RICOH GRD ファーストインプレッション
先日、火星大接近のときに、特別撮影した写真、なわけないか。GRD 28mm ISO200 MEXCO
GDRを使い始めて1週間。1000シューティングは越えたと思う。
日本カメラ1月号では、特集もされているし、ブログでもかなり作品も紹介されている話題のカメラだ。
僕の写真、TeachYourChildren2000-2003も10p紹介されている。
そこでGRDのファーストインプレッションを。
●横木安良夫写真展 「TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975」
●最初、僕はあまりこの話題のカメラに興味がなかった。
というのは、CCDが小さく、普通のコンパクトデジカメとの違いが分らなかったからだ。僕はもともと、コンパクトデジカメに興味がなかった。日常をカメラで記録する意味でメモ撮影する気持ちがないからだ。デジタルカメラを始めたのは遅く、CanonD30からだ。それまでライターたちがメモ代わりに持っていても、なんとも関心がなかった。それは僕が普段撮っている写真と同じ土俵にあるとは思えなかったからだ。ただ記録するために、写真を撮る気がもともとないせいだと思う。
●しかし銀塩のコンパクトカメラは、大好きだった。
それは一眼レフとフィルムは同じ、サイズも同じで小さく、安価でも僕の考える同じ土俵のカメラだからだ。GR1も使ったことがある。
来年1月に開催する写真展、「TeachYourChildren1967-1975」、僕が18歳から26歳まで撮った写真をまとめていて、かなりの写真が一眼レフカメラではないカメラを使っている。ハーフサイズのオリンパスペンS、コーワSWという28mmf3.2のついた距離計のないカメラ、とうぜん撮影は目測で距離を合わせる、もっともF8以上絞ればパンフォーカスになるので、距離を3mに合わせて撮った。それからレンジファインダーのCanonP。そして僕のカメラではないがライカのM4.助手時代は自分のカメラを持ち歩くわけにいかないので、ミノルタのハイマチックをポケットに忍ばせていた。
●写真展用のモノクロフィルムをスキャニングして、レタッチを加えているうちに気づいたことは、モノクロ35mmフィルムのカラーと比べた情報量の少なさだった。もちろん微粒子フィルムを使えばかなりの情報量がある。しかしカラーと比べたらずいぶん軽い。モノクロの魅力はこの情報量の少なさなのだ。
世界から、時間や空間、色、音、匂い、触覚、嗅覚、を高度に圧縮した結果がモノクロ写真なのだ。
そのミニマムな世界観で見える世界。それがモノクロ写真の魅力だ。
簡単に言えば、昔のTri-xや、1967年に撮った、オリンパスぺンSで撮ったフィルムを、レッタチそしてプリントしていて、こんなに情報量が少ないのに、なんでこんなに能弁な雰囲気のある写真がプリントできるのか、それは目からうろこだった。
●モノクロ写真は圧倒的に情報量が軽量だ。カラーの三分の1ぐらいだろう。(もっと少ないかもしれない)RawだJpegだという議論も、それはほとんどが色の情報で、グレースケール情報は、かなり小さなことを知った。ならば、CCDが小さいだけで、実際は800万画素もある、GRDのようなカメラはなんなのだろうと思ったのだ。
たしかに大きなCCDを持っていれば、当然一眼デジカメのように、背景をぼかしたりと自由度がある。色彩の情報量も違うだろう。
しかし、僕が銀塩時代に35mmモノクロに求めていたことはなんだろうと思うと、情報量ではないことは確実だった。
●僕は35mm銀塩時代、トライX、T-maxをD76微粒子現像ではなく、フジのパンドール増感現像液を使っていた。それはなぜかといえば、ISO800ぐらいで撮れるし、増感してもコントラストが高くならず、粒子が均等に荒れて、そのタッチが好きだったからだ。アンダーの写真も、オーバーの写真もプリントしやすかった。ブロニーサイズはずっとD76で現像していたので明らかに35mmモノクロに求めていることが違っていたようだ。だからもともと僕は35mmモノクロには情報量より、雰囲気を求めていたのだ。
●GRDの話に戻すが、そう思うと、GRDのCCDの大きさが、気にならなくなった。ワイドでパンフォーカスはあたりまえじゃないか。いや800万画素もあると、かえって情報がありすぎのような気さえした。こんな小さなカメラなのに、ヌメット写って欲しくないなと思いさえした。
●だから写真展用に昔の銀塩モノクロをスキャニングして、レタッチし、プリントすると
きに僕は絶対に粒子、粒状感、(フォトショップ的にいえばノイズ)を重視した。スキャニングで乱れた粒状を整える意味もあったが、写真にとって粒状感は、「メディア」だと思えたからだ。
●だから、GRDのばあいも、モノクロプリントするさいには、かならず粒子を入れる。
銀塩の粒子とは違うが、僕はこれが「フェイク」だと思っていない。これは写真のなかのひとつの武器であり、「メディア」なのだ。そうやってテストしてみると、銀塩モノクロとと変わりなく表現できることを確認できた。それで、今GRDにはまっているのだ。
●GRDの良いところは、小さいことだ。光学ファインダーを内臓しなかった潔さ。僕は撮影中、外づけファインダーも使わない。背面のディスプレーも切る。ほとんどノーフィンだーのような撮り方になる。撮るときにはカメラの天を基準に合わせ、まるで空中にファインダーがあるように撮影している。きちんと構図を撮るときは、背面のディスプレーを点灯してカメラつき携帯のように撮る。外づけファインダーが嫌いなのは、ポケットに入らないからだ。小さな平らなファインダーがあればつけるかもしれない。測距モードは当然スナップだ。接写とアップの時にはマルチAFだ。
●問題は、ディスプレーをつけないと、ストロボの確認などができないことだ。それによくストロボスイッチを触れてしまい、突然発光することだ。
画質的には問題ない。もう少し明るくF2.0ぐらいあるといいなと思う。ISOはたいてい400にしている。
事故というか、パニクッったのは、記念写真を撮ろうと、三脚につけたら、ディスプレーが大きくゆがんでしまったことだ。三脚のねじはゆるゆるでつけないと、影響を与える。ああ、こわしちゃったと驚いた。がゆるめると直った。
あとは耐久性かなと思う。
●僕はしばらく、GRDにはまりそうだ。それにモノクロ撮影にもはまっている。写真展のせいもあるが、最初に書いたとおり、僕はモノクロで写真を覚えたので、モノクロこそが自分のものという気がするからだ。モノクロ写真で撮ると、スナップの作品に思えていた。デジタルになってから全くモノクロスナップをしなくなっていた。それがまたモノクロを始めた。カラーで撮ってモノクロではなく、最初からモノクロで撮ることが僕は好きだ。それは、世界そのものを記録しようとしているのではなく、僕が遭遇した世界はカメラによってどんなふうに見えるかが最大関心事だからだ。
●写真は読むのではない。理解するのものでもない。
●写真は、撮り、感じ、そこに写っているものを体全体で受け入れる。
そしてそれぞれが自分の心と頭で、そこに写っているものは、何のかと考えるメディアなのだと僕は思っている。
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Comments
締めの文章に激しく共感します。
無論、これ以外の意見を完全に否定する気は毛頭ありませんが。
※TBさせて頂きました
Posted by: photo_artisan | 2005.12.20 12:11 AM
何度も話してるようにボク自身は「モノクロ」に飽きてしまって「カラー」をメインに撮ってますが、この文章に書いてあることはまったく同感ですね!
つまりはモノクロとかカラーとかじゃなくて「感じる」ことが出来る写真であれば良いのだと思います。
このカメラにも興味があるのでそのうち余裕が出たら欲しいとさえ思ってます。
Posted by: HARUKI | 2005.12.18 02:58 PM
何度も話してるようにボク自身は「モノクロ」に飽きてしまって「カラー」をメインに撮ってますが、この文章に書いてあることはまったく同感ですね!
つまりはモノクロとかカラーとかじゃなくて「感じる」ことが出来る写真であれば良いのだと思います。
このカメラにも興味があるのでそのうち余裕が出たら欲しいとさえ思ってます。
Posted by: HARUKI | 2005.12.18 02:58 PM
ありがとうございました。
GRDについて知りたかったことを全て教えていただきました。
ARAOさんの道具(カメラ)に対する考え方が大好きです。
Posted by: ザジ | 2005.12.17 10:56 AM