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28 posts from December 2006

2006.12.31

写真のトリミングとフレーミングとCReCo

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29Dec.2006 Tomigaya Tokyo Japan GRDigital BW Mode Jpeg CReCo

写真を見ていて、なんだか気持ちが悪い。下の写真だ。飲みすぎで気分が悪いわけじゃない。自分が撮った写真、それを昨日UPした。GRDで撮られたその写真、オリジナルからトリミングをしている。理由は、GRDをモノクロでとる場合、通常は2:3のアスペクトに最初から設定していることが普通だからだ。カラーは通常のアスペクト比。ただこの日は、カラーとモノクロ混在していたために、2:3になっていなかった。だからCReCoするときに、2:3にトリミングした。ところが、単純に等分に天地を切ると、足が切れてしまうことになる。なので、下を基準に天(空)の部分だけトリミングして、35mmアスペクトにしてみた。ただ最初から2:3で撮っていれば絶対に足元までバランスよくフレーミングしているはずだ。
GRDは、28mm相当のワイドレンズだから、いってみれば画面の周辺、この写真でも足元はレンズのディストーションで伸びている。
ワイドレンズの構図は微妙でレンズの周辺の歪みが、全体の印象に影響する。(その点、望遠レンズはトリミングをしても丈夫だ。パースペクティブがあまりないからだろう。
この場合天だけを切ったことにより、左側のタクシーの存在と、その背後にある電信柱が、奇妙に主張はじめ、全体のバランスを崩してしまった。ならばと、左側をトリミングしてみた。主題からはずれて邪魔だと思ったからだ。でも2:3の写真を単純にトリミングしたのではなく、オリジナルの写真から左部分だけをトリミングしてみた。
僕は基本的に、撮影後トリミングはほとんどしない。もちろん印刷原稿としては、デザイナーにトリミングされることは覚悟している。特に、商業的な写真(広告でも雑誌でも)の場合は、かなり大胆にトリミングされていも気にしないことが多い。まあ、それでも若いときには、トリミングされることに敏感で、デザイナーとしょっちゅう衝突した。が、今は、文字が入ったりして、それで商業的な作品として成立するわけだから、気にならなくなった。ただ、写真だけを提示する場合は、ほとんどトリミングすることはない。撮影のときに、どんなアスペクト比、そしてフレーミングするかは、最初から考えているのが普通だ。もちろんそんな作業は直感だが。
ところが、邪魔だからと、単純に左を切っただけでは、やはりバランスが悪い。パースペクティブが狂っている。たしかに、コートのリボン(ベルト)がこの写真の主題だとすると、明確にはなった。しかし明確すぎて、かえってつまらなくなっている。この場所で偶然見つけた感じが失われているだ。
このあたりが、トリミングの一番難しいところだ。左を切るならば右も切ったほうがよい。撮影でありえるフレーミングのほうが、自然だ。それは、長くワイドレンズを使っていると、自然に身につくワイドの世界なのだ。
僕はワイドレンズが好きだから、なんとなく、ありえないワイドの世界に違和感を感じたんだと思う。
下が、オリジナルの写真だ。他の写真は見ればわかるとおりCReCoして、濃淡の調整をしている。オリジナルのこのなんにもしていない写真のよさもあるが、僕はあまり、クリアーなものより、ちょっと汚れた絵がすきなので、大幅に原画を破壊することになる。トリミングには敏感でも、暗室作業、デジタルだったら明室作業、僕のことばでいえばCReCoだが、いかに現実を、異化するか、いってみれば新品の枕より、使い込んだ枕が寝心地がいいのに似ている。銀塩モノクロプリントも、好きなように焼く。だからデジタルも同じ考えだ。
それで、結論としては、オリジナルのフレーミングそのままを、CReCoすることにした。一番上の写真だ。
不思議なことにオリジナルは、左側のタクシーも、電信柱も、必然で、さして気にならないし、この写真の空間に深みを与えている。タブローではなく、現実にあったことの、引用が強調されている。めでたしめでたしなのである。と、このように、写真家にとって、世界をどのように切り取るか、そしてレンズを通した世界は、現実とどんなかかわりがあるのか、そのかかわりこそが、絵画と根本的に違うものだと思っている。絵で描けるものを、わざわざ写真に撮る必要なんてないのだ。デジタル時代になり、広告は、ほとんど、合成写真だ。映画を見ても、CGばかりである。その気持ち悪さは、きっと映像世界の持っている、「現実世界」といかに向かい合っているかが、欠如している退屈さなんだと思う。
結論としては、オリジナルの写真をCReCoした写真が、やはり一番よかったということになった。
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横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

写真集詳細
★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー

横木安良夫HomePage

アマゾンにて購入できます。
天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
Tyctokuso1000_1
BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。

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2006.12.30

RICOH GRD BW Photographs

RICOH GRDigital BW JPEG Photographs by ALAO YOKOGI
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昨日は、仕事納め。NikonD40のために、富ヶ谷でAYANOを撮影。クリアーな冬の日差しがさまざまな影をつくる。モノクロ撮影の最高の季節。でも強風でモデルのAYANOは、寒そうだった。でも、こんなふうに過酷な(モデルにとって)時は、さまざまな偶然がやってくる。「さあ、コートを脱いで」といった瞬間。コートのリボンが舞った。AYANOは風邪をひいているという。だからあまり長時間の撮影はできなかったが、D40で撮ったカラーも気に入った写真が撮れた。
29 DEC 2006 Tomigaya Tokyo GRD *CReCo

Shibuyastation2006nov
21 NOV 2006 Shibuya CReCo

GRD BLOG GRist 1 GRDについて、GRブログで横木が語っています。

以前「感度」について、私見を書いたPageがあります。

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横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

写真集詳細
★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー

横木安良夫HomePage

アマゾンにて購入できます。
天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
Tyctokuso1000_1
BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。

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写真集のなかの有名人

写真集「あの日の彼、あの日の彼女」のなかには、何人かの有名人が写っている。前回のBlogでは、重信房子を紹介した。1968年9月12日のデモの最中、まだ無名時代の重信だ。さて、下の写真は、一ノ瀬泰造だ。一ノ瀬さんは、僕の大学のサークルのひとつ先輩。このときは、僕は18歳、一ノ瀬は19歳だと思う。学園祭のときのスナップだろう。なぜ学生服を着ているかといえば、このころの学生は、ちょっとしたイベントのときには洒落のつもりで、着てきたりしたものだ。入学式のときには、皆学生服だったような気がする。ぼくもジャケットを持っていなかった。1968年の学園紛争後は、体育会系の部員以外は学生服を着ることはなくなった。一ノ瀬は今は有名人だけれども、1999年の拙著「サイゴンの昼下がり」にかいた時は、ほんとに無名だった。その直後、映画「地雷を踏んだらさようなら」以降、ヒーローのようになっていった。この写真、19歳の一ノ瀬は、彼の本にでてくる、精悍なイメージはない。でも、18歳の僕にとっては、大人びて見え、少し怖かった。
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1975年僕は、独立する直前、青山にあったビルの6階の一室を、下にあった現像屋さんのはからいで、格安で借りることができた。そのビルは後にウエンディーズがはいり、隣にガソリンスタンド、そして24時間スパー「ユアーズ」があった。僕の世代は青山「ユアーズ」は鮮明に記憶されていると思う。まるでアメリカのスパーのように、そこには輸入食料品があふれていた。なにより、夜中、ユアーズのドーナッツを食べたことを覚えている。この写真は僕の部屋から眺めた、青山通りとガソリンスタンドだ。有名人が車から降りてくるところを、皆が歓喜しながら見つめている。彼は車道にでようとして、学生達の列の長さに阻まれ、そして彼等のまなざしに照れてしまったのか、車から逃げ出すところだ。この写真を撮ったときは、誰だかわからなかった。これは昨年プリントしているときに気がついたのだが、たぶんダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童だろう。僕はダウンタウン(今では違うおわらいの名だ)をその年の冬に撮っているが、この人物が宇崎だというこはずっと気がつかなかった。
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就職が決まらず、というかまったく就職することなんて考えいなくて、写真ばかり撮っていた。このころは車ばかりを撮っていたような気がする。僕の今回の写真集にも多くの車がでてくるが、時代は車を誰でも手に入れられる可能性が、はじまったときだったので、なによりも皆、女性までもが車に興味があった時代だ。だからたくさん車が写っているのは、僕の個人的趣味と言うより、時代の気分だったのだと思う。
この写真は表参道、モリハナエビルのしたあたり、今でもあるが、ポールスミスだったろうか、そこはかつてBIGIが入っていた。石組みの壁、その前に止まっているメルセデス。雨のが降っているのだろうか、すいてきてがついている。僕はたぶん対向車道に車でとまり、まるで張り込みカメラマンのように車から撮っている。雨が降っていたからか、車からおりないで、不精して撮ったのだと思う。と、突然なかから長髪の男がでてきた。BIGIのデザイナー菊池武夫だ。彼はショーケン(萩原健一)の「傷だらけ天使」なんかの衣装を担当した時代の寵児でもあった。
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1972年、僕はガールフレンドの音楽仲間だった、A,Yと会った。これは新宿ルイードでのライブ後の記念写真だ。ぼけていて、(被写体ブレだろう)わかりずらいが、一番右にいるのが、A.Yだ。このころは彼女はこんな格好をしていた。LPを一枚発表し、ライブ活動をしていた。まだほとんど無名だ。この数年後、彼女はスーパースターになる。
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横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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写真集詳細
★2006年12月15日発売
 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

横木安良夫HomePage

アマゾンにて購入できます。
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天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
Tyctokuso1000_1
BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。

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2006.12.27

日本赤軍 重信房子 1968・9.12

ある人に、僕の写真集「あの日の彼、あの日の彼女」の112ページ、手前に写っている女性は、日本赤軍の重信房子だよと指摘された。はたして本当だろうか。この写真は1968年9月12日(写真集では、9月30日になっているが、間違い)駿河台で撮ったものだ。僕の写真はあまり美人に撮れていない。僕は奥にいるかわいい子に惹かれている。やはり女性は綺麗に撮らなくては、まだこのころはそんな意識がなかったのかな。・・・女性闘士として美人の誉れ高い、重森房子だが、本人にあったことがあるという前述の人がいうのだからまちがいないだろう。たしかに僕がみたことのある写真では、髪の毛の生え際の感じはそっくりだ。そしてなにより、社学同BUNDであることは事実だ。
1945年9月3日生まれだから、このとき23歳。彼女は代官山にある第一商業から、就職し、同時に明大文学部2部で学んだ。ずいぶんまえ、あるモデルを撮ったとき、その子が第一商業出身で、「私の学校の唯一のヒーローは、重信房子だ」と言っていた。
重信は明大で学生運動に目覚める。つづき112shibenobu

横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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写真集詳細
★2006年12月15日発売
 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

横木安良夫HomePage

アマゾンにて購入できます。
天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
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BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。

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横木安良夫写真集

横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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写真集詳細
★2006年12月15日発売
 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

横木安良夫HomePage

アマゾンにて購入できます。
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天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
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BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。

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2006.12.23

12月22日 朝5時まで飲んだ。

12月22日-23日am5:00
Dtohayano
CReCo
11時に東京タワー周辺でロケハン。その後、D40のためのテスト撮影。といいながら、ここで紹介する写真はすべてGRDで撮っている。D40の写真は仕事なので。
AYANOは、金曜日しか写真が撮れない。朝ぱらぱらと雨が降っていたのと、天気が悪いので、軽く撮ることにする。山手通りは今工事中だ。僕は工事中の場所で撮るのが大好きだ。とくに、こんなふうに背が高くモデルのような(かつて彼女はモデルだった)子に、似合う。メークはゴクナチュラル。ただあるいてもらうだけ。
Ayano002
ノーファインダーで撮影。僕はポートレイトのときも、ノーファインダーを多用する。もっともGRDにファインダーはない。モニターも見ずに撮る。その微妙なフレーミングが好きだ。美しく撮るばかりが写真じゃないけど、こうやって顔を見たことのない人は、どんな風に本人を想像するのだろる。前回は、足だけ、上の写真は後姿。そしてちょっとへんな顔。写真はこうやって断片的に一人の人間を表現する。そこにある情報で見る側は、その全体を想像する。もしこの写真が、あたりまえのポートレイトのように、彼女を美しく撮ると、単純にこのこはキレイなこなんだと、思ってくれる。そういう意味で、その子がどういう子は、撮る側にゆだねられている。そのゆだねられた部分が、カメラマンの責任であり、自意識なんだと思う。

Ayano003

Ayano004800
GRDigitala ISO 100 モノクロモード


夕方撮影を終え、artphotosaiteブリッツにゆき、名古屋で開催する写真展で販売する特装版写真集のサインをする。その後8時半に、HARUKIと恵比寿で待ち合わせ。その後、K社の、若い編集者3人と池袋のすし屋で待ち合わせ。予約してあったらよかったけれど、店は満員。激食。

Nekome1222
バーのママ。後ろにある猫のモノクロ写真は、沖縄で撮ったぼくの写真。
Nekonaha


その後、新宿医大どおりにある、バーに全員で行く。11時半。そこで小説家の矢作俊彦と会う。短い打ち合わせ。単に、やる?やらない?の話。彼は先に帰る。
僕達は、満員のバーで2時ぐらいまでのみ散会しようと、店をでてタクシーをひろおうと思ったが、新宿の街からタクシーが消えていた。今年一番のタクシーの刈りいれ時。道路には立ちんぼうのように、タクシーを拾う客があちこちで待っている。あきらめ、ゴールデン街に行く。こどじにあかりがあるので、階段にあがり、閉めようとしていたママに写真集を渡す。
その後近くのバーに5時ちかくまでいて、散会。
なのにK社の連中(平均年齢25歳、男2人、女1)3人はラーメンを食いにいった。若いってすごい。
Goldengai1222
ゴールデン街のバーにて。

横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

アマゾンにて購入できます。
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ジュンク堂書店
ライブドアBooks
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天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
Tyctokuso1000_1
BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

2007年1月19日~3月3日まで、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で「Teach Your Children1967-1975}」あの日の彼、あの日の彼女展を開催します。


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2006.12.22

DtoH 地平線までの距離 B&W

Ricoh GRD Ayano を DtoHで撮る。
Dtohayano
CReCo


横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

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ジュンク堂書店
ライブドアBooks
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天地21x24.5cm 

横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
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BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。


●新聞紹介
★朝日新聞 東京版 2006年12月5日
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★Parcoでの写真展は、2006年12月1日~13日まで開催され終了しました。
次は、★名古屋オーチャードギャラリーにて、1月19日~3月3日まで同展は巡回開催されます。

日本カメラ12月号
Nihoncameranov2006_1

●書評
読売新聞 2006年12月10日 
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アサヒカメラ2007年1月号 角田光代
★アサヒカメラは、現在発売中です。そちらをご覧ください。
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2006.12.21

あの日の彼、あの日の彼女 渋谷川

渋谷川 1974-2006
Shiubyagawa

恵比寿ガーデンプレイスの近くで撮影を終え、六本木に向かう途中、道が込んでいて裏道に回った。すると突然もうれつな既視感におそわれた。正面角に花屋が見えた。美しい女将がいた。いや今はない。それは、デジャブじゃなかった。その道はかつて何十年も前に、ある時期毎日歩いた道だ。道が細いので車で通ることは、ほとんどなかったその道。ゆっくりと走りぬける。ああ、あの路地の先に僕はひとりで住んでいたんだなあと、あの頃のことをつぎつぎとおもだした。
それは1974年、著名な写真家のアシスタントをしているときのことだ。ガールフレンドがアメリカ留学してしまい、一緒に住んでいた東松原のアパートをでて、僕はしばらくの間、六本木にある事務所の機材室で寝泊りをしていた。そのころの給料でひとりで住むことが困難だったというわけではない。他のカメラマンのアシスタントたちも皆僕以上に薄給だったけれど、六本木や原宿に住んでいた。仕送りでなりたっていたわけでもないだろう。彼等は3畳一間という、月一万円もしないアパートに住んでいた。3畳間は、布団を敷いたらもう足の踏み場がなくなる。そういう覚悟だったら、どこでも住めるの。それまで僕は彼女と2万数千円のアパートにいたので、あまりに狭い部屋に住む気はなかった。なによりガールフレンドがいなくなり、仕事だけの毎日で、アパートの必要性を感じていなかったこともある。でも、事務所の機材室に寝泊りする生活は、ある種正常な生活ではなかった。ある日、かなしばりにあった。恐怖で体が硬直した。
僕はアパートを探した。できるだけ安い部屋。すると恵比寿西に、六畳一間、敷金1、礼金なし、共同トイレ、2階、東南、日当たり最高、という掘り出し物のアパートがあった。家賃は11,000円。格安だ。部屋を見たときは午前中だった。窓から光がさんさんと射しこんでいた。僕は気に入り、すぐにそこに決めた。生まれてはじめての、ひとりで暮らしだった。それまで僕は、ガールフレンドのところにもぐりこんでいたというわけだ。
契約してわずかな荷物を部屋に入れ、裸電球をつけたとき、窓がすべてすどうしガラスなことに気がついた。それまでなぜか気がつかなかった。その晩は、月明かりを感じながら寝た。翌朝アパートのある路地は子供達の歓声やおばさんたちの井戸端会議で騒がしかった。仕事を終えたその夜、トレシングペーパーとセロテープを調達して、すべての窓をクモリガラス状態にした。しみだらけで不気味だった天井は、たまたま撮影の小道具かなにかの残りで、事務所にあったキャンバスを持ち帰り覆った。
そのアパートは、まるでドラマのようだった。扉のとなりあった、西の部屋は暴走族みたいなリーゼントのカップルが同棲していた。バイクをとどろかせて夜中戻ると、毎晩のようにセックスをした。北側の男は、喘息持ちで、発作がおきると止まらない咳をした。朝起きると、一階にある共同便所には、老婆がいつも扉を少あけながらうずくまっていた。当然、和式、水洗じゃない。
僕は昼間、スターカメラマンだった師匠のもと、華やかな世界のはしくれにいた。それが夜中疲れて帰ってくると、そこは、日本の底辺の人間が住むj、空間だった。電話だけが、外とつながっていた。携帯電話もパソコンもない時代だ。僕はガールフレンドに手紙を書いた。1ケ月遅れのコミュニケーション。何か理由をつけて電話をした。国際電話がいまより何倍も、何十倍も高いときだ。目覚まし時計の秒針を見ながら電話をした。数ヶ月がたつと、気持ちが通い合わなくなり、二人無言の電話になった。あるとき、電話代が給料以上になったとき、ガールフレンドの母親が心配して、肩代わりしてくれた。・・・・。その後僕と彼女のエアメールはとだえとだえになった・・・・。
僕はそのアパートに1年間住んだ。限界だったこともあるが、そろそろアシスタントをやめてフリーのカメラマンになる準備のつもり、独立するため仕事場件住居を借りるための資金をためることにした。
結局、また事務所で寝泊りすることにした。
今日、僕は懐かしい裏通りに迂回しながら、かつて歩いた道、渋谷川にかかった橋をわった。瞬間、ぼくは急ブレーキを踏んだ。
ここだ。それは、今回の写真集のなかにある、増水した川を橋の上から撮った写真P57の写真の場所がここだとひらめいたからだ。
その写真のキャプションには、渋谷川、恵比寿、1974とある。実はたぶん渋谷川だとしても、本当のところどこだったかは失念していた。コンタクトプリントを見て、1974年ごろだとはわかっていたが、正確なデータではなかった。
二つの写真はアングルが違う。1974年の写真は俯角であり、今日の写真はほぼ水平、仰角だ。川の構造が違う。でもわずかに見える遠くのビルはどこか共通している。川が右に蛇行している。絶対にそうだと僕は確信した。ここだったんだ。そして僕は思い出す。あの頃のことをつぎつぎと。
そう、あの日僕は、彼女を、羽田に送った。事務所のマネージャーに、見送るので半日休ませて欲しいと頼んだのだった。前の日品川パシフィックホテルに泊まった。モノレールで羽田に行った。僕は彼女がノースウエストに乗り込んだ姿を思い出した。
いまは彼女はどこにいるんだろう。


横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

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ジュンク堂書店
ライブドアBooks
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横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

●特装版
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BlitzInternationalにて、ネット販売をしています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。


●新聞紹介
★朝日新聞 東京版 2006年12月5日
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★Parcoでの写真展は、2006年12月1日~13日まで開催され終了しました。
次は、★名古屋オーチャードギャラリーにて、1月19日~3月3日まで同展は巡回開催されます。

日本カメラ12月号
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読売新聞 2006年12月10日 
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アサヒカメラ2007年1月号 角田光代
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2006.12.20

写真集「あの日の彼、あの日の彼女」

横木安良夫写真集 「あの日の彼、あの日の彼女」
teach your children 1967-1975
文・角田光代

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★2006年12月15日発売 アスコム 定価税込み ¥3,990 
352ページ (写真324ページ) 大型本 モノクロダブルトーン ソフトカバー
 
アートディクレクション 原耕一 
デザイン 渡邊隆雄 七郎 (トラウト)

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ジュンク堂書店
ライブドアBooks
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横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代詳細

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★朝日新聞 東京版 2006年12月5日
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次は、★名古屋オーチャードギャラリーにて、1月19日~3月3日まで同展は巡回開催されます。

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Kobetegami

Kobe12
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2006.12.19

コダクロームの終焉と誕生

CM
Coverobiarinashi
横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代
写真集は、アマゾンで購入できます。
特装版写真集は、BlitzInternationで販売しています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。
●アサヒカメラ1月号に角田光代さんの書評が載っています。
●日本カメラ1月号に10ページ紹介されています。

本題

コダクローム64の国内販売終了した。そこでコダクローム関連の今までの記事をまとめた。リンクがかなりこわれています。

Sara011
セーラーロウエル 1978?コーセー化粧品 CanonF1 コダクローム64

●世界で最初のカラーフィルム、Kodachrome(コダクローム)は、ニューヨークで生まれた二人のプロの音楽家、レオポルド・マネス(Leopold Damrosch Mannes, 1899-1964)とレオポルド・ゴドフスキー(Leopold Godowsky, Jr. 1900-1983)によって発明された。マネスはピアニスト、ゴドフスキーはヴァイオリニストだ。二人は写真という共通の趣味を持っていた。彼らは学生時代からカラーフィルムに興味を持っていた。それに関する詳しいTextを、勝手にリンクしました。それに関連する、Site

以下いままでの記事。その1といった番号は重複しているものもあります。
コダクロームその1
コダクロームその2
コダクロームその3
コダクロームその4
発明秘話は、リンクが外れています。コチラ
真行寺君枝
コダクロームその5
コダクローム山口小夜子
小夜子の写真はここが綺麗 すべてコダクローム64 
。先日のトークショーで安珠が言っていた、小夜子が倒れる寸前の写真。
コダクロームその7ポールサイモン
セーラーローエル コーセー化粧品

コダクロームとベルビア
コダクロームまとめ
コダクロームとロバートキャパ
●デジタルとコダクロームその14


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2006.12.18

モノクロ日和の日 コダクローム

Coverobiarinashi
横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代
写真集は、アマゾンで購入できます。
特装版写真集は、BlitzInternationで販売しています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

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DEC.2006 Shimouma Setagaya Tokyo GRDigital ISO 64 JPEG

午後、外はモノクロ日和だった。晴天の冬は、日中でも影がながい。今日は風もなくさほど寒くもない。小春日和?僕は昔からこんな日には、カメラにモノクロを詰めて、家の周りを撮る。特別遠くに行く必要はない。ほんの散歩のつもりでぶらぶらあるく。街は光と影がおりなすグラデーションで、いつも見なれた風景をすっかり変えてしまう。今はデジタルカメラになって、冬のカラー写真の発色を心配することもないので、冬の街をカラーで撮ることも可能だ。でもやはりモノクロが綺麗だ。冬の日本が苦手だったらフィルムといえば、コダクロームだ。ポール・サイモンのヒット曲もある。あの深い、濃厚な発色は日本の冬にあまり向いていなかった。僕は冬の撮影は、かならずエクタクロープロフェッショナルを使った。ストロボを使えば、もちろんコダクロームでOKだが。自然光だけのときは、気が抜けたような発色になった。特に、冬の九十九里と相性が悪かった。コダクロームは、カリフォルにで撮るのが一番綺麗なんだろう。そういえば、そのころヨーロッパでも、コダクロームではなく、エクタクロームが主流だった。
そんな、コダクローム64が日本では販売終了になる。実は僕はもうずいぶんまえからコダクロームを使っていないのでさほど感傷的ではないが。それは1990年代、フジのベルビアが発売された頃が変わり目だ。それまで、コダクロームは、魔法のフィルムだった。35mmカラーフィルムといえば、コダクローム。それ以外のフィルムは、特殊だった。少なくとも僕は、そう思っていた。だから広告のB倍ポスターだって、コダクロームの写真が多かった。僕がやっていた、コーセー化粧品のポスターだって、コダクロームだった。120ブロニーフィルムより、ずっと印刷に向いていたのだ。ただ、そのころ東洋現像所、後にイマジカしか(わずかに堀内)とりあつかっておらず、しかも現像は常にノーマルだけ、なにより露出に一番気をつかうフィルムでもあった。コダクロームについていは、以前になんども、BLOGに書いている。それを読んでもらうとして、何しろコダクロームは、世界最初の実用カラーフィルムだった。それが永遠といままで行き続けていることじたいが、奇跡だ。ロバートキャパは、発売された数年後には、コダクロームを使用している。コダクロームは、耐久性にすぐれ、キャパの50年以上も前のフィルムが、近年発見され、その発色が少しもそこなわれていなかったことは、驚くべきことだった。キャパの最後のカラー写真も、コダクロームで撮られている。
Capalastshotcolor11_1
1954年5月25日 インドシンナ、現ベトナム、ハノイ南東、赤河デルタの町、ナムディンから、タイビンをすぎ、タンネ(現キエンスオン)の入り口付近、午後3時ごろ。キャパはこの最後の写真を撮影。直後前方の土手にのぼり、地雷を踏んで吹き飛ばされた。右手にはコンタックスが握られ、近くにニコンSがころがっていた。ある意味キャパは自分の死の場所を撮影している。Photo by Robert Capa (ロバート・キャパ最期の日より転載
このコダクロームは、コダクロームⅠで、感度はASA(ISO)10、もしくは12.
コダクロームは多くの傑作写真を生んだが、キャパの最後の写真は歴史にのこる一枚だろう。
僕がアシスタントの時代は、ISO25のコダクロームⅡの時代だった。いわゆるKⅡだ。KXという64のフィルムもあったが、ほとんどKⅡだった。KⅡの色の素晴らしさは、いまでも語り草だ。しかし、僕がフリーになるころ、KRこと、コダクローム64が主流になった。KMというコダクローム25は、乳剤が安定せずつかいずらかった。しかし、KⅡからくらべると、その発色は不満があった。そして90年代、僕はフジ、ベルビア、プロビアに完全にシフトする。今でも、銀塩フィルムは、プロビア、RDPⅢを使っている。たった一種類のフィルムでも、フィルターワーク、増減感によって、フィルムの発色、コントラスはずいぶんとかわる。
家の近くをモノクロスナップ
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GRD
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GRD
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2006.12.17

角田光代さん アサヒカメラ 日本カメラ

Coverobiarinashi

写真集は、アマゾンで購入できます。
特装版写真集は、BlitzInternationで販売しています。
写真集に載っている写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。


写真展の終盤、12月11日、角田光代さんとトークショーをしたことを書いていなかった。その印象を書くわけだが、そのまえに実はアサヒカメラ2007年1月号に、角田さんによる、僕の写真集にたいする、ブックレビューが載っている。角田さんは僕の写真集に素晴らしい短編を寄せているわけだから、ブックレビューとなると、少しおかしな感じもするが、彼女は写真集に寄稿したオリジナル短編小説をのぞいた、純粋に写真集の写真のみを抽出してレビューしてくれた。
いや、そんなちっぽけなことではない。これは彼女の書いた写真集のなかの短編と、アサヒカメラのレビューがきちんと呼応しているからだ。それはある意味、角田光代さんの文学に対する、距離感、その創造の源を垣間見ることができた不思議でもある。それは大反則技だった。なぜなら角田さんは、写真集のなかの短編について、僕の写真を語っているようでいて、実は彼女の文学論を語っているからだ。これはまるでゲームのようなものだけれど、ひとりの作家が、素材として、経験としてひとつの写真群を見て、彼女なりの物語を創造したひとつの、ケースなのだ。ひとにより僕の写真を見て、さまざまな物語ができるだろう。それは見る人、ひとり、ひとりが違う世界観を抱えているからだ。そのひとつの、ケースを角田光代さんが書いてくれたという奇跡だ。そしてこの写真集の序文ともいえる文が、アサヒカメラのレビューとなっている。
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彼女に僕の写真集に文章を載せることを依頼したのは、7月末だったろう。1967年から1975年という、昔の写真、俗に言えば団塊の世代の青春の写真に、単純に言えば同世代の作家、同じ時代に青春を過ごした作家に書いてもらうのが順当かもしれない。でも、僕は、それは拒否したかった。同じ時代であればあるほど、この写真に対する見方が、同世代というある種の誤解を増幅するかもしれない危惧があったからだ僕の写真を、この時代を同じように生きた作家に語って欲しくなかったのかもしれない。
それより僕は、違う世代、団塊ジュニアでもない、僕と一番ジェネレーション的に、そして価値観が違うかもしれないだろう作家に「序文」を書いてもらおうと思いついた。そこで今の作家をさまざまにリサーチして、そして薦められたのが、角田光代さんだった。彼女がアサヒカメラに登場していたものを読んでいたからすぐにピントきた。
僕はアサヒカメラの編集部にメールアドレスを教えてもらい、角田さんと親交のある作家にも、援護射撃をしてもらい、ラブレターというか、依頼のメールを送った。そして彼女が1967年3月生まれという、この写真集の始まりと同じ偶然に、運命を感じた。彼女の答えは、締め切りの時間が合えばとのことだった。
一ヶ月後、9月のはじめ、僕は高円寺にある、彼女指定の喫茶店で会った。通常作家の原稿の依頼は、編集者からくるものだ。僕のように、直接制作者からのオファーに戸惑い、断りきれなかったのが、本音かもしれない。僕は角田さんに写真集の構成をしてあるダミー本を見せた。324枚の仮の写真集になった写真一枚、一枚を、彼女は丁寧めくった。一言もはっせず、だまってめくった。僕も何も解説をくわえることなく、彼女がいちまいいちまいページをめくるのをだまってじっと見ていた。どのくらいかかったろうか。20分ぐらいだろうか。僕達は無言のまま向かいあっていた。そして彼女はページを閉じ言った。「感想を書けばいいんですか?」
僕は彼女に会うまで、序文を書いてもらうつもりだったからだ、そうメールでお願いしていた。その瞬間僕はあらぬことを口にだしていた。「えー、感想ではなく、この写真を見て、感じたことをフィクションにしてください。10枚ぐらいで・・・」角田さんはそのことに、明確な返事をしてくれたわけじゃないが、「自由に書いてください」と僕がたたみかけると、「わかりました」と言ったような気がした。「いつまでに?」「一月ぐらいだから」僕はなるべく早くかいてもらいたかったが、できらば9月中と思ったがそれは言えず、10月10日ぐらいまでに、というと、わかりました、と言ってくれた。僕は調子にのり、角田さんのメールアドレスを教えてくれた、書評担当者が、角田さんにその写真集の書評を書いてもらえるかなと、冗談のように言っていたことを思い出し、それとアサヒカメラの書評もお願いできますか、と聞くと、やはり締め切りがあえばというとこで、仮OKをもらうことができた。それは後日、編集部からということで・・・。
なんだか、厚顔無恥、ずうずうしく角田さんにいろいろお願いし、きっと彼女を待っている編集者たちが知ったら、むかつく展開だと思った。そして、一月後いや、9月28日に予定より早く、角田さんの原稿はあがり、僕は歓喜し、タイトルまでいただいてしまった。それもこれも、角田さんの心の広さ、作家として自信がなせるわざだろう
12月11日(月)、トークショーの日、彼女と会うのはだから2度目だった。彼女は約束の時間6時ちょうどにギャラリーにふわりと訪れた。ちょっと風邪ぎみだという。でも時間に正確な人だと思った。そういう女性が僕は好きだ。彼女は白いニットの帽子をかぶり、白いブイネックのニットのセーターを着ていた。その後、この日司会をしてくれる、タカザワ氏と打ち合わせで、同じフロアーにあるバーに向かった。その時間、そこは酒がメインだ。僕たちはベルギービールで乾杯した。角田さんもとても自然にビール飲むとおっしゃたからだ。
打ち合わせといっても、簡単な段取りで、さして話すこともなかった。いやたくさんあったが、ここで話すと、会場でまた同じことを話すことになるので、さしさわりのない会話に終始することにした。タカザワさんは、角田さんのご主人の伊藤たかみさんには、二度インタビューをしている、と言った。途中、角田さんの知り合いの編集者、ぼくにとっても古くから付き合いのあるS学館の、I編集者が乱入した。そして、僕の写真集に寄せた、角田さんの短編を絶賛した。ともすれば、古くなってしまう昔の写真を角田さんの、現在形で書かれた文章が、写真を現代のものにした、と・・・・・。
時間通り、6時半からトークは始まった。やはり狭い会場は満員になった。ここで少し僕には誤算があった。なぜならば、これまで写真家とのトークでは、司会者がいなかったので、僕は相手に話をなんどもふっていた。相手の話を聞くことが目的でもあった。皆、写真家は良くしゃべる。それが、タカザワ君がいることで、つい安心して、僕は彼女に用意していた質問を忘れてしまった。
Kakutayokotakaz
photo by Hyoryusya
それは角田さんの、ノッテル人のオーラで、少し緊張していたからだろうか。かえって、彼女に質問にあった。上の空だったのだろうか、今それがなんだったのか、忘れたが、テープに取っているので、そのうち思い出すだろう。僕は彼女と出会ってから、彼女の小説をいくつも読んだ。そんな文学的なことをこのとき話す時間もなかったが、角田さんと話していてい、僕と角田さんは、もしかしたら写真にたいする考え方がかなり違っているかなと思った。そんなことは当然で、僕が彼女の書くもの、小説にたいする思いが同じわけはないのだからそれでいいのだが、・・・・・なんて、書きながら、角田さんはあんまりおしゃべりじゃないけど、言葉が重いと思った。一点、おもしろかったのは、タカザワさんが、角田さんの小説が映像的だといううんぬんに対して、自分の小説が、映像的であるとかどうかなんて、さして意味がないと、言った。それは生まれたときから映像に囲まれ田世代にとって、映像を浮かべながら書くことは、特別なことではなく、映像的であるとは、決してほめ言葉ではないと、ちょっと強く主張したときに、彼女の、気の強さ、一本気、プロ根性を知った気がした。
Kakutayokogi

トークが終わると、くだんのS学館のI氏が、帰りぎわ「横木さんしゃべりすぎ」と言った。うーん。確かに角田さんは、あんまりおしゃべりじゃない。家に帰ってから、彼女にメールで僕がしゃべりすぎたことをわびたら、とても楽しかったとおしゃってくれて、少し救われた。・・・・なんてことより、やはり彼女が、寄せてくれた短編と、そしてアサヒカメラのレビューは、ニュースだと思う。ひとつの写真世界にたいして、作家が二つのアプローチをしたなんて、前代未聞だからだ。

●それと、それと、日本カメラ1月号に、「あの日の彼、あの日の彼女」から10枚、グラビアが組まれています。ちょっと写真のチョイスが違うバーション。ちょっと印刷がヘビーだったかな。粒子も荒れ気味で。それはそれでよい感じだけれど。写真は、調子や構成、セレクトで全然かわってしまうという良い例かもしれない。そいいえば、週刊ポストに載った写真も、ドキュメンタリーぽくヘビーだった。

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2006.12.15

GIRLS IN MOTION

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スーパーアンギュロン65mmF8  リンホフテヒニカ4X5 RDP2 大塚駅前

渋谷パルコでの写真展が終わり、次は名古屋、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で1月17日から3月3日まで「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」の巡回展を開催する。そのあとも、他でも開催する予定がある。
ところで、今回は1967年から1975年までのモノクロ写真だけで本を作ったが、実は最初この企画はは2006年までを考えていた。それはプロになってもずっと撮り続けている、僕が企画し発表したエディトリアルページも含まれる。例えば、2000年から2003年にかけて、連載したクルマ雑誌、NAVIのガールズインモーションだ。これはすべてがカラーだ。撮り方はどうみても、今回の写真展とは違うように見えるが、実は撮り方のスタンスはあまり変わっていない。モデルを僕が決め、そして場所を決める。撮影の指示はたいていただ立っているか、座っているか、もしくはしゃがんでいるかだ。決してポーズをつけているわけじゃない。機械的にカメラを見て、カメラを見ないで。遠くを見て、ぐらいの指示だ。それでも、それぞれのモデルになったひとは(皆素人)は、おもいのままのポーズをつける。僕はそれをただ撮っているだけだ。それはポーズではなく、そおんひとのたたずまいだ。僕はそのひとが元来持っている、いつもの動きのなかから発見するだけなのだ。
次作る写真集はこうやって撮った、男女、友達、風景を一緒くたにしてみたいと思っている。
タイトルは、「あの日の彼、あの日の彼女 1975-2007」かな。写真はきっとこんかいのように余白はあまりつくらず、、モノクロカラーが混在した、立ち落としになるだろう。もっともこれを整理するのはまだまだ時間がかかるかもしれない。でも再来年2008年にはだしたいな。

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2006.12.14

写真展終了

横木安良夫写真展「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」ParcoPart1B1ロゴスギャラリーが13日終了しました。ご来場のかたがた、写真集やオリジナルプリントを購入してくださったかた、ありがとうございます。
次は、名古屋にある、オーチャード・ギャラリー・アート・フォト・サイト・名古屋で、来年1月17日より、3月3日まで開催します。
★写真集についての書評、や紹介の記事です。
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1971年千葉県市川市 京成バス 里見公園入り口、国立国府台病院前
僕は、千葉県市川市の国立国府台(こうのだい)病院で生まれた。家はここから数分のところにあった。このバス路線は国鉄(JR)市川駅と松戸駅を結んでいた。かつては住宅街が多く、この路線は朝になると三菱の大型バスが数珠つなぎになった。なにしろ、京成国府台駅の踏切が立体ではなく(この写真のころには、立体になっていたかな)開かずの踏み切りで、昼間だったら市川駅までバスで10分足らずなのに、朝のラッシュは渋滞でいつも30分みてないといけなかった。白タクが3,4人を同乗させ裏道を走った。僕もずいぶんと利用した。きっとずいぶん儲けたろう。この場所は、里見八犬でもゆうめいな、里見公園の入り口でもある。桜の季節には、公園までの約300m、そして江戸川まで満開のアーケードになった。
AsahiPentaxSP 105mm トライX

写真集は、アマゾンで購入できます。
特装版写真集は、BlitzInternationで販売しています。
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2006.12.13

写真展最終日、pm5時まで。

ついに、写真展は今日12月13日が最終日。午後5時でおしまい。
トラックバックと、記事に関係するものがありました。ありがとう。
ひとつは、僕の銀塩(シルバー)プリント購入の話ののったBLOG YOKOHAMA SCAPE。
もうひとつは、横田基地のある福生のBLOG「限りなく透明に近い福生}です。
写真展プリントについて
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1967 FUSSA YOKOTA TOKYO ASAHIPENTAX SP

昭和四十二年、一九六七年の春、僕は大学に入り写真をはじめた。十八歳になったばかりだった。最初のカメラは一眼レフのアサヒペンタックスSPだ。すぐにフィルムをつめて家のまわりを撮る。その数日後、友達の暗室で現像、プリントした。モノクロームのプリントにすると今まで目で見ていたものと違う世界がそこには存在していた。
そのうち僕は、家族や身の周りばかりではなく、それまで知らなかった場所にも行くようになる。カメラを持っていると、なぜか勇気がわき行動的になった。  
例えばその冬、東京福生にある横田基地にも行った。横田基地には、フェンスの外、ぐるりと回りに、下級兵士たちの家族が居住するハウスが広がっていた。日本の住宅のように塀をめぐらせ、軒を重ねて建っているのではなく、テレビで見たアメリカの住宅街のように、ゆったりとした敷地に、番号のついた小さな白いペンキの平屋のハウスが並んでいる。今見ると質素だけれど、当時の僕の目にはとてもオシャレに見えた。なにより子供たちが遊んでいる玩具が大きく、それは豊かなアメリカの象徴だ。
その頃横田基地は、ベトナム戦争がドロ沼となり、重苦しい雰囲気につつまれていた。アメリカ国内でも反戦の気運がたかまり、兵士たちも国のために戦うことに疑念を持った時期でもある。それにもかかわらずハウスの周りで遊ぶ子供たちはむじゃきだった。
でもその瞬間、彼等の父親が戦場に行き生死を分けている時、目の前の彼等や家族が父親の無事な生還を願いながら、いつも心に不安を抱えているといった想像力が僕には欠けていた。ニュースでぺトナム戦争の報道は連日あったのに、それは平和ぼけしたぼくにはからきし他人ごとだったのだ。こんなふうに、戦場に直接つながっている場所に来ても、少しも気づかなかった。僕は表面的なあこがれのアメリカが目の前に存在していることに有頂天だった。
だから僕は何も見ていなかった。
その翌年、世界中にスチューデントパワーの嵐が吹き荒れた。僕は学生運動に短い間かかわり街頭にでてベトナム戦争反対を叫んだ。
その後、僕はさまざまなものを撮った。デモや街のスナップや友達や、知らない人にも声をかけた。カメラを持つことによって、多くのことを見て、知った。
そして想像する。
あの冬の日に出会った子供たち、「彼」、「彼女」は、今何をしているのだろう。


写真展告知
写真集について 
特装版をNetで購入希望の方
Amazonで購入できます。
★そろそろ、納品される予定です。
写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

おまけ GRist 初回は僕です。 http://blog.ricoh.co.jp/GR/archives/2006/11/grist_1.html

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2006.12.12

写真展あと2日 横木安良夫

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1971 YOKOTA FUSSA TOKYO
この写真は、1970年の12月から71年の1月の間に撮った写真だ。僕はたびたび横田基地に訪れている。一番最初が1967年の冬。そのころは、まだアメリカ兵家族が多く、ハウスに住んでいて、子供達がむじゃきにあそんでいた。1970年ごろになると、ずいぶんと子供達はへってしまった。クルマは、トヨタパブリカベースで作られた、超軽量スポーツカー、トヨタスポーツ800。たった800ccしかないエンジン、通称ヨタハチと呼んでいた。未来的なくるまだった。

この写真はデジタルアーカイバルプリント及びシルバープリント(ニュープリント)の2種類のプリントがあります。それぞれ、販売しています。
★シルバープリント(11x14inch)は額別で、¥52.500
デジタルアーカイバルプリントは、A3ノビで、額込みで¥18、900です。
プリントは会期中(明日13日5時まで)ギャラリーで販売していますが、それからは、ブリッツインターナショナルで扱っています。
オリジナルプリントについて書いてあります。


以下の日時に在廊しています。写真集お買い上げのかたには、サインをします。
●12月12日(火)pm4-8
●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   

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2006.12.11

本日、pm6時半、角田光代さんx横木安良夫トークショー

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本日、12月11日、午後6時半より7時半まで、直木賞作家の角田光代さんと、私、横木安良夫のトークショーがあります。
場所は、渋谷パルコ、Part1 B1 ロゴスギャラリーです。
司会は、角田さんの早稲田文1、ひとつ後輩の、写真編集者、タカザワケンジ氏です。
今回僕の、写真集に角田さんが、ショートストーリーを寄せてくれました。ファンは必読です。
そんな縁で、というより、僕が無理やり角田さんにお願いしたのですが、そして快諾してくれた結果なのですが、またまた、こんなトークショウーまでできることになり、光栄でもあり、楽しみでもあります。
タイトルの、「あの日の彼、あの日の彼女」は、角田さんが書いた、短編のタイトルで、それを僕は、づうづうしくもいただいてしまったのです。僕の324枚の写真を見た後に、角田さんの短編を読むと、じんときます。
さて、そんな写真集をお買い上げの方に、優先的にトークショーの席の整理券を発行しますが、お買いもとめではないかたも、参加することは可能だと思います。是非お誘い合わせのうえ、ご来場ください。
漂流者さんのレポート198photo
1967年福生 東京

以下の日時に在廊しています。写真集お買い上げのかたには、サインをします。
●12月11日(月)pm4-8
●12月12日(火)pm4-8
●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   

写真展告知
写真集について 
特装版をNetで購入希望の方
Amazonで購入できます。
★そろそろ、納品される予定です。
写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。

おまけ GRist 初回は僕です。 http://blog.ricoh.co.jp/GR/archives/2006/11/grist_1.html

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2006.12.10

読売新聞に載ってます

198photo
1967年福生 東京

★12月10日(日)の読売新聞朝刊に、写真集の紹介が載っています。

以下の日時に在廊しています。写真集お買い上げのかたには、サインをします。
●12月10日(日)am12-pm8
●12月11日(月)pm4-9、
●12月12日(火)pm4-8
●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   

写真展告知
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安珠トークショーの印象

12月10日(日)の読売新聞朝刊に、写真集の紹介が載っています。

以下の日時に在廊しています。写真集お買い上げのかたには、サインをします。
●12月10日(日)am12-pm8
●12月11日(月)pm4-9、
●12月12日(火)pm4-8
●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   

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★そろそろ、納品される予定です。
写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。


Anjushow
今日の安珠さんは、もう20年以上も前、彼女が19歳の売れっ子モデルだったころからの知り合いだ。最初に撮影した日のことも覚えている。誇張ではなく当時のNO.1モデルだった。その後パリに渡り、5年ほど向こうで仕事をして、写真家になった。帰ってからは写真集をいくつもつくり、写真展をなんどもやった。話もうまく、講演にもひっ久しぶりに安珠と話した。若いとき、モデルだったときは、けっこう気取っていたけれど、写真家になり、もうすっかり写真家で、機関銃のようにしゃべり、とても楽しいトークだった。僕の撮影エピソードを披露してくれて、披露され、ちょっと恥ずかしかったかな。なわけないか。最後に彼女の閉めのことばがとてもよかった。
この写真のいくつかを、知り合った頃見て、でもそれは知り合いじゃなくちゃ見ることができず、皆に見てもらいなってそのとき思っていたけど、それがこうやって今形になってすごくうれしい。てなことを言っていた。ぱりだこだ。最近はNHKにもコメンテーターとして登場する。
12月9日(土)は、あいにくの雨。皆傘を持ってやってきた。田中長徳氏のときには、彼の機転で録音したが、藤代氏、ハービー氏、とも忘れ、安珠さんのときには、GRDで録音しようと思ったがそれも忘れた。もったいない。僕は、写真家達のことばが好きだ。面白い。それは彼等が、観念や想像だけでもはなさないこと。例え観念的な、あまりに物語的な話だったとしても、それには、絶対の現実がついてまわっているし、実際写真家は、具体的な自分で見たもの、経験したものからでしか話すことはない。もちろん誇張や、受けネライがあっても、そこにはどこかきちんとした、体験がくっついている。
トークショーの内容は、漂流者さんのレポートで。
夕方近くにDaccoさんが来た。Dacco
そしてAyuちゃんも。Ayu1209

トークショーの後は、安珠は忙しそうに帰り、10名ぐらい残って、Pacoの上にあるベトナム料理屋で酒を飲んだ。僕は前日5時ぐらいまで飲んで、睡眠不足だったのでへろへろになり、帰り、すぐに寝た。

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2006.12.09

4種類の写真のある、写真展

198photo_1

★本日12月9日(土)pm6時半~7時半まで、安珠VS横木安良夫のトークショーがあります。
写真集お買い上げの方は、優先的に座れますが、そうでないかたも参加できます。どうぞお誘いあわせのうえご参加ください。

写真展告知
写真集について 
特装版をNetで購入希望の方
Amazonで購入できます。
★そろそろ、納品される予定です。
写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。
●12月9日(土) pm1-9、●12月10日(日)am11-pm8 ●12月11日(月)pm4-9、●12月12日(火)pm4-8●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   この時間帯に、横木安良夫は、在廊しています。気軽に声をかけてください。


● 今回の写真展は、写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」お披露目の意味が強いけれど、写真展としてはユニークなコンセプトの展示になっています。それは三種類のオリジナルプリントが展示されているということです。
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★ひとつめは、ビンテージプリントです。写真展会場に入ってすぐ額装された、8x10の印画紙にプリントしたビンテージプリントです。ビンテージプリントとは1980年以前のいわゆるバラ板印画紙以前のプリントで、アーカイバル処理を考えていない時代の作者自身のプリントを指します。アーカイバル処理をされていないとはいえ、適切な現像、定着、水洗、乾燥をすれば保存は問題ないと考えられています。今回展示してある1971年に、作者自身がプリントした(フジブロマイド、F2)作品も、印画紙裏面にはわずかな黄ばみありますが、画像自体にまったく劣化していません。それほど銀塩プリントは丈夫だとういうことでしょう。また、フラットニングは、フィロタイプ処理されています。
★ このビンテージプリントの中の3点はネガが不明で、プリントはどれも非売品です。1971年当時、カメラ雑誌はネガ入稿でした。プリントはあくまで見本だったのです。そのときカメラ毎日に掲載された4点のネガが紛失しています。


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●会場の奥、ビンテージプリントより少し大きめの12x14インチサイズの印画紙にプリント額装された写真は、今回この写真展のためにプリントしたニュープリントです。印画紙はフジ、レンブラントというバラ板紙を使用しています。
写真は1967年から1975年に米軍住宅(ハウス)で撮った写真を選びました。あの頃横田基地のある福生には米軍住宅がたくさんありました。福生の米軍住宅は他の基地の住宅と違って、フェンスの外に広がっていました。ゲートがあるわけではなく、誰でも自由に出入りできました。僕はそこにたびたび通いました。67年、最初に訪れた頃は、米兵の子供たちをたくさん見かけました。当然なことで、当時ベトナム戦争まっさかりの頃。でも僕は憧れていたアメリカがそのままそこに存在していることに夢中で、無邪気にあそぶ子供の表情の心のなかに、彼らの父親たちが戦場で生死のはざまにいる不安を抱えているなんて、想像力にかけていたのです。

★この銀塩ニュープリントは、プリントサイズ11x14インチ、額装込みで、52,500円で販売しています。

★壁面いっぱいに展示してあるのが、デジタルアーカイバルプリントです。この数年でデジタルプリントは飛躍的にコーリティが高まり、その品質は銀塩と同等になったと考えられています。プリントはエプソンのPX5500.現在唯一といっていい、モノクロの色調を自由にコントロールできるプリンターで作られたものです。ペーパーは、ベルベット・ファインアートペーパーです。エプソンではピエゾグラフィーと呼んでいるようです。
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●デジタルプリントのメリットの最大の特徴は2つあります。1つは写真の調子を、作者の100%コントロールのもと、意図するようにプリントを完璧に仕上げることも可能です。そしてもうひとつの特徴は、その完璧にコントロールした作品を一点ものとして、数十枚、数百枚単位で、まったく同じものを作ることができるということでしょう。そういう意味で銀塩プリントよりかなりリーズナブルに価格を設定することができます。しかしそれは決して安価だからコーリティが落ちるというわけではなありません。コーリティは銀塩同等、場合によってはそれ以上のこともあるぐらいです。

★今回写真集に収録されたほとんどの写真は、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。A3ノビサイズ、専用の額に入りで、18,900円です。

★銀塩ニュープリントも、デジタルアーカイバルプリントも写真展が終了したのちも、アート・フォト・サイト・ブリッツ・インターナショナルで永続的に購入することが可能です。プリントは販売とは、展覧会をしているとき以外にも購入できることが重要です。それには作家はギャラリーと契約しなければなりません。


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さて、4番目に、今回はさらに写真集という違うメディアが同時に存在します。
オリジナルプリントと写真集は当然その楽しみ方が違います。写真集は本というメディアの性質上、手に持ち、触れながら、ページをめくり、多くの写真を、まるで音楽が時間の芸術として際立っているのと同じように、写真を見ながら「時間」と見る人の経験や記憶を縦横にイマジネーションの旅をするものです。
写真は、そこに写っている情景だけを認識するものではありません。そこに写っているものと、見る側の記憶の断片とのセッションなのです。他人が経験した風景なのにまるでデジャブのように見たことがあるような気さえするでしょう。特に今回のようなページに白地をとった文字のない写真はは、立ち落としの写真や、写真に説明文が直接入った写真とは違った不思議な経験を見る人にあたえます。もっともご安心を、巻末に撮影年号と撮影地はかいてあります。そういう見せ方は、本来写真集ではごく普通なことですが、純粋に写真だけをぱらぱらと見る気分は、写真だけのもっている表現です

話が重複しますが、日本では写真は立ち落としといって前面写真が多いようです。または余白にテクストやタイトルをレイアウトする。文字を入れずに余白を取った写真は、作品を静的に見せるためではありません。余白のない写真、立ち落としの写真は、読者を画像のなかの世界に直接引き込み、フレーミングを忘れさせる効果があります。(僕の師匠だった篠山紀信さんは絶対立ち落とし派です)。余白のある写真は、写真のなかに見る側を誘導しながらも、あう意味、見る側を突き放している、微妙な距離感を要求しています。だからの画面のなかに入り込むには、それなりの努力が必要です。常に画像の外側にいるという印象になると思います。ささいなことですが、それが見る側に微妙な心理状態を起こさせます。

★オリジナルプリントを買う動機、楽しみ方について書いたTEXTです。長文です。

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2006.12.08

安珠、角田光代、横木安良夫、トークショー他

写真展告知
写真集について 
特装版をNetで購入希望の方
Amazonで購入できます。
★そろそろ、納品される予定です。
写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。
●12月9日(土) pm1-9、●12月10日(日)am11-pm8 ●12月11日(月)pm4-9、●12月12日(火)pm4-8●12月13日(水)最終日、pm10-pm5   かの時間帯、横木安良夫は、在廊しています。気軽に声をかけてください。
***********************************
★明日、12月9日(土)渋谷パルコpart1 B1ロゴスギャリーにて、6時半から安珠とトークショーをします。
写真集お買い上げの方は、優先的に席に座ることができますが、購入していないかたも、もちろん参加することはOKです。そして、12月11日(月)は、いよいよ角田光代さんとのトークショーです。時間は同じく6時半からです。

●12月9日(土)pm6時半ー7時半 安珠 さん
安珠さんとは、彼女がまだ19歳、新進のファッションモデルだった頃からの友達です。ポスト山口小夜子といわれ、マルイのCMでデビューし、銀座松屋、続いて西武デパートなどのキャンペーンポスターに抜擢され、当時日本でトップの売れっ子モデルでした。ジバンジーがヘップバーンとファッションショーをするときに来日したとき、どうしても安珠をパリに連れて行きたいといい、彼女はゆくことにしました。ジバンシーの仕事は半年で終わりましたが、その後は数年パリを拠点に仕事をしました。そしてその頃から写真家に転進したというわけです。彼女が写真家になることに、驚きはありませんでした。なぜなら僕と共同でいくつも写真をとりましたが、なかでもパリ滞在中に日本に戻り、YMOの散開記念映画にヒロインとして抜擢されたとき、そのグラビアを雑誌に売り込み、ディレクションしたのが彼女だからです。コピーやアイデアは彼女がかなり提案し、構成も彼女が考えたものです。すでにやることは、いっぱしの写真家以上でした。それから、世界の一流の写真家のテクニックをじかに学び、デビューしたのです。今やテレビでもたびたび登場する、美しい写真界のヒロインでもあります。
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安珠とであった頃。彼女手製の服。わざと古臭く撮った。代官山同潤会アパートの木漏れ日の下にて。たしか20歳の5月だった。Hasselblad 500CM 80mm

●12月11日(月) pm6時半~7時半  角田光代さん
角田さんはいわずと知れた、今一番活躍している、直木賞作家です。僕は彼女の本を実はこれまで読んだことがありませんでした。空中庭園の原作者ぐらいの認識だったのです。ところがアサヒカメラに登場したりして、彼女の発言が、とても写真と親和性のあるひとなんとだと、気にはなっていました。今回写真集を出版するにあたり、誰かに序文をかいてもらおうと思ってました。同世代ではなく、1967-から1975年の時代を生きていた人に、もちろんそんな記憶なんてなくていいのですが、少なくともあの時の空気をすった人は誰か、と思ったときに、幾人の友人が、角田光代をあげたのです。僕はそこからいくつか彼女の本を読んで、なんだか懐かしいというか、まるでこの人写真家?というぐらい、何か頭の構造が、写真家と同じような部分があると思ったのです。僕は彼女に連絡して、強引にお願いしました。ことわれないような、執拗なお願いです。そうしたら、時間があれば、と快諾してもらいました。初めてあったとき、まるでアイドルのような人だなと思ったのです。アイドルオーラがあります。でもシャイで話は、はずみませんでした。ただ、彼女にあったとき、序文なんかではなく、僕は突然、10枚ぐらいでいフィクションを書いてくださいと、お願いしたのです。角田さんには、彼女の本来の土俵で書いてもらいと思ったからです。それは僕の写真集の時代、同じ空気をすった、違うどこかに生きている、角田さん自身のことを、と再度お願いしたのです。1ヶ月後、素晴らしい、ショートストーリーがあがりました。角田さんの才能に感服しました。まるで僕の写真集のために、存在している小説家なんだと、かってに舞い上がりました。そしてなにより、彼女の生まれた1967年(昭和42年)は、僕が写真を撮り始めた、とき、この写真集のはじまりと一緒だったのです。これは運命といえましょう。角田さんのトークのときのみ、彼女を推薦してくらたひとりでもある、今写真界を影でささえているタカザワケンジ氏を司会進行に参加してもらうことにしました。彼は角田さんの出身、早稲田のひとつ後輩だと思います。さてどんなことになりますやら。写真に興味のない、角田ファンも彼女の違う面が分るかもしれません。
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角田さんにはじめて会った日。ショートストーリーを快諾してくれた。別れ際に4回シャッターを切った。GRD


以下、済んだトークショーについてです。

●12月4日(月)pm7-8時 田中長徳 氏
田中長徳氏とのトークバトルです。彼は僕の1年先輩、僕のクラブの先輩一ノ瀬泰造、青山達雄氏と同級です。デザインセンターでバイトしているときに知り合いました。写真の考え方は、実はかなり近いところがあります。ただぼくは、フリーのカメラマンとしては商業系をメインに仕事をしていたので、ありまり接点はありませんでしたが、このところ、ぐっと近いところにいます。かつてのコンポラ写真の話など興味がつきないと思います。
そのレポート
●12月4日(月)pm6-7 田中長徳Tanakatalkshow
photo by 漂流者始まる直前、右側と左側のどちらに座るの?と長徳氏はぼくに聞く。どちらでもと答えながらも、僕は上手の椅子を選ぶ。彼は座談のプロでもある。マイクを使うといったら、いらないといった。しょっちゅう人前で話している。早口で声もでかい。僕も声が大きし、早口だが、長徳のように、次から次へと話なれているわけじゃない。まあ、ひとりで話していれば、だんだん調子がでてきて、かなり早口になるが。
長徳氏は実は人嫌いだという。だから写真は、特に昔の写真は被写体との距離が遠い。
長徳氏のことは、昔から長徳と呼び捨てにしていた。結局、チョートク、アラオでトークショーは通すことにした。実は彼とちゃんと話したことはほとんどない。そこで今日はカメラの話ではなく、コンポラの話をしようということになった。実は彼はカメラマニアのように思われているが、実は撮影おたくなのだ。圧倒的にカメラのことより、写真を撮ることの話のほうが好きなようだ。僕はカメラには全然興味がない。カジュアルだったらなんでもいい。車も運転することが好きで、写真は撮ることが好きだ。
長徳は、高校生の頃から写真を撮っていたカメラ少年だ。大学時代にすでにニコンサロンで個展をしている。その後デザインセンターに入る。その翌年僕はセンターでアルバイトの暗室助手をやった。そのとき初めて長徳とであったわけだ。彼とお昼に銀座のライオンにランチに行くとき、彼はオリンパスワイドで、あちこちパチリ、パチリと撮る。それがとてもかっこよく思えた。スナップの達人だ。僕はバイト中は、ヤシカエレクト35mmで撮ったいた。ときどきニコンFや、あるときはブロニカを使った。長徳は声楽家とセンターにいるときに結婚した。式は目白にあるカテドラル教会だ。多くの若いカメラマンがあつまった。僕も写真を撮った。長徳は、あれだけたくさんのカメラマンがいるのに一枚ももらえなかったと、カミさんがなげいているといった。そのひとりだった、僕はプレゼントするつもりで結婚式のスナップでミニ写真集を作った。それなのにプレゼントすることはなく、そのうち長徳はウイーンにカミさんに拉致されいなくなった。ときどきその結婚式のミニ写真集はでてくることがあったが、そのときはあまり長徳と懇意ではなく、そんな昔の写真をあげても迷惑だろうと放置していた。今回写真集をだすときに、昔のコンタクトプリントを見たら、そのときの写真がたくさんあった。そのうちプリントしてあげないと。
僕は長徳の昔の写真が好きだ。明らかに僕とは撮り方が違うが、対象は似ているともいえる。あの時代はかれだってデモの写真を撮っている。それがなんともフォトジェニックな写真だ。僕にとってのコンポら写真とは、田中長徳の写真だった。
彼は最近、「東京今昔」という写真集をだした。今の写真と、1966年ごろの写真を構成してある。でも圧倒的に昔の写真がいい。そんなことは長徳も知っていて、実はこの本は、これから出す60年代の写真の予告編らしい。それは500ページぐらいにもなるらしい。とても楽しみだ。皆がもっとこの時代の写真を発表すればいいのに。
漂流者さん Photo&text レポート

●12月5日(火)pm7-8時 藤代冥砂 氏
藤代氏とは、直接面識はありません。きっかけは、僕の担当編集者が、僕と彼のファンであり、彼と話すべきだとのことで実現しました。もっとも、藤代氏は、五味彬氏のアシスタントをしていたことがあります。五味君は、僕がフリーになったとき、彼が学生時代、僕のアシスタントを何度かしてもらったことがあるといった縁です。そしてなにより、僕がアシスタントをしていた篠山紀信さんの写真、特に「オレレオララ」「ハイマリー」と「晴れた日」を彼は好きだと公言しています。彼は最後のグラビア写真世代かもしれません。作品と、グラビアと、仕事と、文章と、すべてを等価に泳ぐ現代の売れっ子カメラマンです。どんな話になるか、楽しみです。
レポート
●12月5日(火) 藤代冥砂 pm7-8
Fujishirotalkshow
photo by 漂流者

藤代冥砂とは、初対面だった。午後7時、打ち合わせをすることもなく、一瞬挨拶をして、会場の席についた。そして再び挨拶をする。彼は僕と同じ千葉県生まれだという。船橋だという。僕は市川、そしてこれも偶然だが、この写真集の始まった、1967年に生まれている。ということは、角田光代さんと同じ年だ。大学卒業後、五味彬氏の経営していたアンティックショップでバイト、そこで写真に興味を持ち出したという。アシスタントをやったあと、フリーにしばらくはファッションやミュージッシャンを撮っていた。その後、海外放浪をすることになる。それは子供の頃から放浪癖があったからだといった。日本に帰ってからは脚光を浴び、売れっ子カメラマンになる。
彼とはなしていて、感じることは、選ぶことばがとても美しくて、文学的だ。彼の文章を読むと、ものすごく文才を感じる。以前はワープロだったが、今は手書きにしているという。リリー・フランキーさんの影響だと言った。僕は原稿用紙恐怖症だったらか、ワープロになって初めて文章を書き出した。だから彼みたいに20代で文章を書くなんて考えてもいなかった。彼のメンタリティはどこか、物書きみたいに思えた。それに性格もがつがつしていない。以前篠山さんに、君は文章のほうが才能があるねといわれたらしい。実際、妻の田辺あゆみを撮った写真集、「もう、家に帰ろう」は、ひとつひとつに短いことばがついていて、そのことばがなんとも美しい。
藤代は、雑誌が好きだといった。彼が発する美しいものを、多くの人に見せたいと。だから数万ではなく、数百万のひとに届けたいといった。ぼくはそれにちょっと反論したけど、実は僕だってそう思っている。でももうそんな時代じゃないような気がする。音楽にできて、写真ではなぜできないのだろう。
僕は彼が27歳から放浪をしたこと、一人で旅をしたことにあこがれるといった。僕はそういうことをしてみたいなと思ったことがあるが、実はフリーのカメラマンになったとき、もう仕事がしたくて、したくて、どこか海外に飛び出すなんてことは考えてもいなかった。そのかわり、写真の世界のなかであちこちさまよった。そんな話を僕がすると、藤代君は「そういう横木さんにとっては、それが旅なんですよ」という。「旅」はなにも海外に行かなくたって旅だ。そういわれてみると僕はいつも、ひとつのところに落ち着かず、人生を旅しているのかもしれない。藤代君のひとこと、ひとことは象徴的で、とても文学的だ。文学的というのは観念的であることではなく、写真を撮ることは違った部分で考えているような気がしている。彼のようなポジションの写真家はもっと、もっと写真集をださなくちゃいけない、と僕ははっぱをかけた。
トークショー終了後、近くの居酒屋で肩を寄せ合い、彼はいもしょうちゅうの水割りを飲んだ。今、葉山に住んでいるので、毎日東京にある事務所まで横須賀線で通っている。11時ごろまた飲む約束をして解散、楽しいひとときだった。
漂流者さん、PHOTO&Textレポート

Yamaguchi
●12月6日(水)pm7-8時 ハービー山口 氏
ハービーさんと、知り合ったのはこの1年ぐらいまえでしょうか。写真展などで軽く挨拶をするていどでした。彼は長くロンドンにいたので、同世代でありながらあまりかかわりのない写真家でした。見かけるようになって、僕はミュージッシャンを撮る写真家だと思っていました。ところがあるとき衝撃的な写真集を見たのでした。それは代官山同潤会アパートの写真です。僕の事務所はかつて代官山にあり、あの一角のオープンスタジオでもあったのです。ですから僕も同潤会の写真はたくさんあります。ああ、彼に発表されてしまったと、悔しい思いをしました。彼は役者の勉強もしていたので、話もうまく、とても楽しいトークショーになると思います。なにより、彼がロンドンの地下鉄でパンクバンドクラッシュのボーカル、ペニースミスに声をかけて、写真を撮らせた欲しいといったエピソードは最高です。「撮りたいんだろう?だったら撮るんだよ、それがパンクだよ」
●12月6日(水)ハービー・山口 pm7-8
ハービーさんと知り合ったのは1年ぐらい前だろうか。もちろんそのまえから彼の名前は知っている。何より彼が代官山同潤会アパートの写真集をだしたときに、ちょっとショックを受けた。彼は中目黒に住み、僕は同潤会の目の前の、代官山パシフィックマンションに1979年から16年間事務所を構えていたからだ。だから当然、同潤会は、僕のオープンスタジオだった。僕がおもに撮っていたのは80年代、アパートに入り込み、階段や屋上でずいぶん撮った。そのころはそんなふうに、ぼうじゃく無尽に無許可で撮影していてもなんの問題もなかった。だから僕もタレントやモデルを撮ったほかにも同潤会の写真はたくさんある。でもまとめるといった意識がなかった。それだけだ。
ハービーさんは、子供の頃病気を患っていた。いじめの対象でもあったらしい。中学時代音楽をやった。ブラスバンドだ。フルートだったという。と聞いてぼくはびっくりした。彼がハービーマンから、名前を取ったのことは、知っていた。でもブラスバンドとはしらなかったし、フルートをやっていたことなどなおさらしらなかった。単純にジャズ好きだと思っていた。僕も高校時代ブラスバンドに入り、フルートをやっていた。偶然。
今回いろんな偶然にめぐり合う。でもこのときは本当に驚いた。・・・・病気だった彼は、それがコンプレックスだった。ある日、彼は池上に住んでいたわけだが、たまたま空き地でボールが転がってきて、そのボールを追いかけてきた少女と目があい、彼女はハービーさんに声をかけた。それは今まで見たこともない、美しいまなざしだった。彼は衝撃を受けた。こんな美しい目をした、そして心を持った女性がいる。彼はそれ以来、こんな美しい心を、持つひとを撮りたいと思った。その瞳を、その心を写したい。彼は写真家になろうと思った。それは今でも思っていることだという。誰を撮っても、どんなに有名なミュージシャンを撮っても、その視線を、心を撮りたいと願っている。そんなハービーさんのメインカメラはライカだ。サブカメラがニコン。
ハービーさんの言う、美しい瞳、美しい心を撮りたいというのはある意味とても、ベタでアナクロだ。恥ずかしげもなくよくそんなこと言えるなとも言える。でも彼の場合それは、若い時代からはじまった、彼のコンセプトなのだ。そのシンプルさは、彼の撮った写真、彼の経験したすべてが、それを補強している。そういのって、どこかミュージッシャン的だなと思う。例えば「愛」なんてことば、ある意味死語のようなものだ。それはある特別なシチュエーションのときには有効だ。「愛こそすべて」なんて日常いっていたらあまりに単純に思える。でも、ひとたび音楽に乗れば、それはとても説得力が沸くことになる。ハービーさんの美しいまなざし、美しい心とは、もっととても重いことばなんだと思った。
その言葉の裏ずけと、その実践を彼は日々している。シンプルなカメラマン。それはすごいことだから、彼にはファンがたくさんいるのだおる。
撮影後、ハービーさんはバイクだったので、酒は飲めないのに、二次会を居酒屋でやった。11時ごろ散会、とても楽しい会だった。
漂流者、TEXT&PHOTO

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田中長徳、藤代冥砂、ハービー山口 感想

●12月4日(月)pm6-7 田中長徳Tanakatalkshow
photo by 漂流者始まる直前、右側と左側のどちらに座るの?と長徳氏はぼくに聞く。どちらでもと答えながらも、僕は上手の椅子を選ぶ。彼は座談のプロでもある。マイクを使うといったら、いらないといった。しょっちゅう人前で話している。早口で声もでかい。僕も声が大きし、早口だが、長徳のように、次から次へと話なれているわけじゃない。まあ、ひとりで話していれば、だんだん調子がでてきて、かなり早口になるが。
長徳氏は実は人嫌いだという。だから写真は、特に昔の写真は被写体との距離が遠い。
長徳氏のことは、昔から長徳と呼び捨てにしていた。結局、チョートク、アラオでトークショーは通すことにした。実は彼とちゃんと話したことはほとんどない。そこで今日はカメラの話ではなく、コンポラの話をしようということになった。実は彼はカメラマニアのように思われているが、実は撮影おたくなのだ。圧倒的にカメラのことより、写真を撮ることの話のほうが好きなようだ。僕はカメラには全然興味がない。カジュアルだったらなんでもいい。車も運転することが好きで、写真は撮ることが好きだ。
長徳は、高校生の頃から写真を撮っていたカメラ少年だ。大学時代にすでにニコンサロンで個展をしている。その後デザインセンターに入る。その翌年僕はセンターでアルバイトの暗室助手をやった。そのとき初めて長徳とであったわけだ。彼とお昼に銀座のライオンにランチに行くとき、彼はオリンパスワイドで、あちこちパチリ、パチリと撮る。それがとてもかっこよく思えた。スナップの達人だ。僕はバイト中は、ヤシカエレクト35mmで撮ったいた。ときどきニコンFや、あるときはブロニカを使った。長徳は声楽家とセンターにいるときに結婚した。式は目白にあるカテドラル教会だ。多くの若いカメラマンがあつまった。僕も写真を撮った。長徳は、あれだけたくさんのカメラマンがいるのに一枚ももらえなかったと、カミさんがなげいているといった。そのひとりだった、僕はプレゼントするつもりで結婚式のスナップでミニ写真集を作った。それなのにプレゼントすることはなく、そのうち長徳はウイーンにカミさんに拉致されいなくなった。ときどきその結婚式のミニ写真集はでてくることがあったが、そのときはあまり長徳と懇意ではなく、そんな昔の写真をあげても迷惑だろうと放置していた。今回写真集をだすときに、昔のコンタクトプリントを見たら、そのときの写真がたくさんあった。そのうちプリントしてあげないと。
僕は長徳の昔の写真が好きだ。明らかに僕とは撮り方が違うが、対象は似ているともいえる。あの時代はかれだってデモの写真を撮っている。それがなんともフォトジェニックな写真だ。僕にとってのコンポら写真とは、田中長徳の写真だった。
彼は最近、「東京今昔」という写真集をだした。今の写真と、1966年ごろの写真を構成してある。でも圧倒的に昔の写真がいい。そんなことは長徳も知っていて、実はこの本は、これから出す60年代の写真の予告編らしい。それは500ページぐらいにもなるらしい。とても楽しみだ。皆がもっとこの時代の写真を発表すればいいのに。
漂流者さん Photo&text レポート

●12月5日(火) 藤代冥砂 pm7-8
Fujishirotalkshow
photo by 漂流者

藤代冥砂とは、初対面だった。午後7時、打ち合わせをすることもなく、一瞬挨拶をして、会場の席についた。そして再び挨拶をする。彼は僕と同じ千葉県生まれだという。船橋だという。僕は市川、そしてこれも偶然だが、この写真集の始まった、1967年に生まれている。ということは、角田光代さんと同じ年だ。大学卒業後、五味彬氏の経営していたアンティックショップでバイト、そこで写真に興味を持ち出したという。アシスタントをやったあと、フリーにしばらくはファッションやミュージッシャンを撮っていた。その後、海外放浪をすることになる。それは子供の頃から放浪癖があったからだといった。日本に帰ってからは脚光を浴び、売れっ子カメラマンになる。
彼とはなしていて、感じることは、選ぶことばがとても美しくて、文学的だ。彼の文章を読むと、ものすごく文才を感じる。以前はワープロだったが、今は手書きにしているという。リリー・フランキーさんの影響だと言った。僕は原稿用紙恐怖症だったらか、ワープロになって初めて文章を書き出した。だから彼みたいに20代で文章を書くなんて考えてもいなかった。彼のメンタリティはどこか、物書きみたいに思えた。それに性格もがつがつしていない。以前篠山さんに、君は文章のほうが才能があるねといわれたらしい。実際、妻の田辺あゆみを撮った写真集、「もう、家に帰ろう」は、ひとつひとつに短いことばがついていて、そのことばがなんとも美しい。
藤代は、雑誌が好きだといった。彼が発する美しいものを、多くの人に見せたいと。だから数万ではなく、数百万のひとに届けたいといった。ぼくはそれにちょっと反論したけど、実は僕だってそう思っている。でももうそんな時代じゃないような気がする。音楽にできて、写真ではなぜできないのだろう。
僕は彼が27歳から放浪をしたこと、一人で旅をしたことにあこがれるといった。僕はそういうことをしてみたいなと思ったことがあるが、実はフリーのカメラマンになったとき、もう仕事がしたくて、したくて、どこか海外に飛び出すなんてことは考えてもいなかった。そのかわり、写真の世界のなかであちこちさまよった。そんな話を僕がすると、藤代君は「そういう横木さんにとっては、それが旅なんですよ」という。「旅」はなにも海外に行かなくたって旅だ。そういわれてみると僕はいつも、ひとつのところに落ち着かず、人生を旅しているのかもしれない。藤代君のひとこと、ひとことは象徴的で、とても文学的だ。文学的というのは観念的であることではなく、写真を撮ることは違った部分で考えているような気がしている。彼のようなポジションの写真家はもっと、もっと写真集をださなくちゃいけない、と僕ははっぱをかけた。
トークショー終了後、近くの居酒屋で肩を寄せ合い、彼はいもしょうちゅうの水割りを飲んだ。今、葉山に住んでいるので、毎日東京にある事務所まで横須賀線で通っている。11時ごろまた飲む約束をして解散、楽しいひとときだった。
漂流者さん、PHOTO&Textレポート

●12月6日(水)ハービー・山口 pm7-8
ハービーさんと知り合ったのは1年ぐらい前だろうか。もちろんそのまえから彼の名前は知っている。何より彼が代官山同潤会アパートの写真集をだしたときに、ちょっとショックを受けた。彼は中目黒に住み、僕は同潤会の目の前の、代官山パシフィックマンションに1979年から16年間事務所を構えていたからだ。だから当然、同潤会は、僕のオープンスタジオだった。僕がおもに撮っていたのは80年代、アパートに入り込み、階段や屋上でずいぶん撮った。そのころはそんなふうに、ぼうじゃく無尽に無許可で撮影していてもなんの問題もなかった。だから僕もタレントやモデルを撮ったほかにも同潤会の写真はたくさんある。でもまとめるといった意識がなかった。それだけだ。
ハービーさんは、子供の頃病気を患っていた。いじめの対象でもあったらしい。中学時代音楽をやった。ブラスバンドだ。フルートだったという。と聞いてぼくはびっくりした。彼がハービーマンから、名前を取ったのことは、知っていた。でもブラスバンドとはしらなかったし、フルートをやっていたことなどなおさらしらなかった。単純にジャズ好きだと思っていた。僕も高校時代ブラスバンドに入り、フルートをやっていた。偶然。
今回いろんな偶然にめぐり合う。でもこのときは本当に驚いた。・・・・病気だった彼は、それがコンプレックスだった。ある日、彼は池上に住んでいたわけだが、たまたま空き地でボールが転がってきて、そのボールを追いかけてきた少女と目があい、彼女はハービーさんに声をかけた。それは今まで見たこともない、美しいまなざしだった。彼は衝撃を受けた。こんな美しい目をした、そして心を持った女性がいる。彼はそれ以来、こんな美しい心を、持つひとを撮りたいと思った。その瞳を、その心を写したい。彼は写真家になろうと思った。それは今でも思っていることだという。誰を撮っても、どんなに有名なミュージシャンを撮っても、その視線を、心を撮りたいと願っている。そんなハービーさんのメインカメラはライカだ。サブカメラがニコン。
ハービーさんの言う、美しい瞳、美しい心を撮りたいというのはある意味とても、ベタでアナクロだ。恥ずかしげもなくよくそんなこと言えるなとも言える。でも彼の場合それは、若い時代からはじまった、彼のコンセプトなのだ。そのシンプルさは、彼の撮った写真、彼の経験したすべてが、それを補強している。そういのって、どこかミュージッシャン的だなと思う。例えば「愛」なんてことば、ある意味死語のようなものだ。それはある特別なシチュエーションのときには有効だ。「愛こそすべて」なんて日常いっていたらあまりに単純に思える。でも、ひとたび音楽に乗れば、それはとても説得力が沸くことになる。ハービーさんの美しいまなざし、美しい心とは、もっととても重いことばなんだと思った。
その言葉の裏ずけと、その実践を彼は日々している。シンプルなカメラマン。それはすごいことだから、彼にはファンがたくさんいるのだおる。
撮影後、ハービーさんはバイクだったので、酒は飲めないのに、二次会を居酒屋でやった。11時ごろ散会、とても楽しい会だった。

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酷いね。ココログ。

ココログ、50数時間もストップなんて、本当にヒドイ。しかも全然知らなかった。突然だ。止めるなら止めると、メールするべきだ。それともメールがあったのかな。僕は、ニフティにメール使ってないからわからなかったのかな。おかげにいろいろな告知がこの間できなかった。以前、このサイトのデザインを変えたいといったら、簡単にはできなかった。自分で面倒にもカスタマイズしなければならない。そんなのデフォルトでいくつかあればいいのに。面倒でそんなことに時間はさけないと、押し問答。慇懃に適当に対応された。なんか態度がよくないんだよね。知識のない僕が悪いのか。デモ、そんな知識がなくてもできるのが、Blogだと思うけど。ところで、いったいこのメインテナンスで何が変わったというんだろう。

さて、それでは写真展情報の続きは、次に。

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2006.12.05

本日 藤代冥砂VS横木安良夫 

★今日の朝日、東京版 朝刊に写真集、写真展の記事が載ってます。

Fujishiro

http://www.alao.co.jp/TYC2006PhotoBookShow/index.html
Web_1

●12月1日(金)~12月13日(水)の間、渋谷パルコパート1、地下、ロゴスギャラリーでの写真展写真展会期中、写真家及び、作家と、横木安良夫がトークバトル?、トークショー、Talk with横木安良夫をやります。
もちろん、写真集をお買い上げのかたに、優先的にゲストひとりの予約権を発行し、席は設けています。
指定ゲスト以外も、席は指定できませんが、参加することは可能です。
ただ、お買い上げにならないかたも、スペースがあれば立ち見の可能性があるとおもいます。ただ、12月11日の角田さんとのトーックショーは、予想がつかなく、入れない可能性もありますので、本をお買いあげになり、早めに予約をしていただいたほうが確実だと思います。

●12月4日(月)pm7-8時 田中長徳 氏
田中長徳氏とのトークバトルです。彼は僕の1年先輩、僕のクラブの先輩一ノ瀬泰造、青山達雄氏と同級です。デザインセンターでバイトしているときに知り合いました。写真の考え方は、実はかなり近いところがあります。ただぼくは、フリーのカメラマンとしては商業系をメインに仕事をしていたので、ありまり接点はありませんでしたが、このところ、ぐっと近いところにいます。かつてのコンポラ写真の話など興味がつきないと思います。

●12月5日(火)pm7-8時 藤代冥砂 氏
藤代氏とは、直接面識はありません。きっかけは、僕の担当編集者が、僕と彼のファンであり、彼と話すべきだとのことで実現しました。もっとも、藤代氏は、五味彬氏のアシスタントをしていたことがあります。五味君は、僕がフリーになったとき、彼が学生時代、僕のアシスタントを何度かしてもらったことがあるといった縁です。そしてなにより、僕がアシスタントをしていた篠山紀信さんの写真、特に「オレレオララ」「ハイマリー」と「晴れた日」を彼は好きだと公言しています。彼は最後のグラビア写真世代かもしれません。作品と、グラビアと、仕事と、文章と、すべてを等価に泳ぐ現代の売れっ子カメラマンです。どんな話になるか、楽しみです。


●12月6日(水)pm7-8時 ハービー山口 氏
ハービーさんと、知り合ったのはこの1年ぐらいまえでしょうか。写真展などで軽く挨拶をするていどでした。彼は長くロンドンにいたので、同世代でありながらあまりかかわりのない写真家でした。見かけるようになって、僕はミュージッシャンを撮る写真家だと思っていました。ところがあるとき衝撃的な写真集を見たのでした。それは代官山同潤会アパートの写真です。僕の事務所はかつて代官山にあり、あの一角のオープンスタジオでもあったのです。ですから僕も同潤会の写真はたくさんあります。ああ、彼に発表されてしまったと、悔しい思いをしました。彼は役者の勉強もしていたので、話もうまく、とても楽しいトークショーになると思います。なにより、彼がロンドンの地下鉄でパンクバンドクラッシュのボーカル、ペニースミスに声をかけて、写真を撮らせた欲しいといったエピソードは最高です。「撮りたいんだろう?だったら撮るんだよ、それがパンクだよ」
Hyamaguchi

●12月9日(土)pm6時半ー7時半 安珠 さん
安珠さんとは、彼女がまだ19歳、新進のモデルだった頃の友達です。ポスト山口小夜子といわれ、マルイのCMから、銀座松屋、西部デパートなどのキャンペーンポスターにつかわれ、当時日本でトップの売れっ子モデルでした。日本にジバンジーがヘップバーンと来たとき、どうしても安珠をパリに連れて行きたいといい、彼女はゆきました。ジバンシーの仕事は半年で終わりましたが、その後は数年パリにいたと思います。そしてその頃から写真家に転進しました。彼女が写真家になることを、僕は驚くことはありませんでした。なぜなら僕と共同でいくつか写真をとりましたが、なかでもパリ滞在中に日本に戻り、YMOの散開記念映画にヒロインとして抜擢されたとき、そのグラビアを雑誌に売り込み、ディレクションしたのが彼女だからです。コピーやアイデアは彼女がかなり提案し、構成も彼女が考えたものです。すでにやることは、いっぱしの写真家以上でした。それから、世界の一流の写真家のテクニックをじかに学び、デビューしたのです。今やテレビでもたびたび登場する、美しい写真界のヒロインでもあります。

●12月11日 角田光代さん
角田さんはいわずと知れた、今一番活躍している、直木賞作家である小説家です。僕は彼女本を実はこれまで読んだことはありませんでした。空中庭園の原作者ぐらいの認識でした。ところがアサヒカメラに登場したりして、彼女の発言が、とても写真と親和性のあるひとなんとだと、気にはなっていました。今回写真集を出版するにあたり、誰かに序文をかいてもらおうと思ってました。同世代ではなく、1967-から1975年の時代を生きていた人に、もちろんそんな記憶なんてなくていいのですが、少なくともあの時の空気をすった人は誰か、と思ったときに、幾人の友人が、角田光代をあげたのです。僕はそこからいくつか彼女の本を読んで、なんだか懐かしいというか、まるでこの人写真家?というぐらい、何か頭の構造が、写真家と同じような部分があると思ったのです。僕は彼女に連絡して、強引にお願いしました。ことわれないような、執拗なお願いです。そうしたら、時間があれば、と快諾してもらいました。初めてあったとき、まるでアイドルのような人だなと思ったのです。アイドルオーラがあります。でもシャイで話は、はずみませんでした。ただ、彼女にあったとき、序文なんかではなく、僕は突然、10枚ぐらいでいフィクションを書いてくださいと、お願いしたのです。角田さんには、彼女の本来の土俵で書いてもらいと思ったからです。それは僕の写真集の時代、同じ空気をすった、違うどこかに生きている、角田さん自身のことを、と再度お願いしたのです。1ヶ月後、素晴らしい、ショートストーリーがあがりました。角田さんの才能に感服しました。まるで僕の写真集のために、存在している小説家なんだと、かってに舞い上がりました。そしてなにより、彼女の生まれた1967年(昭和42年)は、僕が写真を撮り始めた、とき、この写真集のはじまりと一緒だったのです。これは運命といえましょう。角田さんのトークのときのみ、彼女を推薦してくらたひとりでもある、今写真界を影でささえているタカザワケンジ氏を司会進行に参加してもらうことにしました。彼は角田さんの出身、早稲田のひとつ後輩だと思います。さてどんなことになりますやら。写真に興味のない、角田ファンも彼女の違う面が分るかもしれません。

★もういちど確認ですが、基本的には写真集を写真展会場でお買い上げの方に、トークショー、ゲスト指定の整理券を発行しています。その際、一冊について一人のゲストの整理券です。ただ席の確保はできませんが、写真集お買いあげされたかたはなんどでも参加することは可能です。(角田さんについては不確定ですが)

★また、写真集おかいあげでなくても、見るスペースがあればご覧になることは、参加することは可能だと思います。ただトークショーは写真展会場でしますので、あまり広くなく、最悪の場合お断りする可能性もありますので、ご了承ください。(とくに角田さんのときはお断りする可能性があります)

横木の在廊予定

■12月4日(月)  pm4半-pm9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、田中長徳氏とトークショーがあります

■12月5日(火)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、藤代冥砂氏とトークショーがあります。

■12月6日(水)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、ハービー・山口氏とトークショーがあります。

■12月7日(木)  未定

■12月8日(金) 未定

■12月9日(土)  am10-pm9 まで会場につめています。 
●この日は6時半ー7時半で、安珠さんとトークショーがあります。

■12月10日(日) am10-pm9 まで、終日会場につめています。

■12月11日(月) Pm-9時まで、在廊、
●この日はpm6時半ー7時半で、角田光代さんとトークショーを行います。

■12月12日(火) 未定

■12月13日(水) 最終日は、午後5時で写真展が終了します。

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2006.12.04

バトル田中長徳VS横木安良夫

Chotokuvsyokogi
本日午後7時~8時、どうなることやら。
http://www.alao.co.jp/TYC2006PhotoBookShow/index.html
Web_1

●12月1日(金)~12月13日(水)の間、渋谷パルコパート1、地下、ロゴスギャラリーでの写真展写真展会期中、写真家及び、作家と、横木安良夫がトークバトル?、トークショー、Talk with横木安良夫をやります。
もちろん、写真集をお買い上げのかたに、優先的にゲストひとりの予約権を発行し、席は設けています。
指定ゲスト以外も、席は指定できませんが、参加することは可能です。
ただ、お買い上げにならないかたも、スペースがあれば立ち見の可能性があるとおもいます。ただ、12月11日の角田さんとのトーックショーは、予想がつかなく、入れない可能性もありますので、本をお買いあげになり、早めに予約をしていただいたほうが確実だと思います。

●12月4日(月)pm7-8時 田中長徳 氏
田中長徳氏とのトークバトルです。彼は僕の1年先輩、僕のクラブの先輩一ノ瀬泰造、青山達雄氏と同級です。デザインセンターでバイトしているときに知り合いました。写真の考え方は、実はかなり近いところがあります。ただぼくは、フリーのカメラマンとしては商業系をメインに仕事をしていたので、ありまり接点はありませんでしたが、このところ、ぐっと近いところにいます。かつてのコンポラ写真の話など興味がつきないと思います。

●12月5日(火)pm7-8時 藤代冥砂 氏
藤代氏とは、直接面識はありません。きっかけは、僕の担当編集者が、僕と彼のファンであり、彼と話すべきだとのことで実現しました。もっとも、藤代氏は、五味彬氏のアシスタントをしていたことがあります。五味君は、僕がフリーになったとき、彼が学生時代、僕のアシスタントを何度かしてもらったことがあるといった縁です。そしてなにより、僕がアシスタントをしていた篠山紀信さんの写真、特に「オレレオララ」「ハイマリー」と「晴れた日」を彼は好きだと公言しています。彼は最後のグラビア写真世代かもしれません。作品と、グラビアと、仕事と、文章と、すべてを等価に泳ぐ現代の売れっ子カメラマンです。どんな話になるか、楽しみです。
Fujishiro

●12月6日(水)pm7-8時 ハービー山口 氏
ハービーさんと、知り合ったのはこの1年ぐらいまえでしょうか。写真展などで軽く挨拶をするていどでした。彼は長くロンドンにいたので、同世代でありながらあまりかかわりのない写真家でした。見かけるようになって、僕はミュージッシャンを撮る写真家だと思っていました。ところがあるとき衝撃的な写真集を見たのでした。それは代官山同潤会アパートの写真です。僕の事務所はかつて代官山にあり、あの一角のオープンスタジオでもあったのです。ですから僕も同潤会の写真はたくさんあります。ああ、彼に発表されてしまったと、悔しい思いをしました。彼は役者の勉強もしていたので、話もうまく、とても楽しいトークショーになると思います。なにより、彼がロンドンの地下鉄でパンクバンドクラッシュのボーカル、ペニースミスに声をかけて、写真を撮らせた欲しいといったエピソードは最高です。「撮りたいんだろう?だったら撮るんだよ、それがパンクだよ」
Hyamaguchi

●12月9日(土)pm6時半ー7時半 安珠 さん
安珠さんとは、彼女がまだ19歳、新進のモデルだった頃の友達です。ポスト山口小夜子といわれ、マルイのCMから、銀座松屋、西部デパートなどのキャンペーンポスターにつかわれ、当時日本でトップの売れっ子モデルでした。日本にジバンジーがヘップバーンと来たとき、どうしても安珠をパリに連れて行きたいといい、彼女はゆきました。ジバンシーの仕事は半年で終わりましたが、その後は数年パリにいたと思います。そしてその頃から写真家に転進しました。彼女が写真家になることを、僕は驚くことはありませんでした。なぜなら僕と共同でいくつか写真をとりましたが、なかでもパリ滞在中に日本に戻り、YMOの散開記念映画にヒロインとして抜擢されたとき、そのグラビアを雑誌に売り込み、ディレクションしたのが彼女だからです。コピーやアイデアは彼女がかなり提案し、構成も彼女が考えたものです。すでにやることは、いっぱしの写真家以上でした。それから、世界の一流の写真家のテクニックをじかに学び、デビューしたのです。今やテレビでもたびたび登場する、美しい写真界のヒロインでもあります。

●12月11日 角田光代さん
角田さんはいわずと知れた、今一番活躍している、直木賞作家である小説家です。僕は彼女本を実はこれまで読んだことはありませんでした。空中庭園の原作者ぐらいの認識でした。ところがアサヒカメラに登場したりして、彼女の発言が、とても写真と親和性のあるひとなんとだと、気にはなっていました。今回写真集を出版するにあたり、誰かに序文をかいてもらおうと思ってました。同世代ではなく、1967-から1975年の時代を生きていた人に、もちろんそんな記憶なんてなくていいのですが、少なくともあの時の空気をすった人は誰か、と思ったときに、幾人の友人が、角田光代をあげたのです。僕はそこからいくつか彼女の本を読んで、なんだか懐かしいというか、まるでこの人写真家?というぐらい、何か頭の構造が、写真家と同じような部分があると思ったのです。僕は彼女に連絡して、強引にお願いしました。ことわれないような、執拗なお願いです。そうしたら、時間があれば、と快諾してもらいました。初めてあったとき、まるでアイドルのような人だなと思ったのです。アイドルオーラがあります。でもシャイで話は、はずみませんでした。ただ、彼女にあったとき、序文なんかではなく、僕は突然、10枚ぐらいでいフィクションを書いてくださいと、お願いしたのです。角田さんには、彼女の本来の土俵で書いてもらいと思ったからです。それは僕の写真集の時代、同じ空気をすった、違うどこかに生きている、角田さん自身のことを、と再度お願いしたのです。1ヶ月後、素晴らしい、ショートストーリーがあがりました。角田さんの才能に感服しました。まるで僕の写真集のために、存在している小説家なんだと、かってに舞い上がりました。そしてなにより、彼女の生まれた1967年(昭和42年)は、僕が写真を撮り始めた、とき、この写真集のはじまりと一緒だったのです。これは運命といえましょう。角田さんのトークのときのみ、彼女を推薦してくらたひとりでもある、今写真界を影でささえているタカザワケンジ氏を司会進行に参加してもらうことにしました。彼は角田さんの出身、早稲田のひとつ後輩だと思います。さてどんなことになりますやら。写真に興味のない、角田ファンも彼女の違う面が分るかもしれません。

★もういちど確認ですが、基本的には写真集を写真展会場でお買い上げの方に、トークショー、ゲスト指定の整理券を発行しています。その際、一冊について一人のゲストの整理券です。ただ席の確保はできませんが、写真集お買いあげされたかたはなんどでも参加することは可能です。(角田さんについては不確定ですが)

★また、写真集おかいあげでなくても、見るスペースがあればご覧になることは、参加することは可能だと思います。ただトークショーは写真展会場でしますので、あまり広くなく、最悪の場合お断りする可能性もありますので、ご了承ください。(とくに角田さんのときはお断りする可能性があります)

横木の在廊予定

■12月4日(月)  pm4半-pm9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、田中長徳氏とトークショーがあります

■12月5日(火)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、藤代冥砂氏とトークショーがあります。

■12月6日(水)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、ハービー・山口氏とトークショーがあります。

■12月7日(木)  未定

■12月8日(金) 未定

■12月9日(土)  am10-pm9 まで会場につめています。 
●この日は6時半ー7時半で、安珠さんとトークショーがあります。

■12月10日(日) am10-pm9 まで、終日会場につめています。

■12月11日(月) Pm-9時まで、在廊、
●この日はpm6時半ー7時半で、角田光代さんとトークショーを行います。

■12月12日(火) 未定

■12月13日(水) 最終日は、午後5時で写真展が終了します。

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2006.12.03

田中長徳VS横木トークショー

12月4日(月)pm7-8時にて、田中長徳氏とトークバトル
横木は、pm4時半以降ギャラリーにいます。
田中氏の「東京今昔1966・2006」は、ロゴスギャラリーの隣にある書店では今残り3冊ありました。
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、ParcoB1の男子トイレにあった、謎の物体。なわけないが、べビーを座らせる椅子だ。こうやってみると、なんだスターウォーズにでてきた、宇宙服ヘルメットのような・・・。

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写真展会場にやってきた、いい感じのカップル。いいね。

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僕のKOWAと同じカメラを今でも使っている人がいた。

●12月1日(金)~12月13日(水)の間、渋谷パルコパート1、地下、ロゴスギャラリーでの写真展写真展会期中、写真家及び、作家と、横木安良夫がトークバトル?、トークショー、Talk with横木安良夫をやります。
もちろん、写真集をお買い上げのかたに、優先的にゲストひとりの予約権を発行し、席は設けています。
指定ゲスト以外も、席は指定できませんが、参加することは可能です。
ただ、お買い上げにならないかたも、スペースがあれば立ち見の可能性があるとおもいます。ただ、12月11日の角田さんとのトーックショーは、予想がつかなく、入れない可能性もありますので、本をお買いあげになり、早めに予約をしていただいたほうが確実だと思います。

●12月4日(月)pm7-8時 田中長徳 氏
田中長徳氏とのトークバトルです。彼は僕の1年先輩、僕のクラブの先輩一ノ瀬泰造、青山達雄氏と同級です。デザインセンターでバイトしているときに知り合いました。写真の考え方は、実はかなり近いところがあります。ただぼくは、フリーのカメラマンとしては商業系をメインに仕事をしていたので、ありまり接点はありませんでしたが、このところ、ぐっと近いところにいます。かつてのコンポラ写真の話など興味がつきないと思います。

●12月5日(火)pm7-8時 藤代冥砂 氏
藤代氏とは、直接面識はありません。きっかけは、僕の担当編集者が、僕と彼のファンであり、彼と話すべきだとのことで実現しました。もっとも、藤代氏は、五味彬氏のアシスタントをしていたことがあります。五味君は、僕がフリーになったとき、彼が学生時代、僕のアシスタントを何度かしてもらったことがあるといった縁です。そしてなにより、僕がアシスタントをしていた篠山紀信さんの写真、特に「オレレオララ」「ハイマリー」と「晴れた日」を彼は好きだと公言しています。彼は最後のグラビア写真世代かもしれません。作品と、グラビアと、仕事と、文章と、すべてを等価に泳ぐ現代の売れっ子カメラマンです。どんな話になるか、楽しみです。

●12月6日(水)pm7-8時 ハービー山口 氏
ハービーさんと、知り合ったのは1年ぐらいまえでしょうか。写真展などで軽く挨拶をするていどでした。彼は長くロンドンにいたので、同世代でありながらあまりかかわりのない写真家でした。見かけるようになって、僕はミュージッシャンを撮る写真家だと思っていました。ところがあるとき衝撃的な写真集を見たのでした。それは代官山同潤会アパートの写真です。僕の事務所はかつて代官山にあり、あの一角は僕のオープンスタジオでもあったのです。ですから僕も同潤会の写真はたくさんあります。ああ、彼に先に発表されてしまったと、悔しい思いをしました。彼は役者の勉強もしていたので、話もうまく、とても楽しいトークショーになると思います。なにより、彼がロンドンの地下鉄でパンクバンドクラッシュのボーカル、ペニースミスに声をかけて、写真を撮らせた欲しいといったエピソードは最高です。「撮りたいんだろう?だったら撮るんだよ、それがパンクだよ」

●12月9日(土)pm6時半ー7時半 安珠 さん
安珠さんとは、彼女がまだ19歳、新進のモデルだった頃からの友達です。ポスト山口小夜子といわれ、マルイのCMから、銀座松屋、西武デパートなどのキャンペーンポスターに抜擢され、当時日本でトップの売れっ子モデルでした。日本にジバンジーがヘップバーンと来たとき、どうしても安珠をパリに連れて行きたいといい、彼女はゆきました。ジバンシーの仕事は半年で終わりましたが、その後は数年パリにいたと思います。そしてその頃から写真家に転進しました。彼女が写真家になることを、僕は驚くことはありませんでした。なぜなら僕と共同でいくつか写真をとりましたが、なかでもパリ滞在中に日本に戻り、YMOの散開記念映画にヒロインとして抜擢されたとき、そのグラビア企画を雑誌に売り込み、ディレクションしたのが彼女だからです。コピーやアイデアは彼女がかなり提案し、構成も彼女が考えたものです。すでにやることは、いっぱしの写真家以上でした。それから、世界の一流の写真家のテクニックや表現方法をじかに学び、衝撃的にデビューしたのです。今やテレビでもたびたび登場する、美しい写真界のヒロインでもあります。

●12月11日 角田光代さん
角田さんはいわずと知れた、今一番活躍している、小説家であります。実は僕は彼女本をこれまで読んだことはありませんでした。直木賞作家であり、空中庭園の原作者ぐらいとの認識でした。ところがアサヒカメラに登場したりして、彼女の発言が、とても写真と親和性のあるひとなんとだと、気にはなっていました。今回写真集を出版するにあたり、誰かに序文をかいてもらおうと思ってました。同世代ではなく、1967-から1975年の時代を生きていた人に、もちろんそんな記憶なんてなくていいのですが、少なくともあの時の空気をすった人は誰か、と思ったときに、幾人の友人が、角田光代をあげたのです。僕はそこからいくつか彼女の本を読んで、なんだか懐かしいというか、まるでこの人写真家?というぐらい、何か頭の構造が、写真家と同じような部分があると思ったのです。僕は彼女に連絡して、強引にお願いしました。ことわれないような、執拗なお願いです。そうしたら、時間があれば、と快諾してもらいました。初めてあったとき、まるでアイドルのような人だなと思ったのです。アイドルオーラがあります。でもシャイで話は、はずみませんでした。ただ、彼女にあったとき、序文なんかではなく、僕は突然、10枚ぐらいでいフィクションを書いてくださいと、お願いしたのです。角田さんには、彼女の本来の土俵で書いてもらいと思ったからです。それは僕の写真集の時代、同じ空気をすった、違うどこかに生きている、角田さん自身のことを、と再度お願いしたのです。1ヶ月後、素晴らしい、ショートストーリーがあがりました。角田さんの才能に感服しました。まるで僕の写真集のために、存在している小説家なんだと、かってに舞い上がりました。そしてなにより、彼女の生まれた1967年(昭和42年)は、僕が写真を撮り始めた、とき、この写真集のはじまりと一緒だったのです。これは運命といえましょう。角田さんのトークのときのみ、彼女を推薦してくらたひとりでもある、今写真界を影でささえているタカザワケンジ氏を司会進行に参加してもらうことにしました。彼は角田さんの出身、早稲田のひとつ後輩だと思います。さてどんなことになりますやら。写真に興味のない、角田ファンも彼女の違う面が分るかもしれません。

★もういちど確認ですが、基本的には写真集を写真展会場でお買い上げの方に、トークショー、ゲスト指定の整理券を発行しています。その際、一冊について一人のゲストの整理券です。ただ席の確保はできませんが、写真集お買いあげされたかたはなんどでも参加することは可能です。(角田さんについては不確定ですが)

★また、写真集おかいあげでなくても、見るスペースがあればご覧になることは、参加することは可能だと思います。ただトークショーは写真展会場でしますので、あまり広くなく、最悪の場合お断りする可能性もありますので、ご了承ください。(とくに角田さんのときはお断りする可能性があります)

横木の在廊予定

■12月4日(月)  pm4半-pm9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、田中長徳氏とトークショーがあります

■12月5日(火)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、藤代冥砂氏とトークショーがあります。

■12月6日(水)  pm4半-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、ハービー・山口氏とトークショーがあります。

■12月7日(木)  未定

■12月8日(金) 未定

■12月9日(土)  am10-pm9 まで会場につめています。 
●この日は6時半ー7時半で、安珠さんとトークショーがあります。

■12月10日(日) am10-pm9 まで、終日会場につめています。

■12月11日(月) Pm-9時まで、在廊、
●この日はpm6時半ー7時半で、角田光代さんとトークショーを行います。

■12月12日(火) 未定

■12月13日(水) 最終日は、午後5時で写真展が終了します。

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田中長徳、藤代冥砂、ハービー山口、安珠、角田光代VS横木安良夫

★12月3日(日)は、12時よりpm7時ごろまで会場にいます。

Web
●12月1日(金)~12月13日(水)の間、渋谷パルコパート1、地下、ロゴスギャラリーでの写真展写真展会期中、写真家及び、作家と、横木安良夫がトークバトル?、トークショー、Talk with横木安良夫をやります。
もちろん、写真集をお買い上げのかたに、優先的にゲストひとりの予約券を発行し、席を設けています。
指定ゲスト以外も、席は指定できませんが、参加することは可能です。
ただ、お買い上げにならないかたも、スペースがあれば立ち見の可能性があるとおもいます。ただ、12月11日の角田さんとのトーックショーは、予想がつかなく、入れない可能性もありますので、本をお買いあげになり、早めに予約をしていただいたほうが確実だと思います。

●12月4日(月)pm7-8時 田中長徳 氏
田中長徳氏とのトークバトルです。彼は僕の1年先輩、僕のクラブの先輩一ノ瀬泰造、青山達雄氏と同級です。デザインセンターでバイトしているときに知り合いました。写真の考え方は、実はかなり近いところがあります。ただぼくは、フリーのカメラマンとしては商業系をメインに仕事をしていたので、ありまり接点はありませんでしたが、このところ、ぐっと近いところにいます。かつてのコンポラ写真の話など興味がつきないと思います。

●12月5日(火)pm7-8時 藤代冥砂 氏
藤代氏とは、直接面識はありません。きっかけは、僕の担当編集者が、僕と彼のファンであり、彼と話すべきだとのことで実現しました。もっとも、藤代氏は、五味彬氏のアシスタントをしていたことがあります。五味君は、僕がフリーになったとき、彼が学生時代、僕のアシスタントを何度かしてもらったことがあるといった縁です。そしてなにより、僕がアシスタントをしていた篠山紀信さんの写真、特に「オレレオララ」「ハイマリー」と「晴れた日」を彼は好きだと公言しています。彼は最後のグラビア写真世代かもしれません。作品と、グラビアと、仕事と、文章と、すべてを等価に泳ぐ現代の売れっ子カメラマンです。どんな話になるか、楽しみです。

●12月6日(水)pm7-8時 ハービー山口 氏
ハービーさんと、知り合ったのはこの1年ぐらいまえでしょうか。写真展などで軽く挨拶をするていどでした。彼は長くロンドンにいたので、同世代でありながらあまりかかわりのない写真家でした。見かけるようになって、僕はミュージッシャンを撮る写真家だと思っていました。ところがあるとき衝撃的な写真集を見たのでした。それは代官山同潤会アパートの写真です。僕の事務所はかつて代官山にあり、あの一角のオープンスタジオでもあったのです。ですから僕も同潤会の写真はたくさんあります。ああ、彼に発表されてしまったと、悔しい思いをしました。彼は役者の勉強もしていたので、話もうまく、とても楽しいトークショーになると思います。なにより、彼がロンドンの地下鉄でパンクバンドクラッシュのボーカル、ペニースミスに声をかけて、写真を撮らせた欲しいといったエピソードは最高です。「撮りたいんだろう?だったら撮るんだよ、それがパンクだよ」

●12月9日(土)pm6時半ー7時半 安珠 さん
安珠さんとは、彼女がまだ19歳、新進のモデルだった頃の友達です。ポスト山口小夜子といわれ、マルイのCMから、銀座松屋、西部デパートなどのキャンペーンポスターにつかわれ、当時日本でトップの売れっ子モデルでした。日本にジバンジーがヘップバーンと来たとき、どうしても安珠をパリに連れて行きたいといい、彼女はゆきました。ジバンシーの仕事は半年で終わりましたが、その後は数年パリにいたと思います。そしてその頃から写真家に転進しました。彼女が写真家になることを、僕は驚くことはありませんでした。なぜなら僕と共同でいくつか写真をとりましたが、なかでもパリ滞在中に日本に戻り、YMOの散開記念映画にヒロインとして抜擢されたとき、そのグラビアを雑誌に売り込み、ディレクションしたのが彼女だからです。コピーやアイデアは彼女がかなり提案し、構成も彼女が考えたものです。すでにやることは、いっぱしの写真家以上でした。それから、世界の一流の写真家のテクニックをじかに学び、デビューしたのです。今やテレビでもたびたび登場する、美しい写真界のヒロインでもあります。

●12月11日 角田光代さん
角田さんはいわずと知れた、今一番活躍している、直木賞作家である小説家です。僕は彼女本を実はこれまで読んだことはありませんでした。空中庭園の原作者ぐらいの認識でした。ところがアサヒカメラに登場したりして、彼女の発言が、とても写真と親和性のあるひとなんとだと、気にはなっていました。今回写真集を出版するにあたり、誰かに序文をかいてもらおうと思ってました。同世代ではなく、1967-から1975年の時代を生きていた人に、もちろんそんな記憶なんてなくていいのですが、少なくともあの時の空気をすった人は誰か、と思ったときに、幾人の友人が、角田光代をあげたのです。僕はそこからいくつか彼女の本を読んで、なんだか懐かしいというか、まるでこの人写真家?というぐらい、何か頭の構造が、写真家と同じような部分があると思ったのです。僕は彼女に連絡して、強引にお願いしました。ことわれないような、執拗なお願いです。そうしたら、時間があれば、と快諾してもらいました。初めてあったとき、まるでアイドルのような人だなと思ったのです。アイドルオーラがあります。でもシャイで話は、はずみませんでした。ただ、彼女にあったとき、序文なんかではなく、僕は突然、10枚ぐらいでいフィクションを書いてくださいと、お願いしたのです。角田さんには、彼女の本来の土俵で書いてもらいと思ったからです。それは僕の写真集の時代、同じ空気をすった、違うどこかに生きている、角田さん自身のことを、と再度お願いしたのです。1ヶ月後、素晴らしい、ショートストーリーがあがりました。角田さんの才能に感服しました。まるで僕の写真集のために、存在している小説家なんだと、かってに舞い上がりました。そしてなにより、彼女の生まれた1967年(昭和42年)は、僕が写真を撮り始めた、とき、この写真集のはじまりと一緒だったのです。これは運命といえましょう。角田さんのトークのときのみ、彼女を推薦してくらたひとりでもある、今写真界を影でささえているタカザワケンジ氏を司会進行に参加してもらうことにしました。彼は角田さんの出身、早稲田のひとつ後輩だと思います。さてどんなことになりますやら。写真に興味のない、角田ファンも彼女の違う面が分るかもしれません。

★もういちど確認ですが、基本的には写真集を写真展会場でお買い上げの方に、トークショー、ゲスト指定の整理券を発行しています。その際、一冊について一人のゲストの整理券です。ただ席の確保はできませんが、写真集お買いあげされたかたはなんどでも参加することは可能です。(角田さんについては不確定ですが)

★また、写真集おかいあげでなくても、見るスペースがあればご覧になることは、参加することは可能だと思います。ただトークショーは写真展会場でしますので、あまり広くなく、最悪の場合お断りする可能性もありますので、ご了承ください。(とくに角田さんのときはお断りする可能性があります)

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2006.12.02

横木安良夫写真展初日

●12月3日(日)写真展会場に、12時からpm7時ごろまでいる予定です。

昨日12月1日は、写真展の初日だった。夕方には、オープニングレセプションもした。5時ぐらいからワインを飲み始め、その間の写真を撮るのを忘れてしまった。でも、だけかが撮っているだろう。それをこんどUPすることにする。
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アマゾンより注文

9時ぐらいまで、にぎわっていたがその後、アサカメの編集長に連れられ、沢渡さんらと原宿に。編集長が20代のころから通っている店だ。森山さんがここは原宿の新宿だといったとか・・・・。その後1時前に新宿に行く。タクシーに乗ったのが3時ごろ。

Parco12001

Parco12011
写真展会場では、そこだけで特別販売する特装版写真集がある。ちょっとキッチュで洒落た、わりとしっかりしたつくりのケースに入り、デジタルアーカイバルプリント20.5x24mmサイズのプリントつきだ。これは、5月にやはりここパルコ、ロゴスギャラリーで販売したプリントと同じく、Epsonアートフォトペーパーにプリントしたものだ。写真は1967年に友人と羽田に行ったとき撮ったものだ。出発する飛行機を見送っている外国人女性・・・・。
価格は、15750円(税込み)だ。パルコにこられないかたは、BLITZインターナショナルで、ネット販売しています。


写真展会期中、写真集に載っている写真の、エピソードを紹介します。これは写真集には載っていません。
195
昭和四十二年、一九六七年の春、僕は大学に入り写真をはじめた。十八歳になったばかりだった。最初のカメラは一眼レフのアサヒペンタックスSPだ。すぐにフィルムをつめて家のまわりを撮り、その数日後、友達の暗室で現像、プリントした。モノクロームのプリントにすると今まで目で見ていたものと違う世界がそこには存在していた。
そのうち僕は、家族や身の周りばかりではなく、それまで知らなかった場所にも行くようなった。カメラを持っていると、なぜか勇気がわき行動的になった。  
例えばその冬、東京福生にある横田基地にも行った。横田基地には、フェンスの外、ぐるりと回りに、下級兵士たちの家族が居住するハウスが広がっていた。日本の住宅のように塀をめぐらせ、軒を重ねて建っているのではなく、テレビで見たアメリカの住宅街のように、ゆったりとした敷地に、番号のついた小さな白いペンキの平屋のハウスが並んでいた。今見ると質素だけれど、当時の僕の目にはとてもオシャレに見えた。なにより子供たちが遊んでいる玩具が大きく、それは豊かなアメリカの象徴だった。
でも、その頃横田基地は、ベトナム戦争がドロ沼となり、重苦しい雰囲気につつまれていた。アメリカ国内でも反戦の気運がたかまり、兵士たちも国のために戦うことに疑念を持った時期でもあった。 
それでもハウスの周りで遊ぶ子供たちはむじゃきだった。
でもそのとき、彼等の父親が戦場に行き、生死を分けているとき、目の前の彼等家族が父親の生還を願いながらいつも心に不安を抱えているといった想像力が僕には欠けていた。ニュースでぺトナム戦争の報道はあっても、それは平和ぼけしたぼくには他人ごとだった。こんなふうに、戦場に直接つながっている土地に来ても、少しも気づかなかった。僕は表面的なあこがれのアメリカが目の前に存在していることに有頂天だったのだ。
だから僕は何も見ていなかった。
その翌年、世界中にスチューデントパワーの嵐が吹き荒れた。僕は学生運動に短い間かかわり街頭にでてベトナム戦争反対を叫んだ。
その後、僕はさまざまなものを撮った。デモや街のスナップや友達や、知らない人にも声をかけた。カメラを持つことによって、多くのことを見て、知った。そして想像した。
あの冬の日に出会った子供たち、「彼」、「彼女」は、今何をしているのだろう。

■12月3日(日)   12時からpm7時ごろまで。       

■12月4日(月)  pm4-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、田中長徳氏とトークショーがあります

■12月5日(火)  pm4-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、藤代冥砂氏とトークショーがあります。

■12月6日(水)  pm4-9まで在廊、 
●この日はpm7-8で、ハービー・山口氏とトークショーがあります。

■12月7日(木)  未定

■12月8日(金) 未定

■12月9日(土)  am10-pm9 まで会場につめています。 
●この日は6時半ー7時半で、安珠さんとトークショーがあります。

■12月10日(日) am10-pm9 まで、終日会場につめています。

■12月11日(月) Pm-9時まで、在廊、
●この日はpm6時半ー7時半で、角田光代さんとトークショーを行います。

■12月12日(火) 未定

■12月13日(水) 最終日は、午後5時で写真展が終了します。

★トークショーの予約件はパルコ写真展会場にて写真集をお買い上げの方から優先的に順次発行します。その際、ご希望のゲストの方をお一人お選びください。(立ち見でもよろしければ、複数可能かと思われますが、確約はできません)

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