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2006.05.18

ギー・ブルダン写真展 鋤田正義写真展

横木安良夫ミニ写真展「DaydreamBeliever」~Sibuya Now and Then~

渋谷パルコPart1ロゴスギャラリー

5月12日~5月24日 am10-pm9 最終日pm5まで。

同時開催 レアブックコレクション

Daydreamphotocardsize150

写真展開催中 

以下の日時に

横木は会場にいます。

●5月19日(金)4時ー7時

●5月20日(土)2時ー7時

●5月21日(日)1時ー6時


●写真展を続けて四つ見た。

まず銀座ポーラミュージアムアネックスで、ピンホールカメラで作品を発表して続けている、
田所恵美子
の新作を見た。彼女のパリのピンホールは、巷にあふれるピンホール写真のかなでも、ありふれたパリという風景を撮っていながら、どこか遠い世界のようで、ピンホールならではの描写が心地良かった。パリは撮り尽くされているけど、まだまだパリは存在しているのだと思わせてくれる。そしてそれは、まぎれもなく、写真だった。
ところが今回はまるで、絵画のような、静物画写真だった。なぜこれをピンホールで撮るのか、意味がさっぱりわからなかった。まるで絵画みたいなんて、もう写真が50年以上前に唾棄したもののはずではなかったか。パロディならわかる。でも残念ながらパロディには見えなかった。ピンホールカメラのアナクロな世界、そしてアナクロな静物画。百歩譲って、例え絵画的であったとしても、そこに新しい発見がどこにあるのだろう。どうしてこんなもの撮るのかな。もっとパリを、そして違うパリを見たかった。
同じように静物画の系譜にある写真ならば、目黒のキャスパーズギャラリーで現在展覧会を開催している、吉野和彦の写真は、グロテスクでこころをざわざわと刺激する。彼はまずオブジェを数週間から数ヶ月かかって作る。そして撮影が終わったらそのオブジェは壊してしまうという。作り上げた小世界は、吉野の目の前に一瞬存在し、フィルムのなかに永遠に存在する。写真にとって、スチルライフ(静物写真)って、そして、撮る神経、情熱は、吉野のほうが現代を生きていると思う。

その後、僕の若い時代のスター写真家鋤田正義の写真展を見た。リクルートのタイムトンネルシリーズで、「シャッターの向こう側」と題された、鋤田の写真を始めたころから、今までの写真を、2つの会場で展示したものだった。
鋤田はデヴィッド・ボーイ、やTレックスのマークボランの写真で有名だが、その前から僕の若い時代は、「JAZZ」の広告だ。そしてROPE?JUN?(鎌倉のバーレー場で撮っている、明るくなったり、暗くなったりするやつ)のCFが鮮烈だった。彼は僕の世代のあこがれの写真家だ。その後も、日本の音楽シーンでは、YMOや多くのミュージシャンを撮影している。ジャームッシュの「ミステリートレイン」のスチールも撮っている。日本の広告写真が華やかしころの真の写真家だ。
リクルートの会場も決して悪くはないけれど、それにこの長く続く企画の一環としては、こういうものだと思うが、鋤田のような本物の写真家、現在も現役であっても、写真界に足跡を残した写真家として評価し、
都写美のようなところで、ぴんぴんしているうちに、回顧展をするにあたいする写真家だ。
60年代、70年代は、広告写真が時代の最先端のアートだったのだ。
もちろん多くのフェイクもあるが、広告写真を、いやそれをリードした写真家を
マスメディア時代のアートとして、きちんと評価する視点が、今の日本の写真界に決定的に欠けている。
特に写真を評論する人が、一番わかっていない。
日本の写真界の夢の時代を無視して、日本の現代の写真は絶対に語れない。

その後、都写美にゆき、近年一番見たかった、ギー・ブルダンの写真展を見た。
ギーブルダンの写真といわば、シャルルジョルダンの広告写真だ。広告といっても、VOGUEなどで発表されたエディトリアル広告だ。広告なのに数10ページにわたることもある、日本のエディトリアルにはない、特別なファッション写真だ。
僕はフリーになったころ、昔のファッション写真を勉強する意味で、都中央図書館で、50年代後半から70年代後半のVOGUE(特にフレンチボーグ)を何日もかけて見たことがあった。もちろんギーブルダンは70年代の天才写真家だから、彼のシャルルジョルダンの写真はほとんど全部見ていたが、60年代前半から印象的な写真を撮っていたのは、そのとき知った。
日本の多くの写真家がギーブルダンに影響された。
ペン、アベドン、ニュートン、ギーブルダン。とりわけ「ギーブルダン風」の写真は、広告やファッションにあふれていた。表面をまねすることはできる。でも次々と発表されるギーブルダンのVOGEUの新作は、いつも新鮮だった。それはもう写真を越えていた。確かに写真なのに、まるで絵のようだったのだ。
いやどうみても、なまなましく、キュートで、わいざつで、ざわざして、オシャレ。それは絵画の世界から飛び出た写真だった。僕が山口小夜子の着物を撮ったとき、僕は彼女にギーブルダンについて聞いた。
そのずっと前に、ギーブルダンが、ボーグでたしか三松の10ページぐらいのエディトリアル広告を撮った時、山口小夜子がモデルなっていたからだ。海岸で小夜子たちが着物を着て、すっかり用意ができているのに、ギーブルダンはカメラを覗くだけで全然撮ろうともしない。着物を着たまま何時間たったろうか。皆が待ちくたびれた頃ようやシャッターを切ったという。撮影時間はさほどかからなかったという。それで10ページぐらいを撮りあげた。
ギーブルダンは、現役時代から変人で、連絡さきもなく、彼に仕事を頼むのは至難だったという。
たしか、「おれは土門拳になる」という本があった。写真家増浦行仁のノンフィクションだ。
そこに彼がギーブルダンの助手になったことが書いてあった。もちろんギーブルダンに会うのも至難だ。誰も連絡先なんてわからない。それでもどうにかこうにか、待ち伏せしてなったわけだが、ギーブルダンのチープな機材に驚いたという。撮影にペンタックス一台ぐらいしか持ってこないという。ライティングも最小。どうやってあんな華麗な写真が取れるのか、不思議だったという。まあ、助手をやったとしても、たいしてやることがなく、しかも気まぐれ、無給。
長くは続かなかったらしい。余談だが、増浦はそのご、ミケランジェロの彫刻の写真集「GENESIS」を撮り、都写美でも写真展をしている。
ギーブルダンに話は戻るが、彼は自分は画家になりたかったと思っていたらしい。そのためか、いや彼の変人のせいか、現役時代、一冊の作品集も、一線で活躍中は一度も写真展もやらなかった。やる気がなかった。
1991年にギーブルダンは死んだ。(自殺だともいわれている)その後、血縁者が彼の写真をまとめ、写真集をつくり、こうやって回顧展もできるようになったみたいだ。
ギーブルダンの写真は、まだたくさんある。僕の好きな写真がかなり外れていた。あのスペースじゃ狭いのだろう。

今の若いひとは、ギーブルダンを知らない人も多いようだ。
この写真展は絶対に見るべきだと思う。
とくに、ゆるいいやしのような写真の時代が10年以上も続いた今、これから写真家をめざす若い人たちならば、ヒントを与えてくれる絶対に知らなくてはならない写真家だ。
それは写真がいかに写真で、写真は以下に自由で創造的なのか、思い知らされる写真展、写真家だからだ。
そして、偉大な写真家はいるけど、彼は偉大というより天才だった。

展示は、大判のCBプリント以外、初期のモノクロームの写真、テスト用ロケハン用のポラロイド写真、Type107モノクロ?、108カラー、カメラはたぶんPolaroido195、SX70、そして35mmペンタックス(昔ペンタックス用にカレンダーを撮っていたのを見たことがある)他にたぶんペンタックス67(67のフォーマットがある)そして初期には、ハッセルもつかっていたようだ。
それと8mmもしくは16mmのムービーのなかに、8x10デアドルフで撮る若者が写っている、あれはギーブルダンなのだろうか。

最後に、西麻布のカフェショコラの壁で
ハッセルで撮った4点のモノクロの写真展を展示する22歳の学生小柳和彦君の写真展に行く。
「The State of THE HUMAN」 小柳和彦写真展 2006年5/15(月)~6/3(土)
Cafe Chocolat(西麻布) 日曜定休 月~木 11:00~24:00 金・土
11:00~29:00
まだ写真をはじめて2年。8月にはフィラデルフィアに留学するという。
写真ではなく、物理。でも写真が大好きだという。うー、若いっていいなあ。

やさしいCreCoデジタルカラーテクニック

やさしいCreCoデジタルモノクロテクニック


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