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2006.10.22

日本カメラ選評、深夜、新宿で沢渡さんと飲む

Sawtari061020
10月19日 来年1月号から始める日本カメラフォトコンテンスト、カラープリンの部の写真を、人形町にある日本カメラに選びに行った。担当のY女史。初めてでしょう、皆模様眺めか、約3000枚の応募があるという。3000枚か、第一次、最初のセレクト、皆どのくらいかかるの?と聞くと、2時間から3時間ぐらいだという。そうか、10時半から初めて、はやくて12時半ぐらいか。写真はテーブルの上に5つぐらいの山になっていた。高さはそれぞれ30センチ。それにキャビネサイズの応募が100枚ぐらいだろうか。量を見て、ちょっとため息がでる。でも3000枚のなかから選ぶことに、別にプレッシャーはない。自分の写真ならば一日で、10000枚ぐらい見て選ぶなんて、特別なことじゃない。でも、こうやって全部がプリントされていると、やったことがないので、さあやるぞ、と気合を入れる。すでに裸になっている写真もあるが、透明や半透明のビニールに入っているプリントもあり、さまざまだ。できれば、透明ビニールに入れてもらいたいと思う。それに、やはりキャビネサイズは、不利だ。最低8x10、A4の大きさが欲しい。最初のセレクトでキャビネから選んだのは、たった1枚だった。集中して、どんどん見て、どんどん落としてゆく。一枚を見るのに1秒もかからない。ときどきはっとするような写真を見つけて、手が止まる。あとは、半透明のビニール入りの写真を出さなくては見られないので少しいらいらする。裏を見ることはない。男か、女か、年齢もわからない。最初のセレクトとはそういうものだろう。約1時間半。もう少しかかったかな。ハイスピードで選んだ。この集中力は、撮影に似ている。途中一回休憩しただけだ。約100数十枚選んだ。すごく巧いなと思ったひとたち、たぶんべテランだ。多い人は、20枚ぐらい応募してくる。それはなんでも多すぎ、組写真じゃないのだから。ひとり数枚にしてほしい。印象に残ったのは10名ぐらいだろうか。ここで昼食。近くの古くからある洋食屋さんでお弁当を食べる。コーヒーを飲み、1時半ぐらいから始める。
今度は、その100数十枚を、4つにわける。すごいくいい。よい。ひっかかる。まあまあ。そして落とし。金賞2点、銀賞8点、銅賞18点。金賞候補は、4点あった。その他、銀賞、銅賞合わせて、28点にしぼる。そこで裏を見てみる。年齢が高い。若い人で40代。50、60代、70代もいる。これが僕の知らなかった、日本のアマチュアたちか。
金賞候補4点を2点にしぼらなければならい。どれも内容、力量とも互角。ある理由で、2点に絞る。理由は、日本カメラに1月号でのお楽しみ。金賞を逃した2点をのぞくと、銀賞はあと6点。すぐに決まる。と、そのとき、風景が一枚も入っていない。どの写真もスナップや人物だ。理由はある。僕の好き嫌いばかりじゃない。風景写真は、どんなに綺麗でも、どこかで見た風景だ。もちろん見たこともないような、風景写真だったら当然入る。風景写真はいっけんとっつきやすい。だからアマチュア写真家は、皆撮る。でも、本当は、もっと深い。風景写真は簡単には撮れない。なぜなら、風景は圧倒的に本物がよいからだ。写真で風景を撮るのは、本当に難しい。難しいと思って、これぞというのがあるのなら、見てみたいし、金賞だって撮るチャンスがあるだろう。そう思って、もう一度、セレクトした写真のなかから人間が写っていない写真を数点選ぶ。なかなか良い写真だ。簡単には撮れない写真だろう。
終わったのが3時。とても順調に終わった。この評を、約1ヶ月の間に書かなくてはならない。ちかじか1日かけてかくつもりだ。
20日に、写真集のツカ見本ができることになったが、ADの原さんがその時間打ち合わせで、見本をみるのが夜の11時になってしまった。その日は、とても流動的で、夕方hanaさんが写真展をしている阿佐ヶ谷住宅に行こうと思っていたが、取りやめることになる。そしてもともと約束していた、S社のKと、青山二丁目の寿司屋で食事。カウンターだけのしゃれたすし屋、客は半分以上が女性だけ、美味。でも、興奮して話をしていて、味がよくわからなかった。彼はもとは、週刊Pにいたので、付き合いがながい。その後、8時半に編集部に戻りたいといっていたKを無理やり、新宿に連れ出す。バーN.文壇バーで有名な、風花の近く。そこの若いママのことは、Kも知っている。
すいていたので、ママと女の子と4人で話し込む。
途中、K社の編集Iが、店に電話をしてくる。翌日、会う約束だった。そうしたら急遽、今日になったけど、どうかという。沢渡さんと一緒だという。
客が数人きたのと、11時に広尾に行かなくてはならないので、
Kとでることにする。無理やり広尾まで送らせる。後半、ペースをおとしたが、結構飲んでいた。
11時につくと、ツカ見本があがっていた。紙を選び、細かい打ち合わせをして、12時ぐらいにでる。
この写真集の担当、Tと一緒に新宿に行く。そこでIと待ち合わせていたのだ。
僕の写真集の担当Tも以前沢渡さんにあったことがある。
僕は、今回の写真集の時代、1972年から1975年、篠山さんのアシスタントをしていた。当時、今の六本木ヒルズの敷地内に六本木スタジオがあった。スタジオの3階に、篠山さんと沢渡さんがオフィスとかまえていた。間に助手部屋と、暗室、機材室があった。それぞれに3人ずつ計6人のアシスタントがいた。暗室とそこは、共用だ。だから僕は、ある期間の沢渡さんの仕事をすべてみている。暗室担当が替わったときなど、プリントの調子を見てあげることもあった。「そんな焼きじゃだめだよ、沢渡はもっとこういう調子にしなければだめ」とかほとんどどっちの助手なのか分らない状態だ。そのことの、篠山さん沢渡さんは、大スターだった。写真家としてスターというより、メディアのなかでも、スターだった。まるで芸能界のようにキラキラしていた。
助手の間、沢渡さんと話したことはない。篠山さんは先生だったので、たくさん話した。
フリーになってから、スタジオで会っても、普通に挨拶するだけだった。撮影会の講師で何度か短い会話をした。
だから、きちんと会って話をするのは、初めてだった。少し、緊張した。
1時ぐらいにIと沢渡さんがやってきた。いろんな話をした。学生時代のこと、僕はまるで取材するみたいに、聞いた。大学時代はCanonのVT、(もしかしたらVL)を持っていた。35mmと135mm。同級生だった篠山さんはミノルタオートコードしかもっていなかった。カメラを貸すと、とても巧くて、すぐに自分のものにするのが早く、篠山さんは最初からものが違うと言った。・・・・・・などなど、結局5時過ぎまで飲んだ。僕は翌日10時におきて、打ち合わせがあったので、そこで帰ることに、他の皆はそこからゴールデン街にながれた。またこんど、話を聞こう。きちんと忘れないうちに何か書いておかないと。


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