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2007.07.16

アジアカップ ベトナム対ニッポン

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●今日の夜、アジアカップで、日本とベトナムが戦います。ベトナムが勝つようなことは万にひとつもないと思いますが、勝負の世界、なにが起きるかわかりません。
試合の前に、ちょっとでも対戦国、ベトナムのことを知ると、試合を何倍も楽しめると思うので、ちょっと長いけど読んでください。

ベトナムのサッカーは、1884年から始まったフランスの植民地時代に入ってきたようです。もっとも農民はそんなことしてる暇はないので、もっぱら一部の人たちの遊びだったのでしょう。
植民地には、光と影があります。光は、封建国家が近代国家に生まれ変わるということです。現在のベトナムの風俗、食べものも、もともとのベトナム文化とフランス文化が融合したものです。そして何より、ベトナム人はフランス文化が大好きですし、融合して生まれ、今のベトナム文化を誇りにしています。
例えば、アオザイは、中国的な衣装を、西洋的な立体裁断にして、進化しました。今やそれこそがベトナムの象徴です。そして日常食べられている、フランスパンなどです。
影の部分は、豊なベトナムからすべてを搾取していました。農民の暮らしは過酷でした。そのため、ホーチミンは立ち上がったのです。もっとも、そのホーチミンも、フランスで学んでいます。


●もともとベトナムは中国の南にある小国です。長く中国に支配されていましたが、10世紀ごろ独立しました。当然、日本や朝鮮などと同じような中国文化圏、その影響が強い国です。科挙制度もあったとのことです。
フランス植民地時代に漢字はアルファベッドにかえらえました。だからベトナム語のほとんどは、漢字に置き換えられます。
例えば場所の名前、日本対ベトナム戦のある、首都ハノイ「Ha Noi」は、「河内」と書きます。紅河の自然堤防に囲まれ町です。水の都といわれています。年老いたインテリだったら漢字を読める人もけっこういるでしょう。サイゴンは「西貢」Sai gonです。なにより、ベトナムは、Viet Nam「越南」えつなん、ヴェット・ナムです。
●ハノイはベトナムの首都ですが、町の規模や発展度からいえば、ホーチミン市(旧サイゴン)よりずっと遅れているしやぼったい感じがします。でもベトナム人はハノイのほうがサイゴンよりずっと綺麗だというのはなぜでしょう。市内ちょっとあるくと湖があり、自然に恵まれているからでしょうか。でも近代的な、高層ビルも建ち、郊外には競技場や、コンベンションセンター、高層住宅地が急速に建設されています。
●ベトナムの気候は、亜熱帯にある、乾季と雨季の存在するホーチミン(サイゴン)と、温帯である、ずっと北にあるハノイの二つに分かれます。
今回試合のある、ハノイには四季があります。
冬は天気が悪く、湿度が高く、気温も低めです。肌寒い日もあるぐらいで、皆長袖を着ています。反面、夏は異常なほど湿度が高く、不快になります。世界でもトップクラスの過酷な場所になります。僕は、10数年前、ハノイの6月、撮影中、今までで一番暑い思いをしました。
どうせベトナムならば、試合はサイゴンでやったほうがましかもしれないのですが、やはり政治の中心ハノイでやるのでしょう。インフラはハノイのほうが整っているからです。
サイゴンは、一年中暑いけど、夜になればずっと涼しくなると思うのは僕の感想です。日が落ち、真っ暗になっても、30度を越えているなんて、7月のハノイ、まじにサウナでサッカーをやるようなものです。
●さて、ベトナムの現代史です。
1930年代、フランスの植民地時代(仏領インドシナ)、建国の父、ホーチミンがベトナム共産党をたちあげます。
その後、日本のアジア侵攻により、アジアの民族運動が高まります。
●1940年には、日本軍が仏領インドシナに侵攻します。不思議なものでそこでフランスが完全に駆逐されたわけではなく、建前上は日本軍の単独支配ですが、実際はフランスとの二重統地の時代になりました。
1941年、建国の父、ホーチミンがベトミン(ベトナム独立運動)を発足させます。

●1945年、日本軍の降伏により、一斉蜂起し、ホーチミンによるハノイ政府の独立宣言、ベトナム民主共和国が生まれます。
本当はここで、選挙が行われ、ベトナムは独立するはずが、フランスは南のコーチシナを失うつもりはなく、傀儡政権のベトナム帝国をつくり、戦争をしかけます。
(余談ですが、この時、一部の日本兵がホーチミンの軍隊に残り、ベトミンに銃器の訓練をします)
そのことによって、第一インドシナ戦争が勃発するのです。当初はフランスは優勢でした。ところがホーチミンのベトナムは共産中国(生まれてまもない、中華人民共和国)の援助のもと、力を蓄えてゆきます。しだいに戦火はベトナムが優性になってきます。
●するとこんどはアメリカが介入してきます。当時ソ連、中共、など共産主義が勢力を拡大し、資本主義のアメリカはアジアの共産化を恐れ、それを阻止するために、フランス軍に援助します。後半は、武器はほとんどがアメリカ製という按配です。
●そして、ラオス国境の町、ディエンビエンフーに反撃の拠点としてフランスの近代的大要塞が構築されます。
その大要塞が、1954年(昭和29年)ベトミン(ホーチミンの軍隊)によって壊滅させられ、フランスは敗戦します。
しかしその頃、南ベトナム、1949年に独立した「ベトナム国」は、フランスやアメリカの影響下に発展してゆきます。
ホーチミンのベトナムが勝利したとき、北のベトナム人、特に宗教は認められないと、うわさされていた共産主義を恐れるクリスチャンは大挙、南ベトナムに移動します。その数80万人ともいわれてます。このとき、北から南に逃げてきた人たちを、「54年の人」と呼びます。フランスは、大々的にカソリックを、元来は仏教のベトナムに布教していたのです。今でも、昔の巨大な教会が、ベトナムの北にたくさんあります。実際は、さほど弾圧されることもなかったようです。実際は、カソリック教徒は、フランスの協力者が多かったからでしょう。
●さて、戦争写真家ロバート・キャパは、その年、1954年4月13日に日本に来て、その後「ライフ誌」の依頼により、インドシナ取材にやってきます。
それはディエンビエンフー陥落直後であり、その後、紅河デルタでの取材中、地雷を踏んで死んでしまいます。そのときの話が僕のノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」です。
●さて、フランスはベトナムから退場したものの、今度はアメリカが打倒共産を旗印に北ベトナムを殲滅させるため、本格的に、北ベトナムと戦うことになります。
それがいわゆるベトナム戦争です。「地獄の黙示録」「ディアハンター」「天と地と」など、など、多くのアメリカ映画は、アメリカ側から描いた、ベトナム戦争です。当然ベトナムではこの戦争を「アメリカ戦争」と呼んでます。
ですから、この間、ベトナムは現在の朝鮮半島のように完全に二つの国に分断されました。
しかし1950年代のバブルが崩壊したアメリカは、ベトナム戦争で疲弊し、反体制運動がもりあがり、1970年代にはいると、表向きベトナムから手を引きます。しかし軍事支援は続けられ、北と南同じベトナム人同士だけで戦うことになったのです。
●その間、サイゴンを首都としたベトナム国は、フランスとアメリカに援助された、自由主義圏、資本主義の国として戦争中でありながら発展してゆきます。
●ちょっと戻りますが、1954年、南ベトナムはアジアサッカー連盟に創立参加します。そして2年後の1956年に始まった第1回、アジアカップに参加、予選マレーシアに勝ちますが決勝で香港に引き分け、韓国とイスラエルに負けて、四カ国中、四位にとどまります。
次の1960年の第二回アジアカップも、韓国、イスラエル、台湾、につづき4位になります。それ以後、ベトナムは戦争が激しくなります。不思議なことに、南ベトナム最後の年、1975年3月、アジアカップ予選?に南ベトナムは参加します。南ベトナム崩壊直前です。そして、その後、ベトナムは世界のサッカーから消えてゆきます。
●1975年4月30日。北ベトナム軍はサイゴンに侵攻し、アメリカとの戦争に勝利します。南北ベトナムは統一されました。南ベトナムの消滅です。
このとき、北から勝利者として、多くのエリートがサイゴンにやってきます。彼らのことを「75年の人」と呼ぶようです。
●その後ベトナムは、本来だったらアメリカの援助が受けられるところを、アメリカは政治的に急速に中国と接近したため、はじきだされ、結局は中国と敵対している、ソ連と結びつくことになります。
●その後、突然、中国と友好関係のある、圧制のポルポト政権の、カンボジアにベトナムは侵攻します。理由はどうあれ、世界はベトナムに失望します。そして中国との国境紛争。ボートピープル、ますます孤立したベトナムは、国じたいが、世界から忘れ去られてゆきます。戦争中より、このときが、ベトナムの一番貧しかった時代といわれています。
●その後、ソ連が解体しはじめると、ベトナムもドイモイという解放政策をはじめます。それ以降、今の発展があります。
1991年ベトナムはマニラで開かれた南部東アジアに、ナショナルチームとして参加しました。
●1994年にはアメリカン経済封鎖が解除され、関空からホーチミン市(サイゴン)まで日本航空の直行便が飛ぶようになります。
●その年秋、直行便が飛ぶ前、僕は始めてベトナムを訪れます。白いアオザイの写真をそのとき撮りました。
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●サッカーは、ベトナムでは国技といわれています。いたるところで皆サッカーをやっています。
1994年、僕はサイゴンのホテルに泊まっているとき、朝の4時ぐらい、まだ真っ暗なだというのに、歓声が聞こえました。街灯のある大通りのいたるところで、若者がサッカーをやっているのです。今と違ってサイゴンの大通りは、明け方ほとんどクルマが走っていませんでした。そしてベトナムのいたるところで、まるでブラジルのように、裸足でサッカーが興じられています。ボールさえあればできるスポーツだからでしょう。あまりの熱狂にぼくはかなり驚きました。
1996年のアジアカップでベトナムは予備予選?敗退しているようです。

●1998年、ワールドカップフランス大会のベトナム人の熱狂には、正直、初参加の日本に負けにないぐらい、いやそれいじょうで、驚きました。
ベトナムはかやのそとのはずなのに、まあ、かつての宗主国フランスびいきであるの当然として。街では、中継がある時間、人々は皆テレビでサッカーを見ています。夜中中継が終わると、深夜街のいたるところでサッカーが始まります。それは朝まで続きます。
僕はちょうど、日本対クロアチア戦を体育館でみました。空調のない、天井の扇風機と窓の喚起ファン。薄暗い、巨大なスクリーンに映し出された、その一戦、場内は初めは、皆が日本びいきに見えました。皆、中田をしっています。結局日本は負け、すっかり脱力した僕は、ベトナム人の多くもアジアの代表が負けたことに失望しているように思えました。
●僕は友人である、元ベトコン、元公安のチュンさんにベトナムのサッカーについて尋ねました。すると、ベトナムはまだぜんぜんだめだというのです。彼もサッカーは好きなようでした。タイガーカップや、シーゲームでは、タイが断然強くまだまだといってました。監督がどんどんかわり、やれブラジル式がいいか、ドイツ式か、イギリスか、などと、そしてどういう監督がベトナム人に会うのか結構論議されるとのことでした。
●ベトナムサッカーの父と呼べるのが、カールHEIZ WEIGANG、次に1997年「シーゲーム」で銅メダルを取る、Colinマーフィー。
そして現在の監督が、オーストリア人のAlfred Riedlです。リデルの指導の下に、「タイガーカップ98」銀メダルに、「SEAGAMES第20」の銀メダル、Dunhill Cup99の銅メダルを取ってます。その後もリデルはベトナムサッカーを進化させています。
ところで、ベトナムでは賭けサッカーが盛んです。それに選手が関わり、八百長問題がおき、スター選手4人が逮捕されました。
今のベトナムチームはそういう意味では若いチームです。さて、何が起きるか。ベトナム人の熱狂が想像できます。
ベトナム人は、基本的に日本びいきです。1998年のワールドカップで多くの人が日本を心情的には応援しているのを真のあたりにしました。その日本とベトナムが戦う。いい試合になればと思います。

ベトナムUAE戦 YouTUBE

RICOH CaplioGX100スペシャルサイトにて、 横木安良夫 GX100インプレッションインタビューUPしています。どうぞごらんください。
☆RICOH GX100インデックス

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写真展「GXトラベラー ベトナム・ニッポン」詳細 

ギャラリーBauhous
7月17日(火)~7月30日(月) 会期中無休  am11-pm7時 
入場無料 協賛 RICOH

◆写真展は、GX100といくつかGRDigitalで撮影した写真を展示します。ベトナムの写真は「ベトナムGXトラベラー
」から選んだ、カラー20点、日本での写真はモノクロ15点。その他、GX100で撮ったカラーの写真を、A0サイズ(1030mmx1373mm)に大伸ばしします。
GX100というコンパクトデジカメ、CCD1:1.75インチという小さなCCDから大伸ばしした世界を、是非ご覧ください。きっとビックリすると思います。

●横木安良夫撮影会「Walk and Talk TOKYO by GX100&GRD」
* 7月21日(土)募集終了
* 7月28日(土)
 13:00~18:00(13:00にgallery bauhausに集合)
 参加料:3,000円
*横木安良夫とともに町を歩き、写真を撮る撮影会。gallery bauhausに集合し、横木自身による展示内容のレクチャーの後、御茶ノ水・神田・湯島方面など周辺の町を歩き、撮影します。
(メールにて要予約。参加希望日、氏名・住所・携帯電話番号を明記してください)
バウハウスサイトメールで担当:タカザワまで申し込みお願いします。

★(株)リコーの協力により、Caplio GX100およびGR Digitalの貸し出しも行います。
貸し出しご希望の方は、申し込みに貸し出し希望と、当日身分証明書をお持ちください。


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フォトエッセイ集 「ベトナムGXトラベラー」発売中  AMAZONGxtravelerpet
●写真展会場でも販売しています。僕が在廊中は、サインをします。
在廊予定
7月17日(火)は、12時ごろから在廊しています。
7月18日 未定
7月19日 未定
7月20日 未定
7月21日 撮影会 昼頃からいますが、途中ぶらぶら撮影会で外にでてしまいます。
7月22日 日曜日なので、12時ー7時ぐらいは在廊しています。
7月23日 未定
7月24日 未定
7月25日 未定
7月26日 未定
7月27日 未定
7月28日 撮影会 昼頃からいますが、途中ぶらぶら撮影会で外にでてしまいます。
7月29日 日曜日なので、12時ー7時ぐらいは在廊しています。
7月30日 最終日  PM3時ぐらいからいる予定です。

MIXI会員の方、「GXトラベラー」コミュがあります。

驚きのHARUKI写真展


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