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30 posts from January 2006

2006.01.30

エレベーター

13003

新橋のD社に行った。ここのエレベーターは大好きだ。前も一度撮ったことがある。
このエレベーターは、高速なので、のんびりと撮影するわけにはいかない。打ち合わせの時間もあるし、数コマしか撮れない。
130dentsu01
エレベーターホールから、エレベーターを見たところ。僕が真ん中あたりに写り込んでいる。

130dentsu02
エレベーターの中から、真上に向けて撮ってみた。真ん中にGRDをかまえている僕がいる。昼は、もっとスピード感がある。
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TOKYO SNAP2006 RICHO GRD BW

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「恵比寿写真倶楽部のばらばら撮影会」その1~IN佃周辺~に参加した。
友人である、HARUKIと、恵比寿で酔っ払って、冗談から作った、倶楽部だった。
基本的には、(MIXI)という、クローズドのBLOGサイトで、情報活動をしているが、直接HARUKIのHomePageからも、会員になれる。現在80人ぐらいいると思う。
ネット上のこういう集まりは、バーチャルなものが多いが、これは写真を撮ることと同じように、リアルな、ネットワークを目指している。
今日の撮影会も、会費があるわけではなく、特別に講師がいるわけではなく、14人の参加、撮影中はばらばらになり、写真を撮った。天気もよく、あたたかく、冬の撮影としては、最高のコンディションだった。
そのあと月島でもんじゃ焼きを食べ、地元恵比寿まで戻り、最後までわきあいあい、かなりコミュニケーションできた。HarukiのHomePageで、写真の紹介がそのうちあるだろう。

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2006.01.28

告知 横木安良夫写真展ワークショップ

●2月5日(日曜日)ワークショップを開催します。
時間3時~5時 無料です。
(2月4日のワークショップとは、内容が違います)

★通常アート・フォト・サイトギャラーは、日曜休廊ですが、
この日は、pm1時~5時までOPENしています。

●今回の写真展のコンセプトや写真の解説をします。
そして、商業ギャラリーと契約するとはどういうことかをお話します。
●ギャラリーのディレクターでもある福川が提唱するアートフォトとは何か!を紹介します。
●写真を売ること、写真を買うこととはどういうことか、これから、どうすればよいのかを、お話します。
●日本における、商業ギャラリーのこれからの展望を話し合いたいと思います。
●写真を撮る方、そして写真を見るのが好きな方、写真を買ってみようと思っているかた、
そして、解説つきで、写真展をご覧になりたいかた、歓迎です。

アート・フォト・サイト・ギャラリーBLITZ
tel.03-3714-0552   詳しいことは、ギャラリーに直接お尋ねください。

★ワークショップの申し込みはこちらから

★写真展の詳しい内容は、ここをクリック してください

photoshowtitletyc
harumira1971a

日、月が休みです。(2月5日、日曜日のみ1-5時OPENしています)

●28日(土)pm  ★1-7時 写真展会場にいます。
●29日(日)休廊
●30日(月)休廊
●31日(火)未定
2月
● 1日(水)未定
● 2日(木) pm4-7時 写真展会場にいます。
● 3日(金)未定
● 4日(土) ★pm1-3 5-7時 ワークショップ ざわついてますが展示を見ることは可能です。
● 5日(日) ★pm1-5時OPEN  3-5時でワークショップをします。展示を見ることは可能です。

☆☆
僕はなにも見ていなかった。
だからこれは僕がみたものの記録ではない。
これは僕がその時代に吸った空気、
その時代に若く生きた、気分の記録。
あの時代はよかったなんて懐かしんでいるんじゃない。
誰にでも一度はある若い時代、
まだ何の見通しも、さしたる経験も、
本当の挫折も味わっていない
ひとりの人間が、
世界と遭遇したときに、
感じ、掠めとった寓話。
18歳から26歳、
僕は夢中になってシャッターを切った。

●まあ、俗に言ってみれば、団塊の世代の、どこか浮ついた青春まっただかの写真かな!

★★★3月1日から、16日まで京都、京都ギャラリーにおいて、同展を開催します
関西方面のかた、是非ご覧に来てください。


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2006.01.27

1月26日、GRDを持ち、恵比寿に飲みに行った。

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EBIS PM8:30  GRDモノクロ ISO800
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マルボローライトメンソール

GRDを首からさげ、pm8時すぎに家をでて、自転車で恵比寿に行く。寒かったので、着膨れていった。立ち飲み屋でHと、そのともだちの大阪から仕事できているTと3人で待ち合わせた。その後Tが六本木へ。Hがおなかがすいたというので、中華屋で2時間弱。紹興酒を飲んでいるとHの電話がなる。さっきの友人がかつて上海に住んでいた友達を連れて、戻ってきた。Tが以前ぼくらがいきつけの洒落たバーで仲良くなった(ナンパ?)女性があとからくるという。その女性に教えてもらったというイタリンアだろうか、スタンドのレストラン、といってもスツールはあるが、今のはやり?さいきん情報不足で、恵比寿にこういうレストランがあるのを知らなかった。に行く。すぐにその女性がくる。年齢はHたちお同じぐらい。独身。かなりきわどいは話しもできる。そのうちにデザイナーだと告白。僕とHがカメラマンだというと、仕事のときの話になる。自給換算すると、デザイナーは、とんでもないことになると。それに引き換えカメラマンの瞬間自給は今でも高い。なにしろ1000分の1秒でも終わることがあるから。ひとしきり、ぐちというか、憂さ晴らしに、耳をかたむける。
wendysclosetime
遠くに印象的な、女性をみつける。
ebisgirl

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最後の店は、若い女性客がいっぱいいた。
cupice
帰宅2時半
★最近気がついたことがある。カラー写真は被写界深度が浅いのが好きで、モノクロはパンフォーカスが好と。

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harumira1971a

日、月が休みです。(2月5日、日曜日のみ1-5時OPENしています)
★写真展の内容は、ここをクリック
●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz
ワークショップのお申し込みは、こちらから

●28日(土)pm  ★1-7時 写真展会場にいます。
●29日(日)休廊
●30日(月)休廊
●31日(火)未定
2月
● 1日(水)未定
● 2日(木) pm4-7時 写真展会場にいます。
● 3日(金)未定
● 4日(土) ★pm1-3 5-7時 ワークショップ ざわついてますが展示を見ることは可能です。
● 5日(日) ★pm1-5時OPEN  3-5時でワークショップをします。展示を見ることは可能です。

☆☆
僕はなにも見ていなかった。
だからこれは僕がみたものの記録ではない。
これは僕がその時代に吸った空気、
その時代に若く生きた、気分の記録。
あの時代はよかったなんて懐かしんでいるんじゃない。
誰にでも一度はある若い時代、
まだ何の見通しも、さしたる経験も、
本当の挫折も味わっていない
ひとりの人間が、
世界と遭遇したときに、
感じ、掠めとった寓話。
18歳から26歳、
僕は夢中になってシャッターを切った。

●まあ、俗に言ってみれば、団塊の世代の、どこか浮ついた青春まっただかの写真かな!

★★★3月1日から、16日まで京都、京都ギャラリーにおいて、同展を開催します
関西方面のかた、是非ご覧に来てください。

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2006.01.25

外山ひとみさんのブログ

写真家の外山ひとみさんが、Blogを作った。 彼女はベトナムに関して僕とかなりかぶっているところがある。
しかし、出会ったのは一昨年、彼女の写真展のときだった。
その後、メールを何度か交換したが、実は僕たちは、一人の人間を介在して結びあっていた。
それは、ベトナムの、僕の親友でもあり、日本語通訳の、ド・コク・チュン、・・・チュンさんを通じてであった。
彼は、僕の「サイゴンの昼下がり」や、「ロバート・キャパ最期の日」に登場する人物だ。
1952年生まれの元ベトコン、元公安、元国営旅行会社の日本語通訳、カメラマン、デザイナー、旅行代理店、ロケーションコーディネイターととても多彩に、活躍、活躍しすぎて、いろいろあって、今は地道に活動している。
そんな彼と、外山さんは1994年に知り合っている。僕が始めてベトナムに行ったときだ。僕がチュンさんと出会ったのが1995年。
その1994年外山さんは、バイクでベトナム縦断している。なんと1994年のベトナム国境少数民族の住む、まだ秘境だった、サパまでバイクで訪れている。なんという男勝り。
イヤほんとうに彼女と話していると、「サムライ」って言う感じがする。僕もふくめて、軟弱な現代の男にない、潔さがある。彼女に男とか、女とかいうと、とても反発する。そういう目でみてほしくないって。女ぽいし、完璧に女であるけど、女だからという、男の常套句が大嫌いだ。そんなこというとぶっとばされる。
一昨年、外山さんは、チュンさんと再会した。そして仕事をした。そこでさんざん僕の話を聞かされたらしい。
そんなこんだで、この間、ベトナムの写真展のオープニングが写美であったおり、久しぶりに会った。
今回のベトナム写真展は、1954年キャパが死んだ年から、僕がフリーになった1975年、
僕の写真展1967-1975と完全に重なっている。その写真展に、現代のベトナムの写真として、
僕と、外山のさんの写真が並んで展示してある。
これまで、外山さんとはちゃんと話をしたことがなかった。
が、すぐに打ち解け、たくさんおしゃべりをした。
とっても気持ちのいい人だった。こりゃ、男じゃかなわない、なんていっちゃいけないか。
彼女は、表現者でありたい。表現者でありたい。表現したい。と酔いながら100回ぐらい叫んだ。
そんな彼女のBLOGが始まった。見逃すわけにはいかないぞ。


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2006.01.24

TYC写真展 市川南

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市川南 千葉 1968
僕は、市川市国府台で生まれた。家のすぐそばの国立国府台病院だ。小学校は国府台小学校。中学からは越境して東京に通っていた。
大学を卒業して、アシスタントになったばかりのころは、六本木まで当然家から通っていた。
しかし前代未聞、アシスタント分際で、毎日自分のクルマで通っていたのだ。
そして毎日、六本木スタジオの駐車場に黙ってとめていたのだ。
なぜならクルマを止めるスペースがあったからだ。
当然数日で発覚し、皆にあきれられた。
しかたがなく、テレ朝通り、(材木町通り)、今はなんていうのだろう、ヒルズ西通りとでもいうのだろうか、そこから麻布十番に抜ける道に、路駐した。今みたいにレッカーがある時代ではないが、心配で3時間おきぐらいに、見にいった。これじゃ仕事にならないので、クルマで通うことは断念した。
その後、ガールフレンドができて、彼女のアパートにもぐりこむことになる。クルマは乗らないので友達に貸した。
それまでのわずかな間だが、家から六本木に通ったとき、東京に行くには、かなり困難でもあった。
川が多く、橋があるせいだろう。
市川の国府台と言う場所は、新興住宅がおおく、当時はかなり活気があるところで、市川ー松戸間の京成バスは、大型バスを連ねて、ピストン輸送だった。
当時、京成国府台は立体ではなく、踏み切りだったので、大渋滞、スムーズだったら市川ー国立国府台病院前は10分もかからないのに、毎日その時間、最低20分、ひどいと40分もかかってしまう、難所だった。
だから遅刻しそうな人は、白タクで乗り合い、裏道を走り、駅まで行った。
自分の車でそのラッシュ時間を走るのはやはり裏道を走るしかなかった。
ようやく抜けて、上の写真の市川南あたりにくるとまずは一安心だった。
それから行徳橋を渡り、葛西橋をとおり、当時はまだこの道はすいていた、そして銀座、六本木に行ったのだった。
市川駅の南口は、今もさほど栄えてはいないが、かつてはサイダー工場だったろうか、この写真は、今の竹中製作所あたりだろう。このあたりに、僕が小2ぐらいのことだから、昭和30年代初め、写真家小暮徹のお父さん、著名な書家の、小暮青風の書道塾があった。母親と僕はほんのしばらくそこに通っていたことがある。母は懇意で、家の表札を書いてもらった。ところがだんだん褪せてきて、あるとき父親がその上からなぞってしまった。
そのときの母の怒ったこと。その後、小暮先生は、市川真間に引っ越したと記憶している。
記憶だと、小暮徹は、僕が助手時代、ニコンサロンで写真展をしたように思うが、記憶違いかもしれない。
そして1975年、ほぼ同じ頃、小暮さんはパリから帰ってきて、日本で仕事を始めた。まあ、なんとなく知っている間柄だが、ほんの少し年上でもあり、ほとんど話したこともない。
上の写真は、理由は分らないが、なぜか好きなのだ。きっと昔の記憶にこの風景がインプットされているのだろう。
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日、月が休みです。(2月5日、日曜日のみ1-5時OPENしています)
★写真展の内容は、ここをクリック
●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz
ワークショップのお申し込みは、こちらから

●25日(水)pm1-5時 写真展会場にいます。
●26日(木) 未定
●27日(金) 未定
●28日(土)pm 1-7時 写真展会場にいます。
●29日(日)休廊
●30日(月)休廊
●31日(火)未定
2月
● 1日(水)未定
● 2日(木)未定
● 3日(金)未定
● 4日(土) pm1-3 5-7時 ワークショップ ざわついてますが展示を見ることは可能です。
● 5日(日) pm1-5時OPEN  3-5時でワークショップをします。展示を見ることは可能です。

☆☆
僕はなにも見ていなかった。
だからこれは僕がみたものの記録ではない。
これは僕がその時代に吸った空気、
その時代に若く生きた、気分の記録。
あの時代はよかったなんて懐かしんでいるんじゃない。
誰にでも一度はある若い時代、
まだ何の見通しも、さしたる経験も、
本当の挫折も味わっていない
ひとりの人間が、
世界と遭遇したときに、
感じ、掠めとった寓話。
18歳から26歳、
僕は夢中になってシャッターを切った。

●まあ、俗に言ってみれば、団塊の世代の、どこか浮ついた青春まっただかの写真かな!


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写真展開催中 TeachYourChildren67-75 情報

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harumira1971a
1971年 晴海 東京
日、月が休みです。(2月5日、日曜日のみ1-5時OPENしています)
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●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz
ワークショップのお申し込みは、こちらから

●23日(月)休廊
●24日(火) pm4-7時 写真展会場にいます。
●25日(水)pm1-5時 写真展会場にいます。
●26日(木) 未定
●27日(金) 未定
●28日(土)pm 1-7時 写真展会場にいます。
●29日(日)休廊
●30日(月)休廊
●31日(火)未定
2月
● 1日(水)未定
● 2日(木)未定
● 3日(金)未定
● 4日(土) pm1-3 5-7時 ワークショップ ざわついてますが展示を見ることは可能です。
● 5日(日) pm1-5時OPEN  3-5時でワークショップをします。展示を見ることは可能です。

☆☆
僕はなにも見ていなかった。
だからこれは僕がみたものの記録ではない。
これは僕がその時代に吸った空気、
その時代に若く生きた、気分の記録。
あの時代はよかったなんて懐かしんでいるんじゃない。
誰にでも一度はある若い時代、
まだ何の見通しも、さしたる経験も、
本当の挫折も味わっていない
ひとりの人間が、
世界と遭遇したときに、
感じ、掠めとった寓話。
18歳から26歳、
僕は夢中になってシャッターを切った。

●まあ、俗に言ってみれば、団塊の世代の、どこか浮ついた青春まっただかの写真かな!

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2006.01.22

「雪だるま天使」とレイアウト GRD

こどもにせがまれ、雪が残る公園にゆく。

高い木々の枝や葉に残ったわずかな雪が、
融け始めたのだろうか、それとも風にあおられたのだろうか、
ときおり、頭上でササっという音がして、
瞬間、逆光線のなかを、粉末状になった微小の雪の粉が、
きらきらとしながら舞い落ちてくる。
東京でこういう光景はあまり見たことがなかった。
yukidarumaami
GRD ISO 64
7歳の娘が作った、「ゆきだるま天使」。最近はBWばかりで撮っていたが、さすがにこれはカラーで撮った。
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公園に住み着く、ホームレスの家。夏はキャンプのように快適かも知れないが、
冬は寒いだろう。ただ、きれい好きなのか、きちんと整理、レイアウトしている。
homelesskouen
GRD ISO 64

kouentaiso
GRD 黙々と体操する、中年男 

setagayanotora
GRD ダブルダッチ(2本のロープを使うスポーツ縄跳び)の練習を見ながら、音楽を聴いている、世田谷のトラおばさん。
実は、タイガーリリーと呼ばれている有名なおばさんだ。
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その後、ジョナサンに行った。
そこでクローズアップを撮る。なんだろう。わかりますか。GRDのクローズアップはとても面白い。
saltjona

yojijona

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雪なのに、Blogから来る写真展

yukigalleydoor
GRD Open時間、まだ雪はたいしたことなかった。

朝から雪。土曜日は、本来だんとつに来廊者の多い日だ。
それなのに朝から雪。ギャラリーまで自転車で10分ちょっとなのだが、今日は無理。
するとギャラリーのF氏から、クルマで迎えに来てくれるとのこと。
1時に着くと、さっそく知り合いからのキャンセル3件。理由は雪。これはしかたがない。
ところが、1時半すぎに数組。え。この雪の中を、と恐縮。
夕方関西からくる、友人は新幹線5分遅れだと連絡がくる。関西は全然雪の気配なしだという。
こちらは雪だから、目黒駅までクルマで迎えると伝える。
その間、どんどん雪は降る。
それなのに、また数組、皆、ギャラリー滞在時間が長いので、5人ぐらいが重なる。
実は、壁に展示している写真以外にも、A4ファイル写真集が4冊、他あるのでますます
時間がかかる。

さきほどまでは、歩道だけが白かったけれど、いまや車道も白くなってくる。
ドアを開けると雪がふわりと舞い込み。
それなのに人はくる。なぜだろう。
これが、ネット時代、Blog時代の傾向だろうか?。
yukigallery
GRD しだいに車道も白くおおわれてきた。

今まで何度も写真展をやったが、今回のように、僕の直接の情報、BLOGを読んで来た人ばかりというのは初めてだ。(もちろんBlogなんてかつてはなかったが、たいてい新聞、カメラ雑誌をみていた)。
だからこれは大異変だ。なにしろ来る動機はみな、Blogなのだ。
そして、Blogを読んで、来ようと思った人は、こんなに雪が降ったってやってくる。
恐るべしブログ。
このギャラリー月、日が休みだ。
日曜日は、アートフォトやギャラリー経営のワークショップをやっていることが多いからだ。
ということは、OPENしていても、土曜日しかこれない人も多い。
それなのに、先週の土曜日も、大雨。今週は雪。
それでも来てくれる。Blogの結びつき、強し。 Blogとは何だ!
日曜日しかこれないかた、2月5日(日)の1時ー5時、OPENしています。
iceincup
GRD コップの中の氷
ギャラリーを出てタクシーに乗る。雪がすごく、結局目黒の駅ビルで食事。ビール1、グレープフルーツサワー2.

yukipachinko
9時半家について、ブログを見ていたら眠くなる。最近少し酒が入ると眠くなる傾向。酔いがさめた1時ごろ、目が覚めた。
この雪のなかを、それも遠路、来廊くださった方々に感謝。
横木安良夫写真展「TeachYourChildren1967-1975」

●25日(水)pm1-4時 写真展会場にいます。
●28日(土)pm1-7時 写真展会場にいます。

●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック


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2006.01.21

TeachYourChildren写真展開催中 EMONギャラリー

横木安良夫写真展「TeachYourChildren1967-1975」

●21日(土)pm1-7時 写真展会場にいます。

●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

yokotakichi0001
1967 FUSSA YOKOTA AIR BASE TOKYO

galleryEmon


●今日、東京南麻布にある、EMONギャラリーで開催されている、小林紀晴さんの写真展を見てきた。
写真家の渡部さとる氏は、2005年12月22日に見て、昨年度1番の写真展だといっていた。写真ライターのタカザワケンジ氏も、好意的に紹介している。
さて、僕の印象。
小林さんって、シンプルなものが好きなんだなってこと。彼のライフスタイルも、生き方も、考え方も、いろんなものをそぎ落としていつもシンプルでありたいと願っているような気がする。自分にとって、何が必要でなにがいらないのか、そいういうことにとても意識的だ。彼が故郷や、アジアや、ヨーロッパ、そしてニューヨーク、今回のスロベニア、オーストリア、スペインと、さまざまなところへでかけるのは、何かを探しているからだろう。そして、今の時点で彼が見つけたことは、そこはどこにもなく、どこにでもあるということ。
だから写真には何も写っていない。空や雲や、木々や花。ハイキーなカラープリントは、特別珍しい表現ではない。だた何もないということと、ありふれていることが、奇妙に美しく存在している。それなのに空虚ではない。優しさや、愛情に満ち溢れている。情報の少ない、明るくやわらかい印画紙の表面を見ていると、そこには、小林さんの心理の断片が想像できるような気がする。それはいまにも気を失いそうな瞬間、次第に色彩が抜けて行く瞬間だ。
22日、明後日で終わってしまう。見る価値あり。

●先日、デイトレーダーのhatch@シアトルさんが、訪れ写真を購入してくれた。そのときのことが、彼のHomePageに書かれている。

告知

★10日ぐらい前に、2月4日、pm2-4時で、モノクロデジタルプリントの無料ワークショップを募集したら、一日で定員いっぱいになってしまった。

●2月4日、もし希望者が多ければ、5時ー7時で、
もう一度やろうと思っています。
アート・フォト・サイト・ギャラリー・Blitzでたずねてみてください。

http://www.artphoto-site.com/gallery.html
tel.03-3714-0552

●また2月5日、日曜日は本来ギャラリーは休みですが、
特別、1時ー5時でOPENしています。
そのときにも、無料ワークショップをやる予定です。
内容は、僕の作品についてと、写真を買うこととはどういうことだろうか、といったことをテーマにしたいと思っています。

●1月20日発売、日本カメラ2月号で、モノクロデジタルプリント術を特集している。詳しくはBlogで。
http://alao.cocolog-nifty.com/the_eye_forget/2006/01/post_ee9f.html

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2006.01.20

EPSON PX-5500 カラープリント性能

横木安良夫写真展「TeachYourChildren1967-1975」

●21日(土)pm1-7時 写真展会場にいます。

●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

EPSON MAXART PX5500 と カラープリント
_apsg01gaku
1994年10月 ベトナム ホーチミンシティ サイゴン レタイントン通り 
An early afternoon of Saigon

H・C・M・C(ホーチミン市・旧サイゴン市)の中心部。コンチネンタルホテル裏、レタイントン通りを、颯爽と横断するアオザイ姿の女性。僕はカメラに200ミリの望遠レンズをつけて後ろ姿を追った。追いかける僕のファインダー越しの視線から、彼女は路地を曲がると、まるで白日夢だったかのように忽然と消えてしまった。僕が初めてサイゴンを訪れた時だった。僕は日本に帰りそのフィルムを現像した。そこには肉眼で見た印象そのままの一コマが、まるで演出したかように写っていた。二回目にサイゴンを訪れた時、この写真を、このあたりで仕事する人たちに見せたところ、誰も知らないし見たこともないと答えが返ってきた。彼女は、僕がヴェトナムで出会った一番印象的なアオザイの女性だ。ただこのアオザイは、生地や柄や形が、普通のアオザイをかなりアレンジしているという。いったいどんな生活を送っている女性だろうか。僕は彼女の日常を想像した。 

●EPSON MAXART PX 5500は、今回の写真展のために導入した。モノクロ写真をプリントするためだ。

早々、モノクロをプリントしているので、一度もカラーはプリントしていなかった。カラーは、もう一台のプリンターCanonPixus9100iでやっている、仕事上の見本プリントなど、感覚的にも頭に入っているからだ。

●現在、恵比寿にある東京都写真美術館で、ベトナム1954-1975年の写真展を開催している。
今回僕がやっている写真展と、ダントツで時代が重なっている。
あの時代の日本の若者と、世界で一番悲惨な土地だったベトナムで生きる若者たち、それが同時代だったことに驚くだろう。そして一ノ瀬泰造の時代もまったくこのなかに含まれていることも意味があることだ。

●その写真展の入り口右側、最初の壁に、この写真が展示されている。
この写真は、もう何度プリントしたろうか。もちろんインクジェットプリントは当然として、ラムダという銀塩デジタルプリントでもプリントした。今までラムダのクリスタルプリントが一番の仕上がりだった。

●今回の写真展のギャラリー、アート・フォト・サイト・ギャラー・BLITZからこの写真を扱いたいと提案があった。でも何でプリントするか。
いままでのプリントは正直、不満があった。できれば自分できちんとコントロールしたい。
銀塩デジタルプリントの最大の弱点は、デジタルデータは僕が作るからよいとしても、
やはりプリントの段階がBLACKBOXだ。微妙な調整は結局は人任せになる。
それになんといっても、ペーパーの種類がすくない。ペーパーがプラスチックで、
ピタリとその質感が表現とあえばいいが、合わないとなんだかむずむずする。

●ふと、PX5500と、今回モノクロで使用した、
EPSONのVelvetArtPhotoPaper。
このプリンターで、カラーをプリントすることなんて、これっぽっちも考えていなかった。
でも、突然ひらめいた。
なぜなら、僕はあまり光沢のあるペーパーが好きではないからだ。
確かにクリスタルプリントは美しい。でもそれは表面が美しいので、
かえって写真の中に、気持ちがいかない。
特にインクジェットの光沢ペーパーは、その性能が上がれば上がるほど好きになれない。

●まず、A4のEPSONマットフォトペーパー顔料用でテストプリントした。
最初はカラーオススメでプリント。sRGBだ。お、キレイジャン。
それから、AdobeRGBでプリント。若干彩度が上がったようだ。

●そしてついに、A3ノビ、VelvetArtPhotoPaperでプリントした。
結果は、最高。なんといっても質感のある、紙は写真に深みを与えるし、発色もよい。黒のしまりもよい。
正直驚いてしまった。すっかりモノクロモードだったが、カラーでも素晴らしいプリントが自分でできることにうれしくなってしまった。インクジェットの最大のメリットは、100%、自分自身でコントロールできることだ。

●来年は、「Teach Your Children 1975-2005」展をする予定だ。
そこにはカラープリントがたくさん入ってくるだろう。このプリンターとこのペーパーに出会って俄然やる気がでてきた。今のところ、国内ではA3ノビしかないが、海外では大きなサイズもあるという。

●今回の、「サイゴンの昼下がり」のプリントは、アート・フォト・サイト・ギャラー・BLITZで見ることもできるし、販売もしている。是非僕が最高のできという、プリントをご覧ください。そしてマット系、半光沢系のプリントが好きな方は、このプリンターがカラーもモノクロとも素晴らしいと納得するだろう。これはセールストークではなく、僕の本心だ。
★EPSONさま。インクと、ARTPAPERの価格をもっと、もっと抑えてください。

日本カメラ2月号で、横木式デジタルモノクロプリントの特集をしている。

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2006.01.19

★日本カメラ2月号 横木安良夫式モノクロデジタルプリント術

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1971 Fussa Yokota air base TOKYO

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日)
pm1:00より7:00   日曜、月曜 休廊

○20日(金) は、会場に行きません。
●21日(土)pm1-7時 写真展会場にいます。

●アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック


●1月20日発売の、日本カメラ2月号で、今回の写真展のモノクロ制作に関するやり方を紹介している。
以前のBlogでも紹介したが、本誌では8ページにわたりより詳しく説明している。
僕のモットーは、いかにシンプルにやるかだ。シンプルなやさしいやり方をすることによって、かえってスキルがあがるからだ。例えば一見便利な、修復ツールより、スタンプツールを使ったほうが、作業の流れを止めることなく、最初はうまく行かなくても、やればやるほどスピーディになり、そういう肉体的な技術はあがるからだ。
●今回、EPSON MAXART PX 5500を使った。このプリンターがあるから、デジタルアーカイバルプリントをやってみる気になったのだ。大型のPX7500も含めて、どれもこのシリーズは同じような世界観でプリントできるので、これからの写真表現をさらに広げることになるだろう。あとはペーパーの種類だろう。
●先日、今回の写真展中、2月4日(土)2時から4時に、PX5500を使った、実践デジタルモノクロプリントの、ワークショップをすると書いた。するとその日に定員の15名、(しかたがなく20名にした)がいっぱいになってしまった。ただ、日本カメラでこのように紹介したので、もし受講者が多ければ、その日もう一回、5時ー7時でやろうと考えている。直接ギャラリーのほうにたずねて欲しい。
●また、よく2月5日、日曜日。本来ならば、ギャラリーは休みなのだが、1時にOPENして、3時ー5時の間、この写真展につていの、ワークショップをやろうと思っている。受講料は無料だ。テーマは、もちろんこの写真展についてと、写真を売ること、買うこととはどういうことか、のワークショップだ。
●今回の写真展では、デジタルプリントを、かなり安く設定した。通常の半額以下だろう。そのせいもあって、予想以上に購入希望者が多い。約300枚展示された写真のなかから、自分にあった、自分の家の壁に飾る1枚を探し出す。それはとても素敵な悩みなのかもしれない。そういうことを、話したいし、話し合ってみたい。
2月5日のワークショップについても、ギャラリーに尋ねて欲しい。

★★同じく日本カメラの今月号に、このBlogについてのコラムがあった。先月はhanaさんだったから、ちょっと内輪臭いけど、でもやはりBlogに力を入れているプロカメラマンてあまりいないから、当然なのであります。

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写真展開催中 TeachYourChildren67-75 EPISODE

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茅ヶ崎海岸

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊

●19日(木)pm4:30-7
●21日(土)pm1-7時 写真展会場にいます。

アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

●「Teach Your Children 1967-1975」写真展の写真解説です。
このBlogだけでに公開です。写真展には、ひとつひとつにはキャプションはありません。
pacifichotel
茅ヶ崎パシフィックホテル

EPISODE これは、前回の後の話です。

1969年、昭和44年1月、東大安田講堂が陥落すると、いちおう学生たちの反乱の季節が終わった。その後は、より少数の、過激派と呼ばれるグループが活動し、一般の学生たちは以前にもまして自由を謳歌しはじめていた。江古田にある大学は、全共闘が占拠した旧校舎の倍以上もの面積を強固な鉄のバリケードをめぐらされ、まあたらし校舎を建設中だった。すでに旧校舎も、機動隊により解放され、大学は4月をずれこんだものの、5月始めに再開された。ただ検問は厳しく、入学式のあとの新入生歓迎会は、門を閉じ、隔離されながら行われた。倶楽部(サークル)の新入生勧誘をするため、彼らのオリエンテーションを待つべく、できたばかりの真新しい校舎に囲まれた中庭での数時間、まるで倶楽部員同士の交歓会、今で言えば昼間の合コン状態になっていた。
そこで僕は同学年のM子と出会う。この年僕らの学年は、1年間で2年、3年を履修することになっていた。授業は超スピード、写真の実技もずいぶんはしょられたようだった。
演劇学科のM子は、日本舞踊の名取だった。歌舞伎研究会に所属していた。普通だったら接点のない相手だった。それが中庭に隔離された数時間の間に知り合うことになる。
軽音楽部の友人グラマーなF子は、バンドをバックに「FLY ME TO THE MOON」を歌った。
M子は茅ヶ崎に住んでいた。毎日東海道線で通っている。片道約2時間の通学だ。僕たちは急速に接近し、数週間で彼女の家族の住む茅ヶ崎にある団地に訪れていた。彼女と年ごの弟もやはり同じ学園に通っていた。
3LDKの団地の部屋で、僕は彼女の父親と布団をならべて寝た。50代の父親は座間基地でデザイナーとして働いていた。かつては絵描きだった。毎晩晩酌で酔い、くだをまいた。そこにおばあさんが目白の邸宅に住んでいたときの思い出を話す。事情はわからない。その部屋に不相応な、大きな額に入った、そのおばあさんの肖像画が壁を占拠していた。毎晩同じ会話が繰りかえされた。父親のくだと、おばあさんの愚痴が夜の定番だった。しばらくすると父親は沈没して寝た。
父親に反発していた彼女の弟は、夜中にそっと帰ってきて、彼の4畳半の部屋に、明るい髪がふわりとウエーブをした小柄な色の白い美しいガールフレンドと寝ていた。
僕が来たときには、M子は母親と、おばあさんと3人で六畳間に寝た。父親と母親は毎日朝早く仕事にでかけた。8時ごろになると、M子はひとりで寝ている僕の布団のなかにもぐりこんできた。
なぜだか、そんな生活が許されていた。そういうことに、彼女の両親は無関心をよそおっていた。干渉されず気楽だったので僕は週末になるといつも彼女の家に行った。
問題は(国鉄JR)の交通費だった。普通だったら往復500円以上もする。30年以上もまえの、500円、今だって茅ヶ崎まではかなりかかるだろう。
お金のないとき、僕は犯罪行為を決行した。もう時効だからいえるが、本当にそれは犯罪だった。いうなればキセルをしたのである。いまのように自動改札の時代はそんなことができないが、昔は良く行われていたことだった。もっとも、今は無人改札だ。たんに改札を飛び越えればすんでしまうが。
僕たちはいつも最終電車近くに茅ヶ崎に着いた。その時間、列車から飛び降り、タクシー乗り場に向かって駆け出す客が大勢いた。くだりの東海道線は下りてから、袴線橋をわたり、改札に向かって全力疾走だ。そこに僕も参加する。自分の定期、市川、江古田間の定期を握り締め全力で、改札を走り抜ける。そんなことを何度やったろう。反省している。
茅ヶ崎に行くとかならず海に行った。そのうち中古のカローラを手に入れ、いつも移動は車だった。ガソリン代がリッター40円台だと記憶している。
茅ヶ崎には、加山雄三の父親上原謙の大邸宅があった。そのすぐそばに、茅ヶ崎パシフィックホテルが、忽然とそびえていた。そこにはボーリング場もあり、広大な駐車場は無料だった。そこに車をおいて、海岸に出ると、今では考えられないぐらいひろびろとした海岸が広がっていた。交通の便も悪いので、(車でやってくる学生なんてほとんどいない)いつも浜辺はがらんとしていた。
その彼女と2年間つきあった。一度も喧嘩をしたことがなかった。芯の強いとてもやさしい従順な子だった。
4年生になり、彼女はテレビ局でバイトを始めた。僕もバイトをしたりしながら写真を撮っていた。週末決まって彼女のバイトさきに彼女の仕事が終わったころ、迎えにいき、そのまま第三京浜、横浜新道、藤沢バイパスを抜けて、彼女の家に行った。
ある日彼女が「食事を誘ってくれる人がいるんだ」と言った。
僕は「いいんじゃない」と答えた。
いくつかの就職試験を受けたがすべて落ちてしまった。さほどあせってはいなかったが、やはりもんもんとしていた。こんな怠惰な生活はいけない、まるで彼女中心にすべての予定が組み立てられているような気がし反省した。
1971年3月の僕の誕生日のあと、彼女に「ちょっと当分会うのやめよう」といった。
真剣に写真も撮りたかったから。電話の連絡もしなかった。
5月16日、僕はふと、彼女のことを思った。
一方的に「しばらく会うのやめよう」と言ったので、かわいそうかなと思ったのだ。
いや、もう2カ月近くあっていなかったので、会いたくなったのだ。季節も初夏、とても天気のよい日だった。
こんな日の茅ヶ崎海岸は最高だ。
彼女の家に電話をすると、おばあさんが出て、弟と海に行ったと言った。
行き先は分っている。パシフィックホテルの前の海岸だ。
僕はサプライズのつもりで、車を飛ばした。胸はわくわくした。
パーキングに車を止め、5月の海の風を吸いこみながら
いつも彼女たちが寝転んでいるあたりに向かった。
遠くに砂浜に座っている数人の男女の影が見えた。きっと彼女たちだ。
すると、一人が立ち上がりこちらに向かってくる。
僕に気がついているわけじゃない。
それは弟だった。しばらくして彼も僕に気がついて、困惑している。
彼は皆のほうを振り返った。そして僕の腕をつかんだ。
そのとき彼女は僕を見つけたようだ。
はっきり見えなかったが、そこには弟の彼女と、もうひとり男が座っているように見えた。
皆僕を見つめている。
M子は突然立ち上がり砂浜を走ってきた。
お気に入りの、ピンク色のCABINのワンピースを着ていた。
そして、「何できたの?」と詰問した。
彼女のそんなに驚いた顔を見るのははじめてだった。
そのきつい言い方も初めてだった。
なにしに来たって、君に逢いたくて。
弟は座っている彼らのほうに戻っていった。
彼女は僕の腕を取り、そこからとうざかろうとした。
そして彼女はきっぱりと言った。
「私たち別れよう・・・・」
 太陽がさんさんとふりそそぎ、まぶしく、カミユの異邦人を思い出した。


下のコメントの返事

荒井由実は、彼女がデビューしたばかりの頃知っていて、彼女の八王子の家にも行ったことがある。茅ヶ崎の彼女ではなく、その後のガールフレンドと音楽を通じたなかまだったからだ。そのとき初めて、ひこうき雲のアルバムを知った。衝撃だった。こういう日常が歌になるなんて。なんてリアルなんだと思った。でも一般には生活感のない歌だと思われていた。彼女が売れたのは、ちょうど僕がフリーになった75年ごろだと思う。少年マガジンの岩崎宏美のグラビアに素敵な詩を書いてくれた。今やスーパースターのユーミン。やはりセンスが光っている。
今回の写真展の最後のほうは、この時代でもあったのだ。


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2006.01.17

阪神大震災11年目の1月17日 

●写真展「Teach Your Children67-75」
 横木安良夫がギャラリーいるとき。
18日(水) ×この日、私はギャラリーにおりません。
19日(木)  ●pm4時30分ー7時までギャラリーにいます。
20日(金) ×この日は、ギャラリーにおりません。
21日(土) ●終日ギャラリーにおります。 pm1-7
22日(日) 休廊
23日(月) 休廊
●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz
●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

阪神大震災
hanshinkousoku01
1995年1月20日 崩落した阪神高速道路 
photograph by Alao Yokogi

kkitabatakehanshik2006
2006年1月17日 
Photograph and Text by K.Kitabatake
あの地震から11年目。
あの日の記憶には色が付いてない。
モノクロの世界だ。
悲しい記憶には色が付かないそうだ。

2005hanshinkosoku
2005年1月17日 am 5:46 photograph by Alao Yokogi 

関連2005年1月17日
●関連 「阪神大震災 子供たちの見たもの」

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写真展開催中 TeachYourChildren67-75 エピソード

18日(水) ×この日、私はギャラリーにおりません。
19日(木)未定
20日(金)未定
21日(土) 終日ギャラリーにおります。 pm1-7
22日(日) 休廊
23日(月) 休廊

shinjukusoran1
●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

●「Teach Your Children 1967-1975」写真展の写真解説です。
このBlogだけでに公開です。写真展には、ひとつひとつにはキャプションはありません。
これはあくまで裏話です。

上の写真は、1968年の国際反戦デーのワンカットだ。その年のことは、
拙著「サイゴンの昼下がり」 一ノ瀬泰造とロバート・キャパの章に詳しくかいた。
その日僕は大学の友人と新宿へ行った。それは新宿で何かが起きるとうわさが流れてきたからだ。
夜になり、続々とデモ隊が終結してきた。そして、今のアルタ前の広場は、デモ隊、野次馬でいっぱいになった。
すると、どこかから、電柱のようなものが出現し、皆でJR(国鉄の)鉄のフェンスを壊し始めた。しばらくするとそこは破壊され、なだれ込むように新宿駅構内に流れ込んだ。僕の目には原宿方面に、機動隊の銀色の盾が光っているのが見えた。

以下、サイゴンの昼下がりより

10・21の騒乱罪が適用された夜、鋼鉄のフェンスを破壊してデモ隊が流れ込んだ新宿駅構内を撮影中、新大久保と代々木方面から、ジュラルミンの盾を光らせる機動隊が、挟み討ちの作戦にでたときは緊張した。絶体絶命。捕まる。ふと見回すと新宿ステーションビルの線路側の1階に小さな明りが一つポツンと見えた。僕はホームを飛び降り、必死にその小さな窓に飛び込んだ。そこは公衆便所だった。便器を乗り越え、無事助かった数十名、皆息をはずませ蒼白だった。西口広場にでると装甲車が燃えていた。それを撮影する僕は、すっかり戦場を駆け回る報道写真家気取りだった。あとで知るのだが、やはり一ノ瀬も同じように新宿駅構内にいて撮影している。
 その数週間後の深夜、バリケード封鎖された学園を、関東軍と胸に記した右翼の集団が襲撃する。初め、数に勝る関東軍が優勢だったが、朝になると他の学部の全共闘が駆けつけ逆襲した。囚われた多くの右翼(多くは学園の体育会の学生。僕と同じクラスのSもいた)はリンチにあった。
 数日後、学園の街は、1000人の機動隊に包囲され催涙ガスが撒き散らされた。右翼の襲撃とその結果の集団リンチが強制捜査の名目だった。バリケードのなかの約60名は、多勢に無勢、抵抗しながらも全員逮捕された。
 僕は、右翼襲撃のニュースを聞いて、学園の街に友人と駆けつけた。機動隊が学園を蹂躙する様子を、催涙ガスに目を腫らしながら、遠巻きに眺めていた。そこでブラックのレンジファインダーカメラ、ニコンSPを手に持つ一ノ瀬泰造を見かけた。すでにサークルは解散したので、彼との関係はなくなっていた。僕たちは目をあわせるだけで、ことばを交すことはなかった。
 翌1969年2月、再度機動隊が学園を包囲した。そしてバリケードは粉砕され、封鎖は完全に解除された。
 その後表面上、学園の街に平和が戻り、街には新しい喫茶店や店がオープンしたりした。
 5月、例年より遅い入学式が行われた。
 そこで僕は、外からは気がつかなかったが、驚くべき変貌を学園が遂げていたことを知る。
 紛争中、全敷地の3分の1の旧校舎は、学生によって占拠されバリケードを巡らされた。しかし、もっと広大な3分の2の敷地には、建設会社による強固な鋼鉄のバリケード、フェンスがずっと以前からそびえていたのだ。そこでは学園紛争中も、右翼がバリケードを襲撃して機動隊が学園の街を催涙ガスで浸潤したときでさえ、ちゃくちゃくと工事を続行していた。
 そしてバリケード封鎖が解かれると、学園の敷地全体にぐるりと、より強固なフェンスが構築されたのだ。入学式はその檻のなか、フェンスの中で行われることになった。われわれのサークルは一度は解散したものの、上級生を除いてしぶとく存続していた。そのおかげで、新入生のオリエンテーションの後に、各サークルの勧誘を、閉鎖された檻のなかですることを許されていた。
 その日の朝、新入生勧誘のため、各サークルの部員全員が、新入生と共に、ガードマンが厳重にチェックする檻の中にぞろぞろと

東京都写真美術館で開催されている、Veitnam展や、一ノ瀬泰造のほとんどの写真は、今回の僕の写真展と同じ時代のできごとだ。戦争中のベトナム、戦場にいた一ノ瀬、そして日本にいた僕。
僕の写真展を見た人は、ベトナムの写真展を見て欲しいし、その逆の人も僕の写真展を見て欲しい。
同じ時代だったことは、事実だからだ。


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写真展 東京都写真美術館

toshabiaodai

●横木安良夫写真展
http://www.alao.co.jp/002006teacyourchildren/TYC2006.html
1月18日(水) X この日はギャラリーに行きません。
1月19日(木)pm5-7
1月20日(金)X
1月21日(土)○1-7時、この日は一日、会場にいます。
1月22日 休廊
1月23日 休廊

●東京都写真美術館で
「発掘された不滅の記録 1954-1975」
VETNAM そこは、戦場だった、開催中だ。

●昨日は、そのオープニングレセプションがあった。僕はただ、僕のアオザイの写真を請われ、協力しただけなのに、行くと赤い造花を胸につけさせられた。そして今回の写真展の写真提供者として、壇上にはあがらなかったが、澤田サタさん、石川文洋さん、外山ひとみさん等にまじり、紹介にあずかった。そんなようい、というのは、気楽に自転車でゆき、反流行の、ユニクローゼ状態(何しろ親がその袋を持ったり、服を着たりすると子供が拒絶反応を起こすと、どこかで聞いた)、フリースすがた、いや、もっとましな格好でくればよかった、ベトナム大使と握手する光栄なのに。
おいしい生春巻き、そのたれうまく、ケータリングしている担当の女の子に聞いたら、市販のアジアンチリソース。え、うまい、などと333ビール飲んだ。
その後、C社の2人と、T、E、N、K先生ともども11時ぐらいまで、飲み、特に同じベトナムにこだわる女流ジャーナリスト写真家Tさんと、ちゃんと話したのは初めてで、そのパワーに圧倒されたが、可愛い人だった。
この写真展、なんと、入り口、すぐ右側に、僕のサイゴンの昼下がり」のアオザイの写真が飾られている。
今まで、ベトナム戦争の写真は、南ベトナム側から(澤田、一ノ瀬、酒井、他、例外として石川文洋)見た写真しかなかったが、今回北ベトナム側、いうなればホーチミン軍のジャーナリスト、カメラマンからの写真も多数発表されている。
是非見て欲しい。

入り口、すぐ右側に、僕の「サイゴンの昼下がり」のアオザイの写真が飾られている。
今まで、南ベトナムから見た写真しかなかったが、今回北ベトナム側からの写真も多数発表されている。
昨日Openingレセプション。については、今日の夜UP。
●植田正冶の写真展も同時開催中

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2006.01.16

写真展開催中 

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

写真展会場、横木安良夫がいる日時。明日17日(火)は、4時から7時の間います。

 1月16日(月) 休廊   
●17日(火)pm4-7  
18日19日20日未定  ●21日(土) pm1-7
 
●「Teach Your Children 1967-1975」写真展の写真解説です。
このBlogだけでに公開です。写真展には、ひとつひとつにはキャプションはありません。
これはあくまで裏話です。
kikugawa1971

1971年僕は大学を卒業した。当時も、今でもそうだけれど、4大の写真学科を出たからといって、就職先がふんだんにあるわけじゃない。いや、全くないといえる。僕が受けた、当時一番人気の名門デザイン制作会社N社は、前年5人ぐらい雇ったので、この年の枠は3人。すでに2人は内定したいたような気がする。ということは、枠は1。入れたのは、学年で一番、写真のうまかった、同じサークルのTだった。彼と競争して勝てるものは、そのときいなかっただろう。順当な結果だ。
そのほか、D広告代理店、H代理店も、すでに内定済み。新聞社の募集 0. 少なくとも学生課の壁に貼られた募集に、大手はほとんどなかった。
かといって、さほど驚くことでもなかった。なにしろ、当時写真の大学に行くなんていったら、たいていの親は反対しただろう。まあ、音楽や、文学よりは、技術を身につけるのでそれよりはハードルは低かったかもしれないが、社会一般から見れば、写真を勉強しているなんて、違う意味では羨望のまなざし、もしかしたらなんて楽天的なんだなと馬鹿にされていたかもしれない。挙句に月謝は高い。
僕は、就職試験をいくつか受け、まあ、さしてどこかに入りたかったわけじゃないから、落ちたところでさほど悩むことはなかった。当時のスター写真家が皆、フリーランスだったこともあるだろる。漠然と誰かの助手なればいいかなと思っていた。
もっとも、いちおうもんもんとしていたので、大学時代付き合っていた子、茅ヶ崎に住んでいた子に、(前の記事の子ではない)1971年5月16日突然、振られてしまった。よほどのショックだったのだろう。日にちまで覚えている。
ラジオからは、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が流れていた。

直後、N社でバイト始めた。撮影助手志望だったのに、暗室に回された。毎日、毎日、単純な、それでいて難しいドラム乾燥機による印画紙のフェロ乾燥だ。でも、ぼおってしていてもできる仕事だったので、失恋の痛手の回復にはちょうどよかったかもしれない。しかし、それでは写真が撮れないので、3ヶ月ぐらいでやめた。
そんなときある人の紹介で、師匠の面接を受けた。すると、今助手が二人いて、まだ入ったばかり、仕事を減らすから(といっていたが、途中で方向転換)と、数年待てるのなら、次の助手にしてくれると言った。いや、渡りに船だった。
なにしろ、その頃僕は猛然と写真を撮りだしていたからだ。今回の写真展の多くは、この頃の写真だ。
もしかしたら2年間ぐらいバイトをしながら、自由に写真を撮れると思った。撮りたかった。

上の写真はその頃、撮ったものだ。静岡県の御前崎の近く、菊川にあるお寺で撮ったものだ。
僕が受けて落ち、同じサークルのAが就職した、そのK社のマネージャーの実家だ。皆で休みのときに(僕はずっと休みだったが)東名高速を、たしか車2台で飛ばし行った。
布団が3つ(なんてかぞえるんだっけ)、ならんでいるが、一番奥の乱れているのが、僕。
ああ、今と同じになんでもちらかしてしまう。
真ん中が神戸でカメラマンをやっているK。そして一番こちら側が、A。
僕とAの違い。なんて几帳面なのだろう。
Aについては、面白いエピソードがある。
K社に入ったAはストレスで、何しろまじめだから、すぐにストレスになる。学生時代、当時は珍しかった、円形脱毛症になったくらいだ。その彼は、酒はまったくだめ。下戸だ。ちょっとしかのめない。それがたまたま、夜、A以外の数人で、練馬に住むSのところに集まって酒を飲んでいた。
すると変な電話がかかってきた。おかしい。Aだ。なにやらわめいている。SOS。必死で電話してきたのだ。
僕ら車を飛ばし彼のアパートに向かった。幸い玄関の鍵がかかっていない。
Aは、昏倒していた。意識はあるが、動けない。仕方がなく病院まで運び、救急で入院させた。
急性アルコール中毒だった。
ちっとも面白いはなしではなく、大変なことだったが、いや遅かったら命も危なかった。と医者が言った。だから僕たちは彼の恩人でもある。
ところで、何が面白かったかというと、そんな酩酊して、やっとのことでSOSを発した電話に、きちんとカバーがかかっていたからだ。電話にカバーは昔よくしたあったが、若い人はそんなことはしない。しかし几帳面だったAは、カバーをしていた。それがあんな状態なのに、そんなときでさえ、礼儀正しく、電話にちょこんとカバーをかけているのだ。笑えた。
その後彼は、少し酒が飲めるようになった。

時間はかかっても、助手になれると確信した僕は、たくさんの写真を撮っていた。ところが、師匠の事務所から、正月明けから来るようにと、突然言われた。う。せっかくカメラ毎日、アルバムに載ることが決まったのに、それはいいとして、その先もっと、もっと、撮りたかったのに、・・・・なんて思いもしなかった。
万歳。やっと助手になれる。でも。今考えると、もう少し後、半年でも遅かったら、きっと今回の内容の写真展はずっと昔にやっていたかもしれない。
僕が写真展をやったのは、1985年、フリーになって10年目、ニコンサロンで「DAY BY DAT」(特別な毎日)をやったが、発表した多くの写真は1975年から85年の独立してからの写真だった。


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2006.01.15

久しぶりの日曜日 GRD

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●Teach Your Children1967-1975写真展の内容は、ここをクリック

写真展会場、横木安良夫がいる日時

 1月16日(月) 休廊
   17日(火) pm4-7
   18日(水) 未定
   19日(木) 未定
   20日(金) 未定
   21日(土) pm1-7
   22日(日) 休廊


去年末からずっと、時間があるときに、写真展のプリントをしていたので、日曜日もあまり子供と遊ばなかった。今日は昨日の雨と打って変わっていい天気。今日も写真展をやっていればな、と思ったけれどしかたがない。
世田谷公園にて。僕が犬を撮っていたら、「あ、GRデジタル」と叫ぶ声あり。それほどまでに人気なのか。
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ちょっと、もちろんやりすぎはわかっているけど。遊び。でも合成ではないし、このぐらいのことはやるよね。いい悪いは別として。よければいいんだよ。まあこれがいいかは、別として。
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日本経済新聞朝刊 写真展紹介

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●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●写真展の内容

さて、今日は、昼頃からかなり強い雨が降り出した。いつもなら、自転車でギャラリーに行くところだが、さすがにタクシーで行くことにした。2時過ぎについたら、この土砂降りの中、3人ほどお客さんがいた。そしてその後も、びしょびょしょになった人や、子供連れ、友人と続く。雨さえ降らなければもっときたろうか。しかも目黒通りからは歩いて5分ぐらいかかる。バスで来る人はさらにぬれる。
車でくるかたは、ご注意。
目黒方面から来る場合も、環7方面から来る方も、油面(あぶらめん)の信号を、南に向かって曲がらないと、一方通行が多いのでたどりつかない。
油面の信号を入ったら、一つ目の信号を右折。二つ目の十字路左側に、白いしゃれたアートサイトギャラリーBLITZがある。短い間だったら、前に止まれるけど、保障の限りではない。油面から入ると、右側にパーキングがあるので、長居のかたはすすめる。なにしろ、皆写真を見始めると1時間以上いる。2時間もいるひとがいる。これは新記録だ。
いや今日は、こんな嵐のような日に、多くの人が尋ねてきて、本当にうれしかった。しかも何人もの方が写真を購入してくれた。
以前、このギャラリーを主催する、福川氏が言ったことが、脳裏に焼きついている。
写真を買う人は、当然欲しいと思うから買う。それはその作者の、世界観を共感することによって、多くの写真から、一枚の自分だけの好きな、自分の家の壁にふさわしい写真を所有しようと思う。
もちろんブルースウエーバーのシルバープリントは50万以上する。そういう写真が飛ぶように売れる。それは、ブルースウエーバーにはすでに大きな世界観があり、それに共感するのは当然として、アメリカでのアート市場での彼の位置づけでもある。残念ながら日本には写真のアート市場は存在していないので、かってに値段をつけていることが多い。
写真を購入したいと言う意欲は値段ではない。150円の絵葉書だった、共感できなかれば買わない。
欲しければ、何十万、何百万でも買う。まあ、高額なものは、コレクターだったり、投資の対象でもある。
さて、写真を買うと言う行為はなんなのだろう。
写真は、複製芸術だと言われるが、現実にプリントすると、一点一点厳密には同じものはない。大量にストレートプリントを機械的焼けば、同じものが量産できるだろう。
しかし、作者のコントロールしたプリントは、一枚として同じものはない。
だから、銀塩シルバープリントは、その価値から比べ、市場性があるものはともかく当然高く売れるのだが、全く市場性のないものでも、安く売ることはできないのだ。
そこが写真の銀塩オリジナルプリントを売り買いする場合のネックだ。
だから、本当は市場が価格を決めるはずなのに、何の意味なく、平気で10万、20万の値段がつけてしまうことになる。タレントが撮ったものは、それでもいいが、そこにはファンがいるし、世界観の共有、自慢ができるからなりたつことだ。それ以外の、市場性はないが、何しろ日本には何度もいうが写真のアート使用がない。素晴らしい写真も、値づけは、てんでばらばらで基準がない。し、それは誰も保障してくれないから、その値段はいいね、全く意味がない。
それでは、プリントを買う人は、一部のコレクターに限られるだろう。とうぜん、写真家の撮ったものより、有名人が撮ったもののほうが、価値が出たりするし、高く売れる。(同じことをくりかえしているが、小説家の本より、タレントの本のほうが売れるのとおなじだ)
さて、さて、さて。ここにインクジェットプリントが登場した。
これはとても、写真にとって画期的なことだ。
そのことによって初めて、写真は、リトグラフと同じような、本当の意味の複製を市場に提供することが可能になったからだ。
インクジェットの最大の利点は、作者が100%作品をコントロールすることができる、作者の狙い通りのプリントが可能になったということだ。銀塩写真は、完全にコントロールできていないことが、魅力であることも事実だ。
しかし、デジタルプリントは違う。100%コントロールされてこそ、意味があるのだ。
しかも、まだまだ進化するよちは、多大にある。
それは、高精度印刷物よりも、高精度だ。印刷は所詮網点の世界だが、インクジェットは、写真と同じように、粒子だからだ。
だから今回の写真展は、実験場でもある。
1967年から1975年という、日本の近代のなかでも庶民レベルで変革期、多様で、エネルギッシュな時代だ。そのなかで、僕は事件ではなく、特別なものではなく、自分の身の回りを、日常に反応しながらシャッターを切っている。もちろん事件も撮っているが、それは現実として、僕個人の目の前に展開したことで、僕にとってはニュースではなく、僕の日常の延長だ。
ここに登場しているひとは、皆無名のひとびとだ。ひとびとばかりではない、特別な場所なんてほとんどない。ただの路地であったり、道路であったり、無名のたてものであったり、しかしそれのひとつひとつは、僕にとっては、特別なものだった。
この写真の群れを見て、全体の共感と、部分の共感を見出して欲しい。
今日、とても地味な写真を購入した人がいた。僕はどうしてこの写真を選んだのですか、と聞いた。
するとその方は、「とてもこの写真を見ると懐かしい気持ちになるから」と答えた。
その写真は、その方に特別な気持ちを起こさせたようだ。
僕が撮った、様子、景色ではなく、彼はその写真を見ながら、自分の若い時代の、自分の心のなかの景色を見ているのだ。そう、写真はそういう作用があるのだ。
それは撮った本人でもよくありえる。
自分で撮っていながら、ある写真を見て、現実にあったことではなく、その写真から違うことを連想してしまう。
それはかつて撮った「サイゴンの昼下がり」の女性の後姿もそうなのだろう。
あれは1994年10月、ベトナム、ホーチミン市、サイゴン、レ・タイントンどおりを歩く女性のただの後姿だ。後姿だからこそ、彼女の容貌、彼女のバックグラウンドを想像してしまう。そうやって僕は、「熱を食む、裸の果実」という小説を書いてしまった。
僕は、写真が決して、事実を記録しているとは思わないし、現実どおりであることに意味を感じない。
特にモノクロ写真は、色も、匂いも、ないないづくしだ。だからこそ、イマジネーションが沸くのだろう。

写真は世界の99/99%を捨てる作業。写真のフレーミングは、世界のなかから。000000001%を切り取る作業。だから世界なんて写っていないのだ。そこにあるのは、世界のなかで、宇宙のなかでの、∞分の1の存在である、自分を見ることなのかもしれない。∞分の1の自分という存在が、∞分の1の世界の、ごく一部を見ること。
わかりずらいかな、わかってくれるかな。

外はすっかり暗くなった。雨は相変わらず降り続き、ギャラリーには7人の人間画談笑していた。
と、時計を見ると7時半になっているではないか。ギャラリーは7時までだ。あわてた。
夕方来てくれた、以前、ベトナム、北部、少数民族の村、コックリーで出会った、若いルックスのよいカップルと目黒通りまで出た。彼らはこれから自由が丘に行くと言うので、それじゃタクシーでと途中まで乗せてゆくことにした。彼らは、「ラッキー」と言った。であったときそうだったからだ。
コックリーという、ベトナムの少数民族が暮らすの山奥で、僕は彼らと会った。彼はN社の一眼レフカメラ。レンズはタムロンの28mm-300mmだ。彼女はコンパクトカメラ。上手にコミュニケーションを取って彼よりうまく、撮る。まあ、それは良いとして、その日どこに泊まるか決めていなかった彼らに、これからバクハはどうやって行くのか聞いてきた。僕ら(ガイド友人のチュンさん、ベトナム人)は今日、そのバクハからやってきたのだ。僕とガイドのチュンさんは、以前に北部中国国境の町、ラオカイで知り合った、建設業の社長の車をチャーターしていたので、彼らの同乗が可能だったのだ。僕らは、一緒川くだりをして、無事バクハに向かった。

その素敵なカップルと、目黒通りでタクシーを待ったが、10分以上またされ、やっとひろえた。
かれる途中、メールを見ると、家内と娘が、友人3家族と、豪徳寺で新年会をしていて、どうしても来るようにと言う。家に立ち寄り、その新築のその家にゆく。
入るなり、新聞を見せてくれた。「知ってるでしょう!」「なにこれ?」「知らないの?」
それが、日本経済新聞、文化面の僕の写真だった。この写真を見てもりあがっていたのだ。しかし当の本人は全く知らなかったので、その新聞をもらってきてしまった。のである。
そこには、住所や電話番号は、書いてなかった。そういうコンセプトみたいだ。
●15日、日曜日はギャラリーは休廊だ。ワークショップを開いている。まあ、無理を言えば見れるかもしれないが、どうしもというから一応電話してみてください。保障のかぎりではありません。

嵐のような、土砂降りの雨のなか、お見えになった方々。まだまだいらしゃしいましたが、諸般の事情で撮る事ができなかったけれど、本当にありがとうございます。
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2006.01.14

写真展オープンニングパーティ

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●写真展の内容

●写真展「Teach Your Children」のオープニングパーティを、13日6時から9時ぐらいまでやった。
その後、2次会、15人ぐらいで目黒のネパール料理屋で11時ぐらいまで。1時から立ちっぱなし、パーティが始まってからは、ビール、シャンペン、赤ワイン、白いワイン、2次会では、ビール、チューハイ。疲れて眠くなってしまった。ので散会。
パーティは、60人ぐらいが来てくれた。あいにく寒く、そして、ギャラリーは暗い住宅街にあって、皆迷ったようだ。
ここまで足を運んでくれた方々に感謝。
●今日は、さむく雨だけど、2時から7時までギャラリーにいる予定。どうぞ、気楽に、といっても、ちょっと遠いけど、がんばってきてください。
●昨日のパーティに来た人の写真、最初は撮っていたけど、だんだん酔ってわけがわからず、半分ぐらいしか撮れなかった。
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2006.01.12

写真展開催中 横木安良夫 とGRDPHOTO

「Teach Your Children 1967-1975」写真展の写真の解説です。このBlogだけに公開です。写真展にはひとつひとつの写真にキャプションはありません。これはあくまで、裏話です。
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1974年 6月 神宮球場 東京

1974年僕は、ある有名な写真家のアシスタントだった。すでに2年以上勤め、本当はやめて早くプロのカメラマンになりたかった。が、途中オイルショックなどがあり、そしてまだ2ndアシスタントでもあったので、やめるわけにはいかなかった。
その頃つきあっていた、ガールフレンドが突然アメリカに行くことになった。ロスに留学するという。大学を卒業したら、アメリカで働くと言った。二人とも将来のことは考えていなかった。行く前に、日本の文化をいろいろ見たいと言うことで、歌舞伎をみたり(僕の母と見た)、プロ野球をみたりした。僕はアシスタントだったので、ほとんど時間がなかったものの、海外ロケ中の国内居残りだったのかもしれない。海外ロケは楽しい。行くのもよいが、留守番は自由な時間がある。まあ、とにかく、僕はガールフレンドと神宮球場へ行った。たぶん6月頃だろう。神宮球場だから巨人ーヤクルト戦だ。バッター長島、ネクストサークルは王貞治だろうか。なぜこんなに空いているのか覚えていない。この年、長島は引退した。
彼女とは最初の頃は、手紙のやりとりを頻繁にしていた。メールなんかない時代、もどかしい文通だった。ごくたまに電話をした。心は通じ合わず、何分間も沈黙した。国際電話料金が5万円ぐらいかかってしまったことがあった。給料を5万ももらってない時代だ。事情を知って彼女のお母さんが払ってくれた。そしていつのまにか、手紙のやりととりも、電話をすることもなくなった。
あるとき彼女の手紙に、映画「The way we were」が良かったと書いてあった。日本の題名は「追憶」だった。翌年、日本で封切られて、僕は7回その映画を見た。左翼の色気のない、バーバラストライザントと、大学のヒーロー、ロバートレッドフォード。そのちぐはぐな愛の日々、別れ、あるとき戦時、放送局で、はっとするぐらい美しくなったバーバラ。その映画をみて、バーバラストライザントが大好きになった。彼女の映画をたくさん見た。なぜかおなじ、匂いのしたベッドミドラーも好きになった。
思い出ぶかい時代。
●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●写真展の内容

●アート・フォト・サイト・ギャラリー・Blitzは、写真を売り買いすることをメインとした日本では数少ないギャラリーです。常時、内外のさまざまな作家の写真を買うことできます。
●今回の僕の写真は、すべての写真を、エプソンの100%Cotton rag 無酸性紙、VelvetArtPhotoPaperに、EPSON PX5500にてプリントし販売します。13x19inch(329x483)サイズ。50prints限定。
特注額つき。
価格は税別¥18,000です。 10Prints限定。
新しいメディアであるインクジェットプリント。それは絵画でいえばリトグラフのようなものです。今回は画廊と話し合い、会期中、実験的に特別な価格設定にしています。

●僕が会場にいる日時です。
1月12日(木) pm5-7時
  13日(金) pm1-8 
  14日(土)pm1-7
  15日(日) 休廊
  16日(月)  休廊
GRD接写
grdserotape
僕はあまり、接写撮影したことがない。花もあまりとらないし、まして昆虫を撮ることもほとんどない。撮ったとしてもUPではなく、点のように取る。GRDは、接写モードに切り替えると、まるで儀式のような撮影になる。半押しするとジーと音をたて、ピントをさぐり、ぴ、と合う。最短距離付近、ピントの合いづらい対象の場合は、どこか他でピントを合わせ、ファインダーで、対象を前後に動かして撮るとうまくゆく。しかも、5.9mmのレンズは被写界深度が深い。コンパクトデジカメを全く使ったことがないので、CCDの小さなカメラの、接写写真はなぜか新鮮だ。

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写真展リアルタイムレポート 横木安良夫写真展

デジカメWatchの、写真展リアルタイムレポートに紹介されています。是非ご覧くださいhttp://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2006/01/12/3012.html
レポート:市井康延

横木安良夫がギャラリーにいる日時
13日(金) pm1-8
14日(土) pm1-7
15日(日) 休廊
16日(月) 休廊
17日(火) 不在
18日(水) 未定
19日(木) 未定
20日(金) 未定
21日(土) pm1-7

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2006.01.11

GRD 写真展写真日記

iriguchiphoto
GRD bw 写真展会場 最初の写真  1970年 福生 横田基地周辺 東京 
シルバープリント8x10のオリジナル 印画紙はフジブロマイド2号 アサヒペンタックスSP 20mm

●Teach Your children 1967-1975 写真展 (1月10日より2月25日) pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●写真展の内容

●アート・フォト・サイト・ギャラリー・Blitzは、写真を売り買いすることをメインとした日本では数少ないギャラリーです。常時、内外のさまざまな作家の写真を買うことできます。
●今回の僕の写真は、すべての写真を、エプソンの100%Cotton rag 無酸性紙、VelvetArtPhotoPaperに、EPSON PX5500にてプリントし販売します。13x19inch(329x483)サイズ。50prints限定。
特注額つき。
価格は税別¥18,000です。
新しいメディアであるインクジェットプリント。それは絵画でいえばリトグラフのようなものです。今回は画廊と話し合い、会期中、実験的に特別な価格設定にしています。

●僕が会場にいる日時です。
1月12日(木) pm5-7時
  13日(金) pm1-8 
  14日(土)pm1-7
  15日(日) 休廊
  16日(月)  休廊

GRD モノクロプリント、いやモノクロ表現、 やっていけないことはない。なにより写真に見えるかが問題だ。やりすぎて、イラストレーションにならないように。いくらうそをついても、現実世界とつながっているように、見えることが大切。
grdphotocar
大判プリントをGRDで接写
photosphotogrd
額に入った、見本用写真をGRDで撮る。
tomoayu
1月9日内覧?
0111man

ichiiyasunobu

tanakashinichiro

hara

harama

mafation
姫と掃除婦


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2006.01.10

本日より横木安良夫写真展、とワークショップについて

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●本日より写真展 (1月10日より2月25日)
pm1:00より7:00
日曜、月曜 休廊
アート・フォト・サイト・ギャラリーBlitz

●写真展の内容

●ワークショップ
2月4日に銀塩デジタル・ハイブリット・モノクロプリントのワークショップをやります。無料です。参加希望の方は、ここから申し込んでください。

●アート・フォト・サイト・ギャラリー・Blitzは、写真を売り買いすることをメインとした日本では数少ないギャラリーです。常時、内外のさまざまな作家の写真を買うことできます。
●今回の僕の写真は、すべての写真を、エプソンの100%Cotton rag 無酸性紙、VelvetArtPhotoPaperに、EPSON PX5500にてプリントし販売します。13x19inch(329x483)サイズ。50prints限定。
特注額つき。
価格は税別¥18,000です。
新しいメディアであるインクジェットプリント。それは絵画でいえばリトグラフのようなものです。今回は画廊と話し合い、会期中、実験的に特別な価格設定にしています。
●僕が会場にいる日時です。
1月11日 pm4-7時
13日 pm1-8 6-8パーティ
14日 pm1-7
Blogを見てきたと、気軽に声をかけてください。決して噛み付いたりしません。

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2006.01.09

ついに明日から写真展 その前に

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ついに明日から、横木安良夫写真展「Teach Your Children」が始まる。
1月10日から2月25日まで。PM1~7時まで。日、月、休廊 アート・フォト・サイト・ギャラリー・BlITZ
写真展は明日からなのに、今日は昨日まで横浜の高島屋で写真展を開催していた、山口から来た写真家TOMOと、その被写体であるぁゅ☆姫と、TOMOの友人φ氏が横浜からはるばるやってきた。なので内覧会のようになった。写真を見ながら、こ一時間。なにしろ写真の点数が多いので、気分が悪くなってすぐに帰るか、ひたすら見続けることになる。
この写真展は1967-1975年で、TOMOが1975年生まれで微妙にひっかるるけど、ぁゅ☆姫はまだ痕跡もない。もっとも「ママがこんな水着を着ていた」と、少しもりあがった。うーん。この写真は何なのだろう。かつての若者は、共感できるのは当然として、若いひとたちはどんなふうに感じるのだろう。
先日、ケーブル?テレビでキューブリックの「2001年宇宙の旅」をやっていた。1968年封切りのその映画を1969年に、銀座にあったテアトル東京で見たと思う。映画の内容は難解でも、写真と思えばシーンの重なりは、さほど難しい内容ではなかった。が、少し居眠りもした。
なにより、あの時代、2001年ははるか未来、鉄腕アトムが活躍する時代だった。人類の進歩はどこまでゆくかわからず、結局、冷戦が雪解けたことによって、宇宙旅行は経済学で計られ、1968年に描かれた2001年は、あそこまで進歩することなく止まってしまった。
科学はついに、イマジネーションを越えることができなくなっていまったのだ。あの映画が40年後を描いていたとき、僕のまわりはこんな(僕の写真に写っている)だったのだ。
戦後は、特に1960年代は、決して貧しい時代ではなかった。なにより、現実ははるかにイマジネーションより、先に進んでいた。科学の明るさが主であり、けっして日本が成長期だったからあの時代は明るかったわけじゃないだろう。それよりビジョンとして未来が明るかったのだ。
あの時代未来は、裕福なものにも、貧乏人にも同じように明るかったのだ。未来さえ明るければ、貧乏だって苦しくはないのだ。
僕の撮った1967-1975年、多くの人間が登場するが、皆2001年宇宙の旅が描く世界は皆当然おきると思っていたに違いない。
それにしても「2001年宇宙の旅」のような前衛映画が、商業映画として製作され、興行されたなんて奇跡だと思う。
明日はギャラリーに1時から7時までいる予定。
それから、13日と14日もいる予定。

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Tomo&Ayu写真展+藤竜也陶芸展最終日

ayuashitakashimaya
ぁゅ☆姫自信の脚線美
昨日まで、横浜高島屋で、TOMOとぁゅ☆姫VS俳優の藤竜也の陶芸展が開催されていた。その最終日に、Hanaさんと出かけた。Hiragi君とは会場で待ち合わせ。藤竜也さんは、撮影がきっかけで陶芸をはじめ、もう10年になるそうだ。今回の収益金はチャリティとして、神奈川新聞厚生文化事業団を通じて寄付されるそうだ。
藤さんのことは、20年以上前、女性セブンのグライビアと、それに矢作俊彦が監修した、日活映画50年?とときに作った「アゲイン」という映画で僕はカメラを回したときに会った。が、もう20年も前のこと、忙しそうだったので別にそんな会話をすることもなく、会釈にとどめた。
それより、人間の邂逅とは不思議なもので、いや、ぁゅ☆姫がいうとおり、障害者だから家に閉じこもる必要もなく、おしゃれをし何がいけないの、と駆け回る、その積極性がいろいろな人との出会いを作り上げるのだろう。
「いいじゃない、障害はわたしの特徴」と言って、それを最大に利用して何が悪いのという彼女の、いなおりは、不思議とすがすがしい。ぁゅ☆姫と藤さんとの出会いは、いきつけのカレー屋さんだという。
tomoayufuji
以前に書いたぁゅ☆姫とTomo


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2006.01.06

横木安良夫写真展「TEACH YOUR CHILDREN1967-1975」

apsgiriguchi
夕方から、アートフォトサイトギャラリーで、10日から始まる写真展「Teach Your Children1067-1975」の、設営というか、レイアウトを始めた。ADの原さんと、デザイナーか調理師かまよっている息子さん、フォトブロガーのhanaさん、そしてギャラリーの二人と僕の6人での作業だ。写真は、DMの写真の倍以上の点数、約300点。細かく見ればもっとあるだろう。大きさはA1から、メインはA3ノビ、小さいものは、35mmのコンタクトプリントサイズ。午後4時からはじめて、終わったのが10時。出来上がりはきわめて満足するものになった。こんなの見たことないと思う。来て、見て、びっくりしてもらいたい。たいてい週末、もちろん10日は当然として、13日、14日はギャラリーにいるつもり。

と、
Teach Your Children
の歌詞を翻訳。などといっても、直訳したってチンプンカンプン、なので思いきって僕なりに意訳してみた。
韻を踏むことはでなかったが、まずまずだと思う。
CSNYは、60年代アメリカ文化、ヒッピー、ドラッグ、反戦、とういわゆるカウンターカルチャーの時代。この世界を作った、欺瞞だらけの大人なんて信じちゃいけない、そんなことより「ラブアンドピース」と、大人と若者が大きく断絶した時代だった。豊かだったアメリカがベトナム戦争によりみるみる疲弊した時代だ。
時代はロックミュージックで、同時代の若者たちがグローバル化した時代。世界の若者は団結した。
日本では反体制というと、全共闘のように、反国家、反資本主義みたいな感じだったが、本質は、ジョンレノンとヨーコのように平和主義、戦争よりセックスやドラッグといった、ベクトルを変えた反戦運動が本質だったのかもしれない。クロスビー、スティルス、ナッシュに、ウッドストックの時に参加した二ールヤングをまじえて、1970年「デジャヴ」というアルバムを作ったが、そのなかにこの「TeachYourChildren」という曲が入っている。
世代断絶和解の歌だとも言われている。とても優しい美しい曲だ。

横木安良夫 超訳

Teach Your Children 「子供たちに、教えなくちゃ」  

ふと迷い、立ち止まったあなた          
人生にはやり方があるって知ってるよね    
それは、自分らしく生きること             
だからつまらない過去なんてオサラバだ

子供たちに教えなくちゃ            
親父だって地獄を見たことがあるんだよ     
遠い過去のことだけどね
親は子供に夢を語ったろうか          
子供だって親の夢を知ることができるさ     

なぜその夢を選んだかって?そんなの聞かなくたっていいんだよ      
だって、聞いたら泣いちゃうじゃないか              
だから、大きく息を吸って、じっと見つめ合えばいい       
それだけで愛してるってわかるだろう

それから若い君たち              
まだ人生の苦難なんて未知の話
そんな若さが親たちを救うんだ
彼らは、誰かのためになりたいんだよ、もちろんあなたのね。  
親たちに教えなくちゃ             
子供だって地獄をみることがあるんだよ
はるか未来のことだけどね       
子供は親に夢を語るのかな      
親だって子供の夢を知ることができるのさ

なぜその夢を選んだかって?そんなの聞かなくたっていいんだよ      
だって、聞いたら泣いちゃうじゃないか              
だから、大きく息を吸って、じっと見つめ合えばいい       
それだけで愛してるってわかるだろう


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2006.01.05

訃報 アートディレクター、画家、鈴木八朗さん

訃報

8ro art & ad 鈴木八朗 儀

くも膜下出血の為去る12月29日、68歳を一期として逝去致しました。
ここに生前のご高誼を深く感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
尚、通夜、葬儀は下記の通り執り行います。

日時
通夜  1月5日(木) 午後18時~19時
告別式 1月6日(金) 午前11時~12時
尚、誠に勝手ながら故人の意志によりお香典の儀は堅くご辞退申し上げます。
場所  代々幡斎場
〒151-0066 東京都渋谷区西原2-42-1
TEL 03-3466-1006 FAX 03-3466-1651

鈴木八朗さんが、なくなった。僕がまだ新人の頃、JRの前身、日本国有鉄道時代、「ディスカバージャパン」とうキャンペーンのプロデュース、ディレクションを手がけた、伝説のアートディレクターだ。今のJRの広告は、どれもが一度鈴木さんが作った広告の焼き直しだ。
ハチローさんは電通のデザイナーでありながら、社内フリーみたいに振舞っていた。いろいろな伝説があるが、なかでも出色は、ディスカバージャパンの撮影で、写真家は高梨豊氏。いってみればこの世界では神様みたいな人だが、ハチローさんは、隣で自分のカメラで撮り、できあがった写真が、自分のほうがよかったと、高梨さんをさしおいて、自分の写真を使ってしまったというひとだ。
電通をやめたあとは、デザインより、絵をたくさん描いていた。
ハチローさんとは、ディスカバージャパンで一度仕事をしたことがある。原宿歩行者天国での写真だ僕は歩道橋から、三脚にカメラをすえ、スローシャッターで撮影し、歩行者天国で踊る若者たちをブラして撮った。
当然、手持ちのハチローさんのカメラではそんなふうには撮れないから、僕の写真しか使えなかったが。
その後、森英恵のオープンギャラリーのディレクションをしていて、2ヶ月連続でやることになってしまった。そのとき、「サイゴンの昼下がり」の表紙の写真をとてもほめてくれた。僕が偶然ですよ、というと、そういう偶然を呼び込むのは、それなりの技量がなければ(違う言い方だったけど)遭遇しないんだよ、と言った。今度の僕の写真展に是非来て欲しいと、昨日ポストカードを出したばかりだった。合掌。

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2006.01.04

ロバート・キャパが地雷を踏んだ最期の場所が無くなる。

ロバート・キャパが最後に撮った場所、そして地雷を踏んだ土地がなくなると、仙台のジャーナリストT.Onuma氏から報告を受けた。
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ロバート・キャパが最後に撮った写真。ニコンSに35mmレンズをつけ、コダクロームで撮られている。この土地のどこかにキャパが地雷を踏んだ場所が写っている。photo.RobertCapa(ロバート・キャパ最期の日より転載)
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●1954年(昭和29年)4月、日本を訪れていた世界で一番有名な報道写真家ロバート・キャパは、ライフ誌の要請で仏領インドシナ(現ベトナムを含む)に、5月1日メーデーの撮影のあと飛ぶ。
おりしもフランスが築いたディエンビエンフーの大要塞を、ホーチ・ミンのベトナム軍(ベトミン)に、いまにも陥落させらんとしている時だった。キャパはこの取材に迷いがあった。四つの大陸の戦争を経験している、英雄的な写真家は、なぜベトナムに行くのか、自問自答していた。
「もう戦争の写真は撮らない」とさえ言っていたのだ。
それまで、さまざまな局面でキャパは、「運」に恵まれていた。命も、そして写真を撮るための、決定的なタイミングにも恵まれていた。
ところが、キャパがベトナム、ハノイに到着したときには、ディエンビエンフーはすでに陥落していた。遅かった。キャパはタイミングを逃したのだ。
その頃キャパは40歳。華々しいキャリアとは裏腹に、肉体的にも、精神的にも、財政的にも、人生最悪の時でもあった。それが日本に滞在し、日本を「写真の天国だ」と言って、多くの写真を残し、やる気になっていた。
そのやる気が、ベトナムに向かわせたのだ。
1954年5月25日、キャパは水牛作戦という、ゲリラの掃討作戦に従軍し、ナムディンからタイビン、そして最終目的地、タンネ(現在のキエンスオン)の前哨基地に向かっていた。
午後3時前、タンネ村の入り口、堤防が左に緩やかに曲がっている地点で、キャパは最後の写真を撮っている。その写真は、通常のアングルではない。それは戦車に乗った高さと同じアングルだ。
そこで、キャパはコンタックスに装填された、モノクロフィルムを数カット、その後、35mmレンズのついたコダクローム入り、ニコンSで一枚のカラー写真を撮っている。それがロバートキャパが撮った最後の写真だ。
その直後、キャパは飛び降り、数分以内に前方の土手にのぼり、地雷を踏んで死んでしまう。
キャパが撮った最後の写真には、キャパ自身の死んだ場所を撮っていることになる。
その、キャパ最期の土地が、彼が撮った最後の場所が、今無くなろうとしている。
韓国の靴工場ができるそうだ。50年以上にもわたって、生き続けたキャパの最期の土地がなくなってしまう。

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photo by Alao Yokogi 25May 2004 ロバート・キャパ没50年の日

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基礎工事をしているキャパ最期の場所 photo by T.Onuma Dec.2005
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photo by T.Onuma Dec.2005
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photo by T.Onuma Dec.2005
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0512last
僕の本を読んでいるT.Onumaさん。この茶店はキャパが最後に撮った写真の場所のすぐそばにある。
老夫婦が住んでいる。彼らは1954年5月にはこの付近におじさんが住んでいたのでしょっちゅう通っていたという。その日、フランス軍が来るというので、皆避難していたと言った。キャパの時代この水田は、キャパの写真の通り荒地になっていた。
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2004年5月、キャパ没50年のそのとき、僕はこの土地を発見した。

ロバート・キャパ関連Blog

●2005年1月12日~2月25日 横木安良夫写真展「Teach Your Children1967-1975」


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2006.01.03

HappyNewYear GRDの何が本当か!

新年明けましておめでとう。
今年は、まず1月10日から写真展がある。今その準備をしている。ただこんなにのんびりと写真展の準備をするなんて始めてだ。すべてが止まってしまう、正月。準備をするには最適の時だ。
さて、正月そうそうGRDの写真。普通の写真じゃつまらないから、GRDでありながら、そうともいえない写真。いったい写真てなんなのだと考えさせられる。
06ami
GRD ISO400
06tatemono
GRD ISO400
一見普通の写真だけれど、絶対にGRDでは撮れない写真だ。しかし撮ることはできなくとも、写真としてはこのように存在させることは、簡単だ。簡単すぎる。

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