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November 2005の7件の記事

2005.11.30

モノクロ、デジプリは最高に楽しい!!

sandnude
1975年 稲村ケ崎 僕が作った砂の女
オリジナルは、8X10の印画紙にプリントしたモノクロ。印画紙 フジブロF2.
CanonF-1 24mm
フラッドベッドスキャナーから取り込み。プリントアウトしている。オリジナルと比べて、紙質が違うだけで、まったくかわらない。というより、オリジナルに手を加えているので、ずっとよいぐらいだ。デジタル恐るべし。

来年1月からの、写真展の準備、モノクロプリントに忙殺中。3日に、京都、京都ギャラリーにて、赤城、Haruki、横木の三人でトークショー。それはともかくとして、今モノクロ写真のデジタルプリントに没頭中だ。
プリンターは、EpsonPX5500.満足だ。なにより、モノクロ印刷のコーリティ、安定が素晴らしい。カラープリンターだと、グラデーションに微妙な色かぶりがあったが、まったくない。今回はペーパーを、ベルベットファインアート紙という、少し素材感のある紙を使用している。
銀塩プリントも同じだが、プリントは、写真家、すべてが自己流だ。アンセルアダムスのように、きちんと理論家した人もいるが、それにしても、それはアンセルアダムスの自己流だ。
写真は、一人でできる。技術もそんなに難しいことはない。だから、プリントに限らず、撮影でもなんでも、自己流でよいのだ。自分で考え、自分でやりかたを、編み出すわけだ。
一番重要なのは、上がり、完成形にたいしての、イメージ、ビジョンだろう。
モノクロプリントと、デジタルプリントのやり方は全く違う。しかし、プリントを見せるためのテクニックは、かなり応用できるし、デジタルではなくてはできなこともある。
僕は、レタッチ中、マスキング、レイヤーは使わない。やっているとしらけるから。
そういうのは、写真を合成するときに、する人が使えばいい。
通常のプリントには、特にモノクロプリントには全く必要ない。
かつて、銀塩時代に空を焼きこむため、マスキングして露光を与えたことがある。
膨大な時間、綿密な計算。完璧に思えた。ところが、完璧すぎて、なんだか変だ。
かえってわざとらしい。結局ラフに空を焼きこんだ写真を使った。
ラフなほうが、自然だ。それはどう見ても焼きこんだように、見えているのに。
プリントは感覚の思うまま、リニヤにレタッチしたい。
もっとも僕は、レタッチしているつもりはない。
メイクプリント、極端言えば、マニピュレーションだろうか。
いや、素直なプリントだ。

この1カ月、パソコンの前に座ることが多い。さまざまなモノクロデジタルプリントテクニックを開発中だ。
といってもとても簡単なことだが、時間はかかる。しかし、デジタルにとって時間は無駄ではない。

12月8日、日本カメラ2月ように、モノクロデジタルプリントテクニックの紹介ページの取材を受ける。
独善的、画期的な、ページになるだろう。
写真展の、PostCardのデザインがもうすぐできあがる。すぐに紹介する予定。
それも、かなり面白いものだ

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2005.11.23

写真展「T.Y.C」 その1 スポッティング

写真展「Teach Your Childen」への道 その1
yokota1970dog
1970年 福生 横田基地周辺 東京
写真展プレスリリース

来年1月10日から始まる、写真展の準備をしているので、Blogをなかなか更新できない。
今やっていることは、僕がフリーになる1975年以前のモノクロネガをスキャニングして、それをデジタルプリントするために、レタッチをしているところだ。昔撮ったものでも、たびたびプリントしているものは問題ないが、30年以上の間ネガカバーのなかにうずもれていたネガの一部は、たぶん細かいカビだろう、拡大するとかなり広がっているものがある。その時々、30年間ではいろいろな場面、場所のせいだろうか。きっとアナログ時代だったらプリントする意欲はわかなかったろう。
モノクロネガのスキャニングからのプリントは、全く問題ない。もちろんそれなりのテクニックが必要だ。しかし、なんといっても、銀塩引伸ばしと違うのは、やはりゴミの問題だ。スキャニングは、圧倒的にゴミも再現してしまう。撮影時の、細かいスリット上のキズも、銀塩引伸ばしのときには、気にならなかったのに、無常にも絵柄と同じぐらい、いやそれ以上に主張してくる。スキャニング中にゴミ軽減もできるが、モノクロネガの場合は、ピントがあまくなり使えなかった。
そして、レタッチというより、「修復」が始まる。僕は、アシスタントを経験していたので、モノクロプリントのあとに待ち受ける、偏執狂的な作業、スポッティングのスピードと正確さには自信があった。しかし、銀塩時代スポッティングはやればやるほと、プリントは醜くなる。正面から見ればよいが、ちょっと斜めから見ると悲惨だ。しかしモノクロプリントにおいて、スポッティングをしてあるか、してないかは、モノクロの本質を、肯定するか、否定するかの問題になる。基本は完璧にスポッティングするべきである。ネガを水洗しなおしても、ゴミは取れてもキズは取れない。

それに引き換え、デジタルのスポッティング、は、ある、ひとつの表現のように思える。たとえ1枚30分かかろうが、それは、写真を変えてしまう。100%に拡大すると、なんとゴミのすごいことか。銀塩時代には、拡大してゴミをながめるなんてことがなかったなあ、と感慨を持つ。
今回の写真展では、デジタルスキャンした原稿を、EPSONの、モノクロプリントするための革命機、PX5500で、A3ノビ、ベルベットファインアート紙にプリントする。今までのモノクロプリントとは違った、写真をめざす。
そこでデジタルレタッチ(修復)、そこに銀塩プリントの表現を持ち込んでみる・・・・を裏テーマとしている。
そのデジタルプリントのやりかたを、
●日本カメラ2月号、1月20日発売で紹介する。
そのやり方でプリントした作品を、アートフォトギャラリーと、京都の京都ギャラリーで直接見ることがでるという寸法だ。
●日本カメラ1月号では、「Teach Your Children 2000-2003」をカラーで10ページ発表する。
今回の写真展の続編お部分だ。
●12月3日、京都、京都ギャラリーで、赤城耕一写真展開催中、赤城、Haruki、横木でトークショーをする。どんなものになるかは、わからないが、きっとおもしろくなると思う。

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2005.11.14

写真展 67-75 TeachYourChildren               神田カルチェラタン9.12

写真展「Teach Your Children」 プレスリリース

今、来年の写真展の写真をスキャニングし、セレクトしている。あの時代は高度成長期であるとともに、世界的な反体制運動、スチューデントパワーが盛り上がったときでもある。街のなかのある部分は、まるで市街戦のようでもあった。もっとも本当の戦争とは違い、めったに死ぬことはない。当事者以外の野次馬?は、まるでスポーツ閑静するように、いやときには、このなかに加わり投石するものもいる。1968年9月12日は、神田が一番被害にあった時だ。被害といういい方が、僕でさえただの事件化としている。当時はそういうふうには思っていなかった。それより僕は、写真を撮ることに夢中だった。スニーカーにジーンズ、Tシャツという軽装。カメラはコーワSWだ。28mmのワイドレンズのついている、ファインダーがカメレオンのような奇妙なカメラだ。小さいがずしりと重く、武器にもなりそうだった。フィルムをポケットにつっこんで、僕は撮りまくっていた。撮っているときに恐怖感はなかった。ただできあがった写真を見ると、機動隊に向かっていったり、一所に並走したりしている。若さだな、と思う。今回の写真展では、この年のデモの写真がかなり入ってくる。アメリカとの混血児だった僕らは、この時代、アメリカ愛し、そしてアメリカを憎んだ。いやアメリカを憎んだのではない。ベトナムを蹂躙するアメリカに、そしてそれをのうのうと支持している日本政府に、「反体制」として異議申し立てをしたのだ。この季節がすぎ、オイルショックが過ぎると、若者の間で、POPEYEが象徴するような、アメリカ西海岸ブームが起きた。やはり皆アメリカが大好きだったのだ。
680912kanda01
KowaSW28mm Tri-x 1968年9月12日 東京神田
690912kandaDemo0027
この頃から、僕はノーファインダー撮影が得意だった。ただモータードライブではない。いちいち巻き上げなくてはならず、そんなにスピーディな撮影はできない。ASA(ISO)400、確か500分の1秒が最高速度だったので、絞りは16で、距離は3m固定焦点にしていたと思う。巻き上げ以外は、自由自在。ピントを合わせないので、そういう意味ではチャンスを逃すことはなかった。ただ、あわてて撮っているので、ブレるし、それに現像してわかったことだが、勢いよく巻き上げすぎて、すりっと状のキズがフィルムについた。
以前だったら、スポッティングをする気になれないくらい、まあ、このままでいいやと思うが、今ではスキャニングして、傷やホコリ、そしてコマによって、カビがはえていたりして(微小の)やれやれ・・・・それがデジタルだと綺麗になってしまう。昔のネガをプリントするのは結構難しいが、デジタルだと時間はかかるが(ゴミトリに)本当に、まるで修復するように綺麗になる。こんな報道写真のような写真も、じっくり、「何事だ!」と鑑賞したくなるほどだ。
写真は古くなればなるほど、値打ちがでるというが、値打ちというより、写真にとって、「時間は味方」だなと思うしだいだ。


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2005.11.11

肖像権と写真展「Teach Your Children」

●肖像権について、必殺勤人氏からトラックバックがあった。そこに日本写真家協会の明確な指標が書いてあった。実は僕はそこの会員だった。やはり肖像権と表現の自由という、二つの相対する権利のせめぎあいだ。先人の、膨大な素晴らしいスナップショットに乾杯!彼らがいるからこそ、今スナップ写真を撮れるのだということを。
前回のブログで、来年1月の写真展「TeachYourChildren」のプレスリリースを紹介した
僕が撮った、1967年から1975年ごろまでのモノクロームの写真を展示する。

1958Wkenji
1958年3月 「二人のKenji 」 撮影横木安良夫
kenjiatsuko380
1958年4月 これを撮った僕は、小学校3年生だった。当時きちんとネガを整理していたはずなのに、今はない。どこかにあるのかもしれないが。

●上の写真と、今回の写真展は関係ありません。

僕は大学に入った、1967年から本格的に写真を撮り始めている。
そのずっと以前、小学校3年誕生日まえに、ベスト判サイズのおもちゃのようなカメラを、(キャパの取材の時に、偶然全く同じカメラを静岡の写真屋さんで見つけ、カメラの名前をどこかに記したが、今ちょっと見つからない)、
そして翌年、3月に、当時話題だった子供用カメラ、フジペットを買ってもらった。
当時はフィルム代も現像代も高く、それほど頻繁に撮影したわけではなく、何かのイベントのときに単発的に撮っていただけだ。最初に撮ったのは、3月16日、家族で上野動物園にいった時だ。
それから中学の就学旅行前に、オリンパスペンSを買い、中学、高校と時折撮っていた。
以前にも書いたが、僕の家の、一件隣が写真屋さんだったので、カメラを始めた小3ぐらいから写真のあがりの過程をみたりして、写真に触れてはいた。
しかし、写真は気まぐれに撮っていただけで、本格的には始めたのは、大学に入った1967年、18歳の春だった。
今、その頃の写真を見ると、ビギナーズラックのように、面白い写真がたくさん見つかる。もともとあまり、今でもそうだが、構図などは考えるほうではないが、何も見えていないので、興味のまま、フレーミングしてシャッターを切っているだけだが、かえってそれがよかったようだ。しかし次第にさまざまなことが見えてくると、構図的であったり、してつまらない写真が増えてくる。
大学1年のとき、ひとりで親戚のある福島に行き、安達太良山縦走、磐梯山を登った。山小屋に泊まり、安達太良山山頂付近で、日の出を見て美しさに感動し、興奮しながら50mmレンズでモノクロ4本を撮りまくった。
結果、モノクロの写真には、がっかりした。目に映った感動は、少しも写っていなかったからだ。そのとき、美しいものを撮るとはなんと難しいと思った。
特に美しい景色、しかも有史以来普遍的に存在する、誰が見ても美しい景色を、小さな写真に押し込めるなんて、無意味な気がした。自然の風景はどんな大きく引伸ばしても、スケールは表現できない。
美しい景色は、写真に撮るより、
「自分の目で見て、心のなか、記憶する」ほうよいと気がついた。それいらい、美しい自然の風景写真はほとんど、撮らなくなった。テーマはいつも、人の気配だからだ。
今回の写真展は、
1967年から1975年の独立する前後までに撮影したものだ。すべて写真は個人的なもので目的意識のないものだ。いや、自分の目の前に通り過ぎる、現実の痕跡を残したかっただけだろう。写真を自己表現とは明確に思っていた。そのなかから1972年にカメラ毎日に発表した。
このやりかたは、1975年に独立して、プロの写真家になったときに、崩れてしまった。
日常のスナップは続けていたが、それまでのように、気持ちは入っていなかった。唯一海外に出かけたときだけ、仕事とは別に写真を撮りまくったぐらいだ。
75年以降の国内での写真には、それまでとは明確に線が引ける。それは僕の興味の対象が、日常の記録というより、商業写真やファッション、有名人の撮影と移っていったからだ。特にファッションや、コマーシャルは、今では考えられないぐらい、ポップなことであり、現代アートとして先端の仕事のような気分だった。
そんなとき、独立して10年目で、仕事以外の写真、スナップ写真の写真展、「Day by Day」を新宿に今サロンで開催した。やはり僕はスナップ写真が一番好きなことをそのとき知った。
今回の写真は、そのとき発表した写真を含め、さらにネガからスキャナーし、デジタルプリントした写真を発表する。
今、昭和の時代ブームのようだが、僕は3,40年前のこの時代を懐かしんで発表するわけでない。たしかに写っているものは、僕の世代にとっては、懐かしい思い出かもしれない。
いや、僕が撮りたかったのは、そんな昔はこうだったという表層ではなく、あの時代の「気分」を撮りたかったのだ。その気分とは、今でも同じように僕の心に流れているし、それは今の若い人にも十分伝わるものだと思っている。「昔はよかった」とかではない。昔も今と同じように、重苦しかったし、今と同じように刹那的だった。学園紛争があるまで、いわゆる熱い世代のように言われるけれど、その熱い時代以前、僕らの世代は、「「しらけ世代」と呼ばれていた。ちょうど大学一年とのときに、アングラ(いまでいうインディーズ)から颯爽とメジャーデビューしたフィーク・クルセダーズの「帰ってきた、よっぱらい・・・・おらは死んじまっただ」がぴったりとした気分だった。その音楽をききながら、三億円事件を聞いた。

横木安良夫トピックス


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2005.11.09

2006年1月 横木安良夫写真展情報その1

Syokotakichi
Fussa Tokyo 1971

横木 安良夫 写真展 プレスリリース
『Teach Your Children』
- Photographs 1967 ~ 1975 -
(世 代 か ら 世 代 へ)
2006年 1月10日(火)~ 2月25日(土)
1:00PM~7:00PM/ 休廊 日・月曜日 / 入場無料 

アート・フォト・サイト・ギャラリー
〒153-0064 東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552
JR目黒駅からバス、目黒消防署下車徒歩3分 / 東急東横線学芸大学下車徒歩15分

アート・フォト・サイト・ギャラリーは、現在コマーシャル、エディトリアル分野で活躍する一方で、作家としても最近その著作が注目されている横木安良夫(よこぎ・あらお)の写真展『Teach Your Children(ティーチ・ユア・チルドレン』 -Photographs 1967~1975- (世代から世代へ)を開催いたします。タイトルは、撮影当時横木が愛聴していたロックバンド、クロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングへのオマージュでつけられました。

今回の展示作品は、横木がフリーカメラマンとして独立する以前の1960~1970年代にかけて撮影した若い都市生活者たちのドキュメントです。この時代を撮影した写真家は数多くいます。しかしポップで軽いセンスを持って時代の気分や雰囲気をとらえた写真家はほとんどいません。彼の写真には高度経済成長期の日本人の浮ついた気分や欲望が色濃く写しこまれています。何気ないスナップ的なイメージの中には、当時の雰囲気とスタイルが見事に具現化されています。それらはまるで綿密に計算された高度なファッション写真のようにさえ見えてきます。時代が多様化した21世紀のいま、私たちは皆が共通の夢を持てた時代のイメージに対して強烈な懐かしさを感じ、魅了されるのです。横木がまだプロデビュー前であり、自分の感覚に忠実でピュアーな視点を持っていたからこそ、これらの奇跡のような素晴らしい写真が撮影できたのでしょう。

そして若かりし横木がモノクロでとらえたシーンには、アメリカ進駐軍のポップな文化の影響が強く感じられます。当時のどんな若者にも輝いて見えたポップなアメリカ文化の香りを彼のカメラは追い求めています。昭和20年代生まれの彼の世代にとって、戦後に急速に流入してきたアメリカ文化の様々なリアリティーは、日本の伝統文化以上に自身のアイデンティティー形成に多大な影響を与えているのです。

本展にはアナクロ世代からデジタル世代へという彼のもうひとつの思いも反映されています。展示作品はすべてオリジナルのネガ、プリントをデジタル処理したうえで製作されています。またデジタル作品の展示方法についても、フレーム、マットで写真プリントを展示する従来の手法に横木は疑問を感じました。本展では大小様々なサイズの写真を直接ギャラリーの壁面に貼り付ける展示方法を採用し、高品位デジタルプリントの質感を強調するとともに、写真展にスピード感を持たすことを目指しています。

その後の横木は、プロとして30年間以上に渡って商業写真の最前線で活躍してきました。彼が若かりし時代の作品を再セレクション、デジタル化して今回新たに発表するのは、いまここで原点復帰し再び素直に好きな写真を撮りたいという宣言でもあるのです。本展の副題の“世代から世代は”、写真で世代を飛び越えてやる、という横木の自分へのエールでもあるのです。2005年暮れ、横木はデジタルカメラを抱えて東京の街を撮影し始めています。

詳しい情報やイメージは以下をご覧ください。(http://www.artphoto-site.com/inf_press_24.html)
・ お問い合わせ :ブリッツ・インターナショナル TEL03-3714-0552

SChieko
Sekiyado Chiba 1971

●2005年3月には、京都ギャラリーにて、ほぼ同じ内容の写真展を開催します。

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2005.11.02

生きた犬のいる写真展

Haruki写真展 Tokyo Girl 彼女たちの居場所
ギャラリールデコimg_8882
Harukiとさくら
初日。なぜか階段に「さくら」というレドリバーがいる。会期中ずっといるようだ。ハルキのパートナーだ。犬嫌いのひとは、ちょっとたまらないかもしれない。犬好きだと、まとわりつかれる。
初日の昨日は、夕方6時ごろから、パーティというか、会場で宴会になった。Close9時の予定が○○まで。いえない。
Harukiの大判写真を、撮影。この写真の著作権は誰にあるのか。僕は当然僕だと思っている。
harukiPhotoIMG_8912
Haruki’sPhotograph By AlaoYokogi

参考資料 カメラまいにち

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2005.11.01

見る価値のある写真展 Haruki 写真展

harukiphotoexpo01IMG_8862
友人である、HARUKIの写真展が、今日11月1日から、ギャラリー、ルデコ2Fで開催される。Harukiがこの数年撮り続けている、募集したり、友達の友達だったり、街でみつけたりした、普通のGirlsのポートレイト写真展だ。普通というのは、中身が普通というわけではない。タレントではなく、ごく普通のGirlsの赤裸々な、「存在写真」だ。

なぜか裸になってしまった女。気取ったままの女。のりのりの女。Harukiに気違いと叫けばせた女。Harukiをエロ親父と言って愛した女。Harukiの恋した女。ちょっと複雑で可愛い女。「Life sucks」を日本語で言った女。などなど、今を生きる女は、なんで元気で大胆なのだろう。
お金をもらう仕事の写真ではない。金のためならなんでもする巷にあふれる女じゃない。皆普通の正真正銘のGirlsだ。
約束事の存在しない、世間のかたすみで営まれた写真。無償の愛の痕跡だ。
そんな撮影者と被写体の関係を写真によって感じてみると、写真を撮ることはこういうものだと考えさせられる。
その写真が90x130センチの大判インクジェットカラープリントで、約40点展示されている。(ほかにA3プリント300枚がファイリングされている)
タレントの写真がおお伸ばしになっているのじゃない。そこどこにでもいるようなGirlsが、一週間紙の上に凛と存在する。これは見る価値があると思う。これはHARUKI15年ぶりの個展だ。
渋谷から歩いて5分。会期中ずっと、Harukiは会場にいるという。
是非写真を見て、HARUKI本人とあって欲しい。今日11月1日、午後6時ごろから、だらだらOPENINGパーティもある。
4月には、この写真展がそのまま京都の京都ギャラリーにて開催される。
harukijunbiIMG_8848
昨晩(10月31日)午後6時から、阿部、赤城、竹前、柊、タカザワと僕そのほかで飾り付けをした。大判プリント以外にもA3ノビのプリント約300枚も展示の予定だったが、大判だけで十分世界があるとのことで、展示は大判プリントのみになった。A3のプリントも見ることができる。
harukidm1


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