写真展最終日、pm5時まで。
ついに、写真展は今日12月13日が最終日。午後5時でおしまい。
トラックバックと、記事に関係するものがありました。ありがとう。
ひとつは、僕の銀塩(シルバー)プリント購入の話ののったBLOG YOKOHAMA SCAPE。
もうひとつは、横田基地のある福生のBLOG「限りなく透明に近い福生}です。
★写真展プリントについて
1967 FUSSA YOKOTA TOKYO ASAHIPENTAX SP
昭和四十二年、一九六七年の春、僕は大学に入り写真をはじめた。十八歳になったばかりだった。最初のカメラは一眼レフのアサヒペンタックスSPだ。すぐにフィルムをつめて家のまわりを撮る。その数日後、友達の暗室で現像、プリントした。モノクロームのプリントにすると今まで目で見ていたものと違う世界がそこには存在していた。
そのうち僕は、家族や身の周りばかりではなく、それまで知らなかった場所にも行くようになる。カメラを持っていると、なぜか勇気がわき行動的になった。
例えばその冬、東京福生にある横田基地にも行った。横田基地には、フェンスの外、ぐるりと回りに、下級兵士たちの家族が居住するハウスが広がっていた。日本の住宅のように塀をめぐらせ、軒を重ねて建っているのではなく、テレビで見たアメリカの住宅街のように、ゆったりとした敷地に、番号のついた小さな白いペンキの平屋のハウスが並んでいる。今見ると質素だけれど、当時の僕の目にはとてもオシャレに見えた。なにより子供たちが遊んでいる玩具が大きく、それは豊かなアメリカの象徴だ。
その頃横田基地は、ベトナム戦争がドロ沼となり、重苦しい雰囲気につつまれていた。アメリカ国内でも反戦の気運がたかまり、兵士たちも国のために戦うことに疑念を持った時期でもある。それにもかかわらずハウスの周りで遊ぶ子供たちはむじゃきだった。
でもその瞬間、彼等の父親が戦場に行き生死を分けている時、目の前の彼等や家族が父親の無事な生還を願いながら、いつも心に不安を抱えているといった想像力が僕には欠けていた。ニュースでぺトナム戦争の報道は連日あったのに、それは平和ぼけしたぼくにはからきし他人ごとだったのだ。こんなふうに、戦場に直接つながっている場所に来ても、少しも気づかなかった。僕は表面的なあこがれのアメリカが目の前に存在していることに有頂天だった。
だから僕は何も見ていなかった。
その翌年、世界中にスチューデントパワーの嵐が吹き荒れた。僕は学生運動に短い間かかわり街頭にでてベトナム戦争反対を叫んだ。
その後、僕はさまざまなものを撮った。デモや街のスナップや友達や、知らない人にも声をかけた。カメラを持つことによって、多くのことを見て、知った。
そして想像する。
あの冬の日に出会った子供たち、「彼」、「彼女」は、今何をしているのだろう。
写真展告知
写真集について
特装版をNetで購入希望の方
Amazonで購入できます。★そろそろ、納品される予定です。
★写真集のなかの写真のほとんどは、デジタルアーカイバルプリントとして販売しています。
●おまけ GRist 初回は僕です。 http://blog.ricoh.co.jp/GR/archives/2006/11/grist_1.html
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Comments
横木様
昨日はどうもありがとうございました。
写真展ということでとても緊張していたのですが、
横木様のお人柄に和まされリラックスして写真を観る事が出来ました。
わざわざリンクしていただいたこの記事、そして写真集。
宝物をありがとうございます。
Posted by: kino | 2006.12.13 01:38 AM