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5 posts from September 2006

2006.09.24

小説現代 矢作俊彦X横木安良夫 沖縄

Okinawadog
2006年 那覇 桜坂 

Syosetugendai10_1

「桜坂ムーンドライブ」

Sgendai10photo

●今月号の小説現代10月号に、矢作俊彦と8月沖縄に行って撮った写真が掲載されています。
BW8ページ
本屋さんにでも出かけたおりに、是非ご覧ください。
小説現代

すべての撮影は、GRDigitalで撮影しています。
モノクロ8ページすべて、カラーで撮りCReCoでモノクロにしています。

その後、正方形にトリミングしています。
感度1600で撮ったものもあり、プリントはわざと画質を落としたものもあります。
写真は情報を、増やして見せるやりかたもありますが、情報を切り詰めるやり方もあります。
モノクロ写真は、情報を少なくして見せるやり方のひとつです。

デジタルカメラマガジン10月号のラストページ、デジタルリレーギャラリーでは、DtoH(地平線までの距離)で撮った写真が紹介されています。
あわせて、ご覧ください。

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2006.09.20

Youtube

1022

Youtubeで、さまざまな映像と音楽を探している。
これは、皆投稿映像、音楽だ。もちろん著作権侵害もはなはだしい無法地帯だ。タダ日常、無料のテレビから流れる、ミュージック・クリップや番組と何が違うのか・・・。それはパブリシティや報道のためなら許されるか。
情報化時代、良いもの、価値があるものより、圧倒的なパブリシティ量が、成功の秘訣だ。ごく最近まで、テレビがそれを独占していた。作家が書くものより、タレントが書くもののほうが売れるのは、パブリシティ量の違いだ。いまや、出版社にとってもテレビが作り出す、流行人(テレビタレント)こそが、作家なのだ。
それを言ったのは、マクルーハン。メディアがメッセージなのだ。メッセージなんてなんでもいい。メディアそのものこそが伝える内容なのだ。テレビはそれを実践した。
しかし、そこに、新しいメディアが登場した。WEBだ。
便所の落書きだった匿名のメッセージを、表舞台に押し出した2チャンネル。全検索をかけられる、google。個人の露悪露出趣味を満足させるBLOG。やっぱり寂しい現代人のあらたなる結びつきを促しコミュニティをつくる、SNS,MIXI。
そしてここに新たに革命が起きている。
それがYoutubeだ。アメリカの映像、音楽投稿サイトだ。
最初、レアなテレビ番組や、音楽を探していた。例えば格闘技好きの僕としては、ミルコがシウバに圧倒的に勝った瞬間。フジが下り、スカパーに入っていない僕は見ることができなかった。それが翌日には、YoutubeにUPしているじゃないか。
そして音楽。例えば、キャット・スティーブンスの、Sad Lisa。1970年初頭のメローな曲だ。
 オリジナルはこれだ。そのライブ版もある。 
驚くなかれ、パロディ版まであるのだ。
これは、すごいメディアだ。ひとつの中に、情報としてのアーカイバルばかりか、批評まである。しかもこの批評は誰でも発信できるのだ。
もうひとつ、僕の写真展、写真集になる、そのタイトルの「TeachYourChildren」の曲を探していたらあった。
CSNYのライブ(この映像にはニールヤングはいない)あったぜ、と喜んだ。ライブだし、勢いで、音程も悪いし、録音も悪い。まあ、何かでよいながらのせいかもあるかもしれない。今のようにライブ録音をあとでスタジオ加工することもないからだろう.でも、ライブ録音とは本来こういうものなのかもしれない。
さて、そこで、プロかアマチュアかわからないが、投稿の「Teach Your Children」だ。単純にずっといい。
もしかしたら、うまくYoutubeを使えば、あたらしいスターが生まれるかもしれない。
さがしたら、CSNの、録音のよいのがあった。

さっきの、パロディと、この素人投稿を知ったとき、もしかしてYoutubeは、革命的なメディアなのかもしれないと思った。
それは、誰でも映像を撮れば、ここにUPできるということだ。カラオケで歌い、UPすればいいことになる。
ヒット曲は、あっというまに、素人に歌われ、Youtubeは、そんな連中に占拠されるかもしれない。
売れているタイトルさえ、同じならば、同列になる。
言い換えれば、キーワードさえ間違えなければ、誰でも何かを発信できる、パブリシティBOXなのかもしれない。
それは携帯で撮った映像だってながせる。ためしに「アオザイ」で、検索したら。ベトナム航空の機内のFAの盗み撮り映像が数十秒流れた。
まあ、あまりに誰でもできるので、これからこんなことにはまりやすい日本人が大挙UPするとどうなるか想像できないが。ここだけでもひとつの宇宙ができそうだ。
それは何も音楽ばかりか、個人のイベントもUPすることが可能だ。キーワードさえまちがえなければ、かなり宣伝効果もあるだろう。もちろん事件現場に行けばニュースも撮れ、個人で発信できる。

そして、著作権とは、何かと考えさせられる。著作権なんて吹っ飛びそう。
そう、今や情報は無料だ。
情報は、パブリシティとして利用はされ、瞬時にその情報は全世界で消費され収集される。
もしかしたら将来は、WEBメディアにのらないものだけが、本当に価値がある社会になるのだろうか。

それは音楽で言えば、ライブ。写真で言えば、写真集やオリジナルプリント。
場としての映画館で見る映画。物として価値のある書籍。 等々。
時代が逆行するようでいて、全員がメディアに参加でき、発信者と受信者が等価になった社会。
情報は、無料。
時間と、物と、場、そのなかでも圧倒的に、WEB上では、「場」がビジネスになるのかなあ。

まあ、民主主義からファシズムが生まれたように、いろんな意味で楽観的には思えない時代。

追記


「EPIC2014年」・・・こんなものを紹介してもらいました。
http://probe.jp/EPIC2014/ols-master.html

僕の感想は、時代のスピードはもっと速いかもしれない。
それに情報は無料、すべてはボランティアになってしまう。
富の配分は限りなく、不平等になり、。「場」を支配した、ごく一部が握るでしょう。
それはSF映画のように、新たな帝国ができるかもしれません。


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2006.09.16

ロバート・キャパ最期の土地が消えた。

●1954年ロバート・キャパは、仏領インドシナ、ハノイ南東(現ベトナム)、紅河デルタの街ナムディンから、紅河を越えた、タイビンで地雷を踏んで死んだ。
正確にはタイビンの街からさらに東にある、タンネ村(現在のキエン・スオン町)の入り口、道路が左に曲がったあたりの土手で吹き飛ばされた。
リチャード・ウイーランが書いた、ロバート・キャパの伝記(沢木耕太郎訳)にはキャパの死の場所が克明に記されている。その場所について土台となったのは、その日の掃討作戦にキャパの同行取材したライフ誌の記者ジョン・メクリンの記事からの引用だ。
僕は1998年、リチャードウイーランの伝記を読みながら、そのころはまっていたベトナムで死んだ、キャパ最期の地に行き、花を手向けようぐらいの気楽な気持ちで行った。
ところが伝記にあるドアイタン、タンネという場所の名をナムディンやタイビンの人たちは全く知らなかった。ネライをつけた場所の周辺をタクシーで走り回ったが、まるで狐につままれたように当てが無い。しかたがなくキャパが最期に撮った写真、それはモノクロとカラー写真なのだが、その写真の風景に似た場所を探し回った。
Capalastshotcolor1
photo by Robert Capa 1954年5月25日  「ロバートキャパ最期の日」より転載 

Capalastshot1
photo by Robert Capa 1954年5月25日  「ロバートキャパ最期の日」より転載
最期のモノクロとカラー写真  カラー写真が最期にキャパが撮った写真だ。この直後キャパは地雷を踏んで吹き飛ばされる。

結局、似た場所はあったが、あまりに紅河に近すぎた。そのときは、それ以上の資料もなくあきらめ、再度訪れる決意をして引き返した。キャパが死んだ1954年から50年たった2004年までには、見つけようと思っていたのだ。

そしていつのまにか、数年たった暮、翌年がキャパ没50年になったとき、僕は大慌てでキャパの死の場所を再発見する算段を始めた。もちろんそれまでに、資料は集めていた。翌年、2004年春、僕は満を持してハノイに行った。
そうしてようやく、キャパ最期の土地を特定した。その記録が、「ロバート・キャパ最期の日」だ。
キャパ最期の土地、キャパが最期に撮影したその場所は、市街地化してしまったその場所だけが、奇跡的に残っていた。まるで、50年間、僕が来るのをキャパは待っているかのようだった。
Lastplecealao
2004年5月25日 Photo by Alao Yokogi

その貴重な場所で、没50年にあたる2004年5月25日、ベトナム写真家協会とキエンスオン町長も交えて、100名ぐらいがあつまり、慰霊祭をした。そのときにキエンスオンの町長にこの場所を遺し、慰霊碑を建てようと申し出た。ところが市長は、ここはすでに工場地区になっているので、残念ながら無理だと言われた。具体的な話は聞けなかったが、2005年の暮、大沼さんというカメラマンが工事中のその場所を写真を送ってくれた。韓国資本の靴工場ができるとのことだった。
Ohnuma
2005年12月 Photo by Ohnuma

そして、数日前、ハノイ在住のハワイアンさんから、現在のその場所を写真を送ってもらった。その土地全体がなくなったわけではないが、もうキャパが最後に撮ったアングルで写真を撮ることはできなくなった。
そう思うと、2004年に僕が撮ったことが奇跡のように思えてきた。
最近のベトナムの変化は、50年を数年で変革しているようだ。
そういえば、1998年に訪れたときと、2004年にきた時、国道やすべてが変わっていて驚いたものだ。

以下最新Photo  Photo by Hawian  2006年9月10日撮影
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関連 キャパの土地がなくなる 2005年1月

●関連 ロバート・キャパについてのミステリー
「キャパの最後の写真は、本当にニコンSで撮ったのか、ソレトモコンタックス2だろうか。」


キャパの伝記によると、1954年5月25日、ベトナムハノイ南東の町、ナムディンとタイビンの間にある、土手を登ったあたりで、午後3時ごろキャパは地雷を踏んでしまう。(実際は、ナムディンからタイビンの町をすぎ、タンネ、現在のキエンスオン、に向かう途中だ)
彼の死については、同行取材をしていた、ライフの記者、ジョン・メクリンによって、場所や時間なんどがかなり詳しくレポートされている。それはキャパの死後、ライフの記事にもなっている。
そこでひとつの疑問がある。それは、キャパはいったい、どのカメラで最後の写真、ラストショットを撮ったかだ。
荒地を、戦車が先頭になり、兵士たちが散開しながら進んでいる。のんびりとして緊迫した戦場と思えない静かな美しいカラー写真。右手の土手は、左にゆるやかに蛇行している。
伝記によると、キャパはモノクローム、コダックダブルXをコンタックス2に、そしてカラー、コダクロームをニコンSに入れていると記されている。
しかし、同行レポートしたジョンメクリンのライフに掲載された、キャパの最期についての記事には、カメラの種類は書かれていない。単に一台は投げ出され、もう一台のカメラを握り締めていたとしか記されていない。そうすると、どちらのカメラで、最後の写真を撮ったか、どちらにカラーとモノクロフィルムを入れていたかは、あくまで後の想像でしかない。
もしかしたらリチャードウイーランのソースである、コーネルキャパの思い込みかもしれない。
コンタックス2は現在どこにあるか、不明だがニコンSは、日本にある。
それはキャパの写真を大量にコレクションしている、殆どがニュープリントだと思うが、富士美術館にコーネル・キャパが寄贈したようだ。(もちろんかなり気前のよい対価が支払われた)そのへんの経緯について富士美術館は教えてくれなかったが。
僕は、キャパの本を書いているとき、そのニコンSを見せて欲しいと打診したら、状態が悪いのでと断られた。以前はテレビでもかなり多くの人に見せ、触らせているのにだ。まあ、いろいろ事情があるのだろう。
さて、本題だがキャパが残した写真を見ると、2台のカメラで撮った最後の写真は、僕の制作ノートの写真を見れば、お分かりになると思うが、画角のせまい、モノクロ写真だ。上の写真を見ればわかるだろうか。
ひろびろと写っているのがカラー写真であり、戦車や兵士の動きから判断すると、カラーのほうが後に撮られていることがわかる。
結果、モノクロは50mmの標準レンズ、カラーは35mmのワイドレンズで撮られていることもわかる。
伝記では、カラーはニコンSとあるので、モノクロがコンタックスだ。
ところがここに大きな疑問点が存在する。
それは、現在富士美術館にあるニコンSには、50mm標準レンズがついている事実だ。しかもレンズにはドラマチックに泥までついている。ということは、ニコンSは、キャパが地雷を踏んだときには、50mmレンズがついていたと思うのが本当だろう。すくなくとも、泥で汚れたレンズは、キャパの死んだベトナムの土のはずだ。
実は、問題を複雑にしているのは、ニコンSとコンタックスは、レンズマウンとが共有可能だったことだ。
いってみれば、ニコンとコンタックスのレンズを入れ替えることも可能ではあった。
しかし、日本で撮られたキャパの写真を見ると、コンタックスには、コンタックスのレンズをつけて撮っている。日本での撮影では、カメラ雑誌のデータによると、キャパはニコンSに35mmレンズをつけていることが多かった。
キャパはニコンとコンタックスのレンズが共用できたとしても、基本的にはそういうことはしてなかったように思える。
 ニコンに50mm標準レンズがついていたとなると、伝記に記されていたカメラは矛盾することになる。
僕は、「ロバート・キャパ最期の日」で、その矛盾を晴らすために、キャパは走りながらニコンのレンズを二コールの35MMから携行していたニッコールの50mmに換えたと書いた。そうでなければ矛盾があるからだ。
それは十分可能性があることも事実だ。なぜなら最期の日に撮ったカラー写真は、ワイドで撮った写真が多いが、標準レンズで撮ったものも混在しているからだ。モノクロの入っていたコンタックスにしても、コンタクトプリントを見ると、50mmと35mmを途中で変えて撮ったりしている。だからキャパが最後のカラー写真を撮ったあと、35mmワイドレンズから50mm標準レンズに付け替えたことは十分ありえる。だからぼくは、そう書いたわけだ。
しかし、ジョン・メクリンがカメラの機種について言及していないとなると、あくまでも伝記の記述は想像でしかないといえる。シンプルに考えて見れば、ニコンSにモノクロ、レンズは50mm標準、コンタックス2に35mmワイド、フィルムはカラーとすればかなりずっとシンプルな構図になるだろう。
キャパのインドシナで撮影したモノクロコンタクトプリントを見ると、同時にレンズ画角の違う二台のカメラで撮ったシーンがある。どうみても二台のカメラでモノクロを撮っている。
裏ずけるように、キャパの撮ったカラーフィルムを見ると、最後の2日間に限られている。ということは、それまでは、ニコンにもコンタックスにもモノクロフィルムが入っていたことになる。
きっと、弟コーネル・キャパは、キャパがずっと使ってきたコンタックスにカラーを入れて、サブに使うとはないとの思い込みがあるのではないだろうか。
キャパは日本で使い始めていたニコンSにかなりなじんでいた。
だから最後の二日間は、どちらのカメラをメインにすることも、可能だったのだろう。
だからニコンSモノクロフィルムを入れていたことは十分に考えられる。
オリジナルの35mmフィルムのフレームを詳しく検証すれば、わかるかもしれない。
伝記作家のリチャードウイーランは、あまり写真については興味がないように思える。最期に持っていたカメラ、最後に撮ったカメラなんてどちらでもよかったのかもしれない。
キャパが最後に撮った写真のアングルが、異様に高く、決して歩きながら撮ることは不可能だということも気がついていない。 僕はキャパ最期の日で、キャパの戦車の上から撮ったのだと、推量した。
写真家の撮ったものは、写真を見ることから事実をつきとめてゆくのが一番正しい。
僕は「ロバート・キャパ最期の日」を書いて思ったことだ。
しかしキャパ最期の日は、ただでさえ、構成が複雑になっていたので、伝記を踏襲して書いた。
シンプルに考えれば、最後のカラー写真はコンタックス2で撮られたものだと思っている。
だからフジ美術館にあるニコンSに50mm標準がつき、モノクロ入っていたと本当は思っている。

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2006.09.15

写真展「ZEN PHOTOGRPHERS」

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目黒のアートフォトサイト・ギャラリーにて、
「禅フォトグラファーズ」というテーマでグループ展が開催されている。
9月12日より10月28日
参加者は、ハービー山口、小林基行、中乃波木、大和田良、そして私、横木安良夫だ。
写真展のコンセプト、作家紹介は、ギャラリストの福川氏のBlogをご覧ください。
●僕は、阪神大震災のおりの、高速道路の崩壊写真を、2mx3mに引伸ばし展示している。十分大きいが、20mx30mに引伸ばしたい衝動がわく。この写真がなぜ「禅」なのか。それは実際に会場でその写真を見ればわかるだろう。
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阪神大震災の写真以外に、最近撮っているDtoH(地平線までの距離)からも3点展示している。
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★以下 ギャラリスト福川氏から転載

9月12日からグループ展"ZEN フォトグラファーズ"が始まった。癒されたり、悩みから開放されるような作品をセレクションしたグループ展だ。"禅問答"という言葉があるように、言葉で非常に表現しにくい概念がテーマだ。本展のプレスリリースの内容執筆にはわかりやすい表現が見つからないで苦労した。結局は、"禅"というキーワードを胸に作品を見て感じてもらうしかないない。

本展では横木安良夫が1995年に撮影した阪神淡路大震災時の阪神高速倒壊の写真を2X3メートルの大きさで展示している。これは震災のドキュメントではない。4x5大判カメラで撮影された作家のパーソナルな視点でとらえた風景写真なのだ。巨大作品の前に立つと、 まるで自分が現場にいるかのごとく錯覚する。社会生活を送る現代人は日々、色々なことに思い悩んでいる。しかし、このような天変地異が引き起こした世界を目の当たりにするとそんな悩みや不安はちっぽけなものだと気付くのだ。できるだけ多くの人に横木の作品を体験して何かを感じて自分を見つめなおすきっかけにして欲しい。

ハービー・山口は、ミュージシャン、市井の若者の親しみやすいポートレートで知られた人気写真家だ。今回は、ポートレートではなく彼のモノクロームの風景写真を展示している。実は2003年に刊行されたポートレート中心の写真集"piece"からのセレクションだ。彼のポートレートが素晴らしいのは、その親しみやすいキャラクターと人間愛を信じて疑わない確固とした世界観による。雲のようなふわふわした気持ちよい話ぶりに被写体は魅了される。そしてすべてが受容されたことで心が和み自然な表情が引き出されるのだ。実は同じ自然体のアプローチは彼の気持ちよい風景写真にも感じられる。優れた写真家のスタイルは何を撮影しようと不変なのだ。今回の展示作品はエディション数30点で販売することにした。

小林基行は、現代の美人画をテーマにした女子高生のポートレートで知られている。一方で"Days of Heaven"シリーズなどで、自らが癒される写真にこだわって作品制作を行っている。今回展示するのは、森のなかで撮影した"Tree Scapes"シリーズで自然の"ゆらぎ"を表現しようとしている。不規則に動くもののなかにも"1/fゆらぎ"のように一定の法則が存在する。風、波、川のせせらぎなどはその代表として知られており、人間の感情や生体リズム、癒しとも関係している。彼は自分が心地よいのはゆらぎであることを意識して今回の作品制作に取り組んだ。小林の写真は見る人を元気にさせるといわれるが、ゆらぎがその謎を明かすキーなのかもしれない。

中乃波木は20代後半の若手写真家だ。"White times"では地元石川県の雪を撮影し90cm四方の大判作品に仕上げている。中は、自分は子供のころから怖がりだったが雪の中にいると安心感を感じたという。子供のころの外の大きな世界への恐怖は、大人になると人間関係が作る社会生活での恐れや悩みとなる。雪の中は砂漠のように完全に抽象化された世界だ。そこに身を置くことで中は癒され、瞬間的に社会のなかの自分を客観視し、癒されるのだろう。現代人の多くがもつ悩みへの対処法が提示されていると思う。中にとっての"雪の世界"と同じ何かを見る人それぞれが持っているはずだ。作品に触れて、その何か見つけだすきっかけにして欲しい。

大和田良は昨年の個展でも一部展示した、瞑想感が漂う"World of Round"シリーズからの作品がセレクションされている。本シリーズは2005年スイス・エリゼ写真美術館が開催した、次世代の50人の写真家を選んだ"re-Generation"写真展に選出された作品だ。記念写真集にも掲載された作品のオリジナルが鑑賞できる。アクリルに写真作品を貼り合わせるのが現在、特に欧州で積極的に取り入れられている制作手法なのだ。次の展開が心待ちの若手作家だ。

"禅(ZEN)"といってもアーティストの表現方法、モチーフ、癒し方は千差万別だ。ぜひ心が疲れ気味の多くの人に鑑賞してもらい、それぞれの癒しのヴィジョンを見つけて欲しい。また作家希望の人も"癒し"は作品として意識してもらいたいテーマだ。

ギャラリストは禅問答大歓迎。私をギャラリーで見つけたら声をかけて欲しい。
開催期間は10月28日(土)まで。午後1時から7時まで、日曜、月曜は休廊。


アート・フォト・サイト・ギャリー

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2006.09.01

Dakkoのライブ

昨晩は、飲み友達である、Dakkoのライブだった。「この地球(ほし)に生まれて」
出演は水田達也、だっここと朝霧裕、teya-teya、そして素敵なイラストを描いた辻友紀子ちゃん。
Dakkotsujiyukiko

初めてDakkoの歌を聞いた。声域や声量、そしてスタミナはないけど、不思議に言葉がずんずん突き刺さる。特に歌の前の朗読が素晴らしかった。きっと何10曲も歌うスタミナはないのかもしれないけれど、おしゃべりや朗読のスタミナはありそうだ。歌と朗読、そしておしゃべりをもっとミックスしたら、とてもす素晴らしいショーになると思う。Dakkoは肉体的なパワーはあまりないけど、精神的なパワーがすごい。特に詩が素晴らしい。もっと多くの人にしって欲しいと思う。頑張れば2時間ぐらいぶっとおしも可能かな。

Dakko01

Dakko02

Dakko03

Dakko04

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