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2006.10.15

写真集の作られ方 Vol.01

写真集「あの日の彼 あの日の彼女」TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975が
どのようにできたのか、その作られ方を紹介します。

まずVol.01は、2006年1月から3月まで、そして5月に開催した写真展までのいきさつを・・・・。

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●2005年×月x日 
ある日僕は、突然オリジナルプリント売るって、どんな世界なのか考えはじめたのです。
そこにはさまざまな疑問がありました。インターネットで調べているうちに、アート・フォト・サイトというBLITZインターナショナルが運営しているサイトがあり、かなり踏み込んだ意見を持っているようなので、電話をしてみました。
そこに福川氏というギャラリストがいたのです。そして偶然というか、以前会ったことがある人物でした。
彼が10数年前、代官山でBlITZギャラリーを運営していたときに、友人から紹介されたのです。
でも、その頃BLITZは、海外の作家を取り扱う、少しスノッブな雰囲気のギャラリーで僕は全く興味がなく、隣のビルにあったにも関わらず、それから一度も会うことがありませんでした。
そんな彼が、「写真を売ることに興味があるのですか?」と言うのです。Aでも、「芸術写真を売っているんでしょう?」F「いや、アート写真を売っているのです・・・・?」彼のサイトには、アート写真について書いてあります。わかったような、わからないような。それでもオリジナルプリントを売ることに興味を持った僕は、明確な意見を持った彼と会うことにしました。
●2005年x月×日 
会って、福川氏の言うことを僕は理解し、なにより共感したのは、「彼は日本の作家を日本のマーケットで売りたい」というのでした。
今の時代、日本では売れないもの、認められないものを、海外に持っていっても意味がないというのです。・・・・正直僕は、日本の作家をギャラリーは積極的に市場の活発な海外で売って欲しいと思いました。もっと正直に言えば、彼が僕の写真を海外に紹介して欲しいと思ったのです。なぜって、日本には、オリジナルプリントを買う人なんて、ごく一部、写真市場は皆無、それだったら、やはりアメリカじゃないですか・・・・。
すると福川君は、日本に市場がないのではなく、まして日本人がアートとしての写真(僕の理解としては、ギャラリーを通じでアート市場に参加する作品)を買わないのではなく、単純に、売るべく、日本人の作品がない、きちんと売る意識で作品を作っている日本の作家がほとんどいないだけです、といいきったのです。
彼は意見は、これだけ文化の発達した日本に、アートを分らない人しかいないのではなく、彼等が買いたいと思う写真がない、一番わかっていないのは、市場、買う側ではなく、意識の低い、写真家自身だというのです。
そう、たしかに、僕もそのひとりでした。
アート市場は、多様です。美しい風景や、花を壁に飾りたいひとばかりじゃないのです。いまや世界はあらゆる価値観に囲まれています。写真が欲しいというひとも、多様です。それなのに日本の写真家はアートというと、皆同じようなものばかりを撮っていて、本当に求められている、ニーズに答えていないというのです。
わかったような、わからないような。
そういわれたとき、僕は、一番ぼく自身が裸の、ああこれこそ自分だなという写真は、スナップ写真だと思ってましたのでそのことを言うと、福川氏は、その写真家が背負っているすべてのものの反映が作品だから、別に写真のジャンルにはこだわらないといいうのです。見るだけの写真だけではなく、写真を欲しいと思わせるのは、その作家の世界観、ライフスタイルに共感がなければ、絶対に心が動かない、ということでした。心が動かなければ、安価なポストカードだって買わないというのです。
僕は、自分自身のことを考えました。1967年、最初に始めたのがスナップです。1975年の9月にフリーの職業写真家になったあとも、ずっとスナップを撮っていました。アート写真というのは、自分そのもの、それを長く発信すること、僕はなんだから心づよくなり、自分の写真を本気で見直すことにしたのです。
●2005年x月x日
僕は、これまでプリントしたものや、カラーのポジ、仕事ではなく、自分の個人的な、主にスナップ写真や、仕事だとしても、かなり自由に撮ったもの、販売するためには、いくら自分の気に入った写真でも、肖像権が問題になる、タレントの写真は除くという基準で、写真を選びました。これまでもかなりスキャニングしてストックしいていたのですが、それから毎日、毎日、時間を見つけ、8X10、4x5からハーフサイズ、ポラロイドまで、パソコンに取り込みました。
●2005年4月x日
それを、Canonの9100iで、A4サイズにプリントしてみたのです。全部で500カットぐらいになったでしょうか。
時代は1970年ぐらいから2005年までの写真です。ちょうとその頃、キンコーズのリング製本というのを知り、それを構成して、ジャンル別に10冊ぐらいのファイルにしました。
●2005年5月x日
そこから再構成して、僕は、2冊、約200点のファイルをつくりました。それをアートフォトサイトの福川氏に見せたのです。彼はとても面白いので、2006年最初に、写真展をやろうということになったのです。
手始めに、7月8月に、アートフォトサイトのグループ展に、1974年、稲村ガ崎で撮った、サーファーとそのガールフレンドの写真4点を出展することにしました。その写真とプラスした1970-1975年の写真は、アサヒカメラ9月号に、Teach Your Children1970-1975として、発表しました。そのときの見本プリントは、ライソンのペーパーで、Canon9100でプリントしました。グループ展のプリントは、友人のEpsonPXG5000で、プリントしました。ただ、どちらにしても、モノクロ黒のコントロールが難しく、ちょっと暗い気分でした。

●2005年5月x日
僕はその頃そのファイルをいろいろな人に見せました。もちろんほとんどが編集者、デザイナーです。
そんな時、アートディレクターの原耕一さんが、僕の初期のモノクロ写真が面白いといってくれたのです。
それだけで、纏めたらどうかといいました。
そうだとしても、その時代、学生の頃から独立するまでの写真は、すでに過去にプリントしてあるもの以外は、膨大に未プリントのままです。
タイミングの悪いことに、僕はその2年前に、銀塩の暗室をなくしました。経済的な理由です。そのため、すっかりデジタルに移行していました。デジタル以前、仕事は90%以上カラーでしたが、デジタルになって、スナップ写真もカラーになっていました。もっともカラーのスナップは面白く、それまでの仕事はカラー、作品はモノクロという図式が僕のなかでくずれていきました。だから、もうモノクロ銀塩写真をやらなくていいや、と決意していたのです。まさか、こんなふうにアート写真、オリジナルプリントをギャラリーで販売することのなんて、考えてもいなく、もっと早くその意識になっていれば、事情は違ったかもしれません。
●2005年5月x日
昔の写真、今回の写真集の写真ですが、その写真をプリントするには、しかもかなりの枚数です、暗室がなくなっているので不可能でしたが、ふと、ポジからはスキャニングしているので、モノクロのネガからスキャンしたらどうかと思ったのです。あまり、モノクロネガ、しかも35mmのネガをスキャンするなんて、聞いたことがありせんでした。僕はそれまで、印画紙にプリントした写真のみをスキャニングしていたのです。それに僕の持っていた35mm専用のスキャナーは古く、やってみたらモノクロのネガは思ったようにはいかなかったのです。
そこで、KonicaMinoltaのDimageScanElite5400、2を買いました。やはり35mmは専用機が絶対にいいからです。そして、Scanしてみて、僕はこれはいけると思いました。
●2005年7月x日
僕は、写真を始めた1967年からプロになる1975年までの、ネガから約600点ぐらいをスキャンしました。
それは、かつては、気にも止めなかったような、写真がたくさんありました。それこそ学生時代、1967年から1970年ぐらいまでは、作品としてほとんどプリントしていなかったからです。この写真は僕が若いときに撮ったものですが、選んでいるのは、もう長年写真をやっている、今の僕です。セレクトの基準は違うというよりは、ああ、なんでこんなに、いい写真を見逃しているのかなというのが、感想でした。それはその時代に、流行っていない写真だったからでしょう。セレクトしてプリントしているうちに、もしかしたら僕は、写真家として違う道もありえたかもしれないと思ったのでした。
●2005年8月x日
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(ファイルの表紙の写真は、あとで入れ替えました)
プリントした枚数は、約400点。キンコーズのリングファイル4冊になりました。それを僕は多くの人に見せたのです。皆、とても興味を持ってくれました。ただ、誰もこれが写真集になるということには、自費出版ではないかげり無理だろうといいました。まして300ページぐらいの写真集だったら、もっと無理だというのです。
僕としては、写真集になればいいなと思っていても、現実的ではないことは知ってました。どちらにしても、アートフォトサイトギャラリーで、2006年春に、企画写真展をして、そこで写真を売ることが、そのときの目標でした。
●2005年10月x日
ちょうどそのころ、Epson MaxArt5500を知りました。僕のスキャンしたネガを、フォトショップでいろいろ手をいれ、それを僕はCReCo(クリコ、Creative Control)と呼んでいます。
そのプリンターに出会う前は、ライソンのペーパーを使って、友人の顔料系のプリンターで、写真展をしようと思っていました。
しかしデジタルモノクロプリント、エプソンは、ピエゾグラフとよんでいますが、PX5500だったら銀塩写真に負けないコーリティの作品ができると確信したのです。
●2005年11月x日
僕はEpsonPx5500を手に入れ、猛然とデジタルプリントを始めます。ペーパーは、Velvet Fine Art Paperが気に入りました。
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●2006年1月10日
ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHS TEACH YOUR CHILDREN 1967-1975写真展「Teach Your Children 1967-1975」 目黒のアート・フォト・サイト・ギャラリー、Blitzインターナショナルで2月25日まで、開催されました。PX5500で、デジタルプリント大小さまざまにプリントして、壁面いっぱに張ったのです。
1月22日には、大雪にもかかわらず、多くのかたが、訪れてきました。ちょっとした評判で驚いたものです。.

写真展は、その後京都ギャラリーでも開催しました。
なにより、デジタルプリント(ピエゾグラフ)A3ノビを、特注額込みで、18900円で売りました。なんとしても、コレクターではない、普通の写真ファンに買ってもらいたかったからです。それは目論見どおり、初めて写真を買う人が大半でした。全部でこれまでに70数枚売れています。
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●2006年5月x日
その写真が売れたことで、ブリッツインターナショナル(アートフォトサイト)の、福川氏に、毎年パルコpart2ロゴスギャラリーで開催している、恒例のイベント販売、写真集、レアブックコレクション、で、あいている壁面を使い、ミニ写真展をしないかと誘われました。それがミニ写真展「DayDreamBeliver」です。そこで、やはり福川君と、練り、思い切った低価格で写真を売ることにしたのです。それは、8x10、(画像イメージはキャビネぐらいです)ピエゾグラフプリントを一枚6000円、額入りで8000円にしました。それはもう実験です。それは、半分以上がカラー写真でした。5500のカラーも僕は満足しました。それまでの、銀塩デジタルプリント(ラムダ)よりも、惹かれました。なにより、フィニッシュまで、カラープリントをコントロールできることに、将来性を感じました。ただ、ロゴスギャラリーでこれまで、写真が売れたことが一度もないというのです、弱冠の手抵抗もありました。なにしろ目標にたっせず、貸ギャラリーではなく、売り上げが必要で、結果、惨憺たるものだったそうです。ですから、実はかなり不安視、というより、レアブックのほうで実績があるから、まあいいか、やってみればという雰囲気でいた。
結局、2週間の期間中、66枚が売れ、今までに80枚ぐらいが売れています。
その結果コーリティの高い、オリジナルプリントを買う層が、決してコレクターではない人たちの間に、確実にあることを知ったのです。
そういう意味で日本には、アート写真の市場がないのではなく、福川氏の考えは立証されたかたちになりました。僕は、市場の確立していない、日本では、今、海外では、このぐらいの価格だということを無視しました。
それより、この写真好きだな、と思ったとき、いくらだったら買うか、欲しいと思った人が、「欲望に負ける価格」とはいくらくらいなのか、と考えたのです。もちろん、その価格で生活できることはないでしょう。でも、スタート価格としては、何しろ僕は、コンテンポラリーアートの写真家としては、実は新人だと思っているからです。
だから、多くの人に、リーズナブルな価格のピエゾグラフで、オリジナルプリントを所有する喜びを知って欲しいと思ったのです。
そして不思議なことに、一枚のプリントを買った人は、やがて他の写真も、そして銀塩のプリントも欲しくなるのです。それこそが、資本主義社会の不思議、知ることによって、知られることによって、購買意欲が沸く経済原理の実践です。・・・僕はようやく、アートを売り側、買う側のヒントをつかんだ気になったのです。
だから、日本人は、写真なんか買わない、ということは、ありえないのです。結局買いたいものがない、というのが結論でしょう。
福川氏と組んだPARCOでの写真展の、まあまあ、の成功が、この写真集「あの日の彼 あの日の彼女」を本気で出版する強い動機になったことは、事実です。
なにより、コマーシャルでもなく、有名人が写っているわけでもなく、美しい風景写真でもなく、花の写真でもない、この日常的なスナップ写真を買う人たちが、確実にいると知ったことが僕にとって大きな収獲でした。
そこで、僕は、これをどうにか写真集にできないかを、さぐりだしたのです。

Vol.02では、写真展を終えて、写真集をつくり、決定するまでの顛末を書きます。


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番外編 過去の関係Textです。
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●2006年7月x日 写真集の作られ方 (大脱線の巻き)
写真集について、書店の人はどう思っているのだろう。
過去の、Blogのトピックス
前衛としてのオリジナルプリント販売


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Comments

日本人がアート写真を楽しむことを理解しないはずは無いでしょうから、気づいていない人が多いのかと思っています。自分もその該当者ですのでそう思います。
カメラの生産・消費大国でありながら「写真を消費」することについてはまだまだ発展途上なのでしょうか。横木さんの写真展でのプリント販売の実績、写真集の出版は、日本の潜在市場を目覚めさせつつあると確信しています。

Posted by: Tohdo | 2006.10.17 at 12:40 AM

写真集がないわけではありませんが、書店では見ないのです。本当に、シンプルな、ファイン・フォトグラフィーの本
は、売れないのでしょうか。買う人が、求める人がいないのでしょうか。絶対にそんなことは、ないと思いますが。日本人が写真嫌いなわけはないし。応援よろしくお願いします。

Posted by: 横木安良夫 | 2006.10.16 at 11:32 PM

こんばんは。はじめまして。
blogをよく拝見してます。

日本人作家による日本国内向け「純写真集」の発売までには、紆余曲折があったのですね・・・。
渋谷あたりの洋書店に行けば、アートな写真集が沢山売っているのに、確かに日本人作家によるヌード以外のアートな写真集は、見たことがありません。

横木さんの闘いが実を結んだこと、まずはおめでとうございます。
でも、本当の闘いはこれからかも知れませんね・・・。

影ながら、応援していきたいと思います。

Posted by: Julian | 2006.10.16 at 10:12 PM

すごい、この記事自体が本に出来そうですね。
めちゃめちゃ濃い内容ですね!
続き楽しみにしてます。
写真集おめでとうございます!

Posted by: blackeyes | 2006.10.16 at 09:09 AM

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