田中長徳と12月4日(月)の夜トークショー
今日に限り、田中長徳氏のBLOGが、会員じゃなくてもう読める。というのは、彼が僕のことを書いてくれたからだ。12月4日、夜にトークセッションをするためでもある。
長徳氏というか、チョートクは、日芸のひとつ先輩だ。クラブの先輩、一ノ瀬泰造と同学年だ。ちなみに今日は、一ノ瀬泰造の暫定命日だ。
長徳氏と一ノ瀬はある意味正反対だ。都会育ちと、九州、佐賀のさらに田舎育ちだ。だから当然長徳は時代の先端のコンポラ写真にはしり、一ノ瀬は地道にも、そして革命的にも、戦争写真に走った。実はあの時代そのどちらもが、写真のメインストリートではなかった。なにしろその前に走る、スター写真家の時代だったのだ。今はその話ではない。
僕は大学時代ひとつ上の長徳氏を知らなかった。名前ぐらいは聞いたことはあっても、会ったことはなかった。サークルや、その後の学園紛争で、1968年の5月から1969年の5月まで、大学は封鎖されていたので、会う機会もなかったのだろ。だからニコンサロンで最年少写真展をしたことも知らなかった。
知ったのは卒業して、僕は就職さきが決まらず、日本デザインセンター(NDC)の暗室のバイトをしているときだった。長徳は、NDCに前年入ったまだ新人のカメラマンだった。彼がどのくらい商業写真家として役にたったかは分らないが、回りから長徳がどのくらいすごいのかをそのとき教えられた。いくつかの彼の写真を雑誌でみて、ちょっと驚愕した。が少し無視した。なにしろ、たった一つしか違わないのに、「デキル」っていう雰囲気があったからだ。昼休みなど一緒のとき、いつもカメラを持ち、ふとシャッターを切っている。僕はあんまりカメラの種類に興味がないので、そのときのカメラがなんだったか忘れたが、当然レンジファインダーだった。その撮り方がかっこよく、この人は商業写真家じゃないんだと思った。
その後、昔のことでよく覚えていないが、長徳の結婚式に出席した。目白のカテドラルだった。2次会をしたが、僕は長徳やその友達の写真を撮りまくっていた。撮った写真を、ミニ写真集にして、あげようと思って作ったが、そのままになってしまい、いつのまに紛失した。実はそのときの写真を一枚も彼に見せていない。今回写真展のために昔のコンタクトプリントを見ていたら、あった、あった。でもそこからプリントすることはなかった。長徳はコンポラ写真の旗手だ。最近出版した、1966-2006という写真集があるが、断然、ほれぼれとするぐらい、昔の、青年、田中長徳の写真は色っぽい。長徳はセンターをやめて、クラッシクの歌手である奥さんについてウイーンに行った。ある日8x10で撮ったニューヨークの写真の、等倍(8x10)のポストカードをもらった。誰にもらったのかは、忘れた。イメージサークルがたりず周辺が黒く丸く落ちていて、めちゃめちゃかっこよかった。なんておしゃれな写真家なんだと思った。そこまで確実、長徳はアーティストだった。もちろん今でも彼は写真家なのだが、写真機家としてあまりに有名になりすぎたことは、ちょっと不幸だなと思った。彼は天才なのだ。だから、もっとももっと撮って欲しいし、もっともっと昔のように、風を切るように、スナップしてほしいなと思っている。などと自分のことを棚にあげて、書いたが、実は、僕は長徳氏と飲んだことも、飯をくったことも、長く話したこともない。ついこのあいだGRDのカレンダーの選者として、少しばかり断片的に話したが、それがいままでの最長だ。僕は昔から長徳を尊敬しているし、もちろんその才能をだけど、こうやってなんだか同じ土俵に僕達があがるのが、とてもうれしい。
12月4日(月) 7-8時にトークショー)その後もだらだらと、どこかで。・・・
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