コレア・ベトナム退役軍人 ベトナム写真展
GRD ロスの空港で、Korea Vietnam Veteranと記された帽子をかぶる老人にであった。朝鮮戦争とベトナム戦争両方に兵士として戦った退役軍人だ。
●2006年1月14日から2月19日まで、東京都写真美術館で、「発掘された不滅の記録、1954-1975 VIET★NAN ベトナム、そこは戦場だった」という長いタイトル写真展が開催される。
ベトナム戦争は、ジャーナリストの戦争でもあったといわれている。アメリカ軍は取材にたいしてかなりの便宜をはかったからだ。一ノ瀬泰造のような、一匹狼でも前線での取材が可能だった。アメリカはまだ自由主義の旗手として自信に満ち溢れていたせいだろう。しかし不利な戦局も報道され、写真のメディアの持つ個人性が、反戦気分をあおったこともあり、写真家が自由に取材できた最後の戦争になった。いや、いまや戦争は写真に写らない時代ともいえる。この写真展は、今までアメリカ軍側からの写真がベトナム戦争の写真だったが、その反対側から撮られた写真も多く発表されるという。キャパの本を書いているとき、ベトナム写真家協会の会長と会ったとき、北ベトナム側の多くのジャーナリスト写真家が死んだと聞いた。そのとき、両面からの写真展をやったら意義があるなと思っていたら、同じ考えの人がいたわけだ。
そしてなぜか、その写真展に僕が1994年に撮った、サイゴンの昼下がりの、アオザイの女性の写真が展示される。戦争が終わり、平和な時代の象徴としてだろう。
●僕の今回の写真展「Teach Your Children1967-1975」は、まったくこのVETNAMの写真展に含まれるものだ。悲惨な戦争が繰り広げられているとき、高度成長期の日本では、ベトナムにシンクロした学園紛争はあったが、やはりベトナムは他人事だったように思える。写真展の開催時期が重なるので、同じ時代、日本が、そして日本の若者がどうだったのか、ぜひ僕の写真展も見て欲しい。同じ時代の写真だからだ。
●僕が1994年のベトナム行きから、すっかりベトナムにはまりこんだのは、このベトナム戦争の時代があったからだ。「サイゴンの昼下がり」を書き、「熱を食む、裸の果実」を書き、「ロバート・キャパ最期の日」を書いたのはすべて、繋がっているというわけなのであります。
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