かつて熱海にあった、洋館ホテル、「熱海ホテル」について、5月19日に書いた。
そのホテルは、1954年(昭和29年)4月16日(金)から17日(土)にかけて、
写真家ロバート・キャパが泊まったホテルだ。
それは僕が「ロバート・キャパ最期の日」の熱海取材中に知った事実だ。
当時、キャパが熱海で撮影した写真に写っている人物と、
その店を見つけ、
健在中のその夫婦にインタビューしてわかったことだった。
なによりキャパの撮影風景を目のまえで見ていた、フランス料理店(現在は洋菓子店)「モンブラン」の奥さん君枝さんが、
その一部始終を鮮明に覚えていた。詳しくは、「ロバート・キャパ最期の日」にかいてあるが、
そのさわりはの話は、5月19日のBLOG
に書いてあるので読んでもらうして、その取材後ぼくは熱海ホテルについて調べた。結果国際興行、
小佐野賢治にわたり、老朽化のため1977年に解体された。
熱海ホテルがどんな外観をしているのか知りたくて、いろいろ探した。
唯一見つけたのは、「熱海風土記」山田兼二著、
伊豆新聞刊のなかの小さな写真だった。その写真はスイス風の木造建築、
まるでその後に建てられた、上高地帝国ホテルとそっくりだった。なにしろ、熱海ホテルを作ったのは、
帝国ホテルの副支配人をしていた、岸衛だ。関係あるのかなと、
思ったがどうやら無関係だったようだ。
しかし、友人が、熱海ホテルの写真をサイトで見つけてくれた。
するとどうだろう、僕が熱海風土記で知った写真と全然違うじゃないか。
これはミステリーだ。

熱海風土記に載っていた熱海ホテル (無断転載申しわけありません)
そんなとき、titanoさんからBLOGにコメントがついた。
「かつて国際興業傘下のホテルに居たものです。
熱海ホテルについては古株の先輩に「二十年くらい前に取り壊して、
今は更地」と話したのを覚えてます。
創建当時の姿は、ご存知かもしれませんが
「ノスタルジックホテル物語」という本に着色カラー写真と解説
付きで出てますね。
他に「日本レジャー産業史」というホームページにも
写真少しと国際興業の沿革に記載があり、それによる
と1977年に閉鎖となってましたんで、先輩の証言も間違えてなかった様です。」
さっそく、図書館に行ってその本を読んで氷解した。
「ノスタルジック・ホテル物語」富田昭次 コロナブックス 平凡社
この本には、ホテルの絵葉書の写真だろう、
人工着色した熱海ホテルの全景が紹介されていた。
サイトで見つけたホテルと同じだった。やはりこれが、
熱海ホテルなんだと、いつ改築したのかなと思いながら、
もしかしたら熱海風土記は間違いなのかななとと思いつつ、
文章を読んですべてが氷解した。
それは、熱海ホテルは大正11年に開業してるが、
翌、大正12年9月1日、関東大震災でホテルは壊れてしまった。
上のぼやけた、熱海ホテルの写真、樹木をみても植樹されたばかりだ。
ということは、ホテル物語やサイトに載っている写真は、改築したホテルの写真だったのだ。
ロバート・キャパも当然そのホテルに泊まっている。三島由紀夫もよく泊まってたらしい。
熱海ホテル
1922年(大正11年) 岸衛が建てる。
1923年2月 ソビエト連邦(1917年成立)駐華大使ヨッフェと後藤新平が、
熱海ホテルにて秘密会談。
1923年(大正12年9月1日) 関東大震災によって被害を受ける。すぐに再建。
1930年(昭和5年) 設計山田馨 によってスペイン風に建て替える。後年、
岸衛は五代目熱海市長になる。給料を1ドルしかもらわず、1ドル市長と呼ばれた。
1942年(昭和17年) 谷崎潤一郎 熱海ホテルで、細雪を執筆開始
1945年(昭和20年) アメリカ軍第1騎兵師団に、樋口旅館、野村別荘とともに接収。同年、
小佐野賢治が根津財閥から買収(国際興行)
1954年4月(昭和29年) ●ロバート・キャパが宿泊(当時はまだ外国人専用だったらしい)
1977年(昭和52年) 解体 現在更地
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