。だって肉眼で見られることはOKでしょう。皆に無視されたいのじゃないでしょう。もちろん、その写真で金儲けをたくらんでいるなら、文句もいえよう。俺の顔だ、わけまえをよこせと、スターじゃなくてもいいたくなるよ。でも、商売じゃない場合、例えば街の中の風景の一部として、いやいやあなたを肉眼ズームでクローズアップしてじろじとと見つめる。写真に撮り、未来に遺す。それはいけないのだろうか。理屈を言えば、写真は別にあなたが写っているんじゃない。あなたから反射された、光と影を定着させただけだ。だから決してあなた自身ではない。これは屁理屈ではなく、真実だ。もしあなたのプライバシー、例えばあなたの寝室、トイレを覗き込むのは、そりゃ肉眼だっていけないだろう。街を歩いていて、マンホールから、覗いたらいけないだろう。それなのに、なぜ、肉眼では見られたいくせに、写真に撮られ、2次元に定着してしまうことに、不快感があるのだろう。それは、プライバシーではなく、批評される対象になっていることへの不快感ではないだろうか。街を歩き、実は心地のよい、批評でも欲しいのだろうか。おしゃれをして、歩いているあなたは、本当は見られたいはずじゃないか。ずぼしだろう。いや、チラッと見られたいだけかな。きっと容赦なく、ずうずうしく見られるのは不快だろう。だったら写真で、知らないうちにカシャって撮られて、何が問題なのだろう。もしかした撮られることをは、問題じゃないのだろうか。撮られたことを知らなければ、無と一緒だから。その写真が、何かに発表されることが、不快。それはやはり批評されることがいやなのだろう。昔の人間と違って、現代の人間には表情が乏しくなっているといわれる。根拠はわからないが、世界中いなかの人と、都会の人を比べると、都会のほうが無表情らしい。田舎ならば、皆知りあいだろう。コミュニティのなかの表情だ。しかし、都会は知らない人ばかりに囲まれる。仲間を見つけたときに、表情が変わる。だれもいなければ、無表情という仮面をかぶる。でも個性的なファッションに身を包み、それは流行という、記号のなかに自分を閉じ込め、自分の生な姿を隠していながら、実は人の視線を気にしている。なぜ街を歩くひとびとは、皆無表情なのだろう。一人で表情豊かに歩いていたら、変人扱いだろう。なんどもいうが、だから皆仮面をつけて歩いている。その仮面の写真をなぜ、撮ってはいけないのだろう。アートとジャーナリズムは、OKだと僕はまえに書いた。それは両方とも、新しい価値観の創造と批評だからだ。現代の民主主義思想のなかで獲得した、最大の価値観だ。ふと、なぜ昔は、といっても僕が若かった30年ぐらいの前のことだけれど、電車のなかで写真を撮っても、それほど嫌がれなかった。何のために写真を撮るんだと言われて、素敵だからといえばすんだりした。皆、なぜか皆ニコニコしていた。それは写真を撮る人が少なかったからだろうか。もしかして、スカートのなかや、トイレといったプライバシーを覗くような写真が蔓延したからだろうか。カメラを持つやつは皆変態だと。まあ、変態性は、芸術性と同一視する向きもあるが。平和な日本では、ネガティブなことを認める余裕があるから複雑だ。しかしそんなことではなく、本当は皆、余裕がないからではないだろうか。電車に乗ってみればよくわかる。皆、いらいらしている。なぜだろう。幸福ではない最悪の気分のときの、写真を撮られたくない。都会に生きるということは、いらいらすることなのだろうか。お祭りとかイベントのときには、撮られても平気みたいだ。気分がいいからだろう。でも、日常はなぜ撮られたくないのだろう。不思議だ。
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Comments
こんにちは
確かにスナップを撮られて嫌な時はあります、
日常の時などです。コンサトートや何かイベントや会議など公的なときは平気ですね。たとえ発表されても自分にとって表の部分であるからかもしれない。
そりゃ裏は見ないで、撮らないでで、どもにも出さないででしょう。
Posted by: shimo | 2005.10.22 03:49 PM
撮る人、撮られる人、気分よく撮りたいですね。
Posted by: alphoto | 2005.10.10 06:48 PM
不快に思うか思わないか、不快に思えば眉間に皺よせるし、もっと不快に感じれば、殴りにいくかもしれません。愉快に思えば笑顔になるし、もっと愉快に思えば、手紙でも書くでしょう。僕もカメラマンの端くれとして、この問題は常に頭にあります。今まで何度も自問自答してきました。色々屁理屈をこねて,カメラマンとしての自分の立場を正当化し庇護しようとしたり・・・。
写真って、見る人や見る側の心理状況によって、ころころ転がる石なんでしょうね。
ん~知恵熱が出てきそう・・・。
Posted by: たろいもたろう | 2005.10.07 10:12 PM