モノクロ日和の日 コダクローム
●横木安良夫写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」文・角田光代
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DEC.2006 Shimouma Setagaya Tokyo GRDigital ISO 64 JPEG
午後、外はモノクロ日和だった。晴天の冬は、日中でも影がながい。今日は風もなくさほど寒くもない。小春日和?僕は昔からこんな日には、カメラにモノクロを詰めて、家の周りを撮る。特別遠くに行く必要はない。ほんの散歩のつもりでぶらぶらあるく。街は光と影がおりなすグラデーションで、いつも見なれた風景をすっかり変えてしまう。今はデジタルカメラになって、冬のカラー写真の発色を心配することもないので、冬の街をカラーで撮ることも可能だ。でもやはりモノクロが綺麗だ。冬の日本が苦手だったらフィルムといえば、コダクロームだ。ポール・サイモンのヒット曲もある。あの深い、濃厚な発色は日本の冬にあまり向いていなかった。僕は冬の撮影は、かならずエクタクロープロフェッショナルを使った。ストロボを使えば、もちろんコダクロームでOKだが。自然光だけのときは、気が抜けたような発色になった。特に、冬の九十九里と相性が悪かった。コダクロームは、カリフォルにで撮るのが一番綺麗なんだろう。そういえば、そのころヨーロッパでも、コダクロームではなく、エクタクロームが主流だった。
そんな、コダクローム64が日本では販売終了になる。実は僕はもうずいぶんまえからコダクロームを使っていないのでさほど感傷的ではないが。それは1990年代、フジのベルビアが発売された頃が変わり目だ。それまで、コダクロームは、魔法のフィルムだった。35mmカラーフィルムといえば、コダクローム。それ以外のフィルムは、特殊だった。少なくとも僕は、そう思っていた。だから広告のB倍ポスターだって、コダクロームの写真が多かった。僕がやっていた、コーセー化粧品のポスターだって、コダクロームだった。120ブロニーフィルムより、ずっと印刷に向いていたのだ。ただ、そのころ東洋現像所、後にイマジカしか(わずかに堀内)とりあつかっておらず、しかも現像は常にノーマルだけ、なにより露出に一番気をつかうフィルムでもあった。コダクロームについていは、以前になんども、BLOGに書いている。それを読んでもらうとして、何しろコダクロームは、世界最初の実用カラーフィルムだった。それが永遠といままで行き続けていることじたいが、奇跡だ。ロバートキャパは、発売された数年後には、コダクロームを使用している。コダクロームは、耐久性にすぐれ、キャパの50年以上も前のフィルムが、近年発見され、その発色が少しもそこなわれていなかったことは、驚くべきことだった。キャパの最後のカラー写真も、コダクロームで撮られている。
1954年5月25日 インドシンナ、現ベトナム、ハノイ南東、赤河デルタの町、ナムディンから、タイビンをすぎ、タンネ(現キエンスオン)の入り口付近、午後3時ごろ。キャパはこの最後の写真を撮影。直後前方の土手にのぼり、地雷を踏んで吹き飛ばされた。右手にはコンタックスが握られ、近くにニコンSがころがっていた。ある意味キャパは自分の死の場所を撮影している。Photo by Robert Capa (ロバート・キャパ最期の日より転載)
このコダクロームは、コダクロームⅠで、感度はASA(ISO)10、もしくは12.
コダクロームは多くの傑作写真を生んだが、キャパの最後の写真は歴史にのこる一枚だろう。
僕がアシスタントの時代は、ISO25のコダクロームⅡの時代だった。いわゆるKⅡだ。KXという64のフィルムもあったが、ほとんどKⅡだった。KⅡの色の素晴らしさは、いまでも語り草だ。しかし、僕がフリーになるころ、KRこと、コダクローム64が主流になった。KMというコダクローム25は、乳剤が安定せずつかいずらかった。しかし、KⅡからくらべると、その発色は不満があった。そして90年代、僕はフジ、ベルビア、プロビアに完全にシフトする。今でも、銀塩フィルムは、プロビア、RDPⅢを使っている。たった一種類のフィルムでも、フィルターワーク、増減感によって、フィルムの発色、コントラスはずいぶんとかわる。
家の近くをモノクロスナップ
GRD
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GRD DtoH
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