« 雨の日曜日、眼科医HITOMIを撮った | Main | ある日、森山大道、沢渡朔が新宿にいた。 »

2006.06.24

「嫌われ松子の一生」を見た。凄かった!

話題の映画「嫌われ松子の一生」を、渋谷パルコパート3にあるシネクインでみた。
特別興味があったわけじゃない。主演ではない、ひとりの女優が出ているのが、そして彼女の演技がとてもよいかったと、何かで読んだので、見ることにした。
ネットでチェックした予告編は、さも騒々しく、日本映画でこのタイプは、絶対に完成度が低く、こんなんだったら、くだらんお笑いテレビでもいいと思っているくちなので、若い人向け、ドタバタ映画だと期待せず見始めた。
なにしろ僕のこの手の映画のワーストワンは、1986年、森田芳光監督の「そろばんずく」だ。いやいやもうひとつあった。1990年、林海象の「ZIPANG」だ。パブからみると、僕のなかでかってにそんなふうにカテゴラライズされていた。

僕の見た劇場の設備は、現代レベルの映画館だった。シートもまずまずだった。映画は長かった。内容が長く感じたのではない。お尻がいたくなって、それで気づいた。やはり最低このぐらいの設備の映画館で見るべきだ。そうだとしても、お尻は絶対いたくなる。
平日4時台、入りは4割ぐらいだった。話題の映画、夕方なのでもっといっぱいになっていると思っていた。ほとんどが若者、中年は見回してもわずか。カップル、女性同士が多かった。
でも個人的には混んでいる映画館が好きじゃないので、よかった。
500cinequin

この映画が大人をひきつけていない理由は?騒々しい予告編のせいだろうか。だから大人には響かないのか。
しかもこのタイトルだ。タイトルだけで見る気が起きない。
原作を読んだ人が惹かれるのだろうか。本はベストセラーらしいが。
僕は原作を読んでいない。タイトルからして読む気がおきない。しかもまったく僕と同時代。(映画では)
きっとあの時代、そんな奴もいたろうな、と思うが、そんなのぼくより前の世代には腐るほどありあまる話、転落の人生なんて当たり前すぎて、リアリティを感じない。
なにしろ話がアナクロだ。いったいいつの時代の話なの。いくら田舎の話だとしても・・・。
なんて、小説を読んだわけでもないのに、評することはできないけれど、少なくとも、情報として入ってくるものに共感はなかった。
だから、僕は映画を見た今でも、原作を読む気にはなれない。これはなぜだろう。珍しいことだ。映画を見ただけど満腹したか、きっとこの映画の底のテーマが、小説では違っているんだろうなという、予測だ。
だから映画と原作がどこのくらい違うかに興味はない。

予告編が終わり、やっとはじまったと思ったら、予告編以上のボリュームいっぱい高音がタッタ不快な音から始まった。(少なくとも僕のみた、シネクインではそうだった)
ちょっといやな予感がした。
はじめから、淡々としたシーンなのに、普通じゃない。
色彩、音楽とも満載、騒々しい。よくばり。きらきら原色の特売場。
それなのに奇妙に何かが静か。轟音の元で眠くなるヘビメタのコンサートみたいだ。
そう、この映画は、そういう映画なのだ。
イリュージョン、総天然色、アナクロ、高度成長、喧騒、ドタバタ、虚飾、暴力、歌謡曲、ロックの爆発等々、あの時代の騒がしさのなかの静寂なのだ。
いやあの時代じゃない。今の時代の騒がしさの中心にある寂しさ。孤独感。なんでもそろっているし、何でもできるのに、それなのになんにもできない、寂寞感。
僕がこの映画を見ていて思ったことは、決して過去の世代が描かれていたわけじゃないということだ。

松子って、いつも何かを待っていて、自分から行動しない。だからマツコなのだ。
世の中の、満載の情報を、大口あけて待っている、今に生きる私たち、あなたたちと同じだ。
だいたい松子の家は、貧乏じゃない。
ひな祭りの段々飾り。少なくとも中の上以上の家庭だ。
田舎だったら、もうそれ以上。でもいまの価値でいえば普通だ。
そして体の弱い妹がいる。でも実直な不器用な父親は、ちゃんとしている。
まして松子は教師になった。
あまりにまともだ。まともすぎる。あの時代、あんなの教師はいなかった、というぐらいまとも。
なのに、環境に振り回される。そして次々と転落。
くるべきところまで、落ちるところまで、何度も落ちる。殺人まで起こす。
そこに反省がない。自己中心。自分の世界に生きている。
なぜだろう。こんな女に共感はもてないはずなのにどうしてだろう。どうして松子は明るいのだろう。
この明るさは、中谷美紀が演技以前に持ってる、都会的な、透明な存在感から来ているのだろうか。
中谷はどんな役をやっていても、暗くない。お人形さんのように可憐だ。そういえば前にみた映画「力道山」のときも、妻役ででいていた。あまりにお人形さんで、魅力はなかった。つまらなかった。
なのにこの映画だ。
でも中谷ぐらいしか、軽く、不愉快じゃなくはできなかったろう。歌も巧い。(本人が歌っているなら)。
なにより、想像のなかの理想的な女教師だ。こんな女の転落ならばみてみたいし、つきあいたいし、転落させてみたい。僕だってあんな女教師がいたら狂ってしまう。
なのに、松子は鈍感だ。転落しても転落に気づかない。いや気づいても、それをすぐに受け入れる。松子は不幸も幸福も大口あけて待っているのだ。根が貧乏じゃない。根が豊かなのだ。
松子は、究極の、奪う側ではなく、奪われる側、そしてすべてを与える側なのだ。
彼女は、ダイアンアーバスが撮ったフリークのように、根本的にこころの「貴族」なのだ。
そんな、彼女は子供のころから、イリュージョンのなかで生きていた。
そのイリュージョンさ、彼女生きることの表現が、中島哲也監督にこの満艦飾の手法をつかわせたのだろう。
だから使える手法ははずかしげもなく、ハイセンスに走ることなく、なんでも使う。その方法は、ファッション誌、CanCamのように、不安のすきまをすべて埋め込み走りぬく。最後には、エンジンパラグライダーによる空撮まで入っている。まるでそれは、死んでやっと自由になった、松子の霊魂のようだった。
この映画は、けっしてアナクロの過去の女の転落の物語じゃなかった。
今に生きる、情報とコマーシャリズムに隙間なく、埋め尽くされた、いってみればイリュージョンのなかに住む、現代の日本人そのものなのだ。だから決して松子は、松子ではなく、松子はあなただということだ。
この楽天さ、能天気さって、無判断、判断停止、それは若いあなたたちのことじゃないか。
そして、表現することを生業にしている、僕らそのものかな。
だから、松子の一生は哀れでも、そんな松子を知った僕らは決して不幸ではないということだ。
松子はだから「神」なのだろう。

星☆☆☆☆☆

|

« 雨の日曜日、眼科医HITOMIを撮った | Main | ある日、森山大道、沢渡朔が新宿にいた。 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「嫌われ松子の一生」を見た。凄かった!:

» 嫌われ松子の一生/山田宗樹 [文学な?ブログ]
やるせない思いで最終頁を閉じました。些細なことに何度も自分を見失い、流され、それでも死より生きることを選んできた松子。その人生の終わりがこれではあまりに辛すぎます。 体の弱い妹に父の愛情を奪われ、父の希望をかなえようとなった教師の職を追われ、失踪してあちこちを彷徨いながらも、必死に生きてゆく松子。感情に流され、積み重ねてきたものを根底から壊して、また一から、というよりむしろマイナスから人生を何度も繰り返します。 偶然のように起こる事件に翻弄される松子を見ていると、なんでもっと機用に生きら... [Read More]

Tracked on 2006.06.24 11:03 AM

» 「嫌われ松子の一生」中谷美紀は代表作を手に入れた [soramove]
「嫌われ松子の一生」★★★★オススメ 中谷美紀、瑛太、伊勢谷友介主演 中島哲也監督、2006年 リアルを排除し、劇画タッチで夢のような作品。 悪趣味に近い表現が随所に散りばめられて、 「これは映画じゃない」と 正統派の心の声が叫ぶが、 「一人になるより...... [Read More]

Tracked on 2006.07.01 01:27 PM

« 雨の日曜日、眼科医HITOMIを撮った | Main | ある日、森山大道、沢渡朔が新宿にいた。 »