銀デジ・ハイブリット・モノクロ・プリント
1月10日からの写真展の「銀塩デジタル・ハイブリット・モノクロ・プリント法」を、日本カメラ2月号、1月20日発売で紹介している。
オリジナルは、30年以上も前の、モノクロネガ。
DEC.1968 横田基地 福生 東京 オリジナルコンタクトプリントをフラッドベッドで、この場合カラースキャニングしている。
ネガを、フィルムスキャナーでスキャニング。無修正。
手を加えない、ストレートプリントも、古臭く味があるが、現代のプリントにするためには、手を加える必要がある。モノクロスキャニングはゴミを拾う。多くの時間がゴミ除去に使われる。しかし、写真を撮る行為は、現実を凝視することにならない。いくら凝視しても写真にはならない。何よりシャッターを押さなければ、写真にならない。そのかわり写真を撮ったら、その撮った写真を凝視することが重要だ。2次元になった、そこには違う世界が存在している。
かつてモノクロ暗室プリントで、多くの写真家は、自分の写真とじっくり対面した。デジタルプリントでも同じように、ゴミ取りのような一けん無意味な作業に思える行為も、自分の写真と対面する、貴重な時間になる。
フォトショップ上で、まるで暗室作業のように、焼きこみ、覆い焼きをして、手を加える。もちろん明るさの調整はしている。シャープに見えるが、シャープネスはかけていない。弱くノイズ(粒子)を入れていることにより、調子がそろい、シャープになる。そして焼きこみなどで、手を加えることによって、メリハリができる。最後に、ウエッブ用にYを足している。
このやりかたは、GRDのような現代のデジタルカメラでも応用できるし、BLOGで紹介している。
GRDのモノクロ写真は、同じように手を入れている。
そのことによって、自分の好みの写真に仕上げられる。
●カメラで”世界を能天気に再現するため”のスキル(技術)なんて、商業的な意味しかない。(確かに金になる)。自然は美しい。貧しい人は可愛そうだ。都会は非人間的だ。現代人は病んでいる。戦争は悪だ。もちろんそうでもあるが、単純にいえないことばかりだ。
写真は、写真を撮ったことによって、判断停止しやすい。いや、このテーマだったら撮る前から判断を停止しているだろう。写真は証拠あつめの機械?になりさがる。
●カメラという機械で世界を、圧縮し、凝縮し、その二次元になった世界を見ることによって、現実世界を再確認する。決して現実世界の再現じゃない。
そのことを意識的になるためにも、さまざまなスキルが必要だ。
まわりくどいが、モノクロ写真を思いどおりに変容させることとは、そういうことなのだ。
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