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April 2007の13件の記事

2007.04.25

ESTNATION 朝日新聞広告 とMini写真展

前回書いた、朝日新聞のエリア広告は、結局販売店が扱っていなかったので、直接朝日新聞から送ってもらうことにした。もっとも今日、六本木ヒルズにある、ESTNATIONのSHOPに行ったので何部かもらうことができた。やはり新聞は、本紙よりは弱冠、紙がいいものの、黒がしまっていない。同じく昨日発売になった、幻冬舎ゲーテ6月号のほうが発色がよい。でも新聞という媒体だと、乱暴な質感、これもカジュアルでまたありなんだと思う。モノクロが正方形になっているが、これはレイアウトの都合でトリミング。オリジナルは、ゲーテ誌にのートリミングで掲載されている。
それより、新聞大の写真は迫力がある。紙面は通常の朝日新聞と同じ、朝日新聞という字は同じ大きさだからわかってもらえると思う。上の左側グリーンぽいtopの写真が、マミヤRZ67、真ん中のモノクロが、GX100、その他は、NIKOND80で撮っている。もちろんGX100でもっとたくさん撮っているが、それは5月末に発売する「GX TRAVELER IN VIETNAM +」にて掲載する。この紙だと、モノクロのほうがあっていて、綺麗にでていた。
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●新聞3ページ分の大きさだ。真ん中のモノクロは、GX100で撮影。左から、マジェスティクホテル前、背景はサイゴン川。中、マジェスティクホテル、屋上バー。ベトナム戦争時代、このバーで、例えば開高拳や沢田教一、当然一ノ瀬泰造も訪れたろう、ジャーナリスト達が毎晩その日の戦果を語り合った場所だ。右は、今年グランドオープンした、ダナンとホイアンの中間にある、リゾート、ナムハイホテルだ。
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●ベトナム北部、少数民族、花モン族と、ドイツ人モデル、ルーベン。彼はすっかりベトナムにはまってしまった。花モン族の彼女達は決しモデルではない。このために協力してもらった。彼女達は一年中この美しい衣装を着ている。農作業するときもこのままだ。この撮影の顛末は、
5月末発売予定
GX TRAVELER in Vietnam+」で。
この複写は、壁に画鋲で張り、GX100の内蔵ストロボ直で撮った。新聞はマット紙なので反射を気にせず、こんなふうに乱暴に複写できる。サイズは縦516mmX横は3面続きで1155mmもある。

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●「GX トラベラー IN  VIETNAM+」アスコム刊 予価2000円 写真と文 横木安良夫 5月末出版予定

●そのエストネーションだが、4月24日から5月7日まで、六本木ヒルズにある六本木店と、ビッグカメラの向かいにあるエストネーション有楽町店で、僕のベトナムの写真を展示している。
ゴールデンウイーク期間中、お近くにおでかけのかたは、是非ご覧になってください。高級SHOPなのでちょっと入りずらいが、僕も緊張します、気にせずどうぞ。僕が手がけたのは、メンズだが、レディスはもっと広い。
その六本木店は3000平方もある巨大な、ファションストアーです。こういう規模の店は日本でいままでありません。アメリカでは、スペシャリティ・ストアーというのかな、ちょうどニューヨークのバーニーズのようなものです。基本的にはヨーロッパで作らせたエストネーションのオリジナルですが、デザイナーズブランドも入っています。まあ社会見学として見に行くだけでもよいと思います。値段にびっくりしないように。
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エストネーション六本木店の入り口の写真 
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●六本木店 店内のディスプレー

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●有楽町ビッグカメラのちょうど向かいに、有楽町店があります。そのショーウインドの写真。
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●有楽町店
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●入り口ドアのディスプレー
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●入り口のディスプレー

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2007.04.24

実はGX100でも撮影している。

Bachagirl
NikonD80 TAMRON 17-50mm f2.8 Jpeg BacHa 花モン族の高校生(寄宿生)

●今日発売の幻冬舎、GOETHE6月号に、先日ベトナムで撮ったESTNATIONのファション広告と編集ページが掲載されていることは昨日書いた。全体にオリジナルより、濃度が高めになっている。まあ、雑誌によって印刷の好みは違い、予想内の範囲だ。
それより、トップのマジェスティクホテルの前で撮った、グリーンがかった、背景のシクロやバイクが流れている写真は、マミヤRZ67で撮影しているのだが、そして他ページの写真と合わせるために、デジタル化しているし、もちろんCReCoしているの。実はこの写真の印刷がちょっとシャープネスがきついような気がした。
●僕はデジタルレタッチするとき、全体にシャープネス(アンシャープネス)をかけることは、ほとんどない。なぜなら印刷の現場では、かなり強くシャープネスがかけられるからだ。シャープネスの強いデジタルプリント(そうするとはっきり見えるので、やりがちだ)は、印刷にあまり向いていない。・・・・。
さて他の写真は、実はNIKONのD80で撮っている。もう十分の性能だ。正直ニコンのカメラでは僕はD2Xより80のほうが好きだ。断然軽くて軽快だからだ。最後のページのオレンジぽい見開きページバクハの写真もD80だ。朝日新聞のエリア広告ブランケット版見開き、516mmx790mmの写真も問題なく伸びている。もっともオリジナルデータを250メガぐらいにリサンプル(リサイズ)しているが。そして今回はデジタルはどれもJpegでの撮影だ。いまだ勘違いしている人がいるが、RAWで撮れば、レタッチができて、JPEGは触らないとおもっいるひとがいる。どちらも同じように、自由にレタッチ(CReCo)できる。違いはネガフィルムとポジフィルムの差ぐらいしかない。
●さて、実は3ページ目の、マジェスティックホテルのバーで撮ったモノクロ写真は、CaplioGX100で撮っている。
もちろんD80でも撮っているが、最終的に選ばれたのがGX100の写真だった。ごく普通に馴染んでいると思う。これは朝日のブランケット版では、正方形にトリミングされ、使用されている。当然74メガまでリサイズしている。印刷してしまえば、一眼デジカメとの違いは、被写界深度でしかなくなる。
一眼デジカメと、コンパクトデジカメを、同じ土俵で語ることはナンセンスだ。それは描写の違いで、優劣ではない。4000万画素のデジカメと、1000万画素のデジカメの差も、優劣じゃない。それぞれ世界観が違うだけだ。だからプロはそれに見合ったカメラは、何でも使う。
いってみれば、総合格闘技でウエイト制をとっているが、それは時間というワクのなかでの戦いだからだ。ヘビー級は足場の軟弱な場所で戦ったら勝てるだろうか。そしてリングがなければ、捕まえることもできないかもしれない。なんといっても燃費が悪い。ただ移動するだけでも足に負担が来る。実際は勝つためには軽量であることのメリットは無限にある。物事には優劣よりも、差異が一番重要だ。
話が脱線したが、GX100クローズアップの写真も撮っている。当然だろう、クローズUPはコンパクトデジカメの独断上だ。

●話変わって、僕は、レタッチのとき、全体にシャープネスをかけることはほとんどないと書いた。部分的にはもちろんかける。それより、ぼくはノイズを重視している。それはCReCoに書いてあるとおりだ。ずいぶん以前、2005年にノイズに書いたことがある。それについて、コメントがあり、僕はずいぶん勇気づけられた。デジタルの専門家の間では当然のことらしい。面白き記事なので読んでほしい。

●ところで、朝日新聞のエリア広告。エストネーションは、東京都内から顧客ターゲットとして、昨日の地域で折込広告として配布することになっていた。僕の住む町もリストに入っていた。冗談としていえば、僕の住むエリアは、エストネーションの顧客になる可能性がある地域だということだ。そういうふうに、データを持っているのだろう。ところが、残念ながらわが家はスポイルされた。ちょっとむかついた。
そして昔読んだ話を思い出した。
それはアメリカの郵便料金が値上がりしたため、それまで数百万部を発行していた、ある雑誌は部数を身の丈にあうように、調整するようにと、新しい社長から提案がされる。何しろアメリカの雑誌は宅配が主流だ。宅配のメリットは、顧客情報を100%近く、把握することができる。日本の新聞社だって、実は情報を持っているはずだ。それを活用しているかどうかは別として。さて、コンピューターでいままでの顧客を大幅カットすることになった。部数を減らすとどんなメリットがあるのかといえば、雑誌は広告によってなりたっているからだ。同じ広告料だったら発行部数が少ないほうが利益がある。なぜなら印刷コストと紙代が膨大だ。
さて、コンピューターで、優良顧客をリストアップしたら、なんとそのくだんの社長がはじかれていたという笑い話だ。・・・僕の場合と何が一緒なのとわれてしまえばそれまでだが・・・・。

●さて、Caplio GX100で撮ったベトナムの写真は、「GX Traveler in Vietnam+」という本を、アスコムから5月の末に出版する予定で、そのときに、写真をたくさん載せるつもりです。それまでGXの写真、ベトナムでの写真はUPしません。それまでよろしく。

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2007.04.23

ゲーテ&エストネーション in Vietnamと飯塚達央写真展

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RICOH Caplio GX100 ISO80 24mm
本日、4月24日(火)、幻冬舎の発行する、GOETHE(ゲーテ)6月号が発売され、そこで3月にロケしたベトナムのファッション広告が6ページ掲載される。クライアントは六本木ヒルズと、有楽町にある高級ブランドShop ESTNATION(エストネーション)。その他に、編集ページが7ページ。書店に寄ったおりにごらんください。
そして、その広告は朝日新聞のエリア広告ブランケット版(516x385mm)5ページ分にもなっている。エリア広告というのは、例えば今回は、東京の中で、下記の地域に折込広告として配布されるもの。今回は約、10万部がまかれるという。なんとかぼくの住むところにも配布される模様。明日の朝にならなければわかならないが。
丸の内  銀座 汐留 三田  白金  赤坂 青山 十番 西麻布 高輪 学芸大学駅前  目黒 中目黒 
目黒不動 自由が丘 目黒本町 都立大駅前 上目黒 大岡山 田園 調布 駒沢三宿 成城 下馬 等々力 深沢 三軒茶屋 九品仏 千駄ヶ谷 上原 富ヶ谷 恵比寿 
もし朝日新聞をとっていて、上の地域の人は、ご覧になる機会があると思う。新聞サイズの広告6pは迫力がある。内容はゲーテ誌と、7割がた一緒だ。それと、六本木ヒルズのエストネーション内でベトナムの写真を展示している。六本木にお出かけの方は、是非おたちよりください。 
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●4月29日まで、目黒にあるギャラリーコスモスで北海道在住の写真家、飯塚達央氏が、写真展「カムイミンタラ」を開催している。関西から北海道に移住して10年、北の大地で写真を撮り続けている。今回は二つのテーマ、自然の風景と、ローライフレックスで撮ったシリーズ。僕はローライのシリーズが好きだ。 プリントはすべてデジタルプリント。プリンターはエプソンの5500と7500による、デジタルプリントのモノクロファインプリントだ。 マット系なのにプリントした表面が少しきらきらしている。僕も一度テストしたことがあるが、このペーパーは今回の作品にぴったりだった。デジタルのファインプリントとしてもみる価値あり。実は22日の夕方まで飯塚さんは在廊していたので偶然短い時間だったけど会うことができた。
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彼の仕事のなかで、草原写真館というのが素晴らしい。ああいう風景の中で家族写真を撮ってもらえるなんて素敵だ。彼はもう北海道に帰ってしまったようだが、月曜をのぞいた、29日まで開催している。ギャラリーの下の階は、知るひとぞ知る、海外から取り寄せた、デジタルプリントのペーパーや、コンポジットのブック、ケースを専門に扱っているSHOP、COSMOS INTERNATIONALがある。


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2007.04.22

GX Traveler on Shinjuku

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GX100
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夜新宿で打ち合わせのあと、ゴールデン街のパインツリーに行く。カウンターのなかにいるMURAYAMAくんに久しぶりで会う。GX100を韓国系の若い女性が、それGRでしょうと興味を示す。その後、医大通りにある、NEKOMEにゆく。店はママと写真家のIWANE AIしかいない。彼女の妹の話をする。しのぶ会のために、CDをダビングしていた。いままでパソコンはもらってばかりだったが、今回初めて買ったという。スライドショーを見せてもらう。胸がいたくなる。でも内容は、プロフェッショナルなものだった。しばらくすると客がぞろぞろ。するとHIRAGIくんが友人と3人でくる。カメラバー状態だ。12時過ぎはほぼ満員。2時半過ぎまでいた。客はまだたくさんいる。ブラブラと駅方面にあるき、写真を撮った。夜の新宿、いたるところで、自転車やバイクが倒されていた。
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2007.04.20

Caplio GX100発売記念ストロボ裏技教室

本日、4月20日、RICOH Caplio GX100が発売された。ずいぶんもりあがっているようだが、楽しみだ。さて、発売記念で、早速GX100を手に入れた人たちに、内蔵ストロボの裏技を教えよう。作例はないが、簡単なので試してほしい。
4月2日に、、EVFをUPさせても、直立させなければ使えると書いた。メーカーは、使用不能となっているが、自己責任で使う分には問題ないだろう。
ストロボが使えないもうひとつに、ワイコン使用時もXとかいてある。つけたままストロボを発光させれば一目瞭然、レンズで画面の3分の1ぐらいがケラれて暗くなってしまう。デジタル1眼でも巨大なワイドレンズを使ったり、大きなフードがついていると、ケラれるのはよくある。まあしかたがないことだろう。
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●コピー用紙ぐらい薄い紙を、台形に切る。

さて、GXの内蔵ストロボはポップアップすると、ちょっと変わった構造になっている。まるで何かを載せてくださいとばかり余裕がある。そこでふとおもいついたのが、コピー用紙を小さく切って、載せてみた。紙にディヒューズすることで発光部を大きくしようというのだ。大きくすれば中心も上がる。左右や天にこぼれた光で軟らかくもなる。あえて作例はUPしない。手に入れたらやってほしい。半分遊びだけれど、とても効果的なストロボ使用法だ。

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●小さなプラスチックのオプションでもあれば、よいかもしれない。ストロボのポップアップが手動なのもよい。

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●上から見ると、絶妙に乗っているのがわかるだろう。もちろんテープで固定したほうが、動き回れるが、ただのせただけでも問題ない。

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●横から見たところ。紙の大きさは各自工夫されたし。露出はアンダーになるようだったら、明るめに設定する。

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●実はこれは、ワイコンのための裏技じゃない。ワイコンなしの通常のストロボ撮影でも、人物を撮るときなど、光をやわらかく回す場合に使える。紙の形や向きなど、工夫しだいでさまざまなライティングが可能だ。やってみてすぐ答えがでる。さまざまなタブーに挑戦するのも、デジタル時代の写真の楽しみでしょう。こうやってみると、EVFの形状が、固定するのに役にたつ。


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2007.04.15

コマーシャルフォト5月号 GX100にて複写

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コマーシャルフォト5月号
この写真は、コマフォトサイトからの無断引用です。

●「コマーシャルフォト5月号」に、僕のオリジナルプリントについての考え方の記事が載っている。特集は「オリジナルプリントの売り方、教えます」
その僕のページを、CaplioGX100にて超ラフに複写してみた。真面目に複写するのもつまらない、わけではなく真上にある天井の蛍光灯そのままでのライティングなので、光源の反射や自分の影をさけるため、斜め手前から撮影。
当然パースがつく。それをフォトショップでゆがみ矯正。
写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」写真集の本の部分は原寸天地3.5cm。こんないいかげんな複写でも小さな字がけっこう読めるもんだ。印刷では当然名前も、ブルーの文字もなんとか読める。真上から撮り、きちんとライティングすれば問題なく読めるだろう。これは50mm近辺で撮ったが、72mmで撮り、フレーミングに少し余裕を持って撮れば完璧だと思われる。ちゃんとした解像度などは、フォトショップで適当に、いいようにいじっているので、参考にはなりません。あしからず。
それと、コマフォトは発売されたばかりの本です。残念ながら読めるようには紹介できません。内容は本屋さんで買ってください。立ち読みでも。とてもためになる内容です。
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●↑GX100 50mm相当。こんなやり方でも複写はできる。まわりは切り抜きました。

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●上の写真をフォトショップで、ゆがみを矯正。まあ適当にやっているので完全ではない。時間をかければもっとまともになるかも。
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↑複写した部分を拡大。ぼけぼけだけど、かなり小さな部分だから、きちっと複写すればもんだいなく読めるはず。
●↓実はGX100の接写能力のすごいのは、小さなものの複写に驚異的な能力を発揮する。これは本の部分だけを真上から複写。上の写真よりずっとライティングはまともだ。クリエイトのライトテーブル1灯を横から当てている。光りのムラはライティングがいい加減なせい。
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●↓そして、GX100ほぼ接写1cmの世界。あまりに近すぎてライティングが難しい。近づいたレンズの影になってしまう。こんな接写、デジ一眼では絶対に無理だ。かなり大掛かりになってしまうだろう。こんな接写がGX100は、手持ちで簡単にできる。まあ、ここまで近づくと、ライティングも含めていろいろ面倒だけど。

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●さて、さて、デジ一眼とコンデジを同じ土俵で較べるのは不思議な気がする。写り方の優劣じゃなく、その違いにこそ意味があるから。
いわゆる現実の仕事の世界ではどんな写真が撮られているのか見ればわかると思う。画素数、解像度を競うような写真は誰も撮っていない。どちらかといえばプロのカメラマンたちは、いかにしたら写り過ぎないかを考えている。なんでエスクアイアーのファッション写真は、露出オーバーなのだろうか。なぜ、グラビア写真の中でネガカラーを使い、カラープリントで入稿するのか。ポジより遥かに情報量は少ない。シャープネスもない。解像度も低い。化粧品のポスターは、肌があんなにレタッチされているのだろうか、なぜトイカメラや、ポラロイドが人気なのか、なぜカラーよりモノクロ写真に説得力があるのだろうか。
そのどれもが、写りすぎるカメラやフィルムへの抵抗だ。産毛真で描写するなんて誇っているのは、一部の技術者だけだ。普通は、美女の毛穴なんて見たくない。情報量を削る作業、無限の情報量にあふれた、現実から、カメラによって写真にすることで、情報量をへらす。そのことで、伝えたいことを明確にする。圧縮をかけられた情報は、人間の記憶に結びつく。人間の記憶は圧縮されているから。一枚の写真はサムネイルみたいなもので、それを見ることによって、記憶がよみがえる。・・・・。そんなことを、MONOマガジンのモノクロ写真特集で、僕の記事があるので書店で立ち読みしてください。


写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」 横木安良夫 文・角田光代
僕の作品をお求めになりたい方は、ArtPhotoSiteGalleryまで。

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2007.04.12

RICOH Caplio GX100 皮ケース

GX100に、専用本皮ケースがある。EVFをつけたまま、収納するマニアなケースだ。EVFをつけない場合は、上部をたたむことができるという。複雑なつくりのため、ちょっと高い。5880円。

Photo by GRD
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●僕はカメラをケースに入れたことがない。いつの頃から皆カメラを裸で持つようになったのだろうか。昔はかならず皮の立派なカメラケースに入っていた。それが普通だったと思う。僕が最初に買った1眼レフカメラ、アサヒペンタックスSPも、黒い皮のケースに収まっていたと思う。
大学に入ると皆カメラを裸で持っていた。ケースにいれたままは、かっこ悪いと気づいた。プロは皆カメラを裸で持っていた。
いや、50年ぐらい前、ロバートキャパの時代、戦争カメラマンは皆、皮のケースに入れたまま使っていた。世界で一番勇敢だといわれていたキャパも、例外ではなかった。彼は、ローラフレックスとコンタックスⅡで主に撮っていたが、どちらも皮ケースにしっかりと入れていた。
撮影のときは、上部から前部の覆いを、だらりとだらしなくさげて撮影する。全然プロぽくない。
カメラを大切にしているようで、レンズはネクタイで拭いてしまう。昭和29年4月、キャパは毎日新聞社、カメラ毎日創刊のために招待されて日本に来た。そして日本は、ピクトリアルパラダイス、写真の天国だと歓喜したという。そのときも、やはり皮ケースをだらりとたらしていた。その姿をみて、同行したカメラ毎日編集者の金澤秀憲は、(彼は写大出の新聞カメラマン、理論家だった、戦中は海外特派で英語が堪能だった)キャパの写真の撮り方をみて、まるでアマチュアみたいだと言った。
GX100に、皮ケース、デジタルでありながら、ちょっとクラシックなイメージのGX100だが、ギミックとしてはさまざまなタイプのケースがあってもよいと思う。例えば、ケースに入れたまま撮れるタイプとか・・・。

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2007.04.08

ロバート・キャパ最期の土地の最新レポート

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photo by Robert Capa 1954年5月25日  「ロバートキャパ最期の日」より転載 
この写真は、キャパが最後に撮った写真だ。カメラはNIKON S 35mm コダクロームⅠ キャパはこの写真を撮った直後、前方の土手を駆け上がったあたりで地雷を踏んだ。この写真はよく見ると不思議な写真だ。それはアングルだ。地平線から判断して、人間の目の位置ではないことがわかる。何かの上に乗って撮っている。僕は、「ロバート・キャパ最期の日」では、キャパが戦車の上から撮っていると推察している。

Capalastshot1
photo by Robert Capa 1954年5月  「ロバートキャパ最期の日」より転載
キャパが撮った、最後のモノクロとカラー写真の比較  カラー写真が最後にキャパが撮った写真だ。兵士の動きを精査すると、モノクロを撮った10数秒後にカラーを撮っている。モノクロはコンタックスⅡ、レンズは50mmだ。

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2004年5月25日 Photo by Alao Yokogi キャパが最後に撮った場所とほぼ同じ位置からの撮影。
このあたりで唯一ここだけが、水田のままだった。このときすでに、ここが工場予定地だと、キエンスオン町の町長は言っていた。

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2005年12月 基礎工事が始まった Photo by Ohnuma

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2006年9月10日 そして韓国の靴工場になってしまった。 photo by Hawaian

●ベトナムハノイに住む、中村さんが、ロバート・キャパが最後の写真を撮った土地、直後地雷を踏んで死んだ土地の最新フォト(2007年3月)を送ってくれた。

キャパの最後の土地について
●1954年(昭和29年9ロバート・キャパは日本を訪れた後、ライフ誌の要請でベトナムに飛んだ。そして1954年5月25日、ハノイ南東70キロ、紅河デルタの町、ナムディンからタイビンに向かう、堤防で地雷を踏んで死んだ。
僕は、1998年、「サイゴンの昼下がり」を書くため、キャパの公式伝記である、リチャードウイーランの伝記を読みながら、キャパの最期の土地をとずれた。ところが、伝記に書いてある場所にいっても、いくら探し回ってもそんな場所は見つからなかった。しかたがなく、きちんと調べてからもう一度訪れようと、決意した。
そして、キャパが死んでから50年目の春に、ふたたび訪れた。
そのときには克明に下調べをして望んだ。それでもなかなか見つからなかったが、ようやく見つけた。
その後、ハノイのベトナム写真家協会や、多くの友人とともに、50年目である2004年5月25日、現地で慰霊祭もやった。
考えてみれば、その土地は、その周辺のその場所だけが、50年間あたかも、僕を待っていたかのように、水田のままに残っていた。
その場所の発見のプロセスは、拙著「ロバート・キャパ最期の日」に書いた。さらに宿命を感じたのは、それから一年半で、その場所は、韓国の靴工場になってしまった。キャパの死後50年間もそのままだった土地が、あたかも、僕の取材を待っていたかのようでもあった。今は、下の写真のように、キャパが最後に撮った位置からは写真は撮れない。僕は本当にラッキーだったと思う。
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2007年3月13日 photo Masami Nakamura
キャパが最後に撮った場所から、右に10数メートルの位置からの、撮影。もうこのカーブの曲がり具合しか写らない。
Capa0703131
photo by Masami Nakamura 2007 3 13
僕の撮影した、2004年に撮った写真に写っている、青々とした水田のさきにある建物を、道路横からの撮影。

以下アーカイバルブログから
★ロバート・キャパ最期の日 INDEX

●1954年ロバート・キャパは、仏領インドシナ、ハノイ南東(現ベトナム)、紅河デルタの街ナムディンから、紅河を越えた、タイビンで地雷を踏んで死んだ。
正確にはタイビンの街からさらに東にある、タンネ村(現在のキエン・スオン町)の入り口、道路が左に曲がったあたりの土手で吹き飛ばされた。
リチャード・ウイーランが書いた、ロバート・キャパの伝記(沢木耕太郎訳)にはキャパの死の場所が克明に記されている。その場所について土台となったのは、その日の掃討作戦にキャパの同行取材したライフ誌の記者ジョン・メクリンの記事からの引用だ。
僕は1998年、リチャードウイーランの伝記を読みながら、時代こそ違うが、一ノ瀬泰造、澤田教一と同じようにインドシナ半島で死んだ、ロバート・キャパの最期の土地に興味があった。だからキャパ最期の地に行き、花を手向けようぐらいの気楽な気持だった。
ところが伝記にあるドアイタン、タンネという場所の名をナムディンやタイビンの人たちは全く知らなかった。ネライをつけた場所の周辺をタクシーで走り回ったが、まるで狐につままれたように当てが無い。しかたがなくキャパが最期に撮った写真、それはモノクロとカラー写真なのだが、その写真の風景に似た場所を探し回った。そのときは、似たような場所を撮影したが、確信はなかった。再度、きっちりした調べをして
キャパが死んだ1954年から50年たった2004年までには、見つけようと思った。

●そしていつのまにか、数年たった2003年の年末、翌年がキャパ没50年になったとき、僕は大慌てでキャパの死の場所を再発見する算段を始めた。もちろんそれまでに、資料は集めていたので、頭のなかではかなり整理できていた。そして翌年、2004年春、僕は満を持してハノイに行った。
簡単には見つからなかったが、ようやく、キャパ最期の土地を特定した。その記録が、「ロバート・キャパ最期の日」だ。
キャパ最期の土地、キャパが最期に撮影したその場所は、市街地化してしまったその場所だけが、奇跡的に残っていた。まるで、50年間、僕が来るのをキャパは待っているかのようだった。
●この「貴重な場所で、没50年にあたる2004年5月25日、ベトナム写真家協会とキエンスオン町長も交えて、100名ぐらいがあつまり、慰霊祭をした。そのときにキエンスオンの町長にこの場所を遺し、慰霊碑を建てようと申し出た。ところが市長は、ここはすでに工場地区になっているので、残念ながら無理だと言われた。具体的な話は聞けなかったが、2005年の暮、大沼さんというカメラマンが工事中のその場所を写真を送ってくれた。韓国資本の靴工場ができるとのことだった。


●その後、2005年12月、ハノイ在住のハワイアンさんから、現在のその場所を写真を送ってもらった。その土地全体がなくなったわけではないが、もうキャパが最後に撮ったアングルで写真を撮ることはできなくなった。
そう思うと、2004年に僕が撮ったことが奇跡のように思えてきた。
最近のベトナムの変化は、50年を数年で変革しているようだ。
そういえば、1998年に訪れたときと、2004年では、国道やすべてが変わっていて驚いたものだ。ベトナムの90年代後半の発展はすさまじい。それまでの45年間のゆっくりとした時間の流れは、たった2,3年で劇的に変化していた。

以下最新Photo  Photo by Hawian  2006年9月10日撮影
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関連 キャパの土地がなくなる 2005年1月

●関連 ロバート・キャパについてのミステリー
「キャパの最後の写真は、本当にニコンSで撮ったのか、ソレトモコンタックス2だろうか。」
以下重複記事あり。

●キャパの伝記によると、1954年5月25日、ベトナムハノイ南東の町、ナムディンとタイビンの間にある、土手を登ったあたりで、午後3時ごろキャパは地雷を踏んでしまう。(実際は、ナムディンからタイビンの町をすぎ、タンネ、現在のキエンスオン、に向かう途中だ)
ここにひとつ大きな疑問がある。それは、キャパはいったい、どのカメラで最後の写真、ラストショットを撮ったかだ。
荒地を、戦車が先頭になり、兵士たちが散開しながら進んでいる。のんびりとして緊迫した戦場と思えない静かな美しいカラー写真。右手の土手は、左にゆるやかに蛇行している。
伝記によると、キャパはモノクローム、コダックダブルXをコンタックス2に、そしてカラー、コダクロームをニコンSに入れていると記されている。
しかし、同行レポートしたジョンメクリンのライフに掲載された、キャパの最期についての記事には、カメラの種類は書かれていない。単に一台は投げ出され、もう一台のカメラを握り締めていたとしか記されていない。そうすると、どちらのカメラで、最後の写真を撮ったか、どちらにカラーとモノクロフィルムを入れていたかは、あくまで後の想像でしかない。
もしかしたらリチャードウイーランの書いた伝記のソースである、コーネルキャパの思い込みかもしれない。
コンタックス2は現在どこにあるか、不明だがニコンSは、日本にある。
それはキャパの写真を大量にコレクションしている、殆どがニュープリントだと思うが、富士美術館にコーネル・キャパが寄贈したようだ。(もちろんかなり気前のよい対価が支払われた)そのへんの経緯について富士美術館は教えてくれなかったが。
僕は、キャパの本を書いているとき、そのニコンSを見せて欲しいと打診したら、状態が悪いのでと断られた。以前はテレビでもかなり多くの人に見せ、触らせているのにだ。まあ、いろいろ事情があるのだろう。
さて、本題だがキャパが残した写真を見ると、2台のカメラで撮った最後の写真は、僕の制作ノート(↑上の写真で紹介ずみ)の写真を見れば、お分かりになると思うが、画角のせまい、モノクロ写真だ。
ひろびろと写っているのがカラー写真であり、戦車や兵士の動きから判断すると、カラーのほうが後に撮られていることがわかる。
結果、モノクロは50mmの標準レンズ、カラーは35mmのワイドレンズで撮られていることもわかる。
伝記では、カラーはニコンSとあるので、モノクロがコンタックスだ。
ところがここに大きな疑問点が存在する。
それは、現在富士美術館にあるニコンSには、50mm標準レンズがついている事実だ。しかもレンズにはドラマチックに泥までついている。ということは、ニコンSは、キャパが地雷を踏んだときには、50mmレンズがついていたと思うのが本当だろう。すくなくとも、泥で汚れたレンズは、キャパの死んだベトナムの土のはずだ。
実は、問題を複雑にしているのは、ニコンSとコンタックスは、レンズマウンとが共有可能だったことだ。
いってみれば、ニコンとコンタックスのレンズは、マウントが同じなので、共用することも可能ではあった。
しかし、日本で撮られたキャパの写真を見ると、コンタックスには、コンタックスのレンズをつけて撮っている。日本での撮影では、カメラ雑誌のデータによると、キャパはニコンSに35mmレンズをつけていることが多かった。
キャパはニコンとコンタックスのレンズが共用できたとしても、基本的にはそういうことはしてなかったように思える。 ニコンに50mm標準レンズがついていたとなると、伝記に記されていたカメラは矛盾することになる。

●僕は、「ロバート・キャパ最期の日」で、その矛盾を晴らすために、キャパは走りながらニコンのレンズを二コールの35MMから携行していたニッコールの50mmに換えたと書いた。そうでなければ矛盾があるからだ。
それは十分可能性があることも事実だ。なぜなら最期の日に撮ったカラー写真は、ワイドで撮った写真が多いが、標準レンズで撮ったものも混在しているからだ。モノクロの入っていたコンタックスにしても、コンタクトプリントを見ると、50mmと35mmを途中で変えて撮ったりしている。だからキャパが最後のカラー写真を撮ったあと、35mmワイドレンズから50mm標準レンズに付け替えたことは十分ありえる。だからぼくは、そう書いたわけだ。
しかし、ジョン・メクリンがカメラの機種について言及していないとなると、あくまでも伝記の記述は想像でしかないのだろう。
考えて見れば、ニコンSにモノクロ、レンズは50mm標準、コンタックス2に35mmワイド、フィルムはカラーとすればかなりずっとシンプルな構図になるだろう。
キャパのインドシナで撮影したモノクロコンタクトプリントを見ると、同時にレンズ画角の違う二台のカメラで撮ったシーンがある。どうみても二台のカメラでモノクロを撮っている。
裏ずけるように、キャパの撮ったカラーフィルムを見ると、最後の2日間に限られている。ということは、それまでは、ニコンにもコンタックスにもモノクロフィルムが入っていたことになる。
きっと、弟コーネル・キャパは、キャパがずっと使ってきたコンタックスにカラーを入れて、サブに使うとはないとの思い込みがあるのではないだろうか。
キャパは日本で使い始めていたニコンSにかなりなじんでいた。
だから最後の二日間は、どちらのカメラをメインにすることも、可能だったのだろう。
だからニコンSモノクロフィルムを入れていたことは十分に考えられる。
オリジナルの35mmフィルムのフレームを詳しく検証すれば、わかるかもしれない。
伝記作家のリチャードウイーランは、あまり写真については興味がないように思える。最期に持っていたカメラ、最後に撮ったカメラなんてどちらでもよかったのかもしれない。
キャパが最後に撮った写真のアングルが、異様に高く、決して歩きながら撮ることは不可能だということも気がついていない。 僕はキャパ最期の日で、キャパの戦車の上から撮ったのだと、推量した。
写真家の撮ったものは、写真を見ることから事実をつきとめてゆくのが一番正しい。
僕は「ロバート・キャパ最期の日」を書いて思ったことだ。
しかし「キャパ最期の日」は、ただでさえ、構成が複雑になっていたので、伝記を踏襲して書いた。
シンプルに考えれば、最後のカラー写真はコンタックス2で撮られたものだと思っている。
だからフジ美術館にあるニコンSに50mm標準がつき、モノクロ入っていたと本当は思っている。
(その後この推察は翻意している)結論は、以下の文章をに。

Robet Capa Blog By Alao Yokogi

●ぼくの、ブログ、「THE EYE FORGET」 というタイトルは、インドシナで死ぬ直前、日本を滞在し、日本は「写真の天国だ」といい、日本で撮った写真を写真集にしたいと望んだといわれている。その本のタイトルが、「THE EYE FORGET」だ。残念ながら、そのころ日本ではキャパの人気はなく、出版されることはなかった。彼が伝説のカメラマンになるのは、死後、その死をいたみ、親友だった、川添浩史らの尽力によって、すでに絶版になっていた英語版「SLIHGTLY OUT OF FOUCS」を、日本で出版した。そのタイトルが「ちょっとピンぼけ」だ。その本は、現在にいたるまで、綿々と存在し、そういう意味では、ロバート・キャパは、日本で生き、伝説化された。英語圏で「SLIHGTLY OUT OF FOUCS」が、復刻されたのは、21世紀になってからだ。

●キャパ最後のカメラについて、改訂版 赤城耕一氏の本を読んでいて、ふと気がつき、やはりキャパが最後に撮ったカラー写真は、ニコンSで撮ったと確信した。ということは、僕がキャパ最期の日で、推察したとおりだったことになる。キャパは、戦車の上から、ワイドをつけたニコンで撮り、そしてキャパが本当にラストショットとして狙っていた写真を撮るため、35mmから50mm標準へとレンズ交換していることになる。

Robercapacover
「ロバート・キャパ最期の日」東京書籍


アーカイバルから抜粋
●1954年5月25日、キャパ最後の日、キャパが地雷を踏む直前、最後に撮った写真は、いったいどのカメラで撮ったというのだろうか。そのことが、僕のなかで、ずっとひっかかっていた重大問題だった。
キャパが最後に撮った写真はカラー写真だ。そう伝記にかかれている。
Capalastshotcolor11_2
キャパが最後に撮ったカラー写真。カメラはニコンS.レンズは35mmのワイドレンズだ。(ロバート・キャパ最期の日より転載)。この写真を写真家ならば、不思議と感じるはずだ。それはなぜか高いアングルだ。カメラのアングルは地平線を見るとよくわかる。キャパは、荒地のなか、何かの上から撮っている。キャパは戦車の上から、最後の写真、モノクロとカラーを撮っている。その直後、ドアイタンの要塞が爆発した。振り返ったキャパは、そこに理想的な、ラストショット、ルポルタージュ「にがい米」の最後を飾る写真、その光景に遭遇した。キャパは、戦車から飛び降り、ニコンSについた35mmレンズを、走りながら50mmにつけかえた・・・・・
Capalastshot11
モノクロは、コンタックスⅡ、レンズは50mm。

●カラー写真はどうみても、ワイドレンズ35mmで撮られている。その直前のモノクロ写真は標準50mmで撮っている。しかし、以前にも書いたが、地雷で吹き飛ばされ、投げ出された、レンズにドロのついたニコンSには、ワイドではなく50mm標準レンズがついている。現在それは、キャパの写真を大量にコレクションした、富士美術館に、コーネルキャパがお礼として寄贈したらしい。
さて、その日、最後の写真、自伝には、ニコンSにはカラーフィルムが入っていたと書いてあり、コダクロームⅠが装填されていたわけだが、なんどでもいうが、それはどうみてもワイドレンズなのである。遺された、富士美術館にあるニコンSと50mmレンズでは矛盾してしまう。
僕は「ロバート・キャパ最期の日」のなかでは、しかたがなく、カラーフィルムを入れたニコンSで、最後の写真を35mmワイドレンズで撮ったあと、土手に上りながら、50mmにレンズ交換したのだと、書いた。
しかし書いた後で、もしかしたらニコンには、50mmF1.4がついていて、実はモノクロフィルム、ダブルエエックスが入っていたんじゃないかと、怪しんでいたし、最近まで実はそう確信していたのだ。
それが、赤城君の本を読んで、もしかしてと、おもい、キャパの最後の日のコンタクトプリントを調べることにした。
それは以前、見せてもらったコンタクトプリントのコピーがマグナム東京にあるからだ。
キャパ最後の日に、撮った写真は、モノクロベタが5まい、5本分だ。
他に、コダクロームⅠで撮られたカラー写真があるが、20カットぐらいしか公開されていない。発表されているカラー写真を含めて検証すると、実はとても興味深いことが分った。
その日、1954年5月25日、朝、コンタックスⅡには、コダクロームが入っていた。ニコンSにはダブルXモノクロだ。ニコンのフォーマットが24x34なので、コンタクトプリントを見ると明白だった。コマとコマの間が、広い。コンタックスは狭い。それは明白に違っていた。
Cpimg_0577
この写真は、コンタクトプリントを見ると、ニコンSで撮られている。レンズは35mmワイドだ。

あーなんでそんなことを気づかなかっただろう。
そう、そう、もうひとつ疑問点があるが、それはコンタックスⅡとニコンSは、レンズを共用することができるらしい。とうことだ。
しかし、キャパは50mmと35mmそれぞれ、ニコン、コンタックスともに持っていたようだ。それはキャパが写っている写真を見ると、(日本で撮られたものだが)コンタックスは、50mm、35mmとも専用のレンズが装着されている。ということは、キャパはニコン用にも、50mmと35mmを持っていることになる。
そして、最初の3本は、ニコンSにモノクロをいれ、コンタックスⅡはカラーを入れている。
ということはキャパはこのときの、メインカメラはニコンSなのだ。
Dsc_0014
↑カウ・カンセ(未完成橋)のたもとが、深くえぐられ、道路は分断されてしまった。ここで隊列は数時間、立ち往生することになる。キャパは司令官に昼食を誘われるが、断り懸命に写真を撮っている。
Mikansebashi
2004年4月、キャパの最期の土地の決め手となった、橋。「未完成橋」と今でも呼ばれている。1954年にキャパが撮った写真のなかに、今でも明確残っているものは、この橋だった。そのことで僕は、キャパの最期の場所を発見することができた。
Mikanse0703133
photo by Masami Nakamura 2007年3月13日

●そして、その後、ドンキトンの要塞の爆破を撮るために、ニコンにカラーを入れている。コンタックスはモノクロを入れた。なぜわざわざカラーとモノクロをニコンとコンタックス、キャパはカメラを入れ替えたのだろうか。
きっとキャパは、コンタックスⅡより、ニコンSを信頼していたのだろう。だから、最後に、ドンキトンの要塞を撮るとき、それはライフのために、カラーで撮ることをメインと考えていたのかもしれない。
これは、僕の想像で、このあたりの心理は「ロバート・キャパ最期の日」に詳しく書いたが、キャパがなぜ、地雷を踏んだかという理由でもある。それは、「幻のラストショット」を撮るために地雷を踏んでしまったという仮説。
今回、わざわざカラーとモノクロを撮るため、カメラをチェンジしていることは、かえって僕は僕の仮説を強固なものにした。やはり、キャパは、いつもと同じように、今までの天才戦争写真家であったように、おあつらい向きの、最高の「絵」が、まさに遭遇する瞬間だったのだ。その写真を撮るために、キャパは、ニコンのワイドレンズをはずし、50mm標準レンズにつけかえ、ドアイタンの要塞爆破の瞬間を撮影しようとして、地雷を踏んでしまった。

この辺は、もっとしっかりと検証しなくてはならない。
Img_0331
●右上の写真、遠くに見えているのが、ドアイタンの要塞だ。この要塞を爆破する予定になっていた。キャパはこの場所を撮る前から、カラーはニコンSに変えている。コンタックスⅡは、モノクロを入れた。キャパはライフの記者、ジョン・メクリンにこの要塞の爆破の写真を撮ったら、僕のフォトストーリーは完成すると、と言った。
それなのに彼は、爆破をまたずに、先に行くという。しばらくゆくと、ふたたび臼砲で攻撃され、クルマからおりて土手にかくれた。落ち着いたところで、キャパはふたたび先にゆく。メクリンとルーカスはまだ危険だと思い土手にかくれていた。どのくらい時間がたったろう、西の方角に爆発音と黒い煙があがった。ルーカスは叫んだ。「この絵ををキャパは撮りたいっていってたのに」ルーカスは、タイミングを逃したキャパを責めるように叫んだ。
しばらくして、二人はキャパが地雷に吹き飛ばされたと知る。

キャパはなにをしていたか。キャパは、目の目の前に広がる、ライフのための戦争ルポスタージュ「にがい米」のラストショットを撮る寸前だったのだ。それは、反共のアメリカの雑誌、ライフにどうどうと載せることができる、きわめて象徴的な写真だった。西の空にもうもうと上がる煙。まるで敗走するように、そこから逃げす、フランス軍。それはキャパにとってあらたな戦争写真家キャパの誕生だったはずだ。
しかしキャパはその「幻のラストショット」を、撮ることなく地雷を踏んで死んだ。
Capalastshota
下が、キャパが最後に撮ろうとした写真の想像図だ。

ロバート・キャパ最期の日BLOG

ちょっと支離滅裂に、思いつくまま書いたが、キャパについてのこの話は今度きちんとまとめたいと思う。

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2007.04.05

Caplio GX100 19mmワイコン

GX100にワイコンをつけて、正方形モードにすると、なんだかHasseleblad swcで撮っているみたいだ。もっともHasselは、38mm。これだけワイドでも背景はボケる。画角は似ていても、やはり写り方の雰囲気はずいぶん違う。それは、光学的な性能というより、フォーマットの大きさだ。
Sangenchaya
今日は天気が良く撮影日和だったが、打ち合わせで忙しくあまり写真は撮れなかった。いつもの三軒茶屋の駅で。
Akasaka
たしか赤坂見付だったと思う。いや間違い、外光が入っているので四谷駅だ。時間調整で停車中。
Rr
新宿での打ち合わせのあと、六本木へ。なぜかRRの車内から。
Hills
東京ミッドタウンができて、先週の週末はごったがえしていた。流れてくるのかヒルズもかわらず人気がある。


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Caplio GX100 19mmワイコン & hana写真展

Gx01_1
GX100+ワイコン(ワイドコンバーター) つきをGRDで撮影。内蔵ストロぼをポップアップしているが、ワイコン使用時にはストロボは使えないと仕様書にはかいてある。それはレンズが大きいので条件によってケラレてしまうからだ。(ワイドレンズのときにはよくやってしまうことだ)。もっともいろんな裏技で防ぐことができるが、それはこのストロボの構造上可能なことで、答えはそのうちということで。ですからこの写真は、ちょっとおかしいのであります・・・・・。
それにしても、コンデジとは思えないほどの迫力だ。GRD28mmワイドでデフォルメのせいではあるけど。
実際のバランスはGX100サイトで。

●さて、GX100にワイコンをつけると、24mm相当が19mmになるという。ベトナムではあまり細かいことを気にせず使っていたが、ちょっと詳しくみてみよう。
GX100には、ステップズームといって、24mm28mm35mm50mm72mmと、ズーミングガ刻まれ、短焦点のように固定して撮ることができる。ワイコンをつけた状態ではどうかというと、19mm22mm35mm40mm57mmになる。
一般の一眼デジタルもそうだが、今やズーム全盛だ。しかし漫然とズーミングして、フレーミングしているかぎり写真の上達は遅い。自分が常に、何ミリの状態で撮っているかを把握する必要がある。それは、レンズの画角によって、パースペクティブのつきかたが違うことなどさまざまな意味があり、それを意識するためだ。
カメラのフォーマットによっても、世界観がかわるように、レンズの画角によっても世界観が違う。何ミリで撮るかはただの記録写真でなければ、とても重要な写真の要素だ。そのためにも、ステップズームがついていることは評価できる。そして、MYセッティング登録にしておけば(2件できる)いつでも、スイッチを入れたときに、画角さえも好みのセッティングになるようにできる。
ワイコンの写真はべトナムでいくつか撮っているが、それは5月末に出版する「VietnamGXTraveler」で紹介します。もっともこれから、日本で撮る写真では紹介できると思う。
そのかわりというわけじゃないが、GX100、19mmでGRDを撮った写真を載せる。
Grd01
さすがに19mmの世界はかわったGRDになった。
それとワイコンを取って、24mm接写でGRの背面ボタンのメニューボタンを撮影してみる。MENUOKの直径はわずか6mm。まだ余裕があり、1cmまで近ずくとこの背面ボタン全体、直径2cmがちょうど入るくらいだ。
Grdup
GX100でGRDを撮る

CCDの小さなコンパクトデジカメが他のジャンルのカメラに絶対に負けない、2つの特徴、コンパクトであることと、接写に強いということだ。しかも簡単にピントが合う。CCDの大きなカメラの接写は被写界深度が浅く、ピントあわせが微妙で難しい。三脚を使いたくなる。GX100の場合、ワイド側24mmで1cm接写、テル側72mmにしても3cmまでよれる。実は1cm接写はかなり難しい。というのも被写体にぶつかりそうになるし、自分の影になりライティングも難しい。そういう意味では3cmぐらい離れられるテル側のほうが撮りやすいかもしれない。

●本日4月5日から11日まで(日曜休館)、銀座キヤノンギャラリーで、
hanaさんの写真展「サクラドロップス」が開催される。
やさしい、不思議な色彩感覚を持ったhanaさんのデビュー写真展だ。
R1137796a
photo by hana

フォトブロガーでもある、osampo hanaさんの、センスあふれるBlogは、こちら。
Hanasyashinten


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2007.04.03

By GX100 Distance to the Horizon

Distance to the Horizon (DtoH)~地平線までの距離~
Kabukichogx
GX100 Shinjuku Kabukicho 2007年2月

DtoH flickr
DtoH Mixi
DtoH ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHS

GRDではじまった、地面にカメラを置いて撮るシリーズ。
●この手法は決して珍しいものではなく、カメラを手にしたことがある人なら誰でも思いつく手法でしょう。僕も三脚がないときなど、よくやってました。
●ローアングルというと、子供の目、犬の目、蟻の目といった、日常をちょっと違ったアングルから見るやりかたです。ありふれたも街を、空から見るだけで面白いのと似ています。
●ある日、この手法を意識的に撮っていて、するともっと根源的な何かが写っていることに気づいたのです。
☆☆それは、僕たちがこの地上に生きているということを、画面半分地面が写ったこれらの写真が、はっきりと突きつけているような気がしたのです。
これは決して虫の目ではありません。
これは「地球」という生命体から見た景色なのです。
★すでに発表している、このシリーズはたしかに僕の作品です。でも、このありふれた手法を、持ち出してオリジナリティを語るのは、ナンセンスでしょう。 それより、そんな個人的なことではおさまらない、もっと大きなメッセージをこの写真は含んでいるような気がしたのです。
●多くの人に、地上にカメラを置いて撮るこの撮影プロジェクトに参加してもらいたいと感じました。
僕は、僕の身の回りしか撮れません。僕が立っている場所でしか撮れないのです。
ですから、あなたは、あなたが立っている場所で撮ってください。
そのことによって、この生命体である地球上に生きる意味を再発見することができるでしょう。
●flickrでの参加はいかがでしょうか。
DtoH flickr

DtoH GRDigitalで撮ったシリーズです。スライドショウーにもなっています。

Kabukicho01

Kabukicho03

Kabukicho04

横木安良夫オリジナルサイトです。
DtoHは、このころからはじまっています。

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2007.04.02

GX100 EVFとストロボ問題

Gx100bygr
GRDでGX100を撮る。といっても、さらにデフォルメ。
さて、GX100は、EVFをアップしてつかうと、ストロボが使えないとアナウンスされているが、正確に言えばまちがいだ。この写真ぐらいだったら全く問題ない。ストロボの発光部が半分隠れるぐらい、当然90度では無理だが、そのまえ75度ぐらいまでは、使用可能だ。なにより、ストロボをポップアップさせ、EVFを傾けてゆくと、干渉する。さらに直立付近にすると、ストロボ設定できなくなる。完全に直立した場所でOFFになっている。もどしてゆくと、すぐに設定できる。まあ、そこまではストロボで撮れることになる。現実的には、半分ふさいだあたりかな。光量は半分に落ちるが、オートストロボだからそれでも露出は正確にはかっているようだ。まあ、それほど実験したわけじゃないけど。とにかく、EVFを上げたら即ストロボが使えなくなるわけじゃないことは、たしかだ。 まあ、こんなことになんか意味があるかわかならないが、かえって接写撮影などで、裏わざとしてつかえるかも。ストロボのサンプル撮影は、そのうち誰かがUPするでしょう。それまでのお楽しみということで。まあ、普通に写るということだけを書いておきます。
(注意)ストロボを完全にポップアップしないで、発光させると、一瞬こげるような臭いと煙が上がるときがあります。発光熱で、ストロボカバー内側の塗料が焦げているようです。このような使いかたは、RICOHでは薦ません。自己責任でやってください。ただ普通に使っている限りは問題ないようです。

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2007.04.01

GX100 EVF について。

Gxroppongi
GX100 Roppongi 070331 CReCo

Gx100b
GX100 Vol.01 Vol.02 Vol.03 Vol.04

ベトナムに持っていった、GX100のベータ機。レンズキャップのヒモは、GRのストラップを分解してつけた。実はちょっとこれを気に入っている。レンズキャップをつけると、なんだか懐かしい昔のカメラのような気がする。僕は一眼デジカメに普段からキャップもフィルターもつけない。

GX100のEVF(エレクトリック・ヴュー・ファインダ)について。
EVFカメラといえば、一体型高倍率ズームをつんだEVF一眼デジカメというジャンルがある。僕は触ったことがないので、わからない。EVFといえば、僕が使っていたのは、ビデオカメラぐらいしかない。そんなEVF素人の僕のGX100のEVFの印象は、おもったよりずっと見やすいことだった。とはいっても光学ファインダーとは較べられない。いくらデジタル1眼のファインダーが、銀塩時代とはその性能に差があるといわれても、長い歴史のなかでつちかわれてきた、視認性はEVFの比じゃない。EVFは、どんなに目を凝らしても、デジタルのドット以上のものは見えない。そのうちもっと、倍率が高くなり(今はまだ50mm相当でも3分の2ぐらいの大きさだ、等倍ではない)画素数があがればかわるかもしれない。そういう意味で未来はある。今のところ、例えば人物撮影をしていて、ひいて全身を撮ったとき、その細かい表情を視認するのは、かなり困難だ。もちろん顔のアップだったら問題ない。細かいフォーカス感は、クローズアップのときには、かなり有効だ。コンパクトデジカメの純粋にカメラとしての最大の特徴は、深度の深い美しいボケ味のクローズアップを撮れることだ。これは、大きなCCDを持ったカメラにはぜっったいに表現できない世界だ。
Gx100evf
便利な、EVFもこうやってチルトアップし、ウエストレベルファインダーのように使うと、ストロボが使えなくなる。

さて、あまりよく見えないファインダーはデジタル時代の問題ではない。銀塩時代だって、クリアーなすみずみまで見えるファインダーは、なんといっても35mmカメラの独断場だった。だからこそ、35mmは動きの激しい、スポーツや報道写真、ファッション写真の世界で発展した。
しかし中盤カメラのファインダーは、美しく、雰囲気はあるが、35mmのようにクリアーに見えたわけじゃない。それより、すりガラスに映った、まるで魔法の像のように見えることで、写真という、現実を異化した世界に近いような気がした。僕が写真をはじめたころの、例えばハッセルブラッドのファインダーは、だからピントを合わせることが大変だった。しかも35mmより被写界深度が浅い。絞り開放で撮れば、ピントのあっている面はごくわずかだ。だから開放で撮るならしっかりとピントを合わせなければならなかった。三脚さえ必要だった。かっこよく手持ちで、ファインダーから目を離したりして、話すように撮るならば、大型ストロボを使って、絞りをF11とか16まで絞らなくては安心できなかった。そうだとしても、人間のような動く被写体のときは、表情を見るより、ピント合わせに忙しかった。それが解放されたのは、オートフォーカス時代になってからだ。
まして、4x5のようなビューファインダーのカメラなんてもっと難しい。しかもぼくの好きな、スーパーアンギュロン65mmf8のような超ワイドレンズをつけると、(そのレンズは実に美しく、周辺が落ちる)かぶりという黒布をかぶって、さかさになったファインダーを覗くと、暗く、ピントを合わせるのは至難だ。5倍のルーペを使って、部分部分を確認して、よしってかんじでピントを合わせる。ビューカメラはファインダーがないので、フィルムを装填したら、あとは想像で写真を撮る。目は、カメラを通してではなく、肉眼で見ることになる。・・・・・・。
実は僕は被写体をあまりよく見て撮らない。写真を撮るときには、よく見て撮れといわれる。もちろん動かないものは、よく見て撮ることになる。でも長く写真をやっていると瞬時に今撮っているものが何かがわかってきてしまうので、全体的な雰囲気を捉えることに集中している。
シャッターのタイミングも、全体を見ることはあっても、主題に関してはあまり見ない主義だ。狙って撮るより、自分の好きな、気分のよいタイミングでシャッターを切ること、もうそれは本能のように切る。大型カメラで数枚しか撮らないとき以外、狙って撮ることはない。
さて、GX100のファインダーのことだ。コンデジは基本的には携帯カメラと同じように、手を伸ばし背面ディスプレーを見ながら撮る。それはいかにも手軽でよいのだが、欠点はぶれやすいことと、連続して撮るとき、手が疲れる。そのてん、ビューファインダーは、カメラも安定するし、連続して撮っても疲れない。それに撮影に周りが見えなくなるので、撮影に集中しやすい。ただ、僕のようにめがねをしていると、太陽光が横からファインダーにさしこみ見にくい。そんなとき左手の平でカメラの横をささえるように、ファインダーに入る光を切れば問題ない。
GX100は、JPEGの連続撮影に関しては、GRDよりずっと早い。画像のオート確認を0.5秒にして連続撮影していて、読み込みが間に合わなかったことはない。そのへんはかなり進歩だろう。
このジャンルのカメラはこれから増えると思う。着脱式のEVF、このアイデアだけでもこのカメラはエポックメーキングかもしれない。そして、GRDは、趣味のカメラだが、GX100は、プロの仕事カメラになる可能性も持っている。
そのためにも、シンクロ接点が欲しいな。

Ikea_1
横浜、港北にある、スエーデン家具のアウトレット?IKEAに行った。巨大な倉庫のようなSHOP.日本の家具は種類も少なく、高かったが、ここでは従来の3分の1から5分の1の価格で、スエーデンのカジュアルなグッドデザインの家具を買うことができる。すごい。
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フォトブロガーから、写真家に転進した、hanaさんが、初めての個展、写真展「サクラドロプス」をキヤノンギャラリー銀座で、4月5日から4月11日まで、開催する。その後、全国のキヤノンギャラリーで巡回展。

これは、彼女の育った阿佐ヶ谷にある、阿佐ヶ谷団地を撮った写真だ。この場所は、もうすぐ消え行く運命だけれど、懐かしむため記録したというより、そこで生活した、そこで起きたこと、そこで夢見たひと、そんなさまざまな人々の記憶のなかの風景が記録されている。
今まさにサクラが満開、そして葉桜に変わるこの時期、この不思議な写真を是非ごらんください。
Hanasyashinten
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